フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

2008-01-21 15:08:07 | Weblog
汗をかいたら塩分補給といわれるように、人間の生命活動になくてはならない成分の塩、化学記号はNaClですね。塩が足りないと新陳代謝が悪くなります。
この塩をめぐって世界の歴史の中では大きな戦いが数多くありました。その例の1つとして、インドの独立運動は塩をめぐる争いからはじまったと言われています。そして日本では忠臣蔵の事件の遠因が塩であるとの考察もあります。
赤穂は瀬戸内を利用して江戸時代の初期から塩作りをはじめ、高い評価を得て財政が豊かでした。他藩でもこの塩作りを試みましたが上質な塩は出来ません。特に吉良家はその製法を赤穂藩に教えを乞いましたが、どうしても拒否されました。吉良と赤穂の確執はその時に既に始まっていたと言われています。
そしてもうひとつ有名なのが戦国武将、上杉謙信が宿敵、武田信玄が塩不足に悩んでいた時に「敵に塩を送る」という言い方が生まれた逸話になった様に、塩を送ったのです。今日、1月21日はその上杉謙信の誕生日です。〈1530年〉
塩は古代から神聖視され、土俵でも力士が塩をまきます。一つには擦り傷が化膿せず治りが早いのも塩のお陰といわれています。ただ塩のことわざに「元気をなくし、しょんぼりする」ことを「青菜に塩」といいますが、貴方が青菜になりませんように!「そんなアホナ・・・!」

討論

2008-01-20 23:13:41 | Weblog
政治がバラエティー化して久しい。特に日曜日のテレビ番組は政治家の出演が多くなっています。
こうした番組で各党の代表が討論をする場合の言葉のやりとりに時に眉をしかめることがあります。発声が悪くて言葉が聞き取れないこともありますが、それよりもなによりも人の話を最後まで聞かないことです。議論途中で割り込み、また話をさえぎるなど大人の行為とは思えないですね。協調性やコミュニケーション能力の欠如さえ感じ取ってしまいます。もう少し他人と意見を交換する技術を若いうちから身に付けておいてほしいですね。
確かに政党代表という立場ですから、自己あるいは所属する組織を守る意識が働くでしょうが、もう少しこうした討論の場を自分の持っていない意見〈情報〉を手に入れる場にして欲しいものです。もともと議論や討論は自分が成長する為の議論である認識が必要ですね。
先日、面白い事に気づきました。
今盛り上がっているアメリカ大統領選挙の候補者選びは同じ政党同士の戦いですが、時には相手を否定した発言が飛びかっています。ところが同じ政党人だと気付いた候補者がお互いを否定する発言を控えようとなった事が、少し大人だと思ったものでした。しかし、また相手を批難するキャンペーンは続けられてる様ですが。
さて、自己成長の為の討論を期待しますが、もう成長が止まってしまった人が多いのでしょうね。

咸臨丸

2008-01-19 22:10:49 | Weblog
1860年(安政7年)のこの日、日米修好通商条約批准書交換のため内輪型汽帆船、咸臨丸が出帆したと記録されています。この時の艦長はご存知、勝海舟でした。
咸臨丸はサンフランシスコにむけて出帆したのですが、その距離8000キロ。幕末の日本人にとって気の遠くなる様なアメリカ大陸までの距離ですが、かかった日数は37日間だったそうです。現在の大型客船の平均スピードは19ノットですから(1ノットは1時間に1852キロ)今なら恐らく10日弱でしょう。まあ江戸時代の人々は日帰りで数十キロを平気で歩いていましたから、気の長さは現代人よりう~んと上かもしれません。
ところで咸臨丸の名前の由来は「易経」の中にある『君臣はお互いに親しみ厚く情けあまねし(すみずみまで行き渡る)』の意味の「咸臨貞吉」という言葉から命名されたそうです。
坂本龍馬の師匠である勝海舟のすごいところは龍馬がアメリカ人のすごいところを尋ねた時の答えにあります。「アメリカ人初代大統領、ワシントンの子孫の事を誰も国民が知らないことだ」と答えました。
今の日本の政治家を見てみて下さい。殆ど世襲の議員さんばかりですから・・・。それにこうした勝海舟の様な見識のある論評は聞かれませんしね。

2008-01-18 19:49:26 | Weblog
秋田に伝わる「なまはげ」の恥ずかしいニュースが流れました。なまはげは身をワラで覆い、大きな桶とデバ包丁を持ち、赤鬼と青鬼がいます。
青鬼までも恥ずかしくて赤鬼になってしまうニュースでしたが、鬼といえば日本一多い名字の佐藤さんを減らす為に殺してしまう「リアル鬼ごっこ」という映画が2/2に封切られます。キャッチコピーは「佐藤さん、さあ思う存分逃げて下さい」
この逃げるが基本の「鬼ごっこ」が子供達の遊びから消えて久しい気がします。外で遊ばなくなったせいでしょうか。鬼は子を追いかけ、子は鬼から逃げるという単純な遊びで、そこからさまざまな遊びも派生しました。
私はこの遊びのもっともユニークなルールは参加しているものが遊び疲れたらゲームセット、だと思っています。つまり疲れる程子供達は身体を動かすわけですから、こうして体力をつけていったのでしょう。
もうひとつ、簡単にコミュニケーションが行えて誰もが楽しめるという遊びはそうあるものではありません。そして自分が鬼になることもあると自覚も出来ます。
昨年でしたが、東京で新種の鬼ごっこ大会がありました。五、六人がチームを組んで相手陣地の宝物を取り合う「宝取り鬼ごっこ」 敵にタッチされたら自陣に戻って出直すルールです。急停止あり、方向転換あり、ひねりまである動作は本当にいい運動でしょう。
本来は「追っかけっこ」や「取っ組み合い」のある社会的遊びがもっともっと復活することが、ゆとり教育の一つの目的でもあったんでしょうがね。

絶対音感

2008-01-17 23:15:29 | Weblog
今日は1月17日。世界中で色んな事があった日です。
1991年には湾岸戦争が勃発しましたし、1994年にはロサンゼルス大地震、そして1995年には死者5000人という大きな被害をもたらした阪神大震災が発生しています。一方で学生を中心としたボランティア活動が活発化して、日本の「ボランティア元年」といわれました。
さて、我が家でもこの1月17日はアニバーサリーです。娘の誕生日なんです。
その娘なんですが、娘二人とも小さい頃からピアノを勉強していたせいか、エレベーターの止まる音や玄関チャイムの音、救急車のサイレンなどが、いわゆるラやドなどの音階で聞こえるというのです。かなり乱暴にいえば絶対音感があるというのでしょうか。つまり、ある音を聴いたときに即座に音名が浮かぶのだそうですが、後天的に勉強出来るのでしょうね。
確かに周りに何も楽器がないときに音程がとれるのは便利でしょうが、だからといって不便を感じることはありません。ただ一回だけ音程のとれない悲哀を味わった事があります。レコーディングの際に音がとれなくなりました。すかさず先生から「そこはファのシャープだよ」といわれてもねぇ。
立ち往生したことがありましたが、その時だけ娘の頭脳と替えたいと思いましたね。ですからほんの小さなコンプレックスです。
小さなコンプレックスといえば、この言葉にも小さく反応します。「バイリンガル」です。
ベンガルという俳優は知っているのですが。

2008-01-16 19:08:33 | Weblog
今年は子年で亥が去ったはずなのに、口へんに亥は相変わらず活躍しています。特にこの所、この地方でも氷点下を記録する様になると通勤途中の電車の中でも「ゴホン、ゴホン」がよく聞かれる様になりました。これが満員電車になると厄介です。
咳やクシャミの飛沫は半径2~3mの範囲にまで届いてしまうだけに、前後左右にそういう人がいたら注意です。ましてや「咳エチケット」という言葉が聞かれるように、マスクを付けて外出する人が少ないご時世ですとよけい大変です。
厚労省も着用などの感染防止策をPRしているのですが、なかなかこうしたマナーを守らない人もいるのです。もちろんマスクだけでなく、咳を手で防いだあとの手でドアノブやつり革を触ってしまうと、そこにウィルスが残りますので手を清潔にすることも大切です。
ところでマスクをしている人に出会うと「風邪ですか?」と必ず尋ねます。すると「いえ、そうじゃないんです。風邪がうつらない様に自衛しているんです」という返事です。「咳エチケット」を守らない人が多いならば「自己防衛」が必要なんですね。
我々声が商売となればとにかく「うつらない」ことが基本です。となるといつも自衛用のマスクを用意する、これが最高の手段ですね。
受動喫煙も注目されています。受動風邪に注意ですね。

一期一会

2008-01-15 18:49:38 | Weblog
1月15日といえば、我々の時代は「成人の日」で決まりでした。ところがハッピーマンデーのため特定されなくなってからは「今日は何の日」を参考にする様になりました。すると語呂合わせでイチゴの日がありますので、今日は出会いの意味の一期一会をとり上げてみました。
一期一会は一生に一度限りの機会を意味し、その語源は茶会に臨んでの出会いは一生に一度のものとして、主人も客も互いに誠意を尽くせという茶会の心得から来ています。
人間の一生には、この人に出会わなかったら今の自分は決してないであろうという人が何人かはいます。その人にとってかけがえのない出会いです。こうしてみると将来の事はわからないだけに、出会いを大切にすることが幸運を呼び込む一つの方法かもしれません。
先日の新聞の素晴らしい言葉がありました。
「道は出発点と目的地を結ぶ単なる“線”ではない。本来、人と人が出会う空間、つながりを実現していく場」
もちろん人と人とが交流する場を作る事も確かに必要です。交流の場を自ら捨てて、家庭に閉じこもってしまう傾向の強い若者達にこうした空間を作りだす事も我々の責任かも知れません。そのとき若者達は、論語にも「人の為にはかりて忠ならざるか」とありますが、出会いの際に出会いをないがしろにして、心の傷を負わない様に切に願うばかりです。

成人式

2008-01-14 23:35:54 | Weblog
今年もまた、名古屋市東区の成人式の司会をさせていただきました。東区は648人の新成人誕生で、それぞれの新成人をみているとはるか前に通り過ぎて来た自分を思い出します。
「今の若者は・・・」と大人が嘆くとは古代からいわれていることですが、自分の成人当時、今日の新成人のように大人びていただろうかとふと考えています。
この成人、昔は元服の儀式でその年齢は一定していませんでした。父祖の例によってその年齢を決めていました。また、大人としての冠を被る儀式ということで加冠ともいわれました。親の気持の中に早く社会的に一人前の大人になってほしいという思いが強ければ、加冠の儀式もまだ幼い頃に行われた事もありました。
今では民法によって満20歳に達したら成人と決められていますが、もちろん社会的権利が広がるとともに、社会的責任が生じます。特にこの後は責任を果たすことに身を入れなければなりません。そのためには自分の置かれた立場を理解することからはじめなければなりません。
カニの甲羅の話やヤドカリの貝殻の話もありますが、「立場は人を作る」という言葉を信じています。その立場に立てば、持っている潜在能力が顕在してきます。
その立場に立てた幸運を信じて行動することが何よりも必要ではないでしょうか。

落ち葉

2008-01-13 22:14:05 | Weblog
寒かったですね。それに風の強さが加わって体感温度がそうとう低かった様です。散歩中もなかなか身体が温まりませんので、多分女子駅伝の選手も大変な寒さだったでしょう。
猛烈な風の強さで楽しい景色に出会いました。それは落ち葉の舞いです。華麗な落ち葉の舞いはまるで生き物の様に走りまわります。その舞いを見ていると、大空を団体で飛びまわる鳥の集団の様にも見えます。
特に渡り鳥はリーダーを頂点にしてV字型に編隊を作り飛行します。この落ち葉の舞いにもまるでリーダーがいるかの様にクルクルとまわっています。
秋に舗装された路地につもる枯れ葉はすぐにゴミ箱行きですが、風の強い冬の枯れ葉はこの舗装された道路がステージの様になるから不思議です。
あわせてこんな事も考えてしまいます。
これだけの量の葉を落として、それと同量の葉をまた一年かけて再生する木々の復元力はすごいものだと。

阿吽(あうん)

2008-01-12 21:51:54 | Weblog
明日から大相撲初場所がはじまります。久しぶりの朝青龍の土俵が注目されます。
テレビ、ラジオの中継が楽しみですが、1928年の1月12日に初の大相撲実況放送が行われました。この放送が始まったことによって、今までと違ったしきたりが生まれました。それは仕切り時間が設けられたことです。幕内10分、十両7分でした。今は4分程と短くなりました。制限時間がない明治時代には1時間20分も仕切りを続けていた事もあったようです。
ところで両力士が呼吸をあわせて立上がることをよく「阿吽の呼吸」といい、日常語の中でも使われる様になりました。阿は口を開いて最初に出す音、吽は口を閉じて出す最後の音で一般に吐息と吸う息を表わす言葉です。神社の狛犬や仁王の口も左右で阿吽となっています。
この呼吸を合わせることは普段とても大切な行為です。話相手と呼吸をあわせていくと心身ともに同調を起こし、信頼関係が作られていきます。表情もそうですが、こうした呼吸を合わせる事を心のミラーリングというのかもしれません。
話がそれますが、歩くリズムと呼吸するリズムが一致すると非常に歩きやすくなります。
ともかく心と身体の「阿吽の呼吸」は単純ですがいい方法です。