今日は十五夜です。しかし台風の影響で全く十五夜とは縁のない一日になりました。雨雲の向こうの十五夜を思いつつ書いてみました。
旧暦8月の満月を楽しむ十五夜は平安時代に中国から伝わり、当時は貴族たちが船遊びに興じました。この観月の風習はやがて一般に広がり、その年の収穫物を供えるようになっていきました。一方で月光は恋を育んだとも言われています。外の灯りがない時代には月が夜の行動を左右しました。それだけに月には特別な詩情が生まれるのでしょう。そこで歌謡曲のテーマになりやすいのです。今私の後ろの歌謡曲の新曲の棚を見てみると、美川憲一さんの「金の月」はじめ月がタイトルに付く作品は10曲ほどあります。よくこんなにあるなあと感心するばかりです。
「竹取物語」で育った私たちは月へ旅行する感覚よりも月に戻る気持ちが根付いています。それだけ月が身近かで愛すべき存在でした。その気持ちは街灯が出来、町が明るくなると月を忘れてしまうようになりました。最近は年に一度は都会の明かりを消そうという運動もありますが、私はその日をこの十五夜にしたらどうかと思うのです。改めて月光の明るさに驚くのではないでしょうか?そうすれば月の歌の主人公がより身近かになると思うのですが。
旧暦8月の満月を楽しむ十五夜は平安時代に中国から伝わり、当時は貴族たちが船遊びに興じました。この観月の風習はやがて一般に広がり、その年の収穫物を供えるようになっていきました。一方で月光は恋を育んだとも言われています。外の灯りがない時代には月が夜の行動を左右しました。それだけに月には特別な詩情が生まれるのでしょう。そこで歌謡曲のテーマになりやすいのです。今私の後ろの歌謡曲の新曲の棚を見てみると、美川憲一さんの「金の月」はじめ月がタイトルに付く作品は10曲ほどあります。よくこんなにあるなあと感心するばかりです。
「竹取物語」で育った私たちは月へ旅行する感覚よりも月に戻る気持ちが根付いています。それだけ月が身近かで愛すべき存在でした。その気持ちは街灯が出来、町が明るくなると月を忘れてしまうようになりました。最近は年に一度は都会の明かりを消そうという運動もありますが、私はその日をこの十五夜にしたらどうかと思うのです。改めて月光の明るさに驚くのではないでしょうか?そうすれば月の歌の主人公がより身近かになると思うのですが。