フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

監督、コーチ

2018-08-31 23:59:34 | Weblog
今年ほど、スポーツ界でのスキャンダルが多い年はありません。パワハラや暴力が間に入り、当事者の主張が入り乱れています。テレビのワイドショーの為のネタ作りかと皮肉たくなるほどの数ですね。
さて教育を英語では「education」と 言いますが、もともと「引き出す」という意味です。まあ、日本の教育の現実は「引き出す教育」より「詰め込む教育」が主流になっています。こうした背景からすればスポーツの教育は、選手個々の特性を状況に応じてどう引き出していくのかが監督、コーチの力量です。ですから、監督やコーチは教育者という立場であることを改めて認識しておくことが必要です。
スポーツ界ではメダルをはじめ結果重視の風潮があります。結果はもちろん大切ですが、やはり、プロセスを重視することがスポーツマンシップですよね。

ごぼう

2018-08-30 23:42:41 | Weblog
スポーツの世界で使われる野菜といえば「ごぼう」です。そうです、ごぼう抜きという言葉です。マラソンなんかで使われますね。
このごぼうは実は日本では馴染み深くても海外ではほとんど食べられていないようです。ごぼうを食べる習慣があるのは、世界では日本と韓国だけだそうです。独特の香りとエグミがあります。だから受けいれられないのでしょう。しかし最近は食物繊維たっぷりの食材として注目されるようになったのです。
かつてアメリカ人捕虜に食事としてごぼうを与えたところ「木の根」を食べさせたとして捕虜虐待の罪に問われたこともあるそうです。まさに食材は各地で扱いが違うようです。ともかく根菜類は身体に良いという定説をつくりあげた、代表格の食材です。

話題

2018-08-29 23:51:45 | Weblog
またまた、自分の子供の頃の話で恐縮ですが、お茶の間の団らんの風景がずいぶん変わりましたね。当時は居間で一台のテレビを家族一同で見ていたものでした。つまり一家の中心にテレビがありました。チャンネル争いはありましたが、それでも同じ画面を見ているわけですから、家族全員が情報を共有していました。また廊下の角には黒電話があり、かかってきたら誰かが電話口に出て呼んでくれます。ときには、誰と話しているかみんな認識している時代でした。
そんな昭和もはるかに遠くなりました。家庭内はホテル化して、子供たちは個室で携帯電話、親としても誰と話しているかわからない状態です。そんな時に親御さんにこの冬考えて欲しいのは、懐かしい「こたつ」を用意して、みかんでも置くようにしてみたらどうでしょう。あの昭和の団らんが戻ってきますよ。

たら、れば

2018-08-28 23:52:16 | Weblog
自宅では、相変わらず野球中継を楽しんでいます。面白いのは解説者それぞれの個性ある話しぶりが楽しさを倍増します。
その解説でも時々「たら、れば」とは言ってはいけませんが、「あの時ああしておけば、この試合の流れが変わりましたね」という表現がよく使われます。「言ってはいけませんが」と言いつつもたら、ればの為に備える行動を試合の中でいつも行っているのです。それがカバーという行為に繋がっています。もし暴投があってもちゃんとカバーする為に走るのです。
一方「クイックレスポンス」という言葉が流行ったことがありますね。早い対応が必要ということです。もちろんこのクイックレスポンスは今の世においても大変必要なことです。しかし、これがなかなか出来ない人が相変わらず多いので、いやになりますね。

万葉集

2018-08-27 22:56:00 | Weblog
雅な気持ちとは裏腹に、また暑い夏、猛暑の一日でした。雅な雰囲気といえば、やはり秋風が心地よい秋の季節でしょう。その証拠に、万葉集には圧倒的に秋の植物が多く取上げられています。万葉集に現れた植物の第一位は「萩」で100を超える数が詠まれています。二位が「梅」三位が「松」となっています。
萩はその字からいっても秋の花の代表格に相応しいものです。萩はまた、家畜の飼料になり、垣根や屋根吹きの材料として使われてきました。萩は古来、日本の生活に深く溶け込んできた植物です。
万葉集には、これから蜩が多く詠まれます。蜩と蝉は同一と考えるようですが、蜩は秋の季語、蝉は夏の季語です。ですから、風情が増す秋になれば蜩になるのですね。暑いといってもいつの間にか、蝉の鳴き声が消えたようですね。

宿題

2018-08-26 23:17:24 | Weblog
夏休み最後の日曜日、この日をどうすごしましたか。この日を夏休みの宿題のすべてをやってしまおうという日にするか、或いは最後だから行楽の日として一日を思い出づくりに専念するかと迷うところでしょう。
我々の子供の頃の宿題とずいぶん違ってきました。私の最大の悩みは「絵日記」でした。毎日、何を書いたらよいかのネタ探し、さらにしばらく放っておくと厄介なのがその日のお天気です。いまのように、スマホで過去のお天気がわかる時代ではありませんから、家族で思い出すことに必死でしたよ。勉強ノートの方は早くに片付けてもこういう難関があるのです。毎日、こつこつが夏休みで覚えたことですね。ただ凡人だったのですね。
夏休みにしか出来ないことを見付けてそれに取り組んだことがなかったのが恥ずかしいですね。

座右の銘

2018-08-25 23:20:33 | Weblog
笑い話にガッツ石松さんの有名な話があります。「ガッツさん、座右の銘は何ですか?」すると「左右とも1・5です」というのです。私自身の座右の銘は「 実るほど頭を垂れる稲穂かな」です。これは父親から言われた言葉です。
ところで座右の銘のない人生を送りたいという人もいます。その人の主張は、主義主張をなるべく持たないで生きていたい、昨日と今日まるで違うことを言っていたいそうです。まさに自由奔放ですね。
皆さんはマイ格言を手に入れているのでしょうか。私のように親から、また、学校の先生から、さらに読んでいた本からかも知れませんね。座右の銘とまでいかなくても、先生の言葉がいつまでも心に刻まれることがありますね。私も忘れられない先生の言葉があります。それは「ぶるな、らしく」です。

冷静

2018-08-24 22:53:29 | Weblog
自分だったらと時々思います。またプロ野球の話で恐縮ですが、絶好のチャンスで打者はどんな気持ちでバッターボックスに立つんだろうと。もちろん状況によって違うでしょうが。自分が打たなければ同点に追い付けないし、勝てないという場面です。そこでタイムリーをうってチームに勝利をもたらすことが出来れば最高です。しかし、打てなければ即負け、この時の心理は想像もつきません。
この時の冷静に対処する姿勢はなにもスポーツの世界のことばかりではありません。組織の中でトラブルがあった時こそ、冷静であらねばならないのです。指導者としての義務でもあるのです。
ただスポーツの世界では、何度も経験した上で冷静さを身に付けていくのでしょうが、社会生活ではこういう経験をすることはありません。だからこそ、組織の長は覚悟がいるのです。

ことわざ

2018-08-23 23:36:53 | Weblog
言葉をなりわいとしている私にとって、言葉の語源を調べるのも大切なことです。そこで今日は「豚に真珠」を調べてみます。この言葉は日本だけでなく、世界の多くの国で「貴重なものを価値のわからない者に与えること」や「まったくの無駄」ということわざとして知られています。
その語源というと、このことわざは日本古来のことわざか、中国から伝わったと考えがちですが、じつはこの言葉はイエス・キリストの言葉だそうです。出典は「新約聖書」マタイ伝の第七章で、そこには「聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。おそらく彼らはそれを足で踏みつけ、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう」と書かれているのです

「目からウロコ」も「新約聖書」に由来しているそうですよ。

目の動かし方

2018-08-22 23:34:21 | Weblog
夏休みに短期海外留学をする学生が多いと聞きますが、ちょうどその勉強も佳境に入っていることでしょう。
日本の学生と外国の学生の違いというと何でしょう。それは学生の視線です。アメリカでは子供たちは人の話を聞くときは相手の目を見つめるように教えられるそうです。ですからアメリカの授業では、学生は先生の目しっかりと見つめて授業を受けます。しかし日本では学生は視線を落として授業を受けることがほとんどです。これも子供の頃からのしつけの違いです。日本の教えは「相手の胸あたりを見て話しなさい」と自分の意見を述べるときはちょっと視線を外せと教えられてきたからです。
目の動きといえば、カラオケでステージで歌うときは、目というか、顔の動きは左右ではなくて上下に動かすほうが、キョロキョロした感じが出なくて良いそうですよ。念のため。