フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

カラオケ

2017-07-31 23:37:17 | Weblog
カラオケ文化は衰えることを知りません。ある会の二次会などには「もう一軒!」なんてよく言ったものですが、最近は「カラオケへ行こうっ」となることが多いですね。愛知県は全国有数のカラオケ喫茶の店舗数があります。
さて新曲を覚えるのをどうされていますか?カラオケ喫茶で他の人が歌っているのを聴いて覚える方法が一番多いでしょうか。CDを求めてしっかり原曲から覚えますか。CD業界はそれが一番嬉しいのですが……。他人が歌っているのを聞いて覚えるのは一つの「口承文化」ですかね。耳の文化と言ってもよいですね。落語のように口から口に語り継いでいくわけです。
口承文化、あるいは口承文学は文字に書いて伝えていませんから、自然に変化していきます。伝言ゲームが良い例です。しかし落語などはそれが演者の味となって活きて来ます。歌の場合は他人の口移しとなると、メロディを間違って覚える時がありますから、やはり、原曲主義でいきたいですね。

昆虫採集

2017-07-30 23:36:10 | Weblog
学生は夏休み真っ只中、早くも宿題はほとんど終わったという豪傑もいるかもしれませんね。その宿題の中にかつては定番だった昆虫採集は最近は聞きませんが、もうなくなってしまったのでしょうか。
そこで私が担当している、東海ラジオの「日曜も歌謡曲」の八月の「こだわりリクエスト」のテーマに「歌謡曲の昆虫採集」としました。歌謡曲のドラマの中に、人間の感情を昆虫の生態に例えることが多くあります。「てんとう虫のサンバ」「北の蛍」「ウスバカゲロウ」など歌のタイトルにもよく使われます。どんどんリクエストして下さいね。
さて、昆虫は凄いということを少し話しましょう。もちろん昆虫学者さんの書物からですが、人間があたかも自分達が初めてやったと思っているようなことをすでにやっているそうです。例えばアリは切り取った葉を地中の巣に持ち帰り、発酵させてそこに菌を植え付けて食糧として育てることを人間よりも何千万年も前からやっているそうです。むし出来ませんよ。

まだまだ

2017-07-29 20:29:08 | Weblog
私達の世代になると、もはやスランプとは縁がないものでしょうか。ちょっと思いとずれてもスランプと思わなくなってしまいました。まあ、これも歳だからと諦めの境地です(笑)。スランプを感じないと何かもう自分には進歩はないのかとガッカリしてしまいます。
かつてスランプに出会い、前向きに接していると、後に実りの多いものに出会ってきたような気がします。つまりスランプによって色んなことを気づかせてくれるのです。スランプによってチャレンジ精神を高めてくれたこともありましたし、頑張る力を足してくれたこともありました。ただスランプにいい加減に向き合っていると単に嫌なスランプで終わってしまうものです。ですから、
冒頭、諦めの気持ちになると話ましたが、それではスランプは単にスランプに終わって未来がなくなるのです。年齢による諦めを捨ててまだまだと思う気持ちを強く持つことが必要ですね。まだまだこれからと唱えながら過ごすことにします。

プレミアムフライデー

2017-07-28 23:30:58 | Weblog
月末に近い金曜日、つまり、今日はプレミアムフライデーです。今年二月のプレミアムフライデーは随分話題になりましたが、その後はさして話題にもなっていないようですね。最終金曜日の早帰り運動の認知度はかなり高いのだそうですが、なかなか恩恵にあずかれないサラリーマンが多いのでしょう。
会社全体がプレミアムフライデーを実践するとき、貴方はその時間をどう過ごしますか?町中に出て消費の拡大に協力しますか、それとも自宅でノンビリ休養にあてますか。そのどちらも当てはまらない普通の金曜日になりますかねぇ。最近の話題ぶりでは普通の金曜日説が有力でしょう。
このプレミアムフライデーより先に全く、話題にもならず使われもしなくなったもの、二千円札がありますね。その二千円札と同じ運命をたどるような気がしますがどうでしょう。皆が恩恵にあずかれないことがまさにプレミアムなのでしょう。

花道

2017-07-27 23:41:21 | Weblog
歌舞伎の花道というのは劇場の客席左後方から舞台まで延びる道のことです。役者が登場したり、引っ込んだりする場面は、何らかの仕草や見得をするなど華やかな見せ場となることから、惜しまれて引退することを「花道を飾る」などの言葉を使います。
さて最近の政治家はもちろん、スポーツの世界でも、惜しまれて引退する人が少ない感じがします。まだまだ出来るのに、最後の大活躍を機に引退というというケースはほとんどありませんね。レジェンドと言われたドラゴンズの山本昌さんが思い浮かびますが。
今の政治家の活動を見て、花道を進んでいる政治家はいるんでしょうか。厳しいかもしれませんが、政治家は人間性を含めてすべてジャンルで我々国民が憧れる存在でなければなりません。ですから、花道で見得をきる必要はありませんが、国民の為にこつこつと実績を積み上げてこそ花道を飾ると表現がくるのではないでしょうか。

定年後

2017-07-26 23:46:55 | Weblog
私の十二、三年前の定年時に考えたことは、なんだったでしょうか。これからは悠々自適、晴耕雨読の毎日になるなと思ったものです。実際は次の職場で働きましたが。
さて定年後、ノンビリ旅行などが出来ると思って張り切っていた人が数年たつとなんとも浮かない顔になっていくことが多くなります。何故なんでしょうか。かつてダイアナ元妃が「最大の不幸は、人に必要とされないこと」と話していましたが、それを実感したからでしょう。人間はやはり、つながり、一緒にいることが大切なのですね。
人間の性として、人は自分の為よりも人の為に頑張れるというのがあるのも確かです。ですから給料云々よりも、もしタイミングがあえば、仕事につくのが良いと思います。人の輪の中にいることが身体にとても良いことだと思えます。沢山の笑顔にも出会うことがあり、自分にも伝染して来ます。必要とされることが何よりも大切ですね。
さあ、一歩踏み出しましょう。次の場所へ。

短絡的?

2017-07-25 23:52:40 | Weblog
事件の数は減っていますが、それでも短絡的な殺人事件が多く発生しています。短絡的ということは、つまるところ自己中心的な思いつきから引きおこされたものでしょう。親も教師も自らに甘えた結果、子供の言い分を十分尊重するんだという言い訳で子供の言いなりなってそれに合わせてしまうのです。その場しのぎの対応です。一方では子供に極端に厳しい対応をする大人もいます。それは単に、自分の思いを押し付けているわけです。こうしたことが成長過程で起きると子供は自分がどこに進むのかがわからなくなってしまいますね。
昔はどこかに大人は凄い、尊敬出来るという気持ちは大きくありました。大人と子供のかかわり合いを根本から考えなおさないと、何か事件が起きると責任転嫁をしてしまうものです。
短絡的な事件発生を防ぐのは、やはり子供の頃からの親と子供のかかわり合いで防ぐしかないようです。

芸どころ名古屋?

2017-07-24 23:16:34 | Weblog
昔から名古屋は芸どころと称されました。しかしここ数年、名古屋でも公演会場がどんどん減っていきます。中日劇場も来年なくなります(入れ替わるように御園座が再オープンしますが)。
さて何故、名古屋は芸どころと言われたのでしょう。戦前の名古屋には、当時の日本のモダニズムをリードするような文化人が沢山いて、文化の発信地だったそうです。1930年代にはすでに誰も通らないような橋にアールデコ風の欄干がついていました。まだ同じ年代に工場が多くなり産業都市として確立されていきます。明治になって地方は近代化していくわけですが、名古屋は江戸時代からの財産があり織物や陶磁器の産業では名古屋が有数の輸出元になります。逆にヨーロッパから文化がどんどん入って来ます。新しい産業の周辺に文化が集まるわけです。この辺から芸どころと言われたのでしょう。
しかし、最近はその片鱗さえ感じられなくなっています。もう一度芸どころ復活を期待します。

髭を生やす

2017-07-23 23:57:21 | Weblog
最近のプロ野球選手には髭を生やす人が多いですね。特に外国人選手は圧倒的に髭選手が多くなっています。かつて巨人の選手が髭を生やすのは禁止されていました。巨人から中日に来た小笠原現二軍監督なども巨人時代には髭を剃ったものです。
その昔、アメリカウォルトディズニー社が従業員の髭を解禁したことがありました。もちろん細かい規則をつけてのことですがね(髭の長さは0.6ミリ以内)。生やした髭も頭髪と同じように染める人も多いですね。髭と言えばきちんと手入れされていれば、オシャレな感じを演出出来ますが、これが無精髭になると非常にだらしなく映りますから、やはり毎日の手入れは必要です。
さてさて同じスポーツでも相撲の力士には髭力士はいないですよね。相撲と髭と言えば髭の行司の式守伊之助が有名ですね。
髭のスポーツ選手、どんな有名選手が登場してくるでしょうか。

一日一生

2017-07-22 23:50:34 | Weblog
町中でも蝉の鳴き声が騒がしくなってきました。まさに一生懸命に鳴いているという感じです。蝉の地中から出たあとの寿命は一週間ぐらいと言われています(実際はもう少し長いようですが)。ですから、生きた証しをこの世に残すかのように鳴き続けるのでしょう。まさに一日一生という言葉が当てはまるような生きざまです。
ふと自分の一日を考えてみるとあの蝉達のように、寿命を振り絞って生きているとは残念ながら言えません。えてして人間は寿命が永遠に続くという錯覚の中で生きていますから、そんな切羽つまった生き方はしないのでしょう。今日出来ることでも平気で明日に延ばしてしまいます。これが一日一生を意識すれば、必死になって取り組めると思います。まあ人間ですから、毎日毎日ずっと気を張って生きるのは不可能なので、あくまでも気持ちの喩えとして聞いておいて下さい。
そうそう、環境も大切だというのは、蝉は樹液が養分ですから、蝉とりをして捕まえた蝉は寿命が短いのですよ。