フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

買い物

2010-02-28 21:34:43 | Weblog
贈り物を選ぶのは楽しい人が86%もある調査に出会いました。それも20代の女性です。こんな若い頃から買い物好きならば、結婚してからのデパート巡りが好きなのも当然ですね。買い物好きのDNAは確実に育まれてきているのですね。
私といえば家人達と買い物に出掛けると彼女達の選ぶのが楽しいという雰囲気になかなかついていけません。私のような男性を同伴したくない女性達の大いなる理由は、女性の商品にたいする評価に無反応。女性の迷いに関知しない、長い女性の買い物時間に厳しくなる。などがあげられます。
買い物時間が長くなるのは、男性と女性の買い物にたいする意識の違いがあります。女性は買い物そのものがレジャーと受け止めています。ですから、買いたい物があったとしてもそこへ一直線に行くのではなく、途中で立ち止まり他の商品にも関心を示します。途中下車も当たり前でそこへたどり着くまでのプロセスを楽しむのです。そこへいくと男性は目的のない買い物、つまり衝動買いなどは殆どしない動物でもあります。
ですから買い物をおもうまま楽しみたいなら、そういう男性の習性を理解して、買い物には誘わないことが賢明ではないでしょうか(笑)。私も助かります。

真似る

2010-02-27 23:42:56 | Weblog
先日、司会をしたあるパーティーには京都の祇園の芸妓さんそれに舞妓さんも参加して、ステージに色をそえました。出演が終わった後もディナーを楽しむお客様と歓談していましたが、ステージ上で東京の藤間流の師匠の踊りが始まると、芸妓さんや舞妓さんが話をやめて真剣にその踊りを見入っているのです。彼女たちは井上流ですが、流派は違っても勉強しようという意気込みが目の色に表れていました。
「学ぶは真似るから始まる」という言葉を思いだしました。こんな例があります。数多くのステージで歌謡曲歌手の司会をしてきましたが、振り返って見ると新人からスターへの階段を上った歌手の多くは、新人の頃の姿勢にその基がある気がします。それは、先輩歌手が歌っているときは、必ずステージの袖でじっと見つめて何かを掴もうとする、いや真似ようとしているのです。
日本の武道の言葉に「守破離」があります。まず「守」で師の指導の下に基礎固めをして、身についたら「破」で自分流にアレンジ、更に進んで「離」ではそのプロセスを忘れて無心の境地を切り開くことをいいます。
まずは真似から入るのも立派な学ぶなのです。格好よさを真似てもよし、一歩踏み出すのはやはり真似なんですね。

身が軽い

2010-02-25 22:28:16 | Weblog
イギリスの詩人、ウィリアム・ブレイクの言葉に「朝は考え、昼は働き、夕べに食し、夜は眠るべし」があります。このところのバンクーバーオリンピックの中継のためにこの言葉にあるリズムは完全に狂っていましたが、今日は女子フィギュアの空白日、多少リズムは整えられるかも知れません。しかし明日はまた大変な一日になりそうです。
穏やかな気持ちと同じように、日本列島の気候も穏やかな春を思わせる陽気でした。久しぶりに私もコートなしの一日です。コートがないと身が軽いですね。
ところでお雛様の衣装でお馴染みの十二単ですが、あれは重いそうですね。徳川美術館にある「源氏物語絵巻」に見る女性は殆どうずくまるような感じで座っています。これは多分衣装のせいでしょう。重さを調べて見るとなんと十二単はおよそ18キロという事ですから重いですね。ということは、その時代女性は自由に出歩くことが出来なかった時代といってもいいかも知れません。したがって新しい出会いは待つことから当時は始まるのでしょう。
そう考えてみたら今はいい時代です。その時代の恩恵は我々、男性にももたらされます。春風に吹かれながら颯爽と歩く女性を見ることが出来るのですから。

説明能力

2010-02-24 22:28:18 | Weblog
昨日はアメリカ下院のエネルギー商業委員会の公聴会でアメリカトヨタのレンツ社長がリコール問題について証言しました。そして今日にもトヨタ自動車の豊田章男社長がアメリカ議会で証言します。豊田社長は初めの挨拶は英語でしますが、質問に対しては通訳を使って答えるそうです。これは慣れない英語だと間違った解釈で受け取られかねないからでしょう。
舌鋒鋭く迫ってくる議員たちを納得させる説明がなされるでしょうか。リーダーは実務能力とはべつに説明能力が問われます。説明能力は話し方の基礎とも言うべきもので、相手を説得するなら説明し、納得させなければいけません。余談ですが国のリーダーもこの能力がまず要求されます。
さて議会証言の話に戻しますが、相手の議員達はディベートの国の議員だけに大変です。子供の頃から「WHY」と「BECAUSE」の絶え間無いやり取りをして、説明能力を自然に身につけています。そうした議員を相手にするだけに、豊田社長は想定問答集の回答に固執せず自分の言葉でしっかりと「お客様第一」の対応をとると訴えてほしいものです。

ギブアップ

2010-02-23 20:08:28 | Weblog
バンクーバーオリンピックの女子カーリング、日本はスイスに4-10で完敗し、第8エンドでブアップ負けをしました。ギブアップというのは、残りをどれだけ頑張っても取り返すことができないと判断したら、スキップ(主将)が手袋を取って相手チームと握手します。スポーツマンシップを大変重んじる競技です。
このシーンを見ていて、「グッドルーザー」という言葉を思い出します。敗戦後ふて腐れてしまってねぎらいの言葉をかけてもまともに反応しない人はグッドルーザーではありません。悔しかったり、腹が立つのは当然ですが、しかし、堂々としていて構わないのです。そういう精神でなければ次の試合に立ち向かえないし、前向きに問題点を改善することさえ出来なくなります。
更に言うならグッドルーザーでなければグッドウィナーになれません。世の中「勝ち組」「負け組」という言葉が使われるようになっていますが、一度敗れたからといっても「負け組」という階層に固定されるわけではありません。グッドルーザーの精神を徹底することが生き方がしみったれない方法ではないでしょうか。負けた時ほど人格が問われるのです。

左右の文化

2010-02-22 23:52:06 | Weblog
昨日、娘の嫁ぎ先にお雛様を飾り付けました。左右の飾りには殊の外神経を使います。内裏様とお雛様の並び位置は、関東風と京都風がありますが、今回は京都風の向かって右が内裏様です。次に飾りの橘と桜は、左橘、右桜です。
このように日本には左右の文化が伝統的に存在しています。特に文化のほとんどが中国から伝来していますので、中国の吉事は左、凶事は右ですからその影響を強く受けています。左大臣が右大臣より上位なのもそのせいです。天子は南面するという慣例から左が上位なのです。南を向いた時に西に当たる方を右といいます。
国会議事堂は左右対称の建物ですが、衆議院上位の立場から正面から見て左側が衆議院、右側が参議院となっています。また本会議場では、議長を見て左側から議席数の多い政党が席を取っていきます。
舞台ではお客様に向かって左側が上手、右側が下手になります。いろいろなところで、左上位がありますから注意したいですね。
余談ですが、左ヒラメに右カレイという言葉が日本にあります。これは目の位置ですね。魚については焼き魚を皿に盛り付ける場合、左側に頭を持ってきます。また酒飲みを左党というのは大工道具の鑿(のみ)を持つ手、つまり飲み手が左だから左党というそうです。たかが左右とは言えないようです。

オリンピック中継

2010-02-21 23:55:18 | Weblog
休みの日の中心はどうしてもテレビです。たまたまオリンピック中継が多く、興奮させられます。
それにしてもオリンピック中継にかけるテレビ局の意気込みは、いや、かける費用は凄いですね。それくらい視聴率が取れるアイテムなんでしょう。ただこのエネルギーを一局にまとめることはできない宿命なのがテレビ局なのでしょう。自分の局が放映出来なくなった時に番組を休むわけにはいきませんからね。従って敢えて視聴率競争に突入します。
中身勝負になると司会者やコメンテーターの人選がまず問題で、各局とも工夫を凝らしています。コメンテーターの評判が聞こえてきます。総じて評判がいいのは、主役の競技内容を壊さない、ほどほどの冷静さと、ある程度の競技にたいするプロらしい解説が出来るコメンテーターですね。
あと半分どんなコメントが出てくるのか楽しみです。ただ番組を引き付ける意味なのかテロップが大袈裟なのが気になります。もちろん日本選手の活躍を願う気持ちは人に負けませんが、余りにレベルと掛け離れたテロップが出てくると白けた気持ちになってしまうんです。テロップを見た人をそのままくぎづけにしようという作戦でしょうが、テロップだけ見たら日本は何個メダルを取っているでしょう。この辺も少し考えてほしいですね。

略語

2010-02-20 23:59:16 | Weblog
相変わらず略語が盛んです。一時はKY等が持て囃されましたが、この時期に踊っている言葉は就職活動を略した「就活」や結婚活動を略した「婚活」です。略し方には法則がないのがこの二つをとっても明らかですね。
ところで言葉を略すのはどういう意味があるのでしょうか。私などは次々に誕生してくる略語に全くついていけないことが度々あります。若者言葉として我々の若い頃にも家庭教師のことを「カテキョウ」などと略していましたが、新しい略語はもの凄いスピードで生まれています。最近までわからなかった略語に「アキバ」があります。ある人に聞いたら昔は秋葉原は秋葉原と呼んでいたと聞きましたが本当でしょうか。
さて、その略語は当然誰かが最初に使い始めるわけですが、誰なんでしょう。巷のどこかで誰かが使っているのをコピーライターか週刊誌の記者が聞き止めて使い、マスコミを経由して日常語として定着するのでしょう。略語をよくみてみると意味が解らないぎりぎりの言葉が多いようです。それを考えると生まれた当初は例えばその言葉を投げ掛ける相手には解らないように使っているのですが、じわじわと拡がっていくのが楽しみになり、その拡がりをほくそ笑んでいるのです。略語に強いのが現代人と定義するとしたら、私は原始人です。

横並び

2010-02-19 23:13:18 | Weblog
相変わらずテレビのワイド番組が盛んです。それも朝はコメンテーターが大活躍です。しかしそのコメンテーターのコメントがどうも横並びのような気がしてなりません。誰かが口火を切った方法性、いや当日の新聞の論調に迎合しているなあ、と思わせる発言が多くなります。
コメンテーターはあくまでも複眼的な見方が要求されます。それなのにみんな一つの意見に収斂されていきます。スタジオの中の意見と違う場合には、遠慮しながらの発言になってしまいます。
我々は戦後の教育や高度成長期の労働の中に合理性、効率性を是としてきた為に、忘れたり、失ったりしたものが出てきました。その一つが思考の「しなやかさ」でしょう。同じ事件や現象を見て立場や視点によってその解釈が大きく違ってくる筈です。それが出て来ないというのはそういう社会的な視点自体が欠ける人が増えているのではと懸念します。
人間は理屈や論理だけでは動きません。肝心なのは背後にある感情です。コメンテーターはそうした情感を披露して欲しいものです。コメントの金太郎飴はもういらないですね。

スローな生活

2010-02-18 20:56:37 | Weblog
いやあ、毎日バンクーバーオリンピックの日本の応援で疲れますねぇ(笑)。オリンピックの種目のほとんどはスピードを競うものです。コンマ以下を競うのですから、物凄いスピードです。
ところで我々の日常でもスピード重視の生活スタイルが定着しています。インターネットや携帯電話など、瞬時にしてやり取りが出来るのは当たり前になっています。我々がよくいただいたリクエストもほとんどがメールになり、手紙や葉書は少数派になっています。手紙や葉書はスローメールと呼んでいるのですね。
スローといえばスローライフを目指そうという人も数多くあります。ゆったりとした丁寧な時間の流れを楽しもうとするものです。その中では、こんな事を心掛けている人もいます。それは「頑張らない生活」です。
オリンピック中継では「頑張れ!頑張れ!」が飛び交っていますが、頑張れという言葉や激励が頑張れない元になってしまう事もある事を覚えておく事も必要です。
スローライフの原点は、伝統的なものを見直す事です。食事にしても住まいにしても・・・。差し当たってお米の食事にしてみましょう。お米は稲で「いのちのね」という意味ですよ。