フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

予測

2009-09-30 18:47:01 | Weblog
南太平洋のサモア諸島でマグニチュード8・3の大地震があり、気象庁は北海道から沖縄にかけての太平洋側に津波注意報をだしました。
気象庁といえば先日、業務評価リポートを出し天気や台風の予報、大雨予測の精度はいずれも「目標に向け進展」と発表しました。確かに天気予報はかつての我々の子供の頃の精度とは比べものになりません。天気予報は外れるものだと思っていたこともあるくらいです。もちろん100%的中してるわけではありませんが、予測が外れる原因は観測データそのものに微小な誤差があり、時間とともに誤差が増大してしまうのです。人間関係でも、最初は小さなボタンの掛け違いが後に大きなワダカマリになることがありますが、それと同じです。
データの誤差から予測が外れる他に、時には勘違いから予測が外れることもあります。お天気がいいと人出が多くてお客さんが多いと思っていても、実際は雨や曇りのほうがお客さんが多い店も多い様です。これも勘違いです。ですから、ドックイヤーと言われる程、世の中は7倍のスピードで進んでいるので、情報収集する場合には必ず現地に赴く姿勢が大切です。
過去景気予測は多数派が外れるというジンクスがありますが、おそらく頭の中の学問で予測していたからではないでしょうか。出かけるという労を惜しんでは、確率の高い予測はできませんね。

かみつき犬

2009-09-29 18:06:06 | Weblog
アメリカのコロラド州で人に繰り返しかみついた犬が裁判所の決定により、市内から「追放」されました。その飼い犬はポメラニアンで、2月に噛み付いた時は飼い主は犬を放置しないよう命令されました。しかし6ヶ月後に再び別の人に噛み付きました。そこで追放された犬が戻ってきたら処分される決定となったのです。
こうしたかみつきぐせはやはり飼い主のしつけの問題でしょう。この飼い主の日常がわかりませんので何ともいえませんが、まず犬にとって飼い主が大好きな人だったかどうか。犬は大好きな人と行動をともにすることで喜びを感じ、またその大好きな人の役に立ちたいと思うものだそうです。毎日毎日その大好きな人と散歩をする、これがうれしい日課なのですが、こうした時間もなく、単に餌だけを与えているのでは当然しつけはできません。人間の子供と一緒ですね。いつも呼びかけてやる。一緒に行動する時間を必ず創る。これが出来なければ資格がないでしょう。
今回の決定に対してほかの地域の友人がこの犬の引き取りを申し出たそうですのでまずは安心ですが、おそらくかわいそうだという愛情を持った人でしょうからしつけの行き届いた犬に変身するのではないでしょうかね。

トンネル

2009-09-28 17:38:38 | Weblog
娘から目配せされても、出てこないことで大失敗でした。家人の誕生日で「おめでとう」の言葉をとっさに言えなかったのです。記念日を忘れないようにと講演するくせに自分の家族で出来ていなかったのは大反省です。頭の中で「今日は何の日?」とぐるぐる回転させたのですが、何も浮かんでこなかったのです。
話代わって、本をみると今日は1967年に新清水トンネルが開通した日です。トンネルというと不思議な言葉使いを考えてしまいます。スポーツの世界で黒星が続いたり、不調に陥ったりするとまるでトンネルに入ったかの様ですと表現することです。「ようやくトンネルから抜けました」とアナウンサーが絶叫します。
しかしあのトンネルがあってどれだけ生活の利便性がアップしたことでしょうか。危険性からも開放され、時間的にも 短縮されました。あの菊地寛の小説「恩讐の彼方に」で有名な青の洞門は21年の歳月をかけて貫通させたのも人の命のかけがえのなさを教えてくれます。大袈裟にいえばトンネルは命の恩人でもあります。
また大きな山に遮られていて、全く交流のなかった隣村の人達もトンネルが開通したことで交流が始まりました。こうしたことに役立ってきたトンネルをいかにも悪い状態の代表の様に表現するのはいいものかとアナウンサーの私は悩むのです(笑)。

曼珠沙華

2009-09-27 16:37:47 | Weblog
この花は記憶力がいいのかもしれません。名古屋の東新町の交差点角で赤と白の曼珠沙華を見掛けました。やはり彼岸の頃を今年も忘れずに咲きました。
曼珠沙華は、彼岸花の他に死人花、幽霊花、かみそり花、きつね花、捨て子花など縁起のよくない名前をなんと約1200近く持っています。根に毒を持っていることや、お墓の近くによく植えられたことからこうした不吉な連想をする名前になったのでしょう。曼珠沙華は一週間もすると花が終わり、それから葉が出てくる花なんです。曼珠沙華という名前もサンスクリット(梵語)の「天上界の赤い花(マンジューシャカ)」という意味で、天から降ってくるとされています。
今日の仕事先の北勢町に向けて車を走らせていても農家の庭先や脇道などでこの曼珠沙華を見掛けます。「赤い花なら曼珠沙華」と歌いだす歌がありましたが、江戸時代のハーフを疎外する時代背景でジャガタラお春を曼珠沙華に例えたのも、美しくても人々に敬遠されたからでしょう。今ならそんなことがいかに理不尽だとなるのですが。
かつて番組の投書で「黄色い曼珠沙華がありますよ」と教えて貰い、平針の方面に探しにいったものですが、どうも今は見られないのが残念です。ともかく名前に惑わされずこの時期愛でてみたいですね。

数珠

2009-09-26 22:00:32 | Weblog
今日は義父の七七忌の法要でした。過ぎてみると49日は早いものです。
葬儀や法要に欠かせないのが数珠(念珠)です。数珠の数は昔から108や54、27と決まっています。これは紀元前2~300年頃、インドの政治家が政治を取りつつ仏の修業するにはどうしたらいいかを問い掛けた所、お釈迦さまは、数珠をいつも手放さないことと教えられ、その数も煩悩の数と同じ108にと指示されました。略式では半分の54や更にその半分の27があります。
乱れやすい心、つまり煩悩も仏の教えによってよき心に変わっていきます。また数珠の糸は仏の心を人間の心の中に通す役目で、円になっているのは心を丸く素直にさせる意味があるようです。
仏教は552年に日本に伝来しましたが、庶民がこうした仏具を手にするようになったのは江戸時代からです。仏の前で合掌礼拝すると、煩悩を消滅し、正しい方向に導いてくれると教えられた人々は、数珠は生活の必需品となっていきます。仏教の宗派も数多いところから、数珠の種類も70種類余りあるようです。それぞれの宗派によって焼香の仕方が違ったりしますが、私はどちらかというと余りこだわらないことにしています。仏前で合掌するときに、数珠を握りしめた手の平に温もりを感じ、安らぎが得られれば仏も一緒に喜んでくれると思うからです。生きていくのは、遺されたものなのですから

特別列車

2009-09-25 19:32:28 | Weblog
JR始め鉄道の集客方法の一つに特別列車があります。特別列車としてお馴染みなのは、冬に岩木山を眺めながら走る津軽鉄道のストーブ列車です。車両全体が暖かい雰囲気の癒し列車です。焼きイカの匂いがまた風流でしょう。そのほか仙台ではジョイフルトレインのお座敷列車、履物を脱いで乗ります。貸し切りですから親睦にいいですね。
気仙沼ではこがねふかひれ号が走りました。鬼太郎列車は山陰で、夜のあじさい号は箱根鉄道です。八丈島や北海道に向けての自然列車も走りました。
今年特筆すべきは、2009年9月9日に1000年に1度のスリーナインの日を記念して、銀河鉄道999をモデルにした銀河超特急999が大井川鉄道に登場しました。子供だけでなく大人たちも大喜びだったようです。
さてこの地方では秋のグルメ列車が明知鉄道で走っています。「きのこ列車」といって車内では12種類のきのこを使った特別料理を食べながら、沿線の景色を楽しむものです。旅とおいしい料理は付き物といった典型ですね。このグルメ列車が人気ということは、駅弁を車窓から顔をだして買うあのスタイルが旅の楽しさの一つになっていたのではないでしょうか。
鉄道会社のお偉方には、そんなところも旅のよさだと認識をあらためて貰いたいものです。「そんなに急いで何処へ行く」ですよね。

賑わい

2009-09-24 18:16:19 | Weblog
シルバーウイークが終わって各行楽地も今日当たりは閑散としているかもしれませんね。人は人の集まる所に集まる習性があるようです。
内閣府が発表した世論調査によると、それぞれが暮らす地域の中心市街地の課題で「賑わいが感じられない」も大きなテーマになっています。これは各地で進む市街地の空洞化を裏付けるものです。すいているから行こうにはならないんですね。
そんな例はいくらでもあります。例えば札幌にあるラーメン横丁や広島のお好み焼き会館の様に同じ職種のお店が並んでいる所では、満員のお店の前に行列ができます。そのお隣りがガラガラでもです。それが何かの弾みでそのお隣りが混んでくるとそのお店に行列が出来てしまいます。
パチンコ店でもそうですね。がら~んとしたパチンコ店には入る気がしません。かつての愛知万博で激混のパビリオンはずーっと激混、空いているパビリオンはやはりずーっと空いている状況が続きました。人間の心理なのでしょう。賑やかな所が好きなんです。それだけに中心市街地の活性化は人集めをまず考えなければなりません。特に車を持たない高齢者らに配慮した街づくりが必要でしょう。
そういえばある人の話で、お金も淋しがり屋だから賑やかな所に集まると言っていましたから、賑やかな雰囲気を作って、福澤さんに集まって貰いましょう。

評価

2009-09-23 20:24:48 | Weblog
長い休みが今日で終わります。明日からの会社、なんとなくいやだなあ、と思っている人がいるかもしれませんね。五月病の振り返しです。
新しい政権になってもまだまだ働く場所がなくてハローワーク通いの人が多くあります(7月の失業率5.7%で過去最悪)。民間調査機関の「仕事に関する意識調査」でこの1年に会社を辞めたいと考えたことのある人が7割に迫りました。実際に辞めて転職した人も1割に上っています。その理由は将来性への不安や仕事を正当に評価されない不満と共に、給料が安いとなっています。
ところで理由の一つの正当な評価とはどういうものなのでしょう。100%正しい評価は有り得ません。機会が評価しようが点数で評価しようが大勢で評価しようが、やはり100%正しい事はありません。キーワードは公平かどうかです。
判断する時に特定な人に対するえこひいきさえなければこう判断するより方法はありません。それは自分が自分の仕事を公平な目で判断する事です。先ほどの評価が不満と思う人のほとんどは自分で判断するという作業を省いているのではないでしょうか。
さあ明日から気分をかえて明るく仕事に立ち向かいましょう。そういう私ができるかなあ(笑)。

後生

2009-09-22 16:51:29 | Weblog
シルバーウイーク真っ只中、子供が小さい頃は何処かに連れていかなくてはと強迫観念にかられるところですが、大きくなった今は、むしろ私なんかは邪魔な存在で有り難いやらです。しかしまだ小さい子供さんがいる家庭では、お母さんがお父さんに「後生だから何処かに子供たちを連れてって」とお願いしているかもしれませんね。
この何気なく使っている「後生」という言葉はどういう意味なのでしょうか。特に切実なお願いの際に「後生だから」と使います。この言葉は仏教用語で複雑な解説があるそうです。お願い事に限って考えると、仏教は輪廻転生ですが、前の世を前世、今の世を今生、そして次の世を後生といいます。来世(次の世)での幸せを得るには今生で沢山徳を積む事です。
徳を積む為に必要とされるのは、念仏やお経を唱える事のほかに、人に親切にすることがあるのです。ですから後生だから・・・は、貴方の後生の為に私に親切にしてください。というものですから、なんだか図々しい感じもしますね。
よく時代劇の台詞に「後生、一生のお願い」と出てきますが、この世と次の世の二生分のお願いという意味になるわけですね。格言の「情けは人の為ならず」は、人に親切にすればいつかは巡り巡って自分にいいことがかえってくるという意味ですが、後生は次の世でいいことがあるわけですから、貴方はどうします(笑)。

アルツハイマー

2009-09-21 18:14:05 | Weblog
1994年の国際会議で、今日9月21日を世界アルツハイマーデーと定めました。今までは何気なく通り過ぎていた、アルツハイマーという横文字がなんとなく気掛かりな存在になってきました。
このアルツハイマーという病気は、簡単にいうと少しずつ脳が小さくなって、物忘れ、記憶障害、認知障害、寝たきりなどと進行していく病気です。その症状の第1段階の1つに同じ事を何回もいう。と記載してありました。うーんと考えてしまいました。振り返ってみるとそういうことを随分してきたような気がします。日記のテーマがまた一緒だよと家人から指摘を受けることもあります。時々、話の中で有名な人の名前が出て来ない事も日常茶飯事です。
そこで恐る恐るアルツハイマーを予防するページをめくると、バランスの良い食生活、簡単な計算をしてみる、読書、寝過ぎに注意、会話をする。とあります。バランスの良い食生活は最近心掛けているな、簡単な計算は毎日のように「数独」をやっている、読書はこれも毎日、会話はアナウンサーだから仕事だし、寝過ぎに関しては、ドラゴンズが負けるとなかなか寝れないし、とまあ予防にかんしては完璧です。
なのに名前を思い出せない事が多いのは何故でしょうか?見たことはあるなあという人がなんと多いことか。失礼があったらお許し下さいね。