フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

屋根に雪

2018-01-31 22:15:50 | Weblog
今年の冬はことのほか寒いです。私が歳をとったせいかとも思えますが、それだけではなさそうです。天気予報をみると日本海側や北海道だけではなく全国で雪マークが多くついています。特に雪に慣れない都会人のため息が毎日のように聞かれます。雪国のニュースではかつて屋根雪崩という言葉が出てきましたが、今はどうでしょうか。
屋根雪崩というのは屋根からの落雪のことで通行人が死亡したり重症を負う雪の事故のことです。都会の雪の量では考えられませんが、積雪量の多い北海道などではよくあったのです。通行している人の頭上への無関心と、雪降ろしの不励行が原因とされました。これから2月、3月に多くなります。
さて、歩行中に滑って転ぶことは、むしろ都会のほうで多く見られますが、こちらは足元無関心だからでしょう。大学受験も大詰めを迎えますが、寒い地方、雪国の大学を受験する学生さんは、足元注意を頭の中に入れておいてください。全てにおいて滑ってはなりませんからね。

踊り場

2018-01-30 22:06:08 | Weblog
貴方は踊り場を持っていますか?「平屋だから階段がないから踊り場なんてないよ」そんな声もありましょうが、ここでいう、踊り場は「人生の踊り場」のことです。この踊り場は駅やマンションの階段でも急な階段の途中にあるものです。
建築上、無駄なスペースのように思えますが、階段を昇っていく人にとっては踊り場で一息つける、つまりリラックス出来るスペースです。無駄なように見えても無駄ではないのです。仕事人間にもこの踊り場が必要です。会社のために仕事をしている意気ごみは結構ですが、急な階段をかけ上がるのと同じで仕事ばかりやって踊り場がないと疲れてしまいます。ですから、休日の過ごし方が問題です。若い人はスポーツをやったり、デートをしたり、年令を重ねた人は趣味の世界で遊ぶとかまるっきり仕事のことを忘れることが必要です。
格言にもあります。「急がば回れ」踊り場でくるくる踊り回って下さい。

ガチンコ勝負

2018-01-29 23:54:36 | Weblog
大相撲初場所は栃ノ心の平幕優勝で幕を閉じました。色々の不祥事があったにも関わらず盛り上がったのは、この栃ノ心の活躍があったからでしょう。栃ノ心の土俵上での相撲っぷりにあったのでしょう。まさにガチンコ相撲だったからです。怪力相撲です。
ガチンコ相撲の語源は、相撲界の隠語で「真剣勝負」のことです。つまり、ぶつかり合う時に出る、ガチンという音から来ているようです。この話からスポーツはじめ勝負ごとの真剣勝負をガチンコ勝負という表現を使うようになりました。勝負ごとというのは、当然ガチンコ勝負が当たり前であるはずなのにこの言葉があるのは、どこかで馴れ合いの勝負があるからでしょう。たまたまついていたテレビのスポーツ番組をつい見いってしまうのは、そこにガチンコ勝負が展開されているからでしょう。
そのほか政治的対決などは特にガチンコであって欲しいですね。そのガチンコそのものが、それぞれの意見を国民に確かな形で示すことが出来るからです。国会討論はいつもガチンコであって欲しいですね。

自慢

2018-01-28 22:40:42 | Weblog
「人は自慢すべし」という言葉につられてコラムを読んで多少違和感を感じながらそのコラムをじっくり読んで見ました。我々は常々自慢はみっともないと教えられてきました。しかし、読んでみてなるほどと思うことがありましたね。
人は組織に入って期間をまっとうすると、定年(役職定年を含む)になり、組織を離れることになります。となると、町内など新しい環境に入らざるを得なくなります。さあそこで自分を認知して貰うために何を語りますか?会社など組織内では、自分の実績は誰かが記憶にとどめてくれているか、時には語ってくれるものです。しかし新しいところでは誰も、何も、自分のことなど知ってくれていません。最初は存在感、ゼロです。そこで、自分を知って貰うために自慢話をするのです。もちろん嫌みにならない程度にですが。その嫌みにならない語りかたが問題です。それを勉強できたら、上手に自慢話をしたらいいですね。ですから「どんどん自慢すべし」は納得出来ますね。

至言

2018-01-27 23:52:10 | Weblog
歴史上の有名人が語った言葉がどういう形で残ったのかわかりませんが、今も生きているのは、これが至言としていつの世でも通用するからでしょう。
そのひとつ、レオナルド・ダビンチの「誰より多く持っている者は誰より失うことを恐れる」という言葉があります。この至言は、確かに頷ける言葉です。この言葉を聞いて、乱暴な表現ですがこんな言葉が浮かびます。「金持ちはケチである」。一方、そうではないという気持ちがあります。何故ならば、有名なアスリートたちは我々が想像も出来ないほどの報酬を受け取っていますが、ちゃんとボランティア活動をして、多額の寄付行為を行っているからです。となると世界中の至言には、すべてを言い表しているのではないかも知れませんね。一面があれば反面があるわけです。
「渡る世間に鬼はなし」「人を見たら泥棒と思え」
真逆ですね。今も残る至言をこうした読み時をしてみるのは楽しみです。

昭和は

2018-01-26 23:34:19 | Weblog
参議院の議会の政府の施政方針演説で元号の討論が始まったようです。平成の前の昭和に生まれた私達もだんだん「昭和は遠くなりにけり」になりそうです。
ところで演歌歌謡曲の世界では、今は昭和ブームと言って良いほど、昭和を懐かしがる作品が多くあります。恐らく、歌謡曲全盛だった昭和の30年40年代を懐かしんでいるからでしょう。平成31年5月1日にはどんな元号になっているでしょうね。
この平成の時代に平成がタイトルに入る歌謡曲は昭和に比べて圧倒的に少ないですね。何故なんでしょう。「昭和」と「平成」の語感の違いからでしょうか。私は語感よりも、やはり世相の違いからではないかと思えます。つまり歌謡曲と平成の世がマッチしないのです。生活スタイルが変わり過ぎたようです。娯楽にしてもあらゆるジャンルが存在していますからね。カラオケで歌謡曲を歌うことにのめり込んだ昭和とは全く違いますね。

身を守るすべ

2018-01-25 23:22:27 | Weblog
歴史的な寒波が日本を襲い、各地に雪をもたらしました。そして昨日は名古屋でも雪が積もりました。朝から慣れない手つきで雪掻きをした人もおありでしょう。
雪の日のニュースの中心は思わぬ交通事故のニュースが多くなります。言葉が足りませんね。東京や大坂、そして名古屋などふだん雪が積もることの少ない地域と言い換えることにします。その交通事故ですが、雪国と違って身を守るすべが身についていないのですね。雪国ではスタッドレスやチェーンはふだんから当たり前に用意しているのですが、都会のドライバーは経験値が少ないので、楽観的に過ぎてしまいます。人生、楽観的な気持ちが必要な部分もありますが、身を守ることに関しては、やはり慎重であるべきです。
世の動物たちの生き方を身を守ることでは、学んだほうが良いかも知れません。動物たちは自分の弱点をよく知っています。ですから、襲われた時の身を守る方法を心得ています。一例をあげると、シマウマはいつも群生し、敵に襲われた時に円陣を組み、強烈なうしろ足で敵の攻撃をかわすのです。
災害に関しては神経質になっても良いですね。

晴れの日

2018-01-24 22:11:34 | Weblog
昭和39年の東京オリンピックの開会式を決めるのに気象庁がおおいに関係しているのは、よく知られていますよね。開会式は晴天の日にしたいとは誰もが考えること。そこで晴れの特異日を選ぶことになった訳です。晴れの特異日というのは、その前後の日はそれほどでなくてもその日は 晴れることが圧倒的に多い日です。その結果、東京オリンピックの開会式は10月10日に決まり、特異日の面目躍如、晴天に恵まれました。 後の体育の日になった訳ですね。
さて、人生の中でも特別の日があります。それが「晴れの日」です。入学式、結婚式、子どもが誕生した日などはそうです。もちろん成人式も晴れの日の代表です。その人生の晴れの日がどしゃ降りになってしまったのはご承知の通りです。いまだに悔しい思いをしている人は数多くいます。ただその際にこの晴れの日を守ってくれた同業者が沢山いたことが、少しは傷を癒してくれました。確かに悔しさは残るでしょうが、お偉いさんの祝辞より、こうした救いの手の事実が一生残る祝辞でしょう。

時ならぬ雪

2018-01-23 23:35:12 | Weblog
今朝がたのニュースはどの局も関東地方の大雪でした。雪国とは違って雪に慣れていない都会では、雪景色と情緒を楽しむ余裕など全くありません。交通事故などが頻発して、ふだんの生活がづたづたになった雪でした。
今回の雪は、名古屋を除く都会には多くの被害をもたらしました。しかし改めて良かったと思うのはセンター試験にこの雪が重ならなかったことです。何年もかけて育てたつぼみが旅立つ初日に影響が無く終わり、次のステップに向かいます。
何事も無いときの自然は優しく、優しいもので、我々自体が癒される存在です。それが証拠に雪が止んで日差しが届くときの日差しの温かさは1人や二人の力で雪掻きをするよりも圧倒的な力強さで雪を溶かしていきます。この有りがたさをいつも感じ取って生活することを我々、常々忘れていけないことを教えてくれるこの日差しです。

50周年

2018-01-22 23:51:17 | Weblog
今日は名古屋の菓子業組合の50周年の集いに招かれて少しお話をしてきました。満50年と50周年では、扱いが1年違います。私はアナウンサーとして満50年を迎える1968年入社。50周年は1967年から始ります。
さてその1967年の昭和42年の記憶に残っている出来事といえば、深夜放送が始まった年と言っていいでしょう。今でこそ深夜放送はお年寄りの時間と言われることが多くなりましたが、当時の中学生、高校生の深夜放送への熱狂ぶりは凄まじいものでした。入社何年かたって私も深夜放送を担当いたしましたが、嘘のような話ですが、自分がスターになったような錯覚に陥る位に深夜放送を聴いて貰いました。その頃の高校生ももう、還暦前後ですから、ビックリです。
そうですね、その1967年にリカちゃん人形が誕生したのですから、本来、リカちゃんもそれなりの顔になっているはずですが、相変わらず若くて可愛いので羨ましい限りです。しかしされど50年、半世紀になるわけですから、歴史を刻んで生きて来たわけです。たまには自分を誉めてやるのも良いかも知れませんね。