いよいよウィンタースポーツの季節を迎えます。丁度1926年の今日、日本ラグビー協会が設立されました。母校の同志社がラグビー界では関西の雄という事もあり、ウィンタースポーツではラグビーに一番興味があります。
数々のラグビー用語の中で試合終了を意味する「ノーサイド」という言葉が大好きですね。以前の日記にも書きましたが、直訳すれば「サイドが無しになる」ですが、ノーサイド(終了)のホイッスルが鳴った後はどちらの側でもなく、同じラガーマンとしてお互いの健闘をたたえよう、おおいに騒ごうよという意味になります。
先日、ある新聞のコラム欄に「グッドルーザー」の精神が忘れられているという苦言が載りました。つまりゲームの敗戦によってふてくされてしまい、ねぎらいの言葉をかけてもまともに反応しない選手がいるというものでした。1つの試合に負けても人間としてのすべてが否定されたわけでもないのにです。つまりノーサイドの精神の欠如です。
もう1つ言えるのは、試合に負けるとつい「申し訳ありません」と口に出し頭を下げますが、ラグビースピリッツには「一生懸命のプレーに謝ることはない」があります。もちろん全力で立ち向かったミス(凡ミスではない)で頭を下げる事はないのです。
こうしたノーサイドの精神を日常でも活かす事が出来たなら少しはマシな世の中になるのではと思っています。例えば試合だけでなく話し合いにおいても、話す相手がいたからこそこの話し合いが成り立っている事を忘れない精神。物事が決まったら反対していても肩をたたいて協力を約束するノーサイドの精神があれば、ギスギス感が消えていくのにと思うのです。
数々のラグビー用語の中で試合終了を意味する「ノーサイド」という言葉が大好きですね。以前の日記にも書きましたが、直訳すれば「サイドが無しになる」ですが、ノーサイド(終了)のホイッスルが鳴った後はどちらの側でもなく、同じラガーマンとしてお互いの健闘をたたえよう、おおいに騒ごうよという意味になります。
先日、ある新聞のコラム欄に「グッドルーザー」の精神が忘れられているという苦言が載りました。つまりゲームの敗戦によってふてくされてしまい、ねぎらいの言葉をかけてもまともに反応しない選手がいるというものでした。1つの試合に負けても人間としてのすべてが否定されたわけでもないのにです。つまりノーサイドの精神の欠如です。
もう1つ言えるのは、試合に負けるとつい「申し訳ありません」と口に出し頭を下げますが、ラグビースピリッツには「一生懸命のプレーに謝ることはない」があります。もちろん全力で立ち向かったミス(凡ミスではない)で頭を下げる事はないのです。
こうしたノーサイドの精神を日常でも活かす事が出来たなら少しはマシな世の中になるのではと思っています。例えば試合だけでなく話し合いにおいても、話す相手がいたからこそこの話し合いが成り立っている事を忘れない精神。物事が決まったら反対していても肩をたたいて協力を約束するノーサイドの精神があれば、ギスギス感が消えていくのにと思うのです。