フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

ノーサイド

2008-11-30 22:19:47 | Weblog
いよいよウィンタースポーツの季節を迎えます。丁度1926年の今日、日本ラグビー協会が設立されました。母校の同志社がラグビー界では関西の雄という事もあり、ウィンタースポーツではラグビーに一番興味があります。
数々のラグビー用語の中で試合終了を意味する「ノーサイド」という言葉が大好きですね。以前の日記にも書きましたが、直訳すれば「サイドが無しになる」ですが、ノーサイド(終了)のホイッスルが鳴った後はどちらの側でもなく、同じラガーマンとしてお互いの健闘をたたえよう、おおいに騒ごうよという意味になります。
先日、ある新聞のコラム欄に「グッドルーザー」の精神が忘れられているという苦言が載りました。つまりゲームの敗戦によってふてくされてしまい、ねぎらいの言葉をかけてもまともに反応しない選手がいるというものでした。1つの試合に負けても人間としてのすべてが否定されたわけでもないのにです。つまりノーサイドの精神の欠如です。
もう1つ言えるのは、試合に負けるとつい「申し訳ありません」と口に出し頭を下げますが、ラグビースピリッツには「一生懸命のプレーに謝ることはない」があります。もちろん全力で立ち向かったミス(凡ミスではない)で頭を下げる事はないのです。
こうしたノーサイドの精神を日常でも活かす事が出来たなら少しはマシな世の中になるのではと思っています。例えば試合だけでなく話し合いにおいても、話す相手がいたからこそこの話し合いが成り立っている事を忘れない精神。物事が決まったら反対していても肩をたたいて協力を約束するノーサイドの精神があれば、ギスギス感が消えていくのにと思うのです。

金属バット

2008-11-29 18:15:51 | Weblog
高校生の野球に金属バットが登場したのはもう30年以上前の事です。
おさらいですが、木製のバットは主にアオダモという丈夫な木で作られ、きちんと芯でボールを捕えないと遠くへ飛ばす事が出来ません。もちろん1本の木で出来ています。
金属製のバットは中が空洞で反発力が高い為、多少芯をはずしても遠くへ飛ばす事が出来ます。もちろん折れないですね。この折れないという経済的な理由で野球の普及に貢献してきたのは事実ですが、技術面の進歩については首をかしげる事になります。むしろ昔あった竹バット。この竹バットの芯でしっかりとボールを捕える技術を身に付けた方がいいという考えの方も多くいます。
落合監督もその昔、竹バットを利用して技術を磨いたそうです。というのも竹バットで芯をはずした時の衝撃はものすごくて自然に身体で芯を捕える事を覚えるのでしょうね。
そうでした、こうした野球談議をするのではなくて、今日11月29日(1980)に金属バットが衝撃的に新聞の社会面に登場したのです。
川崎市の予備校生が両親を金属バットで殴り殺した事件で、受験戦争やエリート志向が起こした事件として日本中が騒然としたのを覚えています。楽しいスポーツの道具が凶器として扱われる事になってしまったのです。
家庭の中の芯である両親を反発する力の強い金属バットで殴ってしまったのです。その後も家庭崩壊の縮図の中にしばしば金属バットが登場しました。
金属バット=暴力というイメージが払拭されん事を祈りつつ・・・。

そんなバナナ生活

2008-11-28 22:24:46 | Weblog
クイズです。世界の国々でバナナの生産量のベスト3はどの国でしょうか。
正解は1位インド、2位ブラジル、3位中国です。今、評判のBricsの3国が入っているんですね。フィリピン、台湾と答えた方もあったでしょう。フィリピンは確かに日本が輸入するバナナが最も多い国です。インド、ブラジル、中国は自分の国で消費しています。
さて今年の秋は「バナナダイエット」のブームでバナナの消費量が急増しています。一時は店頭からバナナが姿を消した事もあった位です。「バナナダイエット」の良さは、脂肪を燃焼する力が強いこと。含まれているビタミンACEが脳を目覚めさせる力があることです。そして何よりいいのがダイエットをする事にストレスを感じさせないことです。やらなくちゃいけないという脅迫観念持たないことがいいですね。
ところでダイエットを懸命に続けている事で落し穴があるのをお気づきですか。
人間というのはこれをやっているから大丈夫と他の事にルーズになってしまう事です。私も歩いている事を過信して間食をしたり甘いものをよく食べたりして逆に中性脂肪がう~んとあがった事があります。この点は注意しなくてはいけません。
特に注意する点は日常生活を夜型にしない事ですね。バナナダイエットをしながら夜型の生活を変えると効果が一段とアップするでしょう。もともと世間は朝起きて夜寝る生活にあわせて運営されていますから、夜型というだけで、もうハンデを背負っているのですから・・・。

記念日

2008-11-27 22:43:36 | Weblog
ゴルフの名言にリューイス・ブラウンの「人生には誰でも4つの記念すべき日がある。1つは誕生日、2つ目は婚約の日、3つ目は結婚の日、4つ目は死亡の日である。だがゴルファーにはもうひとつこれに加える日がある。それははじめて100を切った日だ」があります。
今日は今上天皇の婚約が決定した日です(1958)。お二人にとっては大切な記念日でしょう。結婚記念日を祝う風習は比較的歴史が浅く、明治時代、明治天皇御夫妻の銀婚式に欧米から伝わったものです(明治27年)。
この記念日の祝い方ですが、それぞれの家庭のやり方があるようですが、定番としては1年目の紙婚式からはじまって各記念の名称にちなんだものを贈る事があります。しかし40年目がルビー、45年目サファイア、50年目はもちろん金婚式ですからゴールド、55年目がエメラルドとなると、ちょっとちょっととなりませんか(笑)。まあそこまで二人が元気に過ごせればいうことはありませんが。
又他の祝い方としては毎年少しずつ記念になるものを購入してある程度で全部を揃えるという買い増しの方法もあるようです。もうすでにある程度年月を重ねた方は今更無理なので、やはり花束をプレゼントするのがオーソドックスかもしれません。その花束に日頃伝えるのが恥ずかしい事をスマートに表現するグリーティングカードを添えるのがいいですね。
とはいっても自分がその様に行動できるかと問われると・・・無言。
念の為に、女性がもらって嬉しい花の一番人気はやはりバラだそうです。

言わぬが花

2008-11-26 23:32:15 | Weblog
昨日、今年の紅白歌合戦の出場者が発表されました。知り合い歌い手さんにはおめでとうコールをさせていただきましたが、出場者が決定するまで色んな事が舞台裏であったのでしょうね。まあそれでも初出場の歌手の笑顔はいいものです。オールドルーキーの秋元順子さんに元気をもらった人も大勢いるでしょう。私もその1人で来年こそは!!と思ったものです(笑)。
ところで初めてCDデビューする歌い手さんの挨拶の定番は「紅白をめざします」です。しかしはっきりこの曲で紅白をといった時に実現する確率はほんとにわずかです。ですから日本人独特の文化から培った「言わぬが花」の方がいいと思うのですが。まさにその意味の「言葉にしてはっきり言わない方が値打ちがある」のではないですかねぇ。
ちょっと話はそれますが、日本の社会の中で根付いていた「言わなくても察するという文化」が今こわれてしまっている様に思いませんか。アメリカナイズされているといってしまえばそれまでですが、どうも奥床しさが欠落してしまっているのですね。車内の化粧もしかりです。
言葉をかえて言えば想像力が足らないのですね。足らないというより相手がどう思うのか全く考えていないのです。他の文化の良いところを受け入れる事は、自国の良いところを否定することではないのです。日本人の戦後の自信のなさが長所まで消しているとしたらちょっと残念ではあるし、また取り戻していかなければいけません。
明治維新からわずかな年数で世界に追いついた日本の底力はそういった精神的な良さに支えられていたと思うのですが。
これも言わぬが花でしょうか。

給料日

2008-11-25 13:35:31 | Weblog
今日は多くの会社で給料日でしょう。今からずいぶん前の初給料日の事が鮮やかによみがえります。
当時、給料は手渡しでした。もちろん銀行振込みのシステムはありません。父親から当日「給料をもらう事に感謝の気持を忘れるな」と言われた事を覚えてます。
ところがいつ頃からか給料はすべて振込みとなりました。ということは父親(中には母親)がたった1日だけ威張れる日がなくなってしまいました。逆にいえば父親が働いている事を感じながら子供達(もちろん奥さんも)が感謝する貴重な機会もなくなってしまったのです。父親の方も給料日そのものを忘れてしまっている事もある位です。
給料日が過ぎると奥さんはATMへ引き出しに出掛けます。ひょっとしてATMに養われていると錯覚してATMに頭を下げている人がいるかもしれませんね(笑)。
この給料が振込みになった事と携帯電話が普及した事、それに子供達に個室が与えられる様になった事、これらが重なりあって家族に一体感がなくなった例が多くなりました。一家に一台の電話の頃は、子供がどういうつながりを外と持っているか、何となくでも把握できたし、団欒は居間でという時代はお互いがよくみえていたものです。
その団欒の席でおもむろに給料袋を取り出す。「お父さん、ありがとう!」こうした光景になっていくのです。
ああ給料袋が懐かしいですねぇ。

症候群

2008-11-24 22:53:53 | Weblog
「サザエさん症候群」という言葉があります。日曜日の夕方、サザエさんを見たあと翌日からまた通学や仕事をしなければならない現実に直面して、体調を崩してしまう事を言います。まあひとつの「五月病」でしょうか。しかし今日の月曜日はお休みですからこの病気も発症しないでしょう。
症候群という病気はエコノミー症候群以降でしょうか。色んなところで取り上げられる様になりました。最近では大原麗子さんのニュースで「ギランバレー症候群」という難病も話題になりました。
こうした病気を表す症候群もあれば、社会現象を指す言葉もあります。燃え尽き症候群や先程のサザエさん症候群も後者の例でしょう。
さて今、この症候群がアメリカ全土に拡がっているのです。その名も「ポスト選挙症候群」です。アメリカ大統領選挙が終了して、国民が祭りの後の様に心にポッカリ穴があいているそうです。
私はこのニュースを聞いてうらやましかったですね。自分の国の政治を託す大統領選挙に国民がこれだけ力を入れて注目しているわけですからね。日本では投票率が50%を切る選挙が殆どですから「選挙症候群」なんて現れるわけがありませんね。
日本の民主主義はまだまだ未成熟といっていいのでしょう。

夜なべ

2008-11-23 23:21:40 | Weblog
「♪かあさんが 夜なべをして 手袋編んでくれた~」という「かあさんの歌」を口ずさみたくなるこの頃。散歩にもそろそろ手袋が必要になってきます。今日、11月23日は日本手袋工業組合が1981年に「手袋の日」を制定しました。
この「かあさんの歌」に出てくる「夜なべ」ですが、語源は数多くあるようです。一番ポピュラーなのは『夜、鍋物を食べながら仕事をする事』でしょう。その他『夜遅くまで仕事をすることから、夜を延ばす意味[夜延べ]』を語源としている説もあります。
まあともかく夜を徹して息子の為に手袋を編む母親の気持は有難いものですが、この歌の2番か3番に「♪かあさんのあかぎれ痛い 生味噌すりこむ」とありますから、それもあかぎれの痛さをこらえての手袋作りです。
ところで若い頃の1つの象徴は「徹夜」をしても平気だったことですが、この頃は全く駄目ですね。ですから徹夜明けの達成感は味わった事がありません。もし徹夜をしたとしたら、その翌日以降のルーティンワークの帳尻がどこかで合わなくなってしまいます。
話はかわりますが、クリスマスプレゼントに恋人からの手編みの手袋は多分男性は幸せな気持を物凄く味わうでしょうね。たとえその出来が不揃いでも・・・(失礼)。

冬枯れ

2008-11-22 16:27:08 | Weblog
我が家の前の街路樹の葉がハラハラと散り急ぐ光景が日常となってきました。おそらく色とりどりに燃えていた紅葉の山々も赤茶けて来る頃でしょう。秋が過ぎていくのは夕暮れと同じ様に物凄いスピードです。一方街の方もこの時期、白とグレーがどうしても多くなります。街も冬枯れてきました。
冬枯れの街を見ていると淋しい思いに浸る事はありませんか。冬枯れに冬の冷たい季節風が吹き荒れる様になると、何ともいたたまれない気持になる事もあります。となっては人生に背を向けている風情になってしまいます。とにかく気持まで冬枯れしない様にしなくてはなりません。
季節の流れに浸りすぎていると、自分にも出来ることがあるということを忘れがちになります。冬枯れの景色も、春から初夏にむけて青葉に覆われ輝きを増すように、下世話にいえば朝のこない夜はないのです。そこで葉の落ちた木々を見て下さい。早くもその木々たちが芽吹きの準備をしていることが見てとれます。
芽吹きの準備、いい言葉ですよね。輝く為には準備が必要です。この冬枯れの季節を利用しない手はありませんね。

空白の1日

2008-11-21 23:34:44 | Weblog
古い話ですが今日、11月21日はプロ野球ファンにとって忘れられない1日です。今から丁度30年前、1978年のこの日、巨人は法政大学出身の江川投手と入団契約を結んだのです。
前の年のドラフト会議から1年間の交渉権が切れたとする「空白の1日」の盲点をついたものでした。結果は無効でした(後にトレード)。当時の記者会見の様子を憶えていますが、江川投手は落ち着いていました。普通なら舞い上がって頭が真っ白になるところですがね。
我々も経験するんですが、頭が真っ白になる事は舞い上がると往々にしてあるものです。空っぽになってしまうのですね。司会をしていて、スピーチをすっかり忘れてしまった方を見かけた事もありました。江川投手の場合は「空白の1日」でも頭の中は空白ではなかったのです。
ところで皆さんは自分の人生の中で記憶が抜け落ちるという経験はなさった事がありますか?「もちろん。酒を飲んでどうやって自宅へたどり着いたか憶えていない事が再三あるよ」という声が聞こえてきそうです。
私はお酒は殆ど飲めないのでそうした経験が全然ありません。つまり空白の時間がないのです。厳し~い人生を全て憶えているのです。
いや、違ってました。何かの手術で全身麻酔の経験がありました。三平師匠ならば「あ、すい・・ません」でしょうね。
とにかく記憶を取り戻したら億万長者になっていた!という空白なら歓迎ですね。