フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

ひまわり

2011-05-31 23:58:02 | Weblog
東日本大震災の津波で壊滅的被害を受けた岩手県の陸前高田市では、津波被害の田んぼをひまわり畑にしようとひまわりの種まきが始まりました。ひまわりは我々にとって大変な恩恵を与えてくれる植物です。
まず、ひまわりの種には細胞の老化を防ぐ効能もありますし、感染症の予防にも有用です。それに原発被害に対しては、セシウムに対する土壌浄化の能力があるそうです。従ってこの動きは福島県にも波及するかも知れませんね。
また、ひまわりは「陽の花」と言われます。それは太陽のエネルギーをいっぱいに浴びて育つからです。それだけにひまわりを見るだけで元気になれるのでしょう。自然の力を感じさせてくれる花です。
映画のひまわりを覚えていますか?あの目も眩むようなひまわり畑は映画を見てから数十年たっても鮮やかに記憶しています。ひまわりのイメージはとにかく、明るい、プラス思考の花ですから前向きにさせるということでネーミングにも良く使われています。陸前高田市で撒かれた種が大きく育つ頃には、復興の兆しが感じられることでしょう。
もうひとつ加えるならみんなが同じ方を向くことで連帯感も感じさせてくれるのです。

特待生

2011-05-30 22:01:00 | Weblog
日本高校野球連盟が野球特待生制度の導入を正式に決めました。実はこの野球特待生問題が表面化したのは、2007年の西武の裏金問題が発覚してからです。野球以外では当たり前のようにあった特待生制度です(私には全く縁がなかった制度)。
特待生というのは入学試験や在学中の成績によって特別な待遇を受ける学生や生徒のことで、特別待遇生徒、学生の略です。それが日本学生野球憲章で金品の授受を禁じている為、野球活動による特待生制度を採用することも規制されていたのです。スポーツ技術の向上を目指すという意味では規制が壁になっていたかも知れないのでいいと思います。それに学術に関してはOKでスポーツはダメというのも多少の問題を感じていたからです。入学金、授業料の免除があります。
そこで私のような平々凡々の者にとっては羨ましい限りの存在となるのですが、受け入れる学校の方にお願いもあります。特待生として入学し、選手として順風満帆のクラブ生活が送ることが出来れば問題ありませんが、故障をして選手生活を送ることが出来なくなった学生や生徒にどういう対応をとるかきちんとしておいて欲しいことです。人生は長いことを肝に銘じて対応してください。

おじいちゃん

2011-05-29 21:07:31 | Weblog
前にも書きましたが新しい仕事の一つに東海ラジオのSKEの番組の「SKEとおじいちゃん」コーナーにおじいちゃん役(実際でもおじいちゃん)で出演しています。このコーナーは世代のギャップをリスナーに感じとって貰うのが狙いでもあります。
さて、落語の世界でおじいちゃんといえば物知りの御隠居さんで、長屋の人達は分からないことがあるとなんでも聞きに行く存在です。その昔、田舎では子供達が囲炉裏を囲んで長老の話に耳を傾けていました。面白いという語源も、子供達が面白い話になると顔を上げて喜びます。その時囲炉裏の火の灯りで顔が白くなります。そこから面白いという言葉が生まれたと聞いています。
ところが最近の日本は核家族化と高齢化が進み、お年寄りは施設に入り、子供との接触がほとんどない状態になっています。この状況が一変しているように見えるのが東日本大震災で強いられている避難所生活のありようです。おばあちゃんに抱かれている子供、おじいちゃんの話を笑顔で聞いている子供達、我々が忘れてしまっていた光景が展開されているのです。その時のおじいちゃんやおばあちゃんの笑顔には充実感がいっぱいです。

社会規範

2011-05-28 23:00:23 | Weblog
先日、世界33ケ国、地域を対象にした社会的な規範意識がどれだけ強いかを調査した結果日本は8位となりました。社会規範というのは、社会生活を営んでいく上で守るべき法、道徳、習慣をいいます。つまり人間社会集団に於けるルール、慣習です。日本より社会規範の意識が強い国々は、1位がパキスタンで以下マレーシア、インド、シンガポール、韓国、ノルウェー、トルコの順になっています。分析によると、人口密度が高く、食料や水が手に入りにくい、さらに天災や疫病が流行りやすい国ほど規範を守る意識が強いとしています。
ところでこの調査を江戸時代に行ったとしたら、日本は必ず1位になったでしょう。というのも当時すでに100万都市だった江戸では、狭い町人の居住区で大勢の町衆が共生して行くために「江戸しぐさ」という規範をつくり非常に良く守られていたからです。例えば江戸の寺子屋の路地には「ここにごみ捨てるべからず」「ここに小便するべからず」という縦笛がわざと立ててありました。この立て札の「べからず」は「ごみを捨ててはいけない」「立ち小便をしてはいけない」という今の解釈とは違っていて、「そうすることはおかしい」と気づかせる為の立て札て「○○するな」という禁止ではなくおかしいことだと柔軟な頭に刷り込んだのです。こうした規範意識が大人になってもきちんと身についていたのです。江戸のよさを確認すべき時が今ですね。

負けるが勝ち

2011-05-27 22:19:10 | Weblog
通常開催を目指す大相撲名古屋場所の十両昇進力士が発表になりました。その中でびっくりしたのが、負け越しで新十両をつかんだ力士が2名いることです。異例の番付編成の恩恵を受けた形です。
この発表で「負けるが勝ち」という言葉を思い出します。しかしこの言葉は最近あまり使われなくなりましたね。勝ちか負けかはっきりと区別する風潮が強くなっているのではないでしょうか。この「負けるが勝ち」は決して負け犬と妥協するわけではあります。本来の意味は『強いて争わず、相手に勝ちを譲るのが結局は勝利につながる』という意味です。名を捨てて実を取ることです。しかし実際は多くの前で自分の負けや非を認めることは並の人間には難しく、勝ちにこだわってしまいます。負けて勝つには勇気がいりますもんね。
ただし、相撲では負けて勝つことは当て嵌まりません。地位は人を作るともいいますから十両力士として誇りを持って土俵に上がってほしいものです。地位についてあえていうなら、大関の地位の脆弱さが気になります。一年に一度位は大関から優勝力士を出して欲しいものです。新横綱なんてこのままでは夢の夢です。負け越して横綱?やめてくださいよ!

虫、虫、虫

2011-05-26 21:56:27 | Weblog
先日77才で亡くなられた俳優の児玉清さんは、本の虫として有名でした。フランス語やドイツ語の本を原書で読破されるそうです。
この「本の虫」の虫とはなんでしょうか。調べてみると、この虫は本来本の紙面を食って穴をあける紙魚(しみ)という昆虫の事を指すという説が有力のようです。古い本は時々虫食い状態になっていることがありますが、あの虫ですね。紙魚が本を食い進む様子が人が本に没頭しているよいに見えることから取りつかれたように本を熱中して読む人の事を「本の虫」というようになったそうです。それから国語辞典には「一つの事に熱中する人」となりました。「芸の虫」とか「練習の虫」などといいますね。私等は若いころ「麻雀の虫」とよく家人から叱られました。
かつて作詞家の山口洋子さんが直木賞を受賞した作品に「演歌の虫」がありました。演歌に情熱を燃やすディレクターの夢と挫折を描いた作品です。○○の虫と言われるとそのことにのめり込む情熱を感じますね。頂点を極めたいという強い意思を感じます。建設的な虫は大いに歓迎です。

記念写真

2011-05-25 23:27:49 | Weblog
東日本大震災のニュースでたびたび放送されるシーンに、思い出の記念写真が見つかり喜んでいる家族があります。記念の写真はかけがえのない宝物です。家族が誕生日やお正月などで記念写真を撮る場合に必ず誰かがカメラマンになりますので全員集合の写真は少ないようです。特にお父さん抜きが多いですね(笑)。
さて、学校でのクラス写真を子供が持ち帰ると早速お母さんは自分の子供の顔を探します。探し終えて安心したあと、次からは知っている友達の顔から順に探していきます。人間の心理ですね。その昔、我が友人にクラス写真を撮る日に限って学校を休む猛者がいました。なぜなら後で彼だけ丸い枠の中で特別扱いとなり目立つという理由からです(笑)。
記念写真といえば、注目される記念写真が間もなく新聞に載りますね。そうです。G8、サミットの首脳達の記念写真です。あの立ち位置でその国の存在感が示されます。いつも日本はどちらかといえば隅の方でした。かつて中曽根さんがレーガン大統領の横に来たことがありましたが、その為には、撮影の直前までレーガン大統領に話し掛けるという涙ぐましい努力をしたそうです。今回のフランスでのサミット、菅総理の立ち位置はどうでしょうか?

察しの文化?

2011-05-24 23:20:47 | Weblog
昨日の国会中継を聞いていて相変わらずだなあと思ったのは、政治や行政が察しの文化にもたれかかっていることです。その手法が東日本大震災からずうっと続いています。
原発事故による避難も自主避難として被災者に任せたり、浜岡原発の全面停止を命令ではなく、記者会見で一方的に要請という形で発表しました。断れない状況を作り出して、後は考えろ!と言っているのです。指示や命令の形は今の法律にはない行政指導に過ぎないのですが、中電側は命令と同じだと受け止めて停止に踏み切ったのです。
行政側にとってこの種のやり方の都合の良い点は、後で不都合な事が起きても、それは受け入れた方の責任になるのです。命令を避けて暗黙のうちに協力を求めるやり方があまりにも多くなっています。日本の伝統的な察しの文化はお互いになにも言わなくても気持ちがわかるというコミュニケーションの要諦です。しかしこの文化を政治の世界に取り入れては、日本の行く方向が見えてきません。覚悟を決めた言葉で政治を進めていかなければなりません。
政治家の一番必要な資質は覚悟ではないでしょうか。

懐かしい名前

2011-05-23 22:28:01 | Weblog
懐かしい名前に出会いました。かつて中日にも在籍して活躍した中村紀洋選手です。昨年の秋に楽天から戦力外通告を受けていたのですが、ようやく横浜からオファーがあり明日にも入団が決まるようです。
出足のよかった横浜もこのところ指定席の最下位に定着しています。その原因はやはり打撃陣の低調さでしょう。そこで左投手に強かった中村選手を獲得することにしたのでしょう。37才の中村選手は引退を全く考えることもなく、現役続行を目指してトレーニングを続けていたそうです。スポーツ選手はいつも頂点を極めたいという自己実現を目標としています。恐らくその為には道半ばと思ったのでしょう。話題にもならない、注目もされない、そんな状況の中で、黙々とトレーニングを続けるのは、こうした背景があると思うのです。
「夢や希望は叶うものではなく、叶えるものである」という言葉があります。叶える為にはそれなりの努力が必要になります。継続の努力です。確かに練習してもうまくなるとは限りません、しかし練習しなければ絶対うまくなりません。その為の秘策は見えないところで手を抜かないことですね。そしてもうひとつ加えるならば見えないところでどれだけ優しくいられるかです。

お伽話

2011-05-22 15:19:05 | Weblog
いま、なんとSKE48の番組で一つのコーナーに出演しています。コーナータイトルは「SKE48とおじいちゃん」で私がおじいちゃん役です(笑)。内容は孫ぐらいの年齢の女の子に人生とは?なんてことを話しているのですが、今週は「今の子はお伽話を知っているか」を取り上げました。代表的なお伽話の「花咲か爺さん」「一寸法師」「浦島太郎」を話題にしましたが、やはり想像通りこの話の結論は誰もしりませんでした。一時「にほん昔話」がテレビで放映されていたときはストーリーはわかっていたでしょうが、今の子はお伽話に触れる機会が恐らくないでしょう。我々は絵本が手元にあり、睡眠薬として親の読み聞かせがありました。同じように読み聞かせがあったとしても内容は現代のアニメでしょう。
お伽話は日本の昔の生活ぶりを知ったり、道徳感や約束の大切さを教える貴重な教科書でもありました。「昔、昔あるところに」という出だしで時間や場所をあいまいにすることによって、誰でも経験することだよ、一般的だよと語ることで貴方もいじわるしないように優しくしなさいよと教えてくれるのです。貴方のお子さんには始めはお伽話がいいと思いますが…。