フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

2011-04-30 23:59:05 | Weblog
その昔、ダークダックスが歌う「絆」という歌がありました。その詞は『糸ヘンに半分と書いて絆と読みます。お互いに半分ずつの糸を結ぶます。(中略)固いか緩いかほどほどか』と歌っているのですが、今回の大震災で知らされたのは、人と人の絆の糸の結び目がこんなに固いことでした。避難所での長い生活ではプライバシーもなく人目に晒されながらの生活でありながら、個別の仮設住宅に入らなくてもいいという人が沢山いるそうです。避難所で肩寄せながら生活しているうちに、結び目がますます固くなり、絆を絶ちがたく思うようになったからだそうです。夥しいものを奪っていったあの大震災も思いやりの心までは奪うことは出来ませんでした。
また、避難所で見られる光景の一つに、無口で挨拶一つしなかった若者が進んでお年寄りと会話しているところが見られるそうです。三本の矢という故事がありますが、この絆の糸が何本も何本も集まって本当に太い糸、いや、縄になっているのです。思わず将来は大丈夫と声を上たくなるほどです。ただ政治がその糸を断ち切るような愚策を用いないように願うばかりです。

減収

2011-04-29 22:09:58 | Weblog
軒並みという言葉がピッタリで新聞紙上、見出しで見ない日がないのが「減」という字です。前年比、とにかく、減、減、減です。震災という直接的な被害に加えて、自粛ムードもあってか、経済活動はさっぱりの状況が続いているのです。今日からゴールデンウィークですが、遠出を控える消費者が増え、身近な遊びで済まそうという傾向だそうです。かつてもありましたが「安・近・短」レジャーですね。
逆に心配になるのは復興の為の財源となる税金が増えませんねぇ。ともかく贅沢は敵だの雰囲気になっているのでしょうか。商品の流通でも家電業界が期待していた3次元対応(3D)のテレビが登場してから一年経っても、テレビ全体の販売台数に占める割合が1割未満と普及の足取りが遅くなっているそうです。これほど減、減となりますと、5月は株主総会の月でもありますから、経営者達も頭の痛いことになります。まさに想定外だったと発言するより仕方ないですかね。
減でユニークなデータがあります。日本相撲協会が力士の体重を測定したら3分の2が前より体重を減らしていたそうです。稽古ができなかったからだそうです。これだけでも稽古が大切だとわかりますね。

季節と色

2011-04-28 23:51:26 | Weblog
今年は季節の色が見えなくなってしまうのではないかと心配しています。色といえば人生のある一時期を表す言葉に「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」があります。そろそろ私は玄冬の時期に入っているのでしょうか?ただ色には暖色と寒色がありますが、青は寒色だといいますから、青春の青はちょっと腑に落ちないですね。
さて名古屋市内の色は、ピンクから青緑に変化してきました。緑の鮮やかさに心奪われますが、ここ数ヶ月季節の色を全く感じない地方、そう被災された東北地方は、あれ以来ずうっと灰色の色に覆われているようです。幻想的な桜並木も緑の松林も灰色に飲み込まれてしまいました。わずかに残った木々も寒々とした景色しか人々に与えることが出来ない状態です。ましてや、被災地の生活は色を味わう余裕もないことでしょう。更に心配なのは、秋色を見ることが出来るかということです。黄色や黄金色です。この時期は、稲作農家にとっては大切な時期なのに、稲の苗さえ植えることができません。これでは収穫の秋を迎え、黄金色を目にすることが出来ないのです。
原発をかかえる福島県では、単に今年だけではなさそうです。いまや国中が色を失っているのです。

曜日感覚

2011-04-27 22:55:50 | Weblog
あの忌まわしい地震から1ケ月半以上経つのに、まだ避難所生活を強いられている人が数多くいらっしゃっいます。ふと思うのですが、避難所の人達は今、曜日感覚が全くないのではないかと。私などは、ゴミ出し日が変わったり、野球が節電でお休みになっただけですぐに曜日感覚がなくなってしまいます。ある若者はマンガ雑誌が発売されないと曜日感覚がなくなるとも言っていました。
曜日感覚がめちゃくちゃになるのが間もなく始まる「ゴールデンウィーク」です。かつて東海ラジオのお昼の帯番組担当の時は、ゴールデンウィークといえども全く曜日感覚に異常をきたしませんでしたが、今は曜日を間違えることがしばしばです。曜日を間違えることで一番支障をきたすのは、テレビ番組の見落としですから、たいしたことはありませんが(笑)。
たいしたことがあると嘆いているのは、医者通いのお年寄りかも知れませんね。せっかく出かけていったのに休診では、かえって病気が悪くなりそうです。曜日感覚がずたずたになりそうなゴールデンウィーク、皆さんご健勝にお過ごし下さい。

同時代

2011-04-26 22:55:49 | Weblog
今日のインタビューのお相手は三田明さんでした。まさに同時代を生きてきた歌手のお一人です。
最近のニュースの中にリニア新幹線の話題がよく取り上げられます。それを読みながら、実際に開通する時に、自分は生きているだろうかと思うことがあります。それだけに、例えばイチロー選手がとてつもない記録を打ち立てたときに、同じ時代に生を受けた幸運に感謝することがよくあります。札幌での冬季オリンピックのジャンプでワンツースリーを独占したときも同時代の幸運を意識したものです。
さて、その三田明さんとお話をしているとやはり生きてきた時代背景が同じこともあり、話がよくあうのです。同じ時代を共有しているのです。三田さんは、6月10日に愛知県芸術劇場大ホールで、舟木一夫さん、西郷輝彦さんと「青春歌謡ビッグ3」に出演されます。昨年も同じメンバーで行われましたが、やはり客席は同世代で満員でした。こうしたコンサートには、同時代に生きているという共感や証を得たい心理が働き会場に足を向けるのです。そして会場では、年齢も職業も地位もかなぐり捨ててステージに同化していきます。たとえ面識がなくても同時代に生きるということは、それほどの絆なのです。

謝罪

2011-04-25 15:55:48 | Weblog
先日、ニュースで気になったことがありました。そのニュースは、東京電力の清水社長がようやく福島県の佐藤知事に面会して、原発事故の謝罪をしたというものでした。佐藤知事の「原発の再稼動は絶対認めません」という言葉は知事として当然ですが、もうひとつ、清水社長による謝罪の気持ちが全く伝わらなかったと知事が発言したことです。先日の国会でも参考人として出席した際、ある議員から「貴方の言葉は全く他人事だ」と言われていましたが、今回の面会でもそう受け取られたのかも知れませんね。
謝罪をすることは、相手の気持ちをおさめる事ですが、謝罪して逆効果になることもあります。謝る際にはとにかく全身全霊で謝罪するのみが鉄則ですが、そこにいろんな思惑が絡んでしまうのでしょう。相手に謝罪とは受け取って貰えなかったら、自分は本当に罪の意識を持って謝っているか、その意識が欠如していないか反省してみなければなりません。
そこで謝罪の基本ですが、それは「謝るときは謝るだけでいい」です。ついつい謝る時に言い訳が入ってくると、気持ちが伝わらなくなってしまいます。リカバリーの際に完璧に反省の手段をいかすのみです。東京電力はどんなリカバリーをみせるか正念場です。

座布団

2011-04-24 23:11:43 | Weblog
大須演芸場で「大須で江戸噺」という寄席が行われていて、久しぶりに落語を楽しみました。6人の演者のまくらの話は、我々の司会の仕事にも参考になりました。
落語は江戸時代からの日本の伝統芸ですから、しきたりも面白く出来ています。ステージの上は江戸噺は座布団が一枚で整います。この座布団は演者が交代する度にひっくり返しますが、必ず縫い目のないところを客席に向けることになっているのです。お客様との縁が切れないようにという願いがこもった仕草です。高座の座布団は一番大きい夫婦判です。
座布団といえば、一般の家庭から座布団が姿を消しつつありませんか。家屋の洋風化が進み、和室が減ったせいでしょう。縁側で座布団を敷いてお隣さんと談笑する光景も見られなくなりました。座布団がない生活様式では、実は影響を与えることが出て来ます。それは子供の頃から正座をしませんから、例えば道端の地べたに座りこんでしまうのです。下腹に力を入れる行為が出来ていないので、つまり腹が据わらないのでキレやすいという説まであるくらいです。
正座の習慣が辛抱強さを育むとも言えます。被災地のお年寄りの辛抱強さは、和風の家の多い、東北地方のみなさんだからではないでしょうか。

生と死

2011-04-23 22:49:13 | Weblog
今日4月23日は、世界最大の劇作家、シェークスピアの誕生日でもあり、没した日でもあります。シェークスピアといえば、4大悲劇があります。その中の一つは「ハムレット」有名な台詞に「生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ」があります。しかし日本においてはこの一ヶ月は生に関する思いが非常に強い一ヶ月でした。
テレビに映しだされた、被災地の学校風景、始業式での子供達の対面の姿は生きて会えた喜びと亡くなったクラスメートの哀しみが交錯する光景でした。あまりにも強烈に死に向かいあったことで精神的なトラウマをかかえてしまった児童も多くありましょう。
地震の被害を免れた人達は、口にはださねど、今、ここに生きていられる喜びを味わったのではないでしょうか。また、命あるものの存在に気づかせ、自然や人々と触れ合うことで生きている喜びに改めて浸るのです。
いままでは、これがすべて当たり前として生活してきたのです。被災地ではまだまだ復興には長い時間がかかります。負けずに一日も早く当たり前の時間を取り返すことを祈るのみです。

雑談

2011-04-22 13:20:12 | Weblog
最近は雑談の中でこういうご時世だからか、野球の話がほとんど出てきません。そのせいか、強烈なドラゴンズファンの私も全く打てないドラゴンズでもそんなにイライラしていないのが現実です。
ところで雑談が大変有用なこと皆さんわかりますか?雑談はコミュニケーションのひとつのジャンルでもあります。何気ない雑談はコミュニケーション力をアップさせるのです。雑談のない職場がよくありますが、そんな職場はどうも人間関係がドライになりすぎてしまいます。
雑談の効用は結構あります。雑談による情報収集で営業活動に活かすこともあります。雑談によって自分が今考えている頭の中を整理することも出来ます。斎藤茂太先生が「ムダな知識を得るよりもムダ話をしろ」と言い切る位です。雑談は家庭の中に持ち込まなければいけませんね。子供の学校の話を聞く、奥さんの話を聞く、テレビを消して雑談し、すべて雑談の中で家庭の問題の情報収集です。
と、雑談の効用を話してきましたが、雑談のうまい人はこんなことも言えるのです。周りに人がよく集まるのです。さあ、雑談出来る相手を、雑談出来る時間を見つけましょう。

花より野菜

2011-04-21 23:14:39 | Weblog
今日のタイトルは新聞の見出しからいただきました。東日本大震災以降、生活にたいする考え方が少しずつ変化してきましたが、「花より野菜」もその一つです。震災の影響から供給不安の為、一部の野菜を自給自足する意識が高まり、ガーデニングの傾向が花から野菜に変わりつつあるようなのです。ホームセンターや種苗店で野菜の苗の売れ行きが伸びているそうです。とくに葉物野菜が目立っています。大方は「野菜が品不足になっても自分で育てていれば安心だから」という意見からです。もともと園芸ブームの中で家庭菜園が盛んだったのに加え、震災後の供給混乱てこうした流れが出来ました。
ガーデニングは癒しにもつながると言われています。植物に話し掛けたりするのもストレス解消によく、家族総出のガーデニングでは、コミュニケーションをはかるのに持ってこいです。ましてや、子供達が太陽の下で身体を動かし汗をかくという二次メリットも感じられますし、自然と植物に慣れ親しむことも出来ます。
今年は野菜に親しむ年として記憶されるのかも知れませんね。それを思うと砂場遊びさえ出来ない福島の幼稚園児が痛ましいですね。