フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

大晦日

2007-12-31 18:05:07 | Weblog
毎月の最後の日を晦日みそかと言います。そして一年のしめくくりの12月31日を大晦日おおみそかといいます。
この大晦日はどんな過ごし方が定番でしょうか?
午前中に最後の掃除をすませ、お正月料理を揃え、昔は晴れ着の準備をしたそうです。物が不足していたその昔はお正月しか新しいものをおろせませんでした。ですから下着、下駄、足袋などはようやく正月に取り替えたのです。まあそこには旧年中のアカ落しの意味もあるのですが。
最近はそうした意味もなく、ただ家族や親戚と何となく紅白歌合戦を見て年越そばを食べてが定番ではないでしょうか。確か外国では友人、知人達とのパーティーが多い様です。
ところでその後の行動が家庭によって違うようですね。「除夜の鐘」派か「初日の出」派かです。つまり初詣に出掛けるわけですが、除夜の鐘をつかせてくれるお寺に参るか、朝一番の初日の出をおがみに出掛けるかです。(最近は高層ビルの最上階に初日の出スポットを設けています)
かつて私は10年間以上、長野の渋温泉の温泉寺で除夜の鐘をついたことがありましたが、初日の出は散歩中に山崎川の上にあがるのを見た事があるぐらいです。
さて、今年は三重テレビの特番の中で新年を迎えます。その後は・・・。
誰かのブログに大晦日、一日暗い部屋で第九を聴いて涙しながら過ごすとありましたが、貴方ではないですヨネ
さあ皆さん、よいお年をお迎えください。
そして新年もよろしくおつきあいください。

したたか

2007-12-30 23:31:47 | Weblog
大阪名物、たこ焼きがピンチ!
小麦粉とタコの値段が高騰して大変だそうです。特に庶民の味、たこ焼きだけに簡単に値上げすることが出来ません。
しかし、そこは大阪商人。考え付いたのが「ベジたこ」 タコの代わりに新鮮な野菜を入れたたこ焼きを登場させました。ナスをはじめ、焼きトマトなどを入れたたこ焼きが特に女性層を中心に人気上昇中だそうです。
まさにしたたかな大阪商人ですが、この「したたか」という言葉をちょっと考えてみましょう。
「したた」は「した」という「確か」の意味の言葉を重ねたもので「か」は接尾語だそうです。意味も「確かだ」「しっかりしている」となります。
ところで我々高年層は年をとるごとにかえって「かっこよく、したたかに」生きようという願望が大きくなります。どうしても年を経る毎に過去にすがろうという意識が強くなり、懐古主義になりがちですから、逆にこの年から新しいチャレンジをとシフト替えをしなければなりません。
伊能忠敬などは最高のお手本ですが、庶民の我々は年末年始のこの時期は新しいチャレンジをうながす意識をもたらせてくれるチャンスととらえることが出来ます。
さあ、来年もアグレッシブにしたたかに日々送りたいですね。

一夜飾り

2007-12-29 20:52:28 | Weblog
年の瀬、我が家もそろそろ正月準備にスピードが増してきました。
そもそもお正月というのは年のはじめに天から降りてきて、幸せをもたらしてくれる年神様をお迎えする行事で、門松を立てるのはその準備が我が家で出来ましたよというしるしだそうです。
正月の「正」という字には「年のはじめ」という意味があるんです。
さて、この飾りつけにはやはり縁起をかつぐ日程があります。正月準備は本来、12月13日に正月事始として行うものですが、大体は12月26日から12月28日までの間に準備することが多いようです。特に門松は今日たててはいけません。29日に立てるのを「苦立て」といってきらいます。又餅つきも「苦持ち」といって今日は敬遠されます。更に大晦日は「一夜飾り」といって昔からきらう風習があります。
何故か?ですって!
正月の神様をお迎えするのに、一夜では誠意に欠けるということ、そして一夜で急いで準備するのは葬儀のようだと思われるのも理由の一つでしょう。
年末年始のこうした行事はすべて縁起担ぎからはじまっています。そのあたりの事を家族で話し合ってみるのもいいですね。
もうひとつ、男性陣が耳に入れておかなくてはいけないのは、おせち料理は日頃忙しい主婦を、三が日だけは休ませてあげる保存食だということですね。(耳が痛いです)
そして料理の一品一品にも意味があることを、おせちを食べながら父から子供に伝えてみて下さい。(私も勉強します)

癒し

2007-12-28 20:00:05 | Weblog
もう何度もとりあげられていますが、2007年(平成19年)の漢字は「偽」でした。もちろんそういう世相だからこそ、世の中全体が殺伐とした感じになるのは否めません。
その一方で癒しという言葉が今年も多く使われた様に、心の疲れを取り除く為の行為を誰もが求めた様な気がします。
そのひとつに、余暇に園芸を楽しむ人が日本人の十五歳以上で3割に増えています。映画鑑賞、音楽鑑賞と並ぶ余暇の楽しみとしてすっかり定着しました。もちろん六十歳以上の参加率が4割を超える程増加しましたが、今後も団塊世界の大量定年で更に園芸ファンが増えそうです。
この傾向は単に一粒の種から実が成る過程に好奇心をそそられるという事だけではなく、植物を育てる事で元気をもらえるという背景があるようです。
「寄る年波~」という言葉がある様に、どうしても体力的に無理がきかなくなると人様の世話を受ける事が多くなります。「世話ばかり受ける」これもストレスの原因になるのですね。そうした世の中で自分で世話をして育てる行為がストレスを発散させ、癒しの効果につながる様です。
この事からも自助と相互扶助の支えあい社会を作る意識まで芽生えてくる様な気がします。
ましてや、ふかふかした土を指でほじくってみることが子供の頃の砂場遊びを思い起こしませんか?

ドジ

2007-12-27 23:44:00 | Weblog
師走も後半になると、どうしても焦りがでてしまいます。そのせいかケアレスミスが多くなりますね。今日はその2件のお話です。
その1は、番組終了後に乗る特急電車の特急券を窓口で買い求める時間がなく、自動販売機で購入。ここまではよかったのですが、喫煙席と禁煙席の画面を間違えてプッシュ。1時間弱、喫煙車で過ごすはめに。コートが煙くさい事。(昔は自分もヘビースモーカーだったのに)
その2は、礼状を出したのはいいけれど、切手を貼るのを忘れ、その上年賀状を入れる方に投函。ひょっとして礼状を受け取る方が切手代を払わなければならないかも。(それも葉書2枚) 慌てて電話をしてお礼とお詫びをしてフォローをしたのですが。
私のこうしたドジな行為が、年をとるとどうしても多くなりますが、結構このところ激しい現象で嘆かわしいの一語です。
ところで「ドジ」の語源ですが、近世中期以降から見られる言葉で「鈍遅どんち」が転訛して「ドジ」になったとする説が有力の様です。
昔はドッジボールをして、すぐ逃げ切れないと「ドジだなぁ」と揶揄されたので、ドッジ=ドジと思っていた時期がありますが、こちらのドッジは「dodge」で「よける」という意味で、ロサンゼルス・ドジャースの名前の由来にもなっています。ブルックリンを本拠地にしていた当時、トロリーバスが主な交通手段で、市民が避けるのが得意だったからといわれています。
そうですよね、ドジなものの集まりだったら勝てませんよね。

大きさ

2007-12-26 20:51:37 | Weblog
毎日の散歩コースの熱田神宮で「勝男木かつおぎ」を見ました。
この「勝男木」は本殿の屋根の上にあるもので屋上棟と直角に並べられた円柱の横木の事です。
神社建築の「神明造り」の象徴的な構造物ということですが、近くで見るとこんなに大きいものかとびっくりします。(一本の大きさが長さ約3メートル、直径約70センチ、重さ約700キロ)
普段、屋根の上ににあるときはそんなにも大きく感じませんが、間近になるとこんなにもと大きさを感じるのですが、こうしたケースはよくあります。
その一番はテレビによく出ているタレントさんの背丈です。画面一杯に出ている時は大きく見えても、実際は小柄だなと思う人がかなりいます。
北島三郎さん、石川さゆりさんなどそれを感じましたが、一種のオーラを見る方に感じさせているのでしょう。自信がある人には輝きがありますが、それが説得力につながっていきます。ひいてはそれが大きく相手に映るのでしょう。表現する事が楽しく、夢を追い求めるエネルギーが背丈に関係なくパワーを相手に出しているのです。
さてそのパワーを感じさせる方法の一つに目力を強くする事と聞きましたが、目線ですべてが変わるといわれるだけに、目線を安定させる事も来年の一つの課題かもしれません。

中国の名前

2007-12-25 19:21:57 | Weblog
一時期、大ブームだった麻雀を楽しむ際に「中国語の勉強に行く」と家人に告げる事が多かったですね。その勉強会を久々にとりおこないましたが、中国のユニークな取り組みを聞きましたので御紹介します。
2010年の上海万博のマスコット「海宝」くんが発表され、出足好調の人気のようですが中国の携帯電話の同姓同名を探るサービスで実際に「海宝」くんは607人もいるそうです。さぞかし誇らしくうれしいでしょうね。
ところでこの中国には同姓同名がとても多いそうです。一番は「張偉」さんで、王さん、季さん、張さんと上位3つの姓だけで3億人近くいるそうですから、どうしても同姓同名が多くなってしまいます。
そこで新しい取り組みですが、複姓を許可しようというものです。お父さんの姓の王でも、お母さんの姓の季でも、又新しく両方あわせた王季でもいいそうです。こうすれば新しい姓が数多く誕生するわけですね。
一方、子供が最初に親から授かる贈り物の名前、やはり愛情がこもった名前を考えます。日本では2007年生まれの男の子のトップが「大翔」くん、女の子のトップが「葵」ちゃんでした。中国では地域によって名前の流行が違う様ですが、多い名前は「潔」「淑」「静」「勇」などが多くつかわれます。
ただ、どこの国も一緒ですが、特に香港が中国に戻った事の影響(香港の映画俳優は英語名も持っている)か、漢字が持つ意味を英語に当てたものや、名前と英語の発音が似ているものを使う事も多くなりました。
ともかく一生の自分のキャッチフレーズだけに親の遊び心での命名だけは考えなおさなければいけませんね。

メリークリスマス

2007-12-24 19:51:25 | Weblog
クリスマスイブ、多くの子供達がサンタさんの訪問を待ちわびています。
先日の話題で、サンタさんが世界中の子供達にクリスマスプレゼントを間に合う様にする為のスピードはどのくらいか発表されていました。今年のクリスマスイブから48時間で配り終えるには、まず効率のよいスタート地点はキルギス共和国で一軒の滞在時間は100万分の1秒でトナカイのスピードは1秒あたり5800キロのスピードでなければならないとしています。という奇跡的な数字ですが可能なんですよね。
ところがこのサンタさんの貴重な足のトナカイが開店休業になっているのです。夏から秋にかけてイギリスで相次ぎ確認された家畜伝染病の後遺症で、家畜の自由な移動が出来ないのです。つまり感染牛の大量処分などで農場に打撃を与えた伝染病が子供達に夢を運ぶサンタさんの足まで奪ってしまったのです。
ですからキルギス共和国に居住しているサンタさんやトナカイには影響がないことを祈るばかりです。
さあ、今晩サンタさんからのプレゼントの為に靴下を用意していると思いますが、意外と忘れがちなのは、煙突から降りてくるサンタさんの為の食事の用意です。そんなに大げさなものではないのですが、ミルクとクッキー、これを準備しておくとサンタさんも大喜びだそうですよ。
こんな機会にギブ・アンド・テイクの気持を子供さんに教えるのもいいですよ。(おおげさですか)
教えるといえばトナカイは一年毎にツノがはえかわるんですね。

「メリークリスマス!」

ピー、ピー

2007-12-23 23:00:18 | Weblog
我々人間は普段、日常のいらない音に対しては無意識に耳に閉ざしてしまう、消去能力を持っています。その能力を突破して急に耳に届いてくる音の何と多いことでしょうか?それも家庭の中での事です。
「魚がやけました。ピー」「加湿器の水がなくなりました。ピー」「お風呂の湯が一杯になりました。ピー」「冷蔵庫があいています。ピッピ」「携帯でメールが送られました。着信音」etc.
多少難聴気味の私でも「えっ!今、何の音?」と腰を浮かしてしまう音が家の中で氾濫しています。元来が防犯用途の警報音のように人をびっくりさせるのが目的でつくられた種類の音だけに、いつもびっくりしています。
まあ騒音とまでいわないものの、人に優しい夢の空間とは言い難いですね。機械やコンピューターが合成音を作り出し、我々の生活の中で幅をきかす様になってきました。
自動音声も多くなりました。思わず自動販売機に頭を下げそうになる位です。
これまでも色んな音が精神的にどんな影響を与えるかの研究がされてきましたが、私が一番恐れるのはこの合成音の浸透が人間による音声コミュニケーションの放棄がはじまる第一歩にならないかということですが、いかがでしょうか。

シーラカンス

2007-12-22 16:37:30 | Weblog
クリスマスも押し迫った1938年12月22日、南アフリカ東岸沖で漁をしていた漁船が体長約1m50cmにもなる見た事もない奇妙な魚をひきあげました。これが生きている化石といわれるシーラカンスでした。
約4億年前に出現し、8千万年前を境に化石が途絶え絶滅したといわれていましたが、この発見により生存することが明らかになりました。その後1952年、1998年にも発見されたことから、さかんに古い現役を「シーラカンス」と表現されるようになりました。
私などもどこかで「シーラカンス・アナウンサー」といわれているかもしれません。まあ確かに古いんですが、それでも現役をはっている事が出来る幸せをしみじみと味わっています。「温故知新」という言葉があるように、古い物があるからこそ新しい物があるんだと認める事が出来るとなれば存在価値もあるというものですね。
さて、最近の会社は成果主義をとるところが多くなり、基本給の低さと成果部分のインセンティブの高さのギャップで、その給与体系についていけない人も多いと聞いています。
年功制度は安定的な給与と経験に対する過程が評価されていたのですが、ということはベテランといわれる人がそれなりに大切にされてきました。どっちの制度がいいかは議論がわかれます。
ベテラン=シーラカンスではありませんが、ベテランを切り捨てる日本社会にだけはなってほしくありません。ベテランが絶滅してしまったら会社はなりたっていかないことだけは確かだと思うのです。