フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

聞く?聴く?

2016-01-31 23:55:10 | Weblog
小学校時代からマイクとイヤホンが一緒でしたから、耳の使用頻度は凄いものです。ですから、今は耳が多少遠くなっているのでしょう。テレビのボリュームも大きいとよく言われるようになりました。この状況を聴こえづらいと書きますね。聞こえづらいと書く人のほうが多いでしょうか。「難聴」と書きますから「聴」と書いたほうがよいと思うのですが。
ところで「聴く」と「聞く」ではどう違いがあるのでしょう。元東京大学の教授の話があります。『「聴く」には相手の気持ちや人間性をわかろうとする、積極的な働きかけがあると。つまり、相手の言いたいことや感情を理解する姿勢がある。これに対して「聞く」は近くにいれば自然と耳に入ってくるもので積極性はない』と区別しているそうです。
コミュニケーションを大切にする為には「聴く」姿勢を相手に対してとることが大事になります。特に悩みを抱えた人達には「聴いてあげる」気持ちで接することですね。となるとテレビの音は「聞こえない」でいいですね。

犬の散歩にて

2016-01-30 23:57:59 | Weblog
町中観察しているとお休み独特の景色があります。それは犬の散歩をする男性が多くなることです。普段は奥さんが散歩をしているのですがお休みぐらいはと、犬と一緒に散歩に出て下さいとなっているのでしょう。更に観測を続けると馴れないせいか、男性のほうが犬を叱る回数が多くなっているような気がします(笑)。
ところで、犬の行動学を勉強している人は「犬が何かをした時に3秒以内にほめたり叱ったりしないと効果がない。それ以上時間がたってしまうと、何のことか理解出来ない」と言っていますから、早めに大きな声で叱るのでしょう。犬と人間は違うかもしれませんが、それでもほめたり叱ったりは、その直後に行ったほうが良いようです。特にスポーツの指導者には、その必要があると思います。どのプレーが良かったか、悪かったかその瞬間に理解すれば選手の力量に影響してくるでしょう。
日本に昔からある「鉄は熱い内に打て」の格言は、人間も犬も同じなのです。はい、散歩お疲れさまでした。

国技

2016-01-29 21:09:47 | Weblog
国技という名前が甦った一月でした。10年振りの日本人力士の優勝は国内を沸かせました。
さて世界の会議の中で一番早く結論が出せる会議が相撲の物言いがついた時の審判の協議です。ちゃんとしっかりした結論を出すのですからビックリです。大銀杏を結った力士、烏帽子をかぶった行司、紋付き袴の勝負審判と大相撲には古めかしいイメージがありますが、実は相撲界は斬新な改革をしてきたのです。その例が先ほどの短い会議です。会議の結論を得る為にビデオ判定を取り入れています。誤審や不可解な判定があるスポーツがある中で相撲は極めて公明正大なのです。このように実力主義のスポーツだからこそ相撲界が国際化した大きな原因だと思います。それだけに今回の日本人の力士の優勝は世界一のメダルを取った感じではないでしょうか。
ただ問題は相撲協会の内部のゴタゴタは国際的な組織として存在するには大変恥ずかしいことですから、新理事長以下、改革の後戻りだけはしないように努めて欲しいものです。

生類憐れみの令

2016-01-28 22:31:40 | Weblog
江戸時代の「生類憐れみの令」は日本の悪法の一つと言われています。時代劇の中でもよく取り上げられます。五代将軍徳川綱吉が出した法律です。これは綱吉が長男を亡くした後、子供にめぐまれず悩んでいたところ、ある住職から、戌年だから犬を大切にすれば世継ぎが生まれるとアドバイスを受けた為にこの法律を発令したのが今日なんだそうです。
綱吉は犬公方と言われましたが、野生の鳥獣も保護しました。そのせいかもしれませんが幕末まで鳥を大切にする気持ちは江戸市民の中で続きました。江戸には飛鳥の森と鈴が森と二つの森があり、野生の鳥が多く生息していました。そこへ幕末アメリカから黒船がやってきました。黒船の水兵達は、船の回りを飛ぶ鳥達を平気で撃ち落としました。ですから、アメリカは大変暴力的な国だと思ったのでしょう。そこで条約を結ぶ時に、付帯事項として鳥を撃たないことと記載されたほどです。それ以降アメリカも自然保護の精神が育まれたようです。
犬公方の法律は自然を大切にという気持ちが作られたのかもしれませんね。

日の丸

2016-01-27 22:42:57 | Weblog
テニスではオーストラリア、サッカーではドーハで日の丸が揺れていました。スポーツの国際大会では必ず日の丸が登場します。
今日はその国旗制定記念日です。余り馴染みのない記念日ですよね。今から146年前の今日です。日の丸の歴史は古いようです。戦国時代の武将が旗印に使ったこともあり、豊臣秀吉は朝鮮出兵の時には船に日の丸を掲げたそうです。幕末にアメリカに渡った咸臨丸も日の丸をかざしていました。私の子供の頃は祝日には必ず玄関先に日の丸を揚げましたし、お正月にも掲げたものでした。ところが最近は祝日にも日の丸はほとんど揚げることがありません。
かつて番組の為にお正月に空からお正月風景を実況する機会がありました。その際にも日の丸はなかったですね。何故なんでしょう。70年前の戦争の影響がここにもあるのでしょうか。スポーツの大会場で誇らしげに揺れる日の丸が日常では何故疎外されてしまうのか不思議です。日本のアイデンティティーの象徴として存在感を増して欲しいですね。

若い力

2016-01-26 21:25:14 | Weblog
若い力が頑張っています。その頑張りかたを見ていると、親の後をついで同じ仕事で力を発揮しているのです。料理人や菓子職人の父親を持つ子供達が二代目、三代目となって活躍しているからです。政治家の場合は世襲議員と揶揄されることが多いのですが、こうした味の世界では実力がなければ仕事として成り立たないのはよくわかります。
親の後を継ぐのは決して悪いことではありません。そういう環境に育つ、その経験が大変な財産です。一歩踏み出した時にはもう差がついているくらいです。最近では俳優の世界でも二世の活躍が目立っています。どんなに大物を親に持とうとも、実力がなければ絶対その世界に残れません。確かに世に出る切っ掛けを掴みやすいのは事実ですが。
さて、伝統の味を売りにしているお店の二代目は、伝統を味を守る為に新しい味を工夫していることを知っていますか。つまり伝統とは昔のままではなくその時代にあった味に少しずつ変化させていくのだそうです。後を継ぐというのはそういうことです。

筋肉痛

2016-01-25 22:45:22 | Weblog
今朝も早くから雪かきでした。その時にふと思ったのは、先日20日に名古屋の積雪に対して雪かきをしたのにまだ筋肉痛が来てないなあということ。若い頃と年をとった後では筋肉痛が襲う日が違うと言われて来ました。若い人は翌日、年をとると3、4日後、ですが、私はまだまだ全く筋肉痛が起きていません。私は相当、年をとっているのでしょうか。
ところが、筋肉痛と年令は関係ないとも言われているんですよ。私の場合の筋肉痛がこないのは、雪かきをした時にそれほど力を入れずに手加減していたから筋肉痛になっていないというものです。ちょっと私には不本意な説です。まあ、医学的にそう言われれば仕方ないですけどね。スポーツと雪かきではまた違うのかもしれませんね。
いつ頃から筋肉痛なんてものを感じるようになったのか余り記憶がありません。中学や高校のマラソン後に表れたことがあったかもしれないですがね。
さあ、今日の雪かきの筋肉痛はくるんでしょうか。

雪の風情

2016-01-24 22:00:33 | Weblog
冬の寒さは今がピークでしょうか。各地、大雪になった所もあります。
「風花(かざはな)」という言葉がありますね。風上の降雪地から風に乗って流れてきた雪の表現です。風情がありますね。私が好きな言葉に「雪もち」というのがあります。これは雪が木の枝や葉に積もっている様子を表す言葉です。四季折々の美しさを示す「雪月花」の言葉通り、雪は本来日本の美しさを表すものであるはずです。しかし昨今は交通の便が乱れることが最大の理由でしょうが、雪が降るという予報にはほとんどの人が顔をしかめます(笑)。
先ほど紹介した雪の表現以外にも、物凄く多くの雪の言葉があります。「淡雪」「名残雪」「細雪」「花びら雪(ボタン雪とも言う)」など数え切れないほどあります。お芝居にも「南の島に雪が降る」があるように日本に帰ることの出来ない兵隊さんが、故郷の日本を偲ぶものが雪だったのです。
天気予報で雪かもしれないと言われたら、どこかで雪の風情を楽しんでやろうという気持ちを持ちたいですね。

お化粧

2016-01-23 23:37:39 | Weblog
あるデータから、こんなことを考える土曜日です。それは「幼い子供を持つワーキングマザーが身支度にかける時間は独身女性よりも約10分短い」というものです。おそらく出勤前の限られた時間に子供の世話などやることが多く、自分のほうは後回しになるからでしょう。そこで土曜、日曜の休日のワーキングマザーはどういう朝の風景を作り出しているか疑問なんです。つまり時間があるので念入りに化粧をするのか、それとも休日なのですっぴんで過ごすのでしょうか。私の想像ですが、すっぴんでしょうね。これも想像ですが、普段の化粧を一日でも休むほうが肌に良いと思うのですが、どうでしょう。ただ子供の頃の微かな記憶をたどると、母親はいつでも綺麗であって欲しいと思うものですから、是非薄化粧ぐらいはして欲しいです。
化粧と言えば相変わらず、電車内での化粧はなくなりませんね。子供の世話をするわけでもないのに時間がないのでしょうか。親の躾の問題なんでしょうがね。公と私の区別を教えていないのでしょう。

対岸の火事

2016-01-22 23:30:28 | Weblog
今年に入ってから、世界のどこかでテロ被害が起きています。人、物、金が簡単に国境を越える現在、対岸の火事という言葉は死語と言ってもいいかもしれません。今や国境を越えて一体感を共有する時代だからです。中国経済の減速から始まった感のある世界同時株安もその表れでしょう。すべての国々が一体感を共有することはもちろん大切で、それが出来なければ人類も終わりです。
もう少し小さな区域に絞ってみると、逆に一体感は全く感じない現象が起きているような気がします。自分だけの世界に没頭する。他人のことは目に入らない、いかがですか?つまり、何かことが起きた時は自分に関係のない場合は対岸の火事になっているのです。一体感は身のまわりからスタートし、徐々に範囲を広げていくことが必要です。最近は見知らぬ人と話すことさえ、何かよくない関わりが出来るのではないかと後ずさりする傾向にあります。
私は新しい人と一日一人でも会話が出来たらその日をラッキーデイと位置づけます。対岸の火事という言葉はもちろん死語にしています。