フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

高速化

2016-08-31 23:06:12 | Weblog
高速と言ったら、ボルトのスピードに魅了されたリオ五輪でした。
高速に関しては、かつて鉄道旅行が始まった頃、つまり19世紀のイギリスでこんな意見が飛び交いました。「高速で動く風景は人間の神経を疲れさせる」というものです。大量に視覚から入る情報に耐えられないと言うものです。しかし時代が進むにつれて人間は高速移動に慣れ、スピードに快楽さえ感じるようになったのです。21世紀にはリニアさえ登場することになります。まあ、景色を楽しむコースはほとんど通らないのですが。
高速化と言えば、情報の高速化もすさまじいものがあります。それに対応する若者達も凄いですね。情報は電子化され、若者はインターネットにアクセスし、次々とページを繰り高速度で情報を読んでいきます。まさに19世紀の鉄道旅行のように今、人類に問いかけている時代です。この情報の電子化は果たしてどこまで進み、どこまで速度に耐えられるのでしょうか。

言偏(ごんべん)

2016-08-30 22:02:38 | Weblog
先般、亡くなられた永六輔さんの忘れられない言葉があります。「ラジオは言偏にこだわってほしい」です。私がラジオ局に入社したころは深夜放送が全盛期、また車社会によるカーラジオが重宝され、ラジオの存在感は今の数倍だったかも知れません。そのラジオが他の媒体に押されて存在感がいまいちになった時の永さんの言葉でした。
ラジオが家族や故郷をあわせ持っていたのです。それがいつの間にか歌謡曲の詞を含めて、故郷がなくなり、家族が消えてしまったのです。そこで言偏になるのです。放送内容の中に言偏を活かす、つまり、語る、話す、訴えるといった言偏のつく言葉を駆使すべきだと教えてくれたのです。放送界に生きる私としては、この永六輔さんの言葉を大切な遺言として守っていきたいと思っています。
特に、老人の場合は体験といった財産があります。この体験から訴えることが多々あるはずです。それを言葉として伝えるのが、アナウンサーとして過ごした私の恩返しです。

行く夏

2016-08-29 23:59:17 | Weblog
間もなく八月も終り、九月に入ります。私がちょっと気にしているのは、九月に鳴くセミです。実は九月に鳴くセミは物悲しいの代表だからです。もう秋の訪れが近いのに、仲間に遅れて生まれたセミの鳴く声が、雲は高くなり、風の香りも変わるなか、時を惜しんでいるのかそれとも終りを急いでいるのか興味がわくからです。セミは長い年月を土の中で過ごすというから余計儚さが目立つのです。セミの大合唱は真夏の最中にはうっとうしいと思ったものですが、さりとて行く夏には何かと寂しさがつきまとうのは人間の我が儘なのではないでしょうか。
町中のセミの声に変わって間もなく、学校の校庭に児童の声が戻って来ます。これも平和な光景です。しばらくは児童たちの夏休みの思い出話が飛び交うことでしょう。中でも今年の夏はオリンピックの思い出が一杯、感動の顔つきで語るのではないでしょうか。そしてスポーツを始めて、こうして憧れのスポーツのすそのが拡がっていきます。
こちらはセミと違って、長く花を開かせるでしょう。

話す力

2016-08-28 22:00:51 | Weblog
地球は狭くなりました。といっても面積が狭くなったわけではなく、交通の発達や、国際機関の充実によって世界の人々の距離が近くなったからです。
日本人は交流において話し合いはどうでしょうか。もともと日本は読み書きを寺子屋時代から学び、話す力にはそれほど力を入れてこなかった歴史があります。「沈黙は金、雄弁は銀」とか「巧言令色鮮仁」つまり、わざわざ発言しなくてもわかってくれる、あるいはいちいち言うとカドが立つとして黙っていることが多いのが日本人です。こうした以心伝心では国際会議や交渉では通用しないのです。こうなると小学校教育から生徒に自己主張の機会を多く与え話す力を強化しなくてはなりません。
問題は喋る中身です。感情論に走ることなく聞く人に耳を傾けさせる内容と論理を持つことが大切です。ともすれば日本人は議論すると形勢が悪くなると相手の議論を封殺するきらいがあります。こじれると人間関係まで変になってしまいます。話す力はグローバルな世界として必要です。

手ぶら

2016-08-27 23:59:57 | Weblog
携帯電話が普及しはじめた頃、首からヒモのようなものをぶら下げて歩く若者が多く見られました。手ぶらアイテムで「ネックピース」と呼ばれるものです。当時の若者はアクセサリーとして可愛いし、すぐに電話が出来て便利だと口を揃えていました。
ところが時代は変わり今は、携帯いやスマホは手に持って歩きながら使用するものばかりです。手ぶら意識はすっかり変わってしまいました。手ぶら意識はあるかも知れません。何故ならばリュックを背にする人は物凄く増えています。手ぶらの効用を楽しんでの事でしょうが、実はスマホを手で扱う為のリュックだと思えるのです。電話をしながら、音楽を聞きながらと「ながら歩き」がすでに常識の状況なんです。
それに加えて「ポケモンGO」が登場して、さらに周りが見えなくなっています。早くもそれによる交通事故さえ起きています。今後どんなふうになって行くのでしょう。むしろ、手ぶらの悪いところがふきだしてきていませんか。

勝った時、負けた時

2016-08-26 23:36:30 | Weblog
リオ五輪では日本が過去最高のメダル数を獲得し、我々もその都度大喜びしました。しかし外野からは勝利した選手の喜びように対して苦言を呈する人もいるから世の中広いものです。まあ、日本には「勝って兜の緒を締めよ」の格言があるくらいですから、そんな意見も出るのかも知れません。
ところで勝負事は負けた時が問題です。かつてある囲碁棋士が「あの時にあそこに打っていたら、ここに気づいていればの、タラ、レバは駄目なんです」と語っていました。そして負けた時の心の持ちようなどをさらに語っています。「失敗や負けを嘆く悠長な時間はない、負けた時こそ人間は謙虚に反省する絶好のチャンスである」と。負けた時こそ元気が必要なんですね。そして勝った時は、ひとりになった時に「よくやったね」と自分を少し誉めたあとに敗者の気持ちも知るべきかも知れません。確かに敗者の気持ちをしれば余り有頂天になれませんね。対戦相手も「グッドルーザー」になろうとしているでしょうからね。

内弟子

2016-08-25 23:19:05 | Weblog
インタビューする歌手のプロフィールの中には、内弟子経験のある人が多くあります。そのほとんどは、歌手志望の若者が作曲家の内弟子になるわけです。よくよく話を聞くと、内弟子になると時間の許す限り歌唱指導を受けることが出来ると思いがちですが、実は多くの内弟子は、歌唱指導はなかなか受けることは出来なかったようです。先生の運転手役を勤めたり掃除をしたりと、むしろ付き人的な仕事が多くあるようです。しかし内弟子経験者は皮膚に刻みつける苦労をすることによって、歌手として人格を磨いてゆきます。その間に先生の持つ芸術感覚を盗んでいきます。逆に作曲家の先生も一緒に生活することによって、この内弟子のデビュー曲はこんな曲がよいだろうと考えるのです。中には10年近くも内弟子生活を続けた歌手
もいるくらいです。
先生が歌手の場合は弟子の方も、来る日も来る日も師匠のステージの袖から師匠の歌をじっくりと盗むわけです。そうした内弟子生活の経験者ほど人間味が溢れていると思うの私だけでしょうか。

名古屋めし

2016-08-24 23:57:54 | Weblog
読書の秋、音楽鑑賞の秋が近づいて来ました。いやいや、食欲の秋だと力説する人も多いですね。食欲の秋を代表する味覚としては、やはり秋刀魚でしょう。脂ののった秋刀魚と考えるだけでお腹が鳴りそうです。
名古屋の人は秋刀魚よりも名古屋めしだよと胸をはる人も多いかも。確かにここ数年で名古屋めしの知名度は全国的に拡がりました。その名古屋めしとは「ひつまぶし」「みそカツ」先日創業者が亡くなった「手羽先」「てんむす」「きしめん」「あんかけスパゲティ」「台湾らーめん」などが挙げられます。名古屋にキャンペーンに来た歌手にインタビューしていて、たまに名古屋めしの話に興ずることもありますし、また好みもまさにそれぞれです。地元客も名古屋めしは大好きで、好みのお店には旅行客だけでなく、地元客も大勢食欲を発揮しています。
この名古屋めしの中で個人的に不思議なのは手羽先です。鶏肉が苦手の私でもこの手羽先だけは食べることが出来ます。決して「名古屋愛」からではありませんがね(笑)。

花火大会

2016-08-23 20:48:14 | Weblog
夏は各地で花火大会です。夏祭りの目玉はなんといっても打ち上げ花火ですからね。景気のいい時にはドンと花火、景気が悪くなっても不況を吹き飛ばす時にはさらにドン、ドンです。
日本人は花火好きのせいでしょうか、花火業界は景気に左右されないといいます。全国の大規模花火大会は三百を超えると言われます。その大半が夏に行われますから、毎日のように大規模花火大会がどこかで行われているわけでしょう。この27日には大曲の花火大会が行われます。毎年テレビ中継されますから、お馴染みです。
江戸時代の両国の花火大会以来、花火の製造技術はダントツの世界一だと思います。手が器用なところと日本の完璧な職人芸が支えているからです。三大花火がどれとどれと言い切れないくらいでしょう。数、音、震動などそれぞれが特徴を表しながら夜空を彩ります。
沢山の花火を鑑賞しましたが、変わった形で印象に残っている花火は、山と山の間で車を走らせながら見た山花火です。写真に撮らなかったのが残念です。

デパ地下

2016-08-22 23:50:41 | Weblog
時々、デパ地下なる場所を巡ることがあります。賑やかで活気がありますね。見掛ける光景にメモを片手に買い物をしている男性も珍しくありません。たぶん奥さんから頼まれた買い物でしょう。それぞれが嫌がっている様子もなく、むしろ楽しんでいる感じです。
もともと食料品売り場のあるデパ地下などは、広場や大通りと同じようなコミュニティの場であり、心が踊るところでもあります。休日ともなると急にお年寄りの男性が増える気がしますね。こうした男性は自分の同志という感じが湧いてきてのびのびとした気持ちが持てるので不思議です。つまり人目を気にすることなく買い物が出来ます。かつて商店街で覚えた気恥ずかしさも全くありません。積極的に試食品に手を出す人も多くあります。そして気に入れば早速その品物を購入します。食料品を買う楽しみさえ覚えたのでしょう。最近は健康指向の為に、健康に良いとされる野菜に目を向けていますよ。