フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

集団生活

2016-06-30 23:24:20 | Weblog
梅雨時です。この梅雨が過ぎると暑い夏。夏休みが訪れます。若いお母さんはこの夏休みに我が子を集団生活が出来る場所に入れたいと思っている人もありましょう。我が子を集団生活の中に入れてみると、ちょっとしたガッカリ感に陥ることがあります。というのは、よそさまの子供が我が子に比べて何かにつけて優っていることを実感しがちです。挨拶が上手に出来る子供、運動神経が優れている子供、リズム感のある子供、イケメンの子供、そんな子供に過剰反応してしまいます。しかし、これはあくまで「隣の芝生」で、ちゃんと自分の子供も他のお母さんが羨ましいと思うことが必ずあるものです。
大人の世界でも同じことです。昔から「青い鳥」はほんの近くにあると言うように他人は自分が見るほど幸せではないことが多いのです。ですから、もっと自分の周りをしっかり見つめて、良いところ探しをしてみると素晴らしい思いを味わうことが出来ますよ。

肥後の六花

2016-06-29 23:07:53 | Weblog
草花や樹木を愛でる文化は日本の各地にあります。日本の花文化は万葉の時代から続いています。ですから、香華、供花という文化も日本の伝統です。かつて仏前や墓前には庭や野辺に咲く花を摘んで供えました。また、身近な草花に親しみ丹精込めて育てるところから園芸の技術が生まれました。なんでも活け花もその源は仏前に花を供えるところにありました。
ところで、今年は地震に豪雨と災難が続いている熊本には「肥後の六花」という言葉があります。この六花は「ツバキ」「シャクヤク」「花ショウブ」「朝顔」「菊」「サザンカ」です。昔から熊本は園芸が盛んな地です。この園芸に携わる人達が花を育てる姿が求道的と表現されることもありました。草花への愛着が強い地域なんでしょう。それだけにいまだに仮設住宅で生活を強いられている人達は、我が家の庭の草花が気になって仕方ないことでしょう。
草花を育てるという行為は、いつも世話を受ける人にとって逆に世話をする対象を持つことはストレス解消法として最高なんですから。

誉める

2016-06-28 23:55:07 | Weblog
株主総会のシーズンです。それぞれの会社は株主に誉められていますか?株主に誉めて貰えれば、社長以下、経営者は嬉しくて次の年も頑張ろうという気になります。成功体験はすべての事に前向きになります。
個人にかえって言えば仕事が上手くいっていれば、朝からバッチリです。どんなに忙しくても疲れを感じません。逆に仕事が上手くいっていない時にはほんのちょっとの仕事でも疲れを感じることがあります。成功体験が疲れを吹き飛ばしてくれるのです。ということは、誉めて育てろにつながります。部下にとっては上司に誉めて貰えるのは成功したのと同じなんですね。その上司はさらに、上の上司に、その上司は取締役に、取締役は社長に、そして社長は株主に、となればその会社の雰囲気は素晴らしいものになっています。
誉めることは簡単ではありませんよ。かなりエネルギーがいることなんです。真剣に誉めなければ効果はないからです。疲れ知らずの会社とはそういう会社でしょうね。

子供の一言

2016-06-27 23:52:54 | Weblog
かつてラジオのコーナーで「こきゃがるコーナー」を作ったことがあります。足がしびれた時に「足がサイダーみたいになった」と子供が言ったのが切っ掛けです。子供のふとした一言には、思いもつかない視点や発想がありはっとさせられますから楽しいですね。ひる寝をしていたお母さんに「ママ起きた?新しくなった?」なども新鮮ですね。暑くて窓を開けたら爽やかな風が入ってきます。そうしたら「汗、風さんに食べられてしまったよ」可愛いですね。
子供は擬人法が得意です。そして空想の時間を作り、ドラマが出来上がります。大人には考えられない発想がそこから生まれるのです。こうした発想に親のほうが素直に反応することが子供にとっては大切なことです。
情緒ゆたかな子供が少なくなったと言われるのは、子供の一言に反応していない親の方に原因があるのではないでしょうか。それには、子供との接触時間をちゃんと持っていなければいけませんね。自分の子供の天才発言を楽しみましょう。

話法の変化

2016-06-26 22:38:55 | Weblog
スマホを操りながら街を歩くビジネスマンや若者、今や珍しくない風景です。こうした携帯電話やスマホの浸透で何か日本人の話し方が変わったような気がしませんか。ちょっと例をあげてみると、「時と場面を心得ない会話」「会話がだらだら要領をえない」。これがデメリットだとするとメリットは「コミュニケーションが積極的になった」でしょう。しかし、常に「他人と話していないと不安になる」という気持ちも生んでいるようです。携帯依存性とも言えるでしょうかね。
もうひとつ、スマホのメール時代になってパーソナルな声が変化しました。若者が男女ともボソボソと話しています。これにつられて声だけでなく、笑ったり、泣いたり怒ったりする心の表現の幅が全体に狭まっているような気がします。もちろん携帯電話のせいだけでなく子供達の世界の変化が原因とも言えます。つまり子供達がはしゃぐことが少なくなったのです。
感状表現も大事なその国の文化なのです。

大志

2016-06-25 22:37:39 | Weblog
「少年よ大志を抱け」とはかの有名なクラーク博士の言葉です。自分が夢や大志を語る年からかなり離れたせいで、抱いた大志などは何処か彼方へ飛んで行ってしまいましたが、今の少年少女はどんな大志を抱いているか、ふと気になりました。
参議院議員選挙の争点の一つに経済問題があげられていますが「金持ちになりたい」という未来感を持っている少年少女が多くありそうです。なりたい職業は相変わらずスポーツ選手が上位ですが、少女の場合は保母さんも上位にきています。目的は様々でも少年少女には、将来大きな夢持って生きて欲しいのです。何せ年をとって、人生坂道を下り始めると、夢を持ちたくても夢を抱くことも出来なくなるからです。夢を語る、描くことが出来るのは、若者の特権ですからね。
こう考えると、何を言っているのかとお叱りを受けそうです。「いつでも夢を」という歌がありましたが、いくつになっても夢、大志を抱いていなければいけませんね。

漢字を書く

2016-06-24 22:37:42 | Weblog
昨日に続いて漢字の話です。教育水準を判断する手がかりは字を読み、字を書く能力も一つの手掛かりです。日本の社会では漢字がちゃんと書けるかどうかが教養の程度を示しているのです。ところがパソコンやメールなどの普及で自分で字を書く機会が少ない時代には、新たな非識字現象が起きているのかもしれません。これは時代の流れです。漢字の意味を踏まえず視覚的に記憶している弊害でしょう。
江戸時代によく使われた言葉に「手習い」がありますね。つまり毎日書いて覚えるから来た言葉でしょう。IT中心の生活。これでは漢字の由来など到底覚えることも出来ません。表意文字である漢字をビジュアルな記号や表音記号として認識する時代になったのでしょう。
表意文字の漢字は単なる記号ではありません。書く時には筆触や音韻が伴い人は自覚なしに風景や心象を重ねて推敲しているものです。果たして日本語の運命は如何に!

読書

2016-06-23 23:37:59 | Weblog
相変わらずスマホを操っている人が多いですね。何を見て何を楽しんでいるのでしょうか。音楽、ゲームがほとんどと思っていましたが、読書もあるんだそうですね。
私は最近の若者達の語彙の少なさが心配ですが、こんなふうに思うのです。若者は同年代とため口でしか喋らないからどうしても語彙が減るのだと。もっともっと自分の思いを適切に表現出来るようにするには、新聞や本を読むことが必要だと思うのです。新聞や本の中には様々な言葉や表現が詰まっているからです。こうした新聞や本をしっかり読むことで、将来の社会生活に大きく役立って行きます。というのは、それによってコミュニケーションスキルが身に付きます。
ですから、スマホで読書と聞いて少し安心しました。後一つ、付け加えるならば手紙ですね。普段から自筆の手紙を書き付けていないと書く力が衰えるばかりです。私も筆談を余儀なくされた時には正確な漢字を忘れていることが多くありましたから、書くという習慣をやはり常に持ってないと駄目です。

完投

2016-06-22 22:32:06 | Weblog
交流戦が終わり、まもなくリーグの戦いに戻ります。ドラゴンズの交流戦最終試合の中日対日本ハム戦の吉見と大谷の投げ合いは見事でした。ゲームは中日が負けて残念でしたが。名古屋ドームは大谷見たさもあってか満員でした。
その大谷のピッチングは特に素晴らしかったです。8回まで完封していたので当然完投して完封を狙うと思いましたが、結局は、8回で降板しました。このようにプロ野球の完投試合数は1990年代以降激減してきました。先発投手は完投するのが当たり前という時代ははるか彼方へ過ぎ去りました。今や中継ぎ、抑えの投手陣が整備されたチームが優勝に一歩近づくと言われます。それだけに全チームが抑え投手陣を整備しています。分業制の定着です。
不思議なのは、こうした分業制がとられているにもかかわらず、先発投手の登板間隔は長くなるばかりです。「権藤、権藤、雨、権藤」という起用方法は、今の投手には想像も出来ないでしょう。あっ、忘れてはならないのは、打者のバッティング技術の向上がありますね。

付き合い

2016-06-21 22:10:18 | Weblog
暑くなるに従って、ビルの屋上のビアガーデンは混んでくるでしょう。かつて会社の現役サラリーマン時代には、私でなくても同僚達がこぞってビアガーデンなど飲み会に出掛けていきました。同僚との付き合いといえば会社が終われば、麻雀も盛んでした。こうした同僚同士のコミュニケーションは積極的でした。
しかし最近はどうでしょうか。どうも人間関係が少しドライになっているような気がします。公私にわたる積極的な付き合いが減っているのでしょう。上司や先輩との付き合いは義理を欠かない程度にと思っているのではないでしょうか。毎日の生活の中で、いや、会社生活の中でストレスを感じる度合いが多くなっているとしたら、プライベートの時間まで会社の同僚と遊ぶ気にはならないかもしれませんね。
それだけ組織に関係のない友人達が多ければ何も言うことはないのですがね。世間からの情報を手に入れるには、逆にその方がよいですが。