フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

ピンク

2008-03-31 19:56:07 | Weblog
年度末です。風が強い年度末、見頃だった桜もヒラヒラと舞っています。散る桜 残る桜も 散る桜(良寛)という句がありますが、無情の風は残る桜まで今日すべて散らせてしまうのではと心配してしまいます。
それでもピンクの花びらが舞う中を歩いていると、ステージでの花吹雪を意識してしまうのは考えすぎでしょうか。(笑)
ところでピンクとステージを合わせるとこんな出来事を思い起こします。1981年の3月31日はピンクレディーの最終公演でした。この時期はやはり別れの季節でもあるのでしょうか、その3年前の4月4日にはキャンディーズが最終公演を行っています。
ピンクレディー世代は共通項がある様に思えます。まあ世代というよりファンといった方が良いでしょう。カラオケ等でピンクレディーを唄う時、見事に揃ってあのピンクレディーの振りを添えてくれるのです。これは見事です。未だに身体が覚えているのでしょう。「フリマネ」が時代の言葉だったのもうなずけます。
私はこの振りをつけるというのが苦手で、どちらかというと直立不動型です。えっ東海林太郎世代かですって!
「馬鹿なことを!!」前川清世代です。念の為。

花見団子

2008-03-30 15:21:50 | Weblog
おそらく今日の日曜日が名古屋の花見のピークでしょう。私も山崎川へ花見に出掛け一周してきましたが、今年も桜をでた事がやはりうれしい出来事と思えるのは、多少若くないからでしょうか。
何故この桜の花見が日本人の琴線にふれるのか。厳しい冬の寒さを耐え、春になると一気に花を咲かせ、そしてわずかな期間で散っていく、この桜のはかなさが命のはかなさをイメージさせ、日本人の人生観にマッチするのでしょう。
ただそのわりには桜の木の下の宴会は、はかないどころか時には乱痴気騒ぎになってしまうこともあるのですが。(笑)
この花見はものの本によると、812年(弘仁3年)に嵯峨野の御所で催した「花の宴」が最初といわれています。つまり平安貴族が桜の花の下で宴会をする様になったはじめなのですね。その中にお菓子も用意されました。そして豊臣時代の花見から庶民に伝わったと言われています。
「花より団子」の花見団子の登場は江戸時代で、春の桜色、冬の白色、夏の緑色を配した団子はそれぞれ意味があるそうです。紅白の縁起物に緑が邪気を払うとされています。
ところで抽象的な行為より団子という実質を選ぶ「花より団子」の考え方に最近出会いました。それは韓国の新大統領の季明博氏の「実利主義」です。この主義によって北朝鮮との外交政策もみなおすということですから、まさに新しい格言は「太陽より団子」です。

火事とケンカは江戸の華

2008-03-29 22:27:58 | Weblog
今日は八百屋お七が火あぶりの刑に処せられた日です。1683年、八百屋太郎兵衛の娘お七(18歳)が放火の罪で極刑にされました。
前の年、焼死者3500名をだす大火災にあったお七は、その避難場所で出会った寺小姓に恋をします。もう一度どうしても会いたいと何と放火をしてしまうのです。そこでつかまってしまうのですね。
「火事とケンカは江戸の華」とはいっても、放火(つけ火)は大罪です。この大罪を犯したお七が(丙午ひのえうま)生まれであったことから丙午の女子が疎まれる様になったともいわれます。
さて火事といえば「夜カジ族」という言葉を知っていますか?働く女性の間で炊事や洗濯、掃除など家事を夜に行う傾向が広がり、そうした女性を「夜カジ族」と呼びます。
この「カジ」は「家事」なんです。夜、家事をするという事は騒音に気をつけなければいけません。それに対応する製品が登場しています。例えば深夜に掃除をする人の為に回転音を極力おさえた掃除機も発売されています。
集合住宅では夜中の音はトラブルの元になるだけに、それに悩ませられ一戸建ての住宅へ変わりたいという人もいます。ご近所付き合いが希薄になっているだけにちょっとしたことでケンカとなりかねません。
火事も家事も気をつけなければいけませんね。
火の元の点検、おこたりなく!!

みっともない

2008-03-28 19:57:03 | Weblog
先日、高橋尚子選手が今年の東京、大阪、名古屋と三大マラソンに連続出場したいと記者発表し、大変驚きました。会見では「みっともないかもしれないからと最初からあきらめるべきなのか」と逡巡した様な発言もありましたが、昔からの夢を実現したいという思いから発表に踏み切ったそうです。
この「みっともない」という言葉ですが「見せたくもなし」が「見とうもない」更には「みっともない」に変化した様です。
みっともないのうけとり方で、日本では揺れている様に思えてなりません。車内での化粧をはじめ、考えられない様な立居振舞が大手をふって一人歩きしている背景には「みっともなくても他人に迷惑を掛けているわけではないから良いじゃない」という考え方がある様です。これは他人の目を気にしないという大胆さです。
ここでちょっと待ったというのは、伝統的な日本のしぐさの美というのをどうとらえているのか、という事です。しぐさを身につけることによって我々は日本人の精神を伝えてきたのです。こうした精神が崩壊したことが今、社会全体を覆っている思いやりの欠如になっているといったら大袈裟でしょうか?
高橋選手の発言とは全く関係ない話になってしまいましたが、声を枯らして沿道で応援をするファンのあの姿が選手を勇気づけるというのも、しぐさから気持ちを伝えるという、ある種日本独特の美意識ではないでしょうか。

さくらの日

2008-03-27 20:52:55 | Weblog
今日は日本さくらの会が「×=27」の語呂合わせで1992年に制定しました。
『三日見ぬ間のさくらかな』という表現がありますが、何とこれは俳句で江戸時代の俳人、大島りょう太の「世の中は 三日見ぬ間の 桜かな」の後の部分から伝わってきたものです。
もうひとつ「散る桜 残る桜も 散る桜」と詠んだのは良寛さんです。
さて、この桜の美しさといえば、開花宣言が出るまで我々に夢を与え続け、その仕事を終えると美しくいさぎよく舞い散っていく、散り際があげられます。絶頂期に散る美しさとしてよく例えられます。この「散り際」「引き際」で過去、私は2人の人物を桜の散る姿とだぶらせます。
その1人が財界の鞍馬天狗といわれた日本興業銀行の第2代頭取、中山素平さんです。昭和43年、63歳で頭取を退き、さらに2年後には会長職も退き、その際の「出処進退」の処と退は自分で決めるという台詞には感動したものでした。
もう1人は名人横綱栃錦です。もちろん後に理事長も勤めあげましたが、現役を退く際のあざやかさは語り種となっています。
先代若乃花との全勝同士の横綱決戦に破れ、それを最後に引退した栃錦にはすがすがしささえ感じたものでした。
但し引退とは、自分の残してきたものに責任を負う事が出来ると感じたときにこそ、その潔さを発揮してもらいたいという条件を、私は敢えてつけるのですが・・・。

Oターン

2008-03-26 23:29:32 | Weblog
Iターン、Uターン、Jターンという言葉が先行する中で、オーターンするという表現が登場してきました。
Iターンは都会から田舎に定住すること、Uターンは地方から都会に出た人が故郷に帰って就職すること、Jターンは故郷の近くに帰ってくるパターンをいいますが、Oターンというのは一旦故郷に戻った人が農業などを楽しみながら時々都市部に戻るという生活を言うようです。
それぞれをまとめて定年後の定住支援に取り組む自治体も多くみられます。
特にこのOターンは田舎(故郷)と都会の両方を時に応じて経験できるので、経済的に余裕があるならば魅力的な生活システムかも知れません。
余談ですが、Oターンというシステムは定住コンセプトだけでなく、自分達だけの活動にとどまらず他の産業とのネットワークを築き、全体として地域の底上げを目指すシステムという場合にも使われる様になっています。
私もこのOターン生活にはちょっと憧れますが、田舎に故郷をもたないものとしては場所選びも難しいものがあります。ただ条件の1つとしてはっきりしているのは名古屋の放送局の電波が届かない所です。どうもホームグランドの声が聞こえたり、姿を見たりすると血が騒いで仕方ありません。ゆっくりと自然の中に身を置く為にも、この原則は守りたいですね。
とはいっても最近は地元発の番組出演者はメジャーなタレントさんたちが殆どで、地元色は余りないかも知れませんね。

電気記念日

2008-03-25 16:02:48 | Weblog
今日は電気記念日です。1878年に中央電信局の開局を祝って、工部大学校(現・東京大学工学部)のホールに伊藤博文の命令で50個のアーク灯が灯されたのが3月25日。これを記念して電気記念日となりました。
それからわずか130年程で今やオール電化というライフスタイルが誕生しました。「そういう時代でしょ!」というコマーシャルが耳に残りますね。
オール電化というのは、これまでガスや石油など「火」を使用していた設備を替えることで、料理や給湯、暖房などで火を使いません。「清潔、安心、経済的」というのがキーワードです。特に水蒸気の発生が少なくなるので結露によるカビやダニの発生がおさえられるとか、エコキュートを使えば省エネで経済的だといわれています。
もちろん我が家はまだまだですが、新しいシステムにはやはりメリット、デメリットは混在する様です。詳しくはわかりませんがオール電化世帯が増えているので、周りの人に聞いてみたらどうでしょうか。
まあ私の場合の判断材料は「自分のライフスタイルにあうかどうか?」、リニューアルするにしても「費用対効果をどうみるか?」これが主な2点でしょう。
ところで、先日オール電化をしている料理好きの奥様にうかがうと「いためものをするのに鍋をゆすることがないので物足りないのよ」という返事!笑えましたね。

ブーメラン

2008-03-24 22:31:51 | Weblog
土井隆雄宇宙飛行士の活躍が注目される中、少し残念なニュースが流れました。宇宙(無重力状態)でのブーメランの実験映像を我々は見る事が出来ないのだそうです。一部のニュースでブーメランは無重力状態でも戻ってきたと報じられましたが、映像はNASAの事前許可が必要で残念ながら申請されていなかったそうです。
ブーメランは2年に1度、世界大会が開かれ、日本でも2回開催されています。日本人の世界チャンピオンも誕生していますが、そのうちの1人、2006年の世界チャンピオンの栂井さんの依頼で紙製のブーメランが宇宙へ運ばれたわけです。
さてブーメラン現象という言葉があります。ブーメラン効果という言葉もあります。
ブーメラン現象の例えに、かつて多く見られた様に与党の疑惑を追求するうちに野党の疑惑が発生して、追求がうやむやになることです。
ブーメラン効果というのは説得を試みた相手が、逆に説得内容とは反対の意見を持ってしまうことですね。「ミイラとりがミイラになる」の変形でしょうか。
このブーメランに例えてこのところの永田町をみてみると、ブーメラン効果も起きる状況では全くないということですね。
つまり、与野党がコミュニケーションをとる場が全く持たれない状況ですので、ブーメランが飛びそうにもありません。
むしろ国民が政治無関心にブーメランしない様に祈るばかりですね。

踏切

2008-03-23 16:36:04 | Weblog
まあ、いろんな日があるものです。23フミ日にちなんで今日は踏切の日です。
踏切というのは鉄道と道路が平面交差する場所の事で、踏切を廃して立体交差をすることを目的とする橋を跨線橋といいます。日本ではこの踏切は列車の通行が優先されますが、外国では鉄道が遮断される構造の踏切もあると聞きます。
ところで、開かずの踏切があります。1時間のうち10分位しか開かない踏切が全国でも数多くあります。今話題の道路特定財源もこうした踏切の立体化の財源として利用されなければいけませんが、国交省も考えられない使い方をしただけに非難が相次いでいました。この開かずの踏切を何とか交通円滑化、交通安全の面から放置しない様にしてもらいたいものです。
さて、遮断機を壊して踏切につっこむのは暴挙ですが、我々の日常の中で踏み切る勇気を持たなければいけない場面もしばしば登場します。踏み切る勇気に一番大切なのは激しい心のもとで冷静な分析の心といわれます。分析の為には情報収集力です。踏み切ることを決断する為には情報が多ければ多い程、勇気の後押しをしてくれます。
例えば花粉症で散歩に踏み切る勇気がない貴方!必ず天気予報の花粉飛散情報をチェックしてみて下さいよ。(ちょっと小さい例えですかねぇ)

モーニングサービス

2008-03-22 21:17:28 | Weblog
名古屋の味は味が濃いと良く言われますが、中味が濃いのも特長ではないでしょうか。
今日は散歩の途中でモーニングサービスの喫茶店に立ち寄りました。もちろん皆さんの知っての通りコーヒー一杯の値段でゆで卵やトースト、サラダなどのオマケがつくモーニングサービスは名古屋独特の食文化の1つでしょう。
確かに食文化の1つかも知れませんが、このモーニングサービスはこの地方の喫茶店の競争の激しさを物語っています。上記の物以外にもうどんがでたり、味噌汁がでたりと名古屋を取り巻く地域の喫茶店程、中身が濃くなってきます。こうした習慣にどっぷり浸かっていると、旅行先での朝の喫茶店はどうしても物足らない気持ちにさせられます。
さて、こうしてみるとコーヒー一杯の値段で次から次へと美味しいものが登場する事で本当に採算が合うのかと心配になってきます。しかしこれが独特の名古屋の食文化の考え方なのでしょう。漫画喫茶発祥の地でもある名古屋周辺は日本では喫茶店の多い地域でもあります。
喫茶店はお客様が来てくれてこそ喫茶店という合理的な考え方がこうしたモーニングサービスのシステムを作り出しました。そしてこのモーニングサービスから馴染みとなりランチへとお客様を誘っていくのです。