フリーアナウンサー 松原敬生の『今日のエッセイ』

思っている事、感じている事などを自由に綴ります。

夢中

2011-03-31 19:22:16 | Weblog
夢中になるということは素晴らしいです。夢中は夢の中ですが、最近見る夢はどうも気持ちのいい夢は少ないようです。途中で目覚めて、その後もう一度続きを見たいといった夢には全く出会いません。そういえば子供の頃は、身体が遊び疲れていたせいか、ほとんど夢をみなかったような気がするし、どうも竜宮城で美女に囲まれる夢とは、この人生縁がなかったですね。
まあ、この話は別にして、このところスポーツの世界で被災地に元気を届ける話題が多くなっています。甲子園の東北高校や、サッカーのチャリティー試合などそれぞれのグランドから勇気を与えていました。しかし、それでもまだ一瞬の夢中になれる時間にはなりにくいのではないでしょうか。
被災地の子供達が夢中になる時間は、やはり実際に子供達が身体を動かして遊んだり、スポーツを楽しむことでしょう。大人が勇気を与えられるのは、子供達が夢中になっている姿を見ることです。復興には子供達の存在が必要なんです。子供達は未来です。その子供達の笑顔を見れば大人も笑顔になれるのです。被災地でスポーツに子供達が夢中になる日が来れば、しめたものです。スポーツ選手にそんな支援を期待します。

3月

2011-03-30 22:09:57 | Weblog
昔から、3月去るというように早く過ぎるのが相場ですが、今年はとても長く感じますね。ニュースの内容が東日本大震災以降全く変わっていないせいかも知れません。3月から5月が日本は春となっていますが、とんでもない春の始めとなってしまいました。
3月は出会いと別れの季節と表現されますが、こんな悲しい別れなどの話ではありません。その中にも、新しい環境の中で新しい出会いがあり、希望を持って進むといったプラスの意味合いが強いのです。しかし津波や地震が引き裂いた今回の別れは、何の希望もありません。おそらく今の被災者は自分を取り戻すことすら容易ではないでしょう。
この時期、もう一つの自然は、花達を咲かせます。窓越しの日差しは暖かくなり、春を告げてくれます。これほどのミスマッチを見たことはありません。被災者の心の冬の季節をどうしたら春に向かわせることが出来るだろうかと、そんなことばかり考えています。
ある新聞には「共感疲労」という言葉が使われていました。しかしあくまでもそれは、被災をしていない人のことです。被災者の心に小さな花でもいいので咲かすことがどうしたら出来るか、今日も考えているのです。

ワンツー

2011-03-29 11:54:26 | Weblog
ラジオから流れる曲は、やはり大震災の後を受けて、応援歌風の楽曲が多くなっています。「上をむいて歩こう」や「三百六十五歩のマーチ」などがよく聴かれます。「三百六十五歩のマーチ」といえば、ワンツーワンツーというフレーズが有名ですが、先日は日本馬のワンツーがドバイW杯の競馬で見られました。日本の競馬史上初の快挙でした。こうしたニュースは暗い感じになっている日本を元気づけてくれます。
ワンツーは一歩ずつ踏み出して行く時の掛け声にも使われます。その一歩を声を出すことから始めてみませんか?ショックを受けると「声も出ない」と表現します。逆に再生の始めは声を出したり、声をかけたりして見ることです。胸の中のもやもやを声とともに吐き出してしまえば、足の踏み出しも楽になるようです。
次のワンツーは足を実際に踏み出して見ましょう。自分の視線の先に開花した桜の花があります。なかなか浮かれる気分にはなれませんが、どんな状況でも咲いた桜から、力を貰うことが出来ます。
さあ、ワンツーワンツーと声を出しながら前をむいて歩きましょう。

2011-03-28 23:52:46 | Weblog
「春」を何で感じるかと問えば、種々の答えが返って来ます。今週あたり春の気配が濃厚になるかも知れませんね。
その答えを列挙してみました。日照時間、春一番の風、つくし発見、音、卒業式、野球やサッカーのシーズン始まる、桜の開花、沈丁花の香り、そして花粉症、などなどあげればきりがないほど沢山あります。そして北海道では「海明け」です。海明けは流氷が遠ざかり、船の通航が出来るようになることをいいます。オホーツク海沿岸の流氷は紋別市が観測していますが、今年の海明けは統計開始以来最も早い2月8日で平年よりも36日も早いようでした。平年より流氷の量が少なかったのが原因でした。
しかし春が早いぞと思ったのもつかの間でしょう。東北地方をはじめとする、北の地方はあの大震災で一気に冷えこんでしまいました。人生の冬に逆戻りです。原発の状況を見れば、春が訪れるのはまだまだ先です。しかし、いつか春を感じる朗報が届くことがあると信じています。その先駆けと受け止めているのが、外国からの支援です。今回ほど地球は一つと嬉しく思ったことはありません。あの国も、この国もありがとうです。

炊き出し

2011-03-27 23:21:36 | Weblog
テレビに映る子供の笑顔。何だろうと見ているとカレーの炊き出しを待つ子供たちの笑顔でした。岩手県の大槌町の避難所で愛知県から出かけたパキスタン人の人達の本格カレーの炊き出しでした。久しぶりの温かいカレーに被災者が頬を緩ませている姿は思わず目頭が熱くなりますね。心も身体も寒い時に温かいカレーを振る舞われたら、どんなに嬉しかったでしょう。
阪神大震災の際にも炊き出しはずいぶん登場しましたが、今回は更に多くなるでしょうね。山形を発祥とする芋煮会なども大きな鍋を囲んで食べるのですが、こうした被災者への炊き出しは、そこに愛情と連帯感が味付けられていますから、より忘れられない味となるでしょうね。炊き出しといえばネットで炊き出しマップが見れるそうです。
ところで、今、東海地方で生活している我々は、テレビも普通に見れて、ガソリンも満タンに出来、電話も通じて、水も安全で停電もなく、これが当たり前と言った気持ちで生活しています。しかし被災地で生活している人は何一つ実現できない生活です。極端にいえば、新聞やテレビで情報を掴むことすら出来ないのですね。激励のメッセージも届かない事が多いのです。
ただ、それでも祈りの言葉を発し続けなければ・・・。思いが届くようにと。

謙虚さ

2011-03-26 23:50:53 | Weblog
先日のニュースに映し出された光景で、もし「コメントしろ」と言われてもどう答えたらいいか判らないシーンがありました。それは、福島第一原発の避難範囲の中に生活する人で、依然として自宅退避をしている方に、避難所への避難を係員が促しているのです。一人住まいの老婦人は自分が病気を持っているので、避難すれば避難所の皆さんに迷惑をかけるからと避難を固辞されているのです。係員は一生懸命説得するのですが、上手くいきませんでした。人に迷惑をかけたくないという婦人の言葉もわかるし、係員の「身体が一番大切です」という言葉も最もです。
平常時の日本人の謙虚さは世界でも称賛される資質です。かつて昭和の10年代にフランスの駐日大使の外交官が「彼らは貧しい、しかし高貴である」と発言したように謙虚さはなくしてはならない気質と言い切ったことがあります。礼儀正さや謙虚さ(今の時代はどうでしょう)はやはり日本人ならではの資質てありたいと常日頃思っていただけに、この婦人に日本人の典型を見た気がします。だからこそ余計に安全なところに避難してほしいと思うのですが・・・。

気の利く支援

2011-03-25 12:47:18 | Weblog
東日本大震災からちょうど2週間です。原発事故などでまだまだ予断を許さない状況が続いています。しかしこれから立ち直りの一歩を踏み出して行くわけです。
明日からの土日はボランティアが現地に入るでしょうが、支援の仕方も気を使わなくてはなりません。言葉一つとっても「頑張って」はむしろ使わない言葉としておいた方がいいようです。あくまでも「ボランティア」の自発的という意味を理解して出かけて行かなくてはなりません。
支援の輪も世界中に拡がっています。芸能界やスポーツ界などの支援も沢山取り上げられていますが、その中で黙々と気の利いた支援をしている人もいます。それは、避難所生活を強いられる被災者に少しでもプライバシーをあげようと、間仕切りを持って避難所に出かけたのです。確かにテレビで見る避難所の映像は、お互い様のかばいあいの心温まる光景が映しだされますが、それにも限界があるでしょう。女性などは着替えにも外の車の中でということですから、気の休まる時がありません。間仕切りがあればちょっと気が楽ですし、家族意識もまた育まれるのではないでしょうか。そうそう寝相を気にすることもないですしね。
こうした気の利く支援もこれからは必要です。

杞憂

2011-03-24 22:17:55 | Weblog
少し前の流行語に「想定内」がありました。当時のライブドアの社長だった堀江氏がコメント内で発してから一躍注目され流行語になったもので、彼の自信に溢れた言動からアピール度が高かったものです。
その「想定内」の対比語はもちろん「想定外」ですが、今回の東日本大震災では想定外という言葉が乱発されています。深刻化している福島第一原発事故に関しては関係者によれば想定外だらけなのです。地震の規模といい、津波の大きさといい、すべて想定外のスケールだったというのですね。環境問題から原発を推進した当時は、今回のような事故は、おそらく杞憂の出来事だったでしょう。
杞憂とは中国古代の杞の人が天(空)が崩れ落ちて来ないかと心配した故事から、取り越し苦労とか、無駄な心配を意味する言葉です。こうした現実が起きてみると、杞憂というのはないのかも知れません。とくに自然に対しては、何が起きるかわからないだけに、すべて「想定内」で対応出来るように、準備をしておかなくてはなりません。
まだまだ震災は終わっていない状況が続きます。支援活動一つとっても想定内として、活動出来るように関係者のイメージを拡げて対処してほしいですね。

余という字

2011-03-23 21:53:22 | Weblog
昔から「余」という字は好きな字でした。素晴らしい文学には余情があり、素晴らしい音楽はいつまでも余韻があります。また素晴らしい絵画には余白がいい味付けをしています。逆に言えば余情があってこそ、良い文学であり、余韻があってこその良い音楽でしょう。
そしてもうひとつ余生という言葉もありますね。余生の過ごし方によって自分の人生の値打ちが決まると言っても過言ではありません。わずか100年ちょっと前の明治33年の平均寿命と現代の平均寿命を比べると倍位違います。ですから、現代は定年を迎えた後の余生は格段に長くなっています。これからは余生をどんな風に過ごしていくのかが一つの課題になっていきます。それだけに、大震災で避難所生活を強いられている人達、とくに余生を送っていらっしゃったお年寄りを見るにつけ、今後どんな生活をされるのか、胸が痛みます。もう一度、自力で立ち上がる余力もない状態に追い込まれているわけですから、やはり全国的な支援がどうしても必要です。
今日も朝から地震が続いていしたす。もちろんこれを余震というのですが、この余震の余だけは願い下げにしたいですね。

ラジオ

2011-03-22 23:46:53 | Weblog
東日本大震災の発生後に存在感を増しているものに乾電池で動くラジオがあるそうです。ここ数年インターネットの広告費の伸びのデータを見てもわかるようにラジオの広告収入が少しずつ減っていたので、ラジオを聞く人も減っているように感じていたものです。今回は計画停電などで、節電に役立つこともあり、停電の影響を受ける首都圏など各地で聴取者が急増しているそうです。
それに応えて在京のラジオ局は災害支援企画を打ち出しています。被災者への励ましなどのメールが続々と届き、放送されています。被災して眠れない夜を過ごす人たちはこうした放送を通して勇気づけられています。
もともとラジオは一対一のメディアと言われますから、激励の言葉がすべて自分に向けられたものとして受け止めることが出来ますから、元気が出ますね。
そのラジオでもできないことは、被災者の体験を聞いてあげることです。これからボランティアの活動が活発化していきますが、身体を使うボランティアと並行して、体験をしっかり聞く人たちの配置も必要になって来ます。体験を共有することによって癒しの効果が出て来ます。とくにお年寄りには大切な事ですね。