竹取翁と万葉集のお勉強

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本歌取か、独創か 筑波嶺の雪

2011年02月26日 | 万葉集 雑記
本歌取か、独創か 筑波嶺の雪

 最初に紹介する歌は、万葉集ファンと新古今和歌集以降の歌論ファンとの間で、その解釈が大きく分かれる歌です。教科書的には新古今和歌集の歌を鑑賞するような立場で紹介する歌を鑑賞しますから、初夏の香具山の風情を見ます。一方、近年の万葉集ファンは、歌に新春の宴での打ち解けた諧謔の風流を見ます。

天皇御製謌
標訓 天皇の御(かた)りて製(つく)らせしし謌
集歌28 春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山
訓読 春過ぎて夏来(き)るらし白栲の衣(ころも)乾(ほ)したり天の香来山(かくやま)

 万葉集ファンの立場でこの有名な持統天皇の詠う集歌28の歌を鑑賞するとき、この歌を踏まえて詠われた東歌があることを思い浮かべます。それが次の集歌3351の歌です。

集歌3351 筑波祢尓 由伎可母布良留 伊奈乎可母 加奈思吉兒呂我 尓努保佐流可母
訓読 筑波嶺(つくばね)に雪かも降らる否(いな)をかも愛(かな)しき児ろが布(にの)乾(ほ)さるかも
私訳 筑波の嶺に雪が降ったのでしょうか。違うのでしょうか。愛しい貴女が布を乾かしているのでしょうか。

 さて、この集歌3351の常陸国の東歌は、万葉集の専門家の中では集歌28の御製歌を踏まえると共に、催馬楽(さいばら)や風俗歌の感があるとして有名です。例えば、新日本古典文学大系では『「雪景色を歌ったものではなく、筑波山麓の聚落の生業として、白布を雪とまがふまで干し並べる、殷賑のさまを歌ったものであることは、言ふまでもない」(「私注」)。「甲斐が嶺に、白きは雪かや、いなをさの、甲斐の褻(け)衣や、晒す手作りや、晒す手作り」(風俗歌「甲斐が嶺」)』と解説されています。また、万葉集全訳注では『「筑波山の白さに興じた民衆歌で、やがて官人にもてはやされた、「催馬楽」(さいばら)のごとき歌。巻頭五首中これだけに訛りがある。「甲斐が嶺に、白きは雪かや、いなをさの、甲斐の褻(け)衣や、晒す手作りや、晒す手作り」(風俗歌)』と解説されています。つまり、集歌3351の歌は、山麓に干す日曝しの布をあたかも雪のように見立てた歌として解釈することになっています。奈良時代初期の段階で「歌を詠う時に、見立ての技法が東国にもあった」と、歌の専門家は認めています。
 ここで、万葉集全訳注の指摘に従い巻十四の巻頭五首を見てみますと、

東歌
集歌3348 奈都素妣久 宇奈加美我多能 於伎都渚尓 布袮波等抒米牟 佐欲布氣尓家里
訓読 夏麻(なつそ)引く海上潟(うなかみかた)の沖つ渚(す)に船は留めむさ夜更けにけり
私訳 夏の麻を引き抜き績(う)む、その海上潟の沖の洲に船は留めよう。もう夜も更けました。
右一首、上総國歌

集歌3349 可豆思加乃 麻萬能宇良末乎 許具布祢能 布奈妣等佐和久 奈美多都良思母
訓読 葛飾(かづしか)の真間(まま)の浦廻(うらま)を漕ぐ船の船人(ふなひと)騒(さわ)く波立つらしも
私訳 葛飾の真間の入り江を操り行く船の船人が騒いでいる。浪が立って来たらしい。
右一首、下総國歌

集歌3350 筑波祢乃 尓比具波麻欲能 伎奴波安礼杼 伎美我美家思志 安夜尓伎保思母
訓読 筑波嶺(つくばね)の新(にひ)桑繭(くはまよ)の衣(きぬ)はあれど君が御衣(みけし)あやに着(き)欲(ほ)しも
私訳 筑波山の新しい桑の葉で飼った繭で作った絹の衣はありますが、愛しい人と夜床で交換する、その貴方の御衣を無性にこの身に着けたいと願います。
或本歌曰、多良知祢能 又云 安麻多伎保思母
注訓 或る本の歌に曰はく、たらちねの、又は云はく、あまた着(き)欲(ほ)しも

集歌3351 筑波祢尓 由伎可母布良留 伊奈乎可母 加奈思吉兒呂我 尓努保佐流可母
訓読 筑波嶺(つくばね)に雪かも降らるいなをかも愛(かな)しき子ろが布(にの)乾(ほ)さるかも
私訳 筑波の嶺に雪が降ったのでしょうか。違うのでしょうか。愛しい貴女が布を乾かしているのでしょうか。
右二首、常陸國歌

集歌3352 信濃奈流 須我能安良能尓 保登等藝須 奈久許恵伎氣波 登伎須疑尓家里
訓読 信濃(しなの)なる須我(すが)の荒野(あらの)に霍公鳥(ほととぎす)鳴く声聞けは時過ぎにけり
私訳 信濃の国にある須賀の荒野で過去を乞うホトトギスの鳴く声を聞くと、天武天皇が王都の地を求めたと云う過去の栄華は過ぎてしまったことです。
右一首、信濃國歌

 ここで、万葉集全訳注の指摘を尊重して集歌3351の歌を除く集歌3348の歌から集歌3352の歌までの四首で、万葉集を遊んでみます。その遊びの様子を次に紹介します。

遊びの鑑賞 その一
 集歌3348の歌は、東国を旅する官人が経験した情景を詠ったものと思いますが、その歌は集歌1176の歌と集歌1229の歌を重ね合わせて作った、記憶力の歌の感があります。この作歌は、後年に本歌取りなどと紹介される技巧ですが、歌自身は歌人でない秀才の歌です。

集歌1176 夏麻引 海上滷乃 奥津洲尓 鳥簀竹跡 君者音文不為
訓読 夏(なつ)麻(そ)引く海上(うなかみ)潟(かた)の沖つ洲(す)に鳥はすだけど君は音(おと)もせず
私訳 夏の麻を引き抜き績(う)む、その海上潟の沖の洲に鳥は集まり騒ぐけども、貴方は音沙汰もない。

集歌1229 吾舟者 明且石之潮尓 榜泊牟 奥方莫放 狭夜深去来
訓読 吾が舟は明且石(あかし)の潮(しほ)に榜(こ)ぎ泊(は)てむ沖へな放(さか)りさ夜(よ)深(ふ)けにけり
私訳 私が乗る舟は、明石の急な潮流に舟を操り行き泊まろう。沖へは出ていくな。夜は更けている。

集歌3348 奈都素妣久 宇奈加美我多能 於伎都渚尓 布袮波等抒米牟 佐欲布氣尓家里
訓読 夏麻(なつそ)引く海上潟(うなかみかた)の沖つ渚(す)に船は留めむさ夜更けにけり

遊びの鑑賞 その二
 集歌3349の歌は、ちょうど、集歌1228の歌が示す地名を集歌433の歌で示す地名に入れ替えただけのような歌です。そこには、歌の感情や技巧よりも、歌い手がどれほどよく古い歌を知っているかを自慢するような感がありますし、聴き手もまた、その知識を要求されるような歌です。

集歌433 勝壮鹿乃 真々乃入江尓 打靡 玉藻苅兼 手兒名志所念
訓読 勝雄鹿(かつしか)の真間(まま)の入江にうち靡く玉藻刈りけむ手児名(てこな)し念(おも)ほゆ
私訳 勝鹿の真間の入り江で波になびいている美しい藻を刈っただろう、その手兒名のことが偲ばれます。

集歌1228 風早之 三穂乃浦廻乎 榜舟之 船人動 浪立良下
訓読 風早(かざはや)の三穂(みほ)の浦廻(うらみ)を榜(こ)ぐ舟の船人(ふなひと)騒(さわ)く浪立つらしも
私訳 風が速い三穂の入り江を操り行く舟の船人が騒いでいる。波が立って来るようだ。

集歌3349 可豆思加乃 麻萬能宇良末乎 許具布祢能 布奈妣等佐和久 奈美多都良思母
訓読 葛飾(かづしか)の真間(まま)の浦廻(うらま)を漕ぐ船の船人(ふなひと)騒(さわ)く波立つらしも

遊びの鑑賞 その三
 集歌1260の歌は、古歌集に載る歌ですし、集歌1314の歌は藤原京時代の古い歌と思われます。これらは、詠み人知れずですが巻七に載る歌ですので、万葉時代には多くの人に知られた歌だったようです。
 こうした時、集歌3350の歌は集歌1260の歌や集歌1314の歌を踏まえた上で、東国を旅した官人が、筑波の地名と名物を織り込んだように感じてしまいます。

集歌1260 不時 斑衣 服欲香 衣服針原 時二不有鞆
訓読 時ならぬ斑(まだら)の服(ころも)着(き)欲(ほ)しきか衣(きぬ)の榛原(はりはら)時にあらねども
私訳 その季節ではないが神を祝う斑に摺り染めた衣を着たいものです。榛の葉で縫った衣を摺り染める、その榛原は神を祝う時ではありませんが。

集歌1314 橡 解濯衣之 恠 殊欲服 此暮可聞
訓読 橡(つるばみ)の解(と)き濯(あら)ひ衣(きぬ)のあやしくも殊(こと)に着(き)欲(ほ)しきこの暮(ゆふへ)かも
私訳 橡染めの服を解いて洗って、そして縫った貴方の衣が、不思議なことに無性にこの身に着てみたいと思う、この夕暮れです。

集歌3350 筑波祢乃 尓比具波麻欲能 伎奴波安礼杼 伎美我美家思志 安夜尓伎保思母
訓読 筑波嶺(つくばね)の新(にひ)桑繭(くはまよ)の衣(きぬ)はあれど君が御衣(みけし)あやに着(き)欲(ほ)しも


遊びの鑑賞 その四
 集歌3352の歌は、ちょうど、集歌227の人麻呂歌集の歌と集歌1475の大伴坂上郎女の詠う歌を重ね合わせたような歌です。天平年間に集歌3352の歌が、東国に旅した官僚により詠われたのですと、時代での和歌のテキストを忠実になぞったような感がします。

集歌227 天離 夷之荒野尓 君乎置而 念乍有者 生刀毛無
訓読 天離る夷の荒野に君を置きて思ひつつあれば生けりともなし
私訳 大和から遠く離れた荒びた田舎に貴方が行ってしまっていると思うと、私は恋しくて、そして、貴方の身が心配で生きている気持ちがしません。

集歌1475 何奇毛 幾許戀流 霍公鳥 鳴音聞者 戀許曽益礼
訓読 何(なに)奇(く)しもここだく恋ふる霍公鳥鳴く声聞けば恋こそまされ
私訳 どのような理由でこのようにひたすら恋慕うのでしょう。「カタコヒ」と鳴くホトトギスの啼く声を聞けば、慕う思いがさらに募ってくる。

集歌3352 信濃奈流 須我能安良能尓 保登等藝須 奈久許恵伎氣波 登伎須疑尓家里
訓読 信濃(しなの)なる須我(すが)の荒野(あらの)に霍公鳥(ほととぎす)鳴く声聞けは時過ぎにけり

 このように万葉集で巻十四において東歌と分類される巻頭五首に対して、集歌3351の歌を除いて集歌3348の歌から集歌3352の歌までの四首で遊んでみますと、集歌3351の歌と集歌28の御製との関連を認めない専門家の鑑賞や解説に逆らって、巻十四の巻頭歌の比較と編纂から集歌3351の歌もまた、同じではないかと邪推してしまいます。この邪推を下に集歌3351の歌の鑑賞から集歌28の御製を訓み返してみますと、つぎのような鑑賞になります。こうした時、従来の鑑賞のように神聖で立ち入りが制限される天の香具山で、下女が洗濯物を干さなくても良いことになります。

集歌28 春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山
訓読 春過ぎて夏来(き)るらし白栲の衣(ころも)乾(ほ)したり天の香来山(かくやま)
私訳 まるで寒さ厳しい初春が終わって夏がやってきたようです。白栲の衣を干しているような白一面の天の香具山よ。

 素人の酔論におつきあい頂き有難うございます。いかにももっともらしく見せていますが、内容は素人の素人たる由縁のお粗末です。
 参照事項ですが、補訂版万葉集本文編(塙書房)では「目録は、奈良時代末期を下らる頃に成ったと考えられるが、諸本によって出入り甚しい箇所があり、これに校合を加えて本書に収めても、そのままではほとんど利用価値がない」とされているように、万葉集においては歌を載せる歌巻本とその巻本の目録とは、その成立年代が違うために示す内容が一致しません。歌巻本と目録との関係を研究するのも、一つの有名な万葉学の分野です。
 普段の解説では巻十四は東歌の巻として有名ですが、その歌巻本で東歌とされるのは中央官僚が東国を旅して詠ったと思われる巻頭五首のみです。巻十四に載るそれ以外の歌は、国別の相聞、譬喩歌、雑歌と国未詳の相聞、防人歌、譬喩歌、挽歌の区分になっています。つまりに万葉集における東歌とは、中央の人が東国をテーマに歌を詠ったとの意味合いで、東国の人が鄙言葉で詠った歌の意味合いではありません。従いまして「東歌」の本来の意味合いにおいて、奈良の京の大宮人にとっては、集歌28の歌も集歌3351の歌も知るべき歌となります。
 また、和歌での本歌取りの技法は新古今和歌集時代に盛んに行われた技法とされますが、実際は平城京時代中期には極一般的な技法であったことは、ここで示した通りです。この本歌取りの技法を葛井連広成たちは「古曲(ふるきおもしろみ)」と称したと思います。
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