拾遺和歌集
はじめに
源氏物語の成立と同時代となる拾遺和歌集の和歌と現代語解釈を紹介します。拾遺和歌集の全歌に対する現代語解釈はネット上では紹介されていないと思いますし、岩波書店の新日本古典文学大系 拾遺和歌集などの専門書でないと現代語解釈は得られないのではないでしょうか。おおよそ、一般人には馴染のない和歌集ではありますが、ここで紹介する拙い訳からでも紫式部たちが生きていた時代に選集された和歌が示す当時の文学・文化の空気感を感じていただければ幸いです。
この拾遺和歌集の成立は源氏物語(初出稿記事は寛弘五年:1008年)の成立と同時代の寛弘二年六月十九日(1005年7月27日)から寛弘四年正月二十八日(1007年2月18日)頃と推定されています。拾遺和歌集に対して別に藤原公任の撰による拾遺抄がありますが、拾遺和歌集は、ほぼ、拾遺抄に載る和歌を網羅しますので、ここでは拾遺和歌集を鑑賞しています。なお、紹介する和歌に付けた歌番号の後ろに「拾遺抄記載」の符号を付けて拾遺抄に載る歌を示しています。ただし、拾遺和歌集に載らない単独で拾遺抄に載る和歌二首については、巻二十の後に拾遺抄和歌二首として紹介します。これにより、拾遺和歌集と拾遺抄との和歌をすべて網羅することになります。加えて、「国際日本文化研究センター」(以下、「日文研」)の和歌データベースが示す異本歌九首も巻二十の後に収容します。歌番号については歌番号1351までは「日文研」/「新編国歌大観」のものと同じですか、それ以降は拾遺抄和歌二首と異本歌九首を載せたことによりここでの独自のものとなっています。
現代にあって、拾遺和歌集の伝本は藤原定家系統本が最も良質とされ、標準として藤原定家が解釈・書写した天福本を良本として現代でのテキストとして使用します。他方、拾遺和歌集の本来の姿を求める中での伝本研究では、最新となる片桐洋一氏の研究により最も古い形を残すものが異本第一系統本:宮内庁書陵部蔵堀川宰相具世筆本であり、この異本第一系統本を用いて異本第二系統本:北野天満宮本が書写され、さらにその異本第二系統本を用いて現代に流布する天福本などの藤原定家系統本が書写されたであろうと指摘します。
また、異本を中心とした平安時代の状況を示す断簡の研究などからすると、拾遺和歌集の最も古い表記スタイルは、詞書や詠人の名前には漢語となる漢字と一字一音の真仮名とを組み合わせた表記方法を取り、和歌については古今和歌集の表記スタイルに準じて一字一音の清音真仮名だけによる表記だったと推定されます。つまり、和歌の中に表語文字となる訓漢字は用いません。一方、藤原定家系統本のものでは和歌の表記の中に文字に意味を持つ表語文字の訓漢字を持ちますから、これは藤原定家たちが和歌の解釈を行い、それを示すために文字に意味を持つ表語文字の漢字を取り入れた上で、和歌表記の校訂後のものを書写していたと考えられます。
それを踏まえて、ここで紹介する拾遺和歌集は、拾遺和歌集が編纂された当時の姿を想定して、和歌については「日文研」が和歌データベースの中で公表する一字一音清音の音字で「原文」を推定し、それに現代平仮名を付けたものを「和歌」として扱い、天福本などに示す藤原定家たちの解釈であろう訓漢字交じり平仮名表記の和歌は取り扱いません。本編で紹介する「読下」に示す漢字交じり平仮名表記の和歌はおおむね藤原定家たちの解釈のものですが、完全に習ってはいませんので私の個人の解釈だと理解してください。
また、紹介します一字一音清音への音字「原文」の推定に際しては、渋谷栄一(国語国文学)研究室が公表する「定家本『拾遺和歌集』本文の基礎的研究」(以下、「基礎研究」)で示す字母資料を利用して、さらに当時の和歌表記では訓漢字や漢語を用いない原則を尊重して清音真仮名だけを用いて和歌表記を試みています。ただ、「日文研」のものと「基礎研究」のものとで、「基礎研究」に示す訓漢字や漢語を音漢字表記に戻しても1対1で表記が対応しない場合は「日文研」の平仮名を優先して、それを直接に音漢字となる清音真仮名で表記したものを採用しています。
特別の注意として、ここでのものは正統の教育を受けていない者の趣味のものですので引用には十分に注意を行って下さい。
参照した資料集
- 拾遺集(国際日本文化研究センター)
- 拾遺和歌集(新日本古典文学大系 岩波書店 小町谷照彦校注)
- 拾遺和歌集(岩波文庫 岩波書店 武田祐吉校訂):拾遺抄の識別に使用しています。
- 拾遺和歌集(八代集2 東洋文庫 奥村恒哉校注)
字母原資料先:
定家本「拾遺和歌集」本文の基礎的研究
機関番号32637 高千穂大学
渋谷栄一(国語国文学)研究室
- 底本は『藤原定家筆 拾遺和歌集』(平成2年11月 汲古書院)
- 歌番号は『新編国歌大観』
巻一:春
歌番号 1 拾遺抄記載
詞書 平さたふんか家歌合によみ侍りける
詠人 壬生忠岑
原文 者累堂川止 以不者可利尓也 三与之乃々 也万毛加寸美天 計左者美由良无
和歌 はるたつと いふはかりにや みよしのの やまもかすみて けさはみゆらむ
読下 はるたつといふはかりにやみ吉野の山もかすみてけさは見ゆらん
解釈 立春となったということなので、あの吉野の山並みも霞んで今朝は見えるでしょうか。
注意 古今和歌集の最初の歌が年内立春ですから、当然、立春を意識しての選歌です。
歌番号 2 拾遺抄記載
詞書 承平四年中宮の賀し侍りける時の屏風のうた
詠人 紀文幹
原文 者留可須美 堂天留遠美礼者 安良多万乃 止之者也万与利 己由留奈利个利
和歌 はるかすみ たてるをみれは あらたまの としはやまより こゆるなりけり
読下 春霞たてるを見れは荒玉の年は山よりこゆるなりけり
解釈 春霞の立っている様子を見ると、年の気が改まる、新しい年は山を越えてやってくるようです。
注意 古今和歌集の巻頭歌が万葉集の最後の歌の年内立春を受けたものですが、同時に最後の歌は正月一日の歌でもあります。拾遺和歌集は巻頭部でその両方を踏まえたものとなっています。これも万葉集研究の成果なのでしょう。
歌番号 3
詞書 かすみをよみ侍りける
詠人 山辺赤人
原文 幾乃不己曽 止之者久礼之可 者留可須美 加須可乃也万尓 者也多知尓个里
和歌 きのふこそ としはくれしか はるかすみ かすかのやまに はやたちにけり
読下 昨日こそ年はくれしか春霞かすかの山にはやたちにけり
解釈 昨日に確かに年は暮れましたが、今日には春を告げるその春霞が春日の山並みに、もう、立ちました。
歌番号 4
詞書 冷泉院東宮におはしましける時、歌たてまつれとおほせられけれは
詠人 源重之
原文 与之乃也万 美祢乃之良由幾 以徒幾衣天 遣左者可須美乃 多知加者留良无
和歌 よしのやま みねのしらゆき いつきえて けさはかすみの たちかはるらむ
読下 吉野山峯の白雪いつきえてけさは霞の立ちかはるらん
解釈 吉野山の峯の白雪は、いつ、消えて、今朝にはもう春の霞が立ち替わっているのだろうか。
歌番号 5 拾遺抄記載
詞書 延喜御時月次御屏風に
詠人 素性法師
原文 安良多満乃 止之堂知可不留 安之多与里 満多累々毛乃者 宇久飛寸乃己恵
和歌 あらたまの としたちかへる あしたより またるるものは うくひすのこゑ
読下 あらたまの年立還る朝よりまたるる物はうくひすのこゑ
解釈 年の気が改まる、新しい年が立ち還る、その初春の朝から待ち焦がれるものは、鶯の初音です。
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