竹取翁と万葉集のお勉強

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山部赤人を鑑賞する  播磨騎旅の歌六首

2010年10月28日 | 万葉集 雑記
播磨騎旅の歌六首
 集歌357の歌から始まる播磨騎旅の歌六首は、神亀三年(726)十月(万葉集では笠朝臣金村の歌では九月)の播磨国印南野への御幸の折の歌ではないかと思っています。そうしますと、ここでの歌は、集歌933の歌から始まる歌群と一体になるのではないでしょうか。万葉集に載る笠朝臣金村の神亀三年九月の日付からに対して、集歌361の歌の季節感が一致します。
 また、万葉集の歌では「名告藻」は有名な海草ですが、集歌362の歌の詠い方からすると山部赤人にとっては初体験だったようですし、集歌360の歌からも海辺の状況に対してまだ余裕がないようです。場合によっては、この「播磨騎旅の歌六首」は、山部赤人の生涯を推定するときのベンチマークになるのかもしれません。

山部宿祢赤人謌六首
標訓 山部宿祢赤人の謌六首

集歌357 縄浦従 背向尓所見 奥嶋 榜廻舟者 釣為良下
訓読 縄(なは)の浦ゆ背向(そがひ)に見ゆる沖つ島漕ぎ廻(み)る舟は釣りしすらしも

私訳 縄の浦から反対方向に見える沖の島、その島の周りを漕ぎ廻る舟は釣りをしているようだ。

注意 縄の浦は、兵庫県相生市那波町の海岸一帯と思われる


集歌358 武庫浦乎 榜轉小舟 粟嶋矣 背尓見乍 乏小舟
訓読 武庫(むこ)の浦を漕ぎ廻(み)る小舟(をふね)粟島(あわしま)を背向(そがひ)に見つつ乏(とぼ)しき小舟

私訳 武庫の浦を漕ぎ伝ってくる小舟。淡路島を背に見ながら漕ぎ疲れ果てている小舟よ。

注意 武庫の浦は、兵庫県尼崎市から西宮市の海岸一帯と思われる


集歌359 阿倍乃嶋 宇乃住石尓 依浪 間無比来 日本師所念
訓読 阿倍(あべ)の島鵜の住む磯に寄する浪間(ま)無くこのころ日本(やまと)し念(おも)ほゆ

私訳 阿倍の嶋の鵜の住む磯に寄せ来る浪が絶え間が無いように、このころ絶え間なく大和の京を恋しく思います。

注意 阿倍の嶋は、兵庫県加古川市阿閉津の海岸一帯と思われる


集歌360 塩干去者 玉藻苅蔵 家妹之 濱裹乞者 何矣示
訓読 潮干(しほひ)なば玉藻刈りつめ家(いへ)の妹が浜(はま)づと乞(こ)はば何を示さむ

私訳 潮が引いたら美しい藻を刈り取りましょう。家で待つ妻が浜の土産は何でしょうと乞い求めたら、何を見せましょうか。


集歌361 秋風乃 寒朝開乎 佐農能岡 将超公尓 衣借益矣
訓読 秋風の寒き朝明(あさけ)を佐農(さぬ)の岡越ゆらむ君に衣(きぬ)貸さましを

私訳 秋風の寒い朝明けの中を佐農の岡を越えて行こうとするあの御方に衣を貸してあげましたものを。


集歌362 美沙居 石轉尓生 名乗藻乃 名者告志五余 親者知友
訓読 みさご居(ゐ)る磯廻(いそみ)に生(お)ふる名告藻(なのりそ)の名は告(の)らしそ親は知るとも

私訳 美しい砂浜のミサゴが居る磯を取り囲んで生える名告藻の名前のように名を告げてください。二人の関係を貴女の親が知ったとしても。

注意 西本願寺本の「告志五余」は、戯訓として「三(みさ)・五(ご)、十五から五を余らすと十(そ)になる」としています。つまり、この歌は「名告藻」の言葉に応じた遊びの歌です。


或本謌曰
標訓 或る本の謌に曰く、
集歌363 美沙居 荒礒尓生 名乗藻乃 告名者告世 父母者知友

訓読 みさご居(ゐ)る荒磯(ありそ)に生(お)ふる名告藻(なのりそ)の告(つ)ぐ名は告(の)らせ父母(おや)は知るとも

私訳 美しい砂浜のミサゴが居る荒磯に生える名告藻のように私に告げるはずの貴女の名を告げてください。二人の関係を貴女の親が知ったとしても。


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