幸于吉野宮時、弓削皇子贈与額田王謌一首
標訓 吉野宮に幸(いでま)しし時に、弓削皇子の額田王に贈り与へたる歌一首
集歌一一一
原文 古尓 戀流鳥鴨 弓絃葉乃 三井能上従 渡遊久
訓読 古(いにしへ)に恋ふる鳥かも弓絃葉(ゆづるは)の御井(みゐ)の上より渡り遊(あそ)びく
私訳 昔を恋うる鳥だろうか、弓絃葉の御井の上をあちこちと飛び渡っていく
注意 標準解釈では原文の「渡遊久」に「鳴」の字を足し「鳴渡遊久」と校訂し「鳴き渡りゆく」と訓じます。全体の歌意は変わりませんが鳥の情景が違います。
額田王和謌一首 従倭京進入
標訓 額田王の和(こた)へ奉(たてまつ)れる歌一首 倭(やまと)の京(みやこ)より奉(たてまつ)り入る
集歌一一二
原文 古尓 戀良武鳥者 霍公鳥 盖哉鳴之 吾戀流其騰
訓読 古(いにしへ)に恋ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)けだしや鳴きし吾(わ)が恋(こ)ふるそと
私訳 昔を恋しがる鳥は霍公鳥です。さぞかし鳴いたでしょう。私がそれを恋しく思っているように。
注意 原文の「吾戀流其騰」は、標準解釈では「吾念流碁騰」と大きく表記を変え「吾(わ)が念(おも)へるごと」と訓じます。
従吉野折取蘿生松柯遣時、額田王奉入謌一首
標訓 吉野より蘿(こけ)生(む)せる松の柯(えだ)を折り取りて遣はしし時に、額田王の奉(たてまつ)り入れたる歌一首
集歌一一三
原文 三吉野乃 玉松之枝者 波思吉香聞 君之御言乎 持而加欲波久
訓読 み吉野の玉松(たままつ)し枝(え)は愛(は)しきかも君し御言(みこと)を持ちに通はく
私訳 み吉野の美しい松の枝は愛しいものです。物言わぬその松の枝自身が、貴方の御言葉を持って来るように遣って来ました。
但馬皇女在高市皇子宮時、思穂積皇子御作謌一首
標訓 但馬(たじまの)皇女(ひめみこ)の高市皇子(たけちのみこの)宮(みかど)の在(おは)しし時に、穂積皇子を思(しの)ひて御(かた)りて作(つく)らしし謌一首
集歌一一四
原文 秋田之 穂向乃所縁 異所縁 君尓因奈名 事痛有登母
訓読 秋し田し穂(ほ)向(むき)のそ寄る片寄りに君に寄りなな事痛(こちた)くありとも
私訳 秋の田の実った穂がきっと風に靡き寄るように、貴方に私の慕う気持ちを寄せたい。貴方にとって面倒なことであったとしても。
注意 表題の「在高市皇子宮時」の「在」の標準解釈では場所を意味しますが、時代を意味する可能性があります。但馬皇女の屋敷発掘の成果は時代と解釈することを支持します。
勅穂積皇子遣近江志賀山寺時、但馬皇女御作謌一首
標訓 穂積皇子に勅(みことのり)して近江の志賀の山寺に遣(つか)はしし時に、但馬皇女の御(かた)りて作(つく)らしし謌一首
注意 「近江志賀山寺」は標準解釈では大津市の崇福寺を指しますが、日本書紀に従うと益須郡都賀山、現在の滋賀県守山市吉身町にあった益須寺となります。
集歌一一五
原文 遺居与 戀管不有者 追及武 道之阿廻尓 標結吾勢
訓読 遣(す)て居(い)よと恋ひつつあらずは追ひ及かむ道し隈廻(くまみ)に標(しめ)結(ゆ)へ吾が背
私訳 「家に残って居なさい」と、私の家にやって来て、このまま恋の証を見せてくれないのなら、旅行く貴方の跡を追っていきましょう。追って行く私の為に道の曲がり角毎に目印を結んで下さい。私の愛しい貴方。
標訓 吉野宮に幸(いでま)しし時に、弓削皇子の額田王に贈り与へたる歌一首
集歌一一一
原文 古尓 戀流鳥鴨 弓絃葉乃 三井能上従 渡遊久
訓読 古(いにしへ)に恋ふる鳥かも弓絃葉(ゆづるは)の御井(みゐ)の上より渡り遊(あそ)びく
私訳 昔を恋うる鳥だろうか、弓絃葉の御井の上をあちこちと飛び渡っていく
注意 標準解釈では原文の「渡遊久」に「鳴」の字を足し「鳴渡遊久」と校訂し「鳴き渡りゆく」と訓じます。全体の歌意は変わりませんが鳥の情景が違います。
額田王和謌一首 従倭京進入
標訓 額田王の和(こた)へ奉(たてまつ)れる歌一首 倭(やまと)の京(みやこ)より奉(たてまつ)り入る
集歌一一二
原文 古尓 戀良武鳥者 霍公鳥 盖哉鳴之 吾戀流其騰
訓読 古(いにしへ)に恋ふらむ鳥は霍公鳥(ほととぎす)けだしや鳴きし吾(わ)が恋(こ)ふるそと
私訳 昔を恋しがる鳥は霍公鳥です。さぞかし鳴いたでしょう。私がそれを恋しく思っているように。
注意 原文の「吾戀流其騰」は、標準解釈では「吾念流碁騰」と大きく表記を変え「吾(わ)が念(おも)へるごと」と訓じます。
従吉野折取蘿生松柯遣時、額田王奉入謌一首
標訓 吉野より蘿(こけ)生(む)せる松の柯(えだ)を折り取りて遣はしし時に、額田王の奉(たてまつ)り入れたる歌一首
集歌一一三
原文 三吉野乃 玉松之枝者 波思吉香聞 君之御言乎 持而加欲波久
訓読 み吉野の玉松(たままつ)し枝(え)は愛(は)しきかも君し御言(みこと)を持ちに通はく
私訳 み吉野の美しい松の枝は愛しいものです。物言わぬその松の枝自身が、貴方の御言葉を持って来るように遣って来ました。
但馬皇女在高市皇子宮時、思穂積皇子御作謌一首
標訓 但馬(たじまの)皇女(ひめみこ)の高市皇子(たけちのみこの)宮(みかど)の在(おは)しし時に、穂積皇子を思(しの)ひて御(かた)りて作(つく)らしし謌一首
集歌一一四
原文 秋田之 穂向乃所縁 異所縁 君尓因奈名 事痛有登母
訓読 秋し田し穂(ほ)向(むき)のそ寄る片寄りに君に寄りなな事痛(こちた)くありとも
私訳 秋の田の実った穂がきっと風に靡き寄るように、貴方に私の慕う気持ちを寄せたい。貴方にとって面倒なことであったとしても。
注意 表題の「在高市皇子宮時」の「在」の標準解釈では場所を意味しますが、時代を意味する可能性があります。但馬皇女の屋敷発掘の成果は時代と解釈することを支持します。
勅穂積皇子遣近江志賀山寺時、但馬皇女御作謌一首
標訓 穂積皇子に勅(みことのり)して近江の志賀の山寺に遣(つか)はしし時に、但馬皇女の御(かた)りて作(つく)らしし謌一首
注意 「近江志賀山寺」は標準解釈では大津市の崇福寺を指しますが、日本書紀に従うと益須郡都賀山、現在の滋賀県守山市吉身町にあった益須寺となります。
集歌一一五
原文 遺居与 戀管不有者 追及武 道之阿廻尓 標結吾勢
訓読 遣(す)て居(い)よと恋ひつつあらずは追ひ及かむ道し隈廻(くまみ)に標(しめ)結(ゆ)へ吾が背
私訳 「家に残って居なさい」と、私の家にやって来て、このまま恋の証を見せてくれないのなら、旅行く貴方の跡を追っていきましょう。追って行く私の為に道の曲がり角毎に目印を結んで下さい。私の愛しい貴方。
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