本書は室町幕府の実態解明を志したものである。最近室町幕府を論じたものが立て続けに出されている。従来、守護大名の上に乗っかった全国政権と胸を張っては言えないような政権という理解だったが、なかなかどうして鎌倉幕府ができなかったことをやっている。それは著者によれば、「全国を無前提に掌握しようとするのではなく、支配しうる範囲や可能な方式を定め、安定的な運用をはかる体制である。具体的な目標は幕府の構成メンバーが全国を転戦しなくてもよい程度の平和を確保することだったろう。(中略)いずれにしても完全な全国掌握は難しかったろうが、それを補填する要素として公家政権の持つ全国支配の理念ーーー具体的には全国支配が成立していることを前提として設立された文書様式が有効であると考えたのではないだろうか」と室町時代の文書乱発の実態を以上のように分析している。これに先立って公家政権の特徴を「公家政権にとって自らの命令が実際に全国で実現されるか否かはそれほど問題ではない。ただ公家政権の組織は、全国を支配するためのものとして組みあげられており、その政務の体系は全国の民を背負う理念のもとに成り立っていた」と述べている。これを「演繹的」、地方政権だった鎌倉幕府を「帰納的」と規定する。室町幕府は「演繹的」手法により全国政権を目指したのである。
しかし中世の政権においては当事者主義の原則が社会の基層を成していたこともあって、政治のカバーする範囲は非常に限られていた。その不足を補うために宗教の公共的機能は不可欠で、鎌倉幕府についてその役割を担ったのは律宗で、室町幕府の場合は禅宗だった。この場合夢窓疎石という傑出した政僧の存在が大きい。彼は尊氏・直義兄弟の絶大な信頼のもとに室町幕府の宗教政策を主導し、禅宗が政権に伴走する道を開いた。中世における宗教の力の大きさを改めて感じざるをえない。全国政権になるための苦闘ははかりしれないものがあった。公家の文書主義をなぞることは煩雑な努力が要求され、相当の学識も必要だ。しかしこれをやらねば全国区は困難だ。公家の本質は「有職故実」にある。そんなものなくても生きていけるが、権威というのは逆につまらぬ瑣事から生まれるのだ。皇室に生きるとは、一般人から見ればつまらぬ「有職故実」を実践することにある。これができなければこの世界で生きることはできない。昨今の皇室における皇太子妃の問題はここに淵源するのではないか。
しかし中世の政権においては当事者主義の原則が社会の基層を成していたこともあって、政治のカバーする範囲は非常に限られていた。その不足を補うために宗教の公共的機能は不可欠で、鎌倉幕府についてその役割を担ったのは律宗で、室町幕府の場合は禅宗だった。この場合夢窓疎石という傑出した政僧の存在が大きい。彼は尊氏・直義兄弟の絶大な信頼のもとに室町幕府の宗教政策を主導し、禅宗が政権に伴走する道を開いた。中世における宗教の力の大きさを改めて感じざるをえない。全国政権になるための苦闘ははかりしれないものがあった。公家の文書主義をなぞることは煩雑な努力が要求され、相当の学識も必要だ。しかしこれをやらねば全国区は困難だ。公家の本質は「有職故実」にある。そんなものなくても生きていけるが、権威というのは逆につまらぬ瑣事から生まれるのだ。皇室に生きるとは、一般人から見ればつまらぬ「有職故実」を実践することにある。これができなければこの世界で生きることはできない。昨今の皇室における皇太子妃の問題はここに淵源するのではないか。