読書日記

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靖国神社の祭神たち  秦 郁彦  新潮選書

2011-01-30 08:53:09 | Weblog
 「靖国神社は明治維新とともに誕生した。前身は東京招魂社で東京九段の坂上に創建され、明治二年(1869)6月29日に最初の招魂祭が行なわれた。この時に合祀された祭神は戊辰戦争(明治元年1月~2年5月)における官軍の戦没者3538柱であったが、その後、西南戦争などの内乱や日清戦争から太平洋戦争に至る一連の対外戦争を経て祭神の規模は246万余柱まで膨張した。太平洋戦争敗北直後の1946年、国家神道の廃止を命じた米占領軍の指令に沿って靖国神社は国有国営の別格官幣社から単立の一宗教法人へと衣替えしたが、戦没者に対する慰霊・追悼・顕彰の中心施設という位置づけはさして揺らいでいないように見える。しかし、こうした靖国の役割に対するさまざまな視覚からの異論、反論が以後の半世紀に繰り返し提起され、しばしば激烈な政治論争の的になった。中でも代表的な争点となったA級戦犯の合祀問題は「ゴルディアスの結び目」になた難題と化し、すっきりとした解決は近い将来には望めそうもない。」(以上冒頭引用)ということで、靖国神社に合祀される人間の変遷を詳しく調べ上げて、合祀基準の在り方の変遷をたどることで靖国神社の歴史を辿っている。それにしても見事な書き出しである。簡潔にして明瞭、達意の文章はこれだという感じだ。記述は事実関係の解明に徹しており、観念的・情緒的アポローチは避けられている。著者には『慰安婦と戦場の性』(新潮選書)という力作があるが、これも同様のスタイルで書かれていた。
 靖国に合祀される基準の変遷を見ると、戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けず」が大きな影響力を持っていたことがわかる。捕虜になってその後死亡したものは合祀から外されるのが基本で、国家神道の一番悪い面が出ている。これが一般住民を巻き込んだ集団自決への道を拓いたことは否めない。兵士の遺族が靖国に祀られたくないと訴訟を起こしたこともよく理解できる。ところでA級戦犯の合祀は1978年10月だが、著者によると合祀報道の反響は意外にも低調で、靖国の権宮司は安堵の吐息を漏らした。(ここに至るまで10年間ごたごたがあった)この問題が大事件に化けたのは中国・韓国などに呼応した日本国内の反靖国派が政治運動の一環に組み入れたことや、天皇の意向を押し切って合祀した松平宮司の専行ぶりが明らかになったからだと言う。ここでいえることはA級戦犯合祀問題は国内問題だということと昭和天皇が反対したという事実である。その時の自民党の政治のありようからすれば、日本遺族会等の団体の圧力など政権維持のためのパーホーマンスが必要だったのかも知れないが残念な結果になった。こうなれば著者も言うように当分は現状維持のまま静観するのが無難ということか。

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