東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

講師が最も学ぶ

2010-03-31 | 経営の気づき
セミナーにおいて、誰が最も勉強しているかと言えば、それは講師である。2時間の講話をするための準備時間は、人それそぞれ異なるものの、人を導くための準備は大変である。したがって、社員教育を効果的に行うには、社員を講師に仕立てて行うのが良い。

あるいは、OJT(職場での仕事の指導)も効果的だ。教えている人が、教えていると言う自覚がないままに進められるOJTは、教えられる側と教える側が共に育つ。その意味では、共に育つ「共育」(きょういく)は、教育の原点である。

愛の効用

2010-03-30 | 経営の気づき
人を愛することが出来ない人は、発想力も貧困になってしまう。

例えば、絵の展覧会があったとしよう。一人のときは、好きな絵を見たいと思うだけだが、愛する人がいると、「見せたい」という気持ちになる。音楽であれば、聞きたいから「聞かせたい」に考えが広がってくる。したがって、自己中心的な人は、考えの広がりが薄いため、発想力も乏しくなる。

「見せたい」「聞かせたい」というスタンスは、サービス精神豊かなビジネスマンのスタンスでもある。要するに、人々に喜んでもらうことが、企画力のあるビジネスマンのスタンスであり、彼らは、自分を差し置いて相手方を立てる傾向があるようだ。


何を覚えている?

2010-03-29 | 経営の気づき
人間は、聞いたことで覚えていることは、10%
読んだことで覚えていることは、30%
見たことで覚えていることは、60%
行ったことで覚えていることは、90%

教育の基本形は、講師が生徒に言い聞かせることではなく、生徒自身にやらせて見ることが必要だ。したがって、私のセミナーでは、必ず演習問題が仕組まれている。

まちづくりの心

2010-03-28 | 私流
最近は、公共施設の運営が、民間に委託されることが多くなった。そして、評価を得ているところも増えてきた。行政が運営する場合と民間が運営する場合の違いは何かといえば、大事に守るべき基本原則が変わることである。

行政の場合は、「効率」「安全」「平等」が金科玉条の如く大切に扱われている。民間に委託する場合も、この三原則を守るようにと申し渡されるが、基本体質が異なるため、三原則の扱い方が少し変わってくる。即ち、どちらかと言うと、「楽しさ」と言う四つ目の原則の方に軸足を置き、場合によっては三原則を少し損なうこともあるようだ。だから施設利用が楽しくなる。

果たして結果や如何に

2010-03-27 | 雑談
明日は、恒例の「蔵開き」である。内子町五十崎の亀岡酒造で開催されるが、参加できるかどうかは、今のところ微妙だ。今日の仕事の進み具合によって、参加できるかもしれないし、参加できないかもしれない。運命の分かれ道である。

昨日の経営相談の報告書を5件仕上げて、来週の2件のコンサル支援のチェックをしなければならない。それと、再来週のセミナーの準備が1件。これら全てが今日完了した場合は、明日参加できる。本当はもう1件したい仕事があるが、これは次に回す。何しろ私の優先順位は、酒が一番、音楽が二番、仕事は三番だ。

さあ、必死で頑張るぞー。
(写真は、昨年の蔵開きのときの様子。写真の奥に見えているのが、亀岡酒造の蔵である)

企画力 対 管理力

2010-03-26 | 経営の気づき
人間のタイプを、企画型人間と管理型人間に分けて、論じてみよう。

企画型は、過去の基準にこだわらないで、新しい思考を持ち込むタイプである。江戸時代末期で考えてみると、幕末の志士がこのタイプにあたる。一方、管理型は、決められた分かっている範囲で、仕事をこなすタイプ。言ってみれば、江戸幕府に属する人たちがこのタイプである。勿論、勝海舟はその例外的存在である。

ここで、学んでいただきたいことは、企画型人間が多数いることが、組織活性化のポイントであるということだ。多方面から情報を集めて分析し、前向きのアイディアを出して、自律的に動ける企画型人間がいないと、組織はよどんでくる。

集中

2010-03-25 | 経営の気づき
ホームラン打者で有名だった王(元監督)は、家にいるときも、いつもバットを握っていたそうだ。バットを握っていると、常に、握りに意識が集まる。すると、ミートするときのバットのイメージが浮かび、本番の試合ではそのイメージ通りにバットが振れるとか。

ビジネスマンとしては、この話から学ぶべきことは、「問題意識を継続して持ち続けることの効用」ではなかろうか。職場から離れても、抱えている問題を常に意識する。そのことによって、課題解決のヒントが浮かぶかもしれないと言うことだ。

その世界の神様として敬われるような人は、常人では考えられないことをしている。さすが。

人生を彩る

2010-03-24 | 人生の気づき
次の句は、高杉晋作の辞世の句である。
おもしろき こともなき世を おもしろく

流れのままに生きていると、人生に彩をつけることは出来ない。自分から挑戦したり工夫したりして、何かを変えていくことが必要だ。高杉晋作の生き方は、私にとっては納得である。

過ぎたるは及ばざるが如し

2010-03-23 | 経営の気づき
先月退院して後、しばらくの間、貧血で苦しんだ。輸血するほどではないが、結構出血したため、ヘモグロビンが減少。歩いてもフラフラ状態だった。そこで、家内には、鉄分を摂る食事作りに頑張ってもらった。

しかし、その度合いが過ぎて、2日間、下痢があった。うっかりしてた。私のうすっぺらい知識の中に、「ある一定以上鉄分を摂ると、鉄分の蓄積は体に良くないため、体が自然に下痢をして対外に排出する」というのが、格納されていたのである。そこで、鉄分の過剰摂取を止めた。

これは、経営にも通じる話である。必要な成分であっても、限度を超えた摂りすぎは、反対に悪い現象を引き起こす。良い例え話を思い起こしにくいが、一つ例を挙げてみよう。

会社に良い人材は必要だが、全社員を頭の良い社員でそろえると、大変なことになる。頭でっかちの会社になってしまって、全員が考えるだけで動かない会社になってしまう。考えることは必要なのだが、いつも考えて答えを出してしまう体質となり、行動力が鈍ってくる。時には、考えながら行動することも必要だ。あるいは、駄目な結果が想定されても、行動しなければならないときもある。過ぎたるは及ばざるが如し。

バンザーイ千代の亀101

2010-03-22 | 私流
真面目な愛媛の蔵(亀岡酒造)を応援するために、「この指とーまれ」と呼びかけたところ、定員の101名にあと2名に迫るところまで到達した。僅か、1年半でここまでになるとは、感慨もひとしおである。

3月の定例会では、ものすごい豪傑との出会いも得られた。私の斜め前に座っていた彼は、新規入会者であったが、胃がなく、腎臓も片方がないとのこと。しかし彼は、「人間の体は奇跡に近いほどの素晴らしい造形物だ。内臓が一部なくても、他の内臓がその働きをしてくれるようになる。本当にありがたい」と言って、美味しそうに酒を飲んでいた。

うーん。

義憤

2010-03-21 | 私流
道義をわきまえない人に出会うと、私の血圧も上がってしまう。先日、こんなことがあった。

某団体から依頼された仕事をこなし、その報告書を記載して送った。何しろ、国のお金が関わっているので、県と国に報告しなければならないからだ。私は、例によって、体裁を繕うことなく、発注者を気遣うことなく、ありのままを記載した。

今回の事業が不成功に終わった理由は、要約すると、「某団体が自分たちのミッションに従わず、手間を惜しんだから」と記載した。しかも具体的に、二つの団体名を列挙した。すると、発注者の担当者は、その団体名を具体的に記載しないで、関係機関とぼかして記載するように要請してきた。

私が提言した内容を進めようと言うのではなく、そのことについて議論するのではなく、事業効果を追求しようと言うのではなく、体裁を繕うための報告書の訂正を言ってきたわけだ。何故、効果を求めないのか、形ばかりにこだわるのか、憤懣やるかたない思いである。


特に、福祉の仕事に携わる方については、熱いハートを持って欲しいが、まだ、そのような方との巡り会いはない。

食の向き合い方

2010-03-20 | 私流
2月の入院体験以来、私の食事観が180度変わった。そして、このことが、私の食事哲学の根本を変えようとしている。そのことに気付いて、嬉しくなった。自分自身の成長に気付いた小さな喜びである。

人は、ほかの人と会話するとき、大切にしなければいけない人ほど、真剣に向き合う。雑念が生じることもなく、その人が話している話題に、全てを集中させている。したがって、お互いが二人の話の世界に入り込み、別のことを思い出したり考えたりすることもない。

食事の場合を考えてみよう。「自分の命を長らえるためにとる、1日3回の食事は、毎回、真剣勝負でなければならない。本来長らえるはずの植物や動物の命を戴くのであるから、その対象物を100%意識しておかないと、相手の命に対して失礼である」と、最近、思い始めた。

親しい人と会話するときと同様に、食べ物に集中する。そして、会話する二人が同化するように、自分と食べ物が一体化する。こうなれば、当然に、体内吸収する栄養の度合いも高まるはずだ。

このように感謝して食事させて頂くと、とにかく美味しい。戴く食事を美味しくするか否かは、人間である自分の最低限の勤めである。

愛媛の県民性

2010-03-19 | 雑談
ひと口に「県民性」と言っても、全体が単一の県民性で特徴づけられる県よりも、地域ごとで気質が異なるのが普通である。これは、現在の「県」が、江戸時代の「藩」が幾つかくっついて成立しているところが多いためであり、地域ごとに独自の気質が培われている。

愛媛県の場合は、東予、中予、南予の3エリアに分かれ、それぞれに特有の地域性が見られる。東予の人々は活動的、中予は温和、南予は陽気な人が多いといわれる。

実は、今月、NPO法人の研修会の講師を頼まれ、東予、中予、南予で、それぞれ「戦略経営」について講話させて頂いた。中予はまだ終了していないが、東予と南予を終了して感じるのは、まさに地域の気質の差である。

気になったのは、従来言われていた「南予の陽気な気質」が影を潜め、幾分の暗さを感じたことである。東予の人たちに比較して、反応が薄く感じたのは、「南予のまじめな気質」が影響していたかもしれない。特に南予は経済の落ち込みが厳しいため、そのことが影響したためでないことを願っている。

さて、来週の中予の研修会では、どのような地域気質を拝見出来るか、楽しみである。

歴史に学ぶ動機付け

2010-03-18 | 経営の気づき
人をやる気にさせる名手と言えば、そのトップクラスに入るのが、木下藤吉郎であろう。その優れた才覚が遺憾なく発揮されたのが、「塀直し」である。城を守る塀の補修を短期間で成し遂げた業績が認められ、いつものようにごぼう抜きで出世するのである。その時の優れた差配の様子を分析してみよう。

先ず第一は、仕事の意味を従事させる人たちに正確に伝えたことである。身分の低い者卑しい者であっても、その意義が分かれば、踏ん張りようも違うと考えた。あの身分制度がはっきりしている時において、藤吉郎ならばこその考えである。

次は、計画の樹立である。段取りが正しければ、作業能率は随分違ってくる。その段取りを、これまでの常識を覆した考えを持ち込んだわけだ。今までの方法がベストではない、工夫すれば幾らでも改善できると言う考え方、これも見事である。

次はインセンティブ。腕に自信のある職人は、誰のために働いているかと言えば、一つは家族のためである。したがって、家族の喜ぶ顔を思い起こさせるかのように、褒美を設定する。しかも、仲間たちと競わせるというテクニックがにくい。10人ずつのグループを10組作り、そのグループに競わせる。グループの組織化も、職人たちに任せる。期限内に出来上がれば、たくさんの褒美をもらえるのだから、皆、必至で頑張る。

このような幾重もの道筋を作ったうえで、初日は酒盛りを開いて、仲間たちの盛り上がりを誘導している。

これら全ては、我々ビジネスマンに参考になると思われるが、如何。

サービスのプロ

2010-03-17 | 経営の気づき
サービスのプロは、江戸時代にいた。それは、旅籠の番頭さんである。番頭さんは、旅人を迎えると、足を綺麗にして頂くために、足を洗う。そして、足もみをする。これは、旅の疲れを癒すと共に、実は、どの部屋に泊まってもらうかを算段するための前作業にもなっている。

足のむくみがあれば、2階ではなく1階に泊まって頂く。万が一の場合には、2階から降ろすのも大変だ。1階だと、旅人にとっても旅籠にとっても好都合である。

荷物を、お客様の代わりに持つのも、中身のチェックの役割がある。江戸時代は、「入り鉄砲に出女」(物騒な鉄砲が江戸に持ち込まれないように、あるいは大名の奥方が密かに国許に帰らないように、幕府が取り締まっていた)に注意しなければならない。荷物の重さによって、人が忍んでいないか、鉄砲が入っていないか、チェックするのである。様々な気配りには、それ相応の意味があったのだ。

果たして、現代のサービスは、江戸時代の旅籠の番頭さんのレベルを超えているかどうか。まだまだ努力が必要かも・・・