東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

酒の一滴

2012-06-30 | 私流
酒に関する名言に、「酒の一滴は血の一滴」というのがある。確かにその通りだ。

献血をしてて血がこぼれても、口ですすることはしないが、酒であればするだろう。したがって、私であれば、「酒の一滴は血の一滴を超える」となる。

カルチャーショック

2012-06-29 | 初体験の気づき
先日の土曜日から英会話の教室に通い始めた。そして、最初の授業にて、カルチャーショックを受けた。今まで10年間、学校で学んできた英語の授業とは、全く教え方が違う。単語を一文字ずつ訳す必要は無い。文法も全く関係ない。ただ、会話する相手方の言葉をしっかり聴けば、おのずと応える言葉は見つかる。

明治時代に発刊されたスペース・ケナードの著作「THINKIG IN ENGLISH」を用いるが、月に2回、90分のレッスンを受け、毎日10分間自習すれば、1年後にはペラペラ話せる状態になっているとか。その教え方に惹かれて、始めた英会話教室だが、予想通りの魅力がいっぱい詰まっている。

実は、一番気づかされたことは、「コミュニケーション」ということ。テキストだからと棒読みするのではなく、その感情を伝えることを必死に努めなさいと教えられた。人間と人間がコミュニケーションするには、語学を学ぶということよりも、気持ちを伝え合うことを意識しなさいと言う。この歳にして、やっと気づいたカルチャーショックである。

その人と真剣に向かい合い、心を伝える気持ちがあれば、単に語学を学ぶ以上の力が備わる。「聴くこと」「伝えたい気持ちを持つこと」この二つが、絶大な力を持つらしい。


自然災害の意味

2012-06-28 | 人生の気づき
この世の中に、無意味なものは何も存在しない。全てが、何らかの価値をもっていると信じている私が、ふと疑問を感じた。では、自然災害は、どういう価値があるのだろうか。一つは、人間の間違いを気づかせたり、人間を鍛えたりするときに、意義があるかもしれない。

「複合生命体としての地球(五井野正博士の言葉)」という側面を考えれば、自然災害は、地球が自らを正常な状態に戻すための自己再生機能が発動されている状態とも捉えられる。我々地球人が自然に対して行ってきた結果を、今になって受けている、という理解になる。

これから地球人が受ける食料危機、エネルギー危機は、自らの行為の結果であり、その教えの一環として自然災害も現れている。

政治家と政治屋

2012-06-27 | 雑談
政治家には、二つのタイプがある。仕事を天職と考えて、自分の都合は考えない人が第一のタイプ。そして、第二のタイプが、利権やお金そして名誉など損得勘定で動くタイプ。しかし、最近は第三のタイプが現れた。政治産業と位置づけて、利益を得るために大きなお金を動かす人。国にとって害の大きい、第三のタイプが一番怖い。

第二と第三のタイプが際立って目立つためか、第一のタイプの方とはなかなか出会えない。ごく少数派なのであろう。国民のためとは言いながら、結局は、自分のため、票を稼ぐためにのみ動く人が多い。

「金をもうけたい」「権力を手にして威張りたい」「大臣になりたい」「利権にありつきたい」「権限を手に入れたい」「好き勝手なことがしたい」「勲章をぶら下げたい」これらの反対のことを言う人がおれば、本物の政治家として大いに応援したい。どなたかご紹介いただけませんか。


墓場への追い越し車線

2012-06-26 | 雑談
吸いすぎ、飲みすぎ、食べすぎ、働きすぎは慎もう。みんな墓場に向かっているとはいえ、わざわざ追い越し車線を走ることはないのだ。

ロバート・オーエンの名言だが、現代の日本人は、読み味わう必要があるね。私も反省しきりです。食べすぎ、飲みすぎを反省するために、写真の病院食を思い返しています。


体の要求

2012-06-25 | 雑談
ビールのつまみはなぜ塩辛いかと言えば、血液がナトリウム(塩分)を欲しがっているから。血液は、ナトリウムとカリウムの濃度を一定に維持するため、カリウム濃度が高くナトリウム濃度が低いビールを飲むと、ナトリウム(塩分)を要求する。したがって、本来は、体の要求どおりに、食べ物を選択すれば、合理的な食生活が出来るはずだ。

貝原益軒は『養生訓』のなかで、「食い気のしないものを食べるな」と言いきっている。また、魯山人は、食べたいときに食べたいものを適量に食べることが健康の秘訣であると、説いている。体の要求は、緊急に必要な栄養素を教えてくれる。

その人にとって必要な栄養素を含む食品は、その人が美味しく感じられる。安いものでもなんでも、身体によいものは美味しいと感じる。しかし、栄養素が偏りすぎると、「美味しくない」と体が知らせてくれる。脳が、体の要求をとりまとめているからだ。

しかし、残念ながら、食べ過ぎの現代人は、嗜好性に過度にこだわり、体の要求が鈍くなってきた。脳が完璧ではなくなった。貝原益軒や魯山人の時代と違い、脳の予想外の事態によって、体の要求で見分けられる人が極端に減った。これが現代社会における、健康の危機である。

三度の食事の疑問

2012-06-24 | 雑談
一日三食という食習慣は、いまでは当たり前。しかし、そのおかげで、国民の多くが肥満体質になってきた。その昔、狩猟者に近い暮らしをしていた時代は、空腹になったら食物を求めて狩猟・採集するという生活をしていたに違いない。奈良時代あたりまでは、狩猟と農耕を兼ねていただろうから、食事は一日一食、一日の労働が終わった最後に摂るのが普通だろう。

二食になったのは、栽培農耕が可能になり、食糧が保存できるようになってかららしい。しかし、栽培農工が広まっても、富裕階級でさえ昔は2食だった。古い書物をみても、後醍醐天皇は、昼頃にその日初めての食事を摂り、夕方暗くなる前に食事を摂って休まれたと書かれている。

三度の食事を摂るようになったのは、鎌倉時代。それが次第に支配階級に伝わって、武士階級がすべて朝・昼・晩の三食を摂るようになったのは、江戸時代中期以降のこと。

次の変化は明治維新に現れる。明治維新によって武士階級が崩壊して、新政府が平民を集めて軍隊を作り、彼らに武士階級と同じ食事方式を採用した。おかげで、一日三食の習慣が全国的に普及するに至った。このように、一日の食事回数の歴史を見た場合、果たして、正解はどこにあるのかと勘ぐってしまう。

もしかすると、腹が減ったときに食べ物を探してきて、食事をする、この仕方が最も生体的には合っているのではなかろうか。三度の食事を決まった時間にとるという現在の習慣は、果たして正しいのだろうか。


1社に頼るな

2012-06-23 | 経営の気づき
大きな仕事が舞い込むのは、ビジネスマンにとって嬉しい出来事である。しかし、もしも、その仕事が消えることによって、会社の存続が危ぶまれるほどのでかい仕事は受けるべきではない。リスク分散の点からは、大きな問題だ。

その仕事を一時的な存在として位置づけるとしても、問題がある。新しい環境に馴染みやすい人間の習性として、「その仕事があることが当たり前」のこととなり、いつか排除しようという気持ちが徐々に萎えてくる。人間は弱いから仕方がない。したがって、1社に頼る仕事をつくるのはまずい。

生きる心構え

2012-06-22 | 私流
ブログを立ち上げた頃と最近では、その内容が随分変わってきた。以前は、「経営の気づき」のジャンルが多かったが、最近はめっきり減り、「人生の気づき」と「雑談」が増えてきた。多分、仕事に対する興味よりも、人間に対する興味の方が上回り、遊びが増えてきたためだろうか。加齢現象の現われかなと、一人で納得している。

さて、これまでの変化を振り返ったとき、楽しみなのは、今後のブログの変化である。多分、仕事量は減るだろうから、今以上に遊び体験の話が増えるだろう。しかし、遊んで楽しかっただけではつまらないから、そこで何がしかの気づきを得たい。

幼児教育は、小学校の準備ではなく、人間の土台を作る大切な時期だと言われている。一方、人間の卒業期である老年期は、人間教育のプロセスとして見過ごされがちだ。しかし、命を大地にお返しする最期において、何を気づくかの最終仕上げの時期である。とすれば、幼児期に劣らぬ大切な時期でもあり、心して取り組まなければならない。

動かざるもの

2012-06-21 | 人生の気づき
先日、NHKの新日本風土記を見てて、気づいたことがある。その場面は、ある農家の生活を追うものであったが、彼曰く「田んぼのキャンパスに写る富士山は、私だけのキャンパスで、この姿を毎日見ることが仕事の励みになっています」

そう言えば、この世には、動くものと動かないものに二分されるが、動かないものの存在価値が大きい。人間は、つい、お金や食べ物や新商品など「動くもの」を追い求めるが、どっしりと構えた海や山など「動かないもの」が生きる糧になっている。したがって、地震や津波などの自然災害で、本来動かないものが消えてしまうと、心の喪失感も大きい。

当たり前のものこそ我々に役立っているという事実は、時々思い起こす必要がある。

酒代の換算

2012-06-20 | 私流
一昨日、東京の出張を中止した。台風の影響で、帰り便の確保が危ぶまれたからだ。キャンセル料は5割。誰しも、キャンセル料がとられることが悔しいが、私の場合、酒代と換算してしまう癖がある。キャンセル料がとられなければ、一夜、豪勢に飲めるのになあ・・・と。

交通違反の罰金を取られるときも、これで飲めたのになあ・・・と。人間の本当の値打ちは、このあたりに現れるのかも。「この分、どこかに寄付できたのになあ」と思えればいいのだが。残念かな、意地汚い私は、酒代と換算してしまう。

献血で血がこぼれてもなんとも思わないが、酒をこぼしたときの残念なこと・・・。

即決

2012-06-19 | 経営の気づき
私は、いつも、宿題をつくらないように心がけている。何かを質問されたり頼まれれば、その場で答えを出す。もし、その場での回答が出来ないときは、いつまでにお応えしますと、必ず、期限を切っている。したがって、うやむやになることはない。

ビジネスマンとして信頼を得るためには、非常に重要なポイントだ。「物事を頼むとき、忙しい人を選ぶべきであり、暇な人に頼むのは好ましくない」と言われるのも、このあたりと関係している。暇な人は、いつでも出来るという油断から、なかなか手をつけないことが多い。その点、多忙な人は、その場で解決しようとするから、解決が早い。

しかし、唯一つ、私に出来ていないと断言できることがある。それは、飲みに行く約束の実行だ。最近は、あまりにも約束の数が多く、実行が延び延びになっている。関係者にはこの場を借りてお詫びしたい。

誰も見ないで

2012-06-18 | 人生の気づき
振り返ってみると、いらいらの感情は、自分と他人を比較することから始まるようだ。「あの人はいいなあ。それに比べて自分は・・・」とか「あの人と違って、私だったら、もっとテキパキできる」とか。相手と自分との違いを見つけ、一喜一憂している感がある。

他人は他人、自分は自分と割り切ればいいのだが、なかなか出来ない。比較をしてはいけないと分かっていても、なかなか行動が伴わない。したがって、他人を見なければいい。なんとなく比較してしまうのであれば、いっそのこと他人を見ないようにすればいい。

他人を見ないのであれば、他の状況が分からないから、もはや比較のしようがなくなる。他人を見ないで、自分だけを見ればよい。比較するとしたら、せめて自然界だろうか。自然界には様々な教えが散りばめられているから、自然界と見比べれば良い。

私自身出来ていないことだが、正論を語っていると、少しは近づけるかもしれない。

酒器

2012-06-17 | 雑談
4人の客人と私のぐい呑みを用意した。食べ物や飲み物は、器による影響度がかなり大きい。プラスチックの器では味気ない一方、器が良ければ、さらに中身の味を引き立ててくれる。

今回、登場したぐい呑みは、私の好みの品から厳選したものだ。お客様に喜んで頂ければ、それだけで幸せです。このおもてなしの心は、通じるはず。

ブツブツ文句

2012-06-16 | 雑談
ある日、突然キレる人は、普段まじめな人が多い。まじめな人は、自分を抑制している。言いたい気持ちがあっても、上手にそれを抑えこみ、問題がないようなふりをしている。実は、問題がないように見えても、実際は吐き出したい気持ちを抑えこんでいるだけだ。

したがって、そのストレスはどんどんと蓄積される。しかし、その人にとっての限界に達したとき、はじけてしまう。と言うことは、まじめな人こそ、潜在的に問題があると言える。

一方、普段からぶつぶつ文句を言っている人は、案外キレたりはしない。普段から文句を言って吐き出しているので、ためこまないから。したがって、キレてはいけないが、少々の文句は言ってもかまわないと、受け入れるべきかも知れない。