東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

分身を育てよ

2010-02-28 | 経営の気づき
会社において、上の職位にいけばいくほど、高い次元の仕事が出来るようにならなければならない。その秘訣は、自分の分身を作ることである。

係長とか課長とか、「長」の名がついたら、一つ上の職位をイメージしながら業務遂行すべきである。しかし、そのためには、日ごろから自分の分身を育てていなければいけない。しかも、上のポストに上がるたびに、自分の分身が必要だ。

その分身の育て方は、明日、ご紹介する。

人それぞれ

2010-02-27 | 失敗の気づき
今日のカレンダーに書かれていた標語は、「今日すべきことは、明日にのばさず」であった。しかし、私の場合は、「明日でも出来ることは、今日はやらない」である。

何しろ、私は、ストレスを溜め込むタイプだから、後者の方が、向いている。要するに、人それぞれ、課題テーマは違うと言うことであろう。

お釈迦様の教えは、段階説法であると言われている。人それぞれの段階によって、示す教えは異なってくる。だから2年前に教えられたことが、2年後に自分が進化している場合は、真逆の教えを示されることもある。人それぞれ、教え方それぞれである。

並べ方・見せ方の演出

2010-02-26 | 経営の気づき
青果を例に挙げて、陳列テクニックについて、ご紹介する。基本中の基本の話だが、先ずは基本を固めなければならない。と、なぜ私が言うかといえば、基本の出来ていない店舗が如何に多いかなのである。

青果店の陳列は、主力商品を売っていく場合と、鮮度で売っていく場合と、演出で売っていく場合の、三つに分けて考えなければならない。

売上上位のアイテム70%を占める商品が主力商品だが、一般的には、量を捌くために粗利を下げて、店頭とか店入り口に大量陳列する。これが、青果における、主力商品の販売法である。

次は鮮度を高める陳列の説明だ。ほうれん草・ニラ・春菊・タカナなどは、自然性陳列を行う。即ち、畑に生えているときの状態で立てて陳列すると良い。しかも、30度くらいの角度をつけて。根の部分は、小型のトレーを置き、水を張っておく。この方法だと、物理的に良いだけでなく、視覚的にも訴求出来る。

次は演出陳列の問題である。如何に、お客様にイメージを膨らませてもらうかを狙って、様々な小道具を用いよう。これも、実行している店が少ない。例えば、しいたけだと原木、イチゴだと簾、スイカだと家庭用の子供プール、鍋物の材料だと土鍋と言った具合だ。

消費者の皆様も、上に説明した基本力の備わった店舗がどのくらいあるか、チェックして下さい。とは言っても、青果専門店が消えていった今、そのチェックも難しくなった・・・

工業型と農業型

2010-02-25 | 経営の気づき
他社の先進事例を取り込んで、自社の経営改革を行おうとする場合、どちらかと言えば、工業型よりも農業型がお奨めである。工業型は、新しい部品を取り寄せて、製品に組み込むタイプ。組み込むだけなので、自社で苦労した部分は何もない。

一方、農業型は、何かを参考にする、あるいは真似るのだが、そのまま真似るのではなく、自社なりの工夫を組み込んだり、時間をかけて改良育成するタイプである。一般的には、工業型の方が多く、安直な道を選ぶ会社が多い。

やはり、苦労と努力を惜しんではならないということだ。

師匠を見つけよう

2010-02-24 | 私の師匠
独学で自分を磨く場合、物真似がないため個性的な自分を作り出せる。しかし、デメリットは、時間がかかるということ。時間がかかるということは、裏返しに表現すると、「無駄が多くなる」と言うことだ。厳密に言うと、何事も無駄はないため、一見無駄だと感じることは、将来何かに役立つので、先ほどの私の説明は間違っている。しかし、失うものも多いことに留意しなければならない。

一方、時間的にも、レベル的にも高度のものを目指す場合は、師匠を見つけた方が良い。独学だと、幹の部分の習得よりも、枝葉の部分に関わる時間が多くなる。しかし、師匠に学ぶと、「根」「幹」「枝葉」と、正しい順番で学べる。従って、効率的に成長し、ハイレベルな域まで到達できる。

最後にもう一つ。師匠に学ぶときの最大のメリットは、「言葉では伝えにくい、全体的なもの、雰囲気的なものを、空気を媒体にして、習得できる」ということだ。

腹八分は全てに通じる

2010-02-23 | 経営の気づき
入院して絶食が8日間続いて後の私の食事は、いつも腹八分である。満腹にはしない。多分、この習慣は、生涯続くであろう。何しろ、全てが良くなるのだから。

例えば、腹八分なので、食事を終えた瞬間に、もう次の食事が楽しみである。昼食を終えたすぐ後なのに、もう、夕食が待ち遠しい。とにかく、味も格別である。なんでもない普通のものでも、美味しいことこの上ない。このような食生活だから、ウェストは細り、メタボは解消した。血圧も見事に下がった。

以前に、享保時代の古い書物「町人ぶくろ」に書かれた言葉をご紹介した。
盈(みつる)はおごりとなり、おごりは万悪の基となる。欲を薄うして、盈ことなからしむ。
これは商売の基本を示した言葉であるが、まさに食生活にも通じるし、生活や経営、全てにに通じると考えるが如何であろう。

今、トヨタの車のりコールが様々な国で問われているが、要するに、トヨタも、シェアを広げすぎたのである。もう少し欲を抑えて、他社のことまで気遣っていれば、問題拡大につながらなかったのであろう。何事もほどほどに・・・である。

裾野の拡大力

2010-02-22 | 経営の気づき
5000年以上も昔、180メートルの高さのピラミッドを作ったのには驚かされる。私のような浅はかな者が、180メートルの高さのモノを作れと言われれば、恐らく、ブロックのようなものを単純に積み上げていくだろう。しかし、その方法だと、20メートルも行かないうちに倒れてしまう。

高さを確保するためには、底辺を広げることが、一つの知恵なのである。底辺を広く確保すれば、安定感が得られて、高さを伸ばすことが可能になる。この考え方を「人間力を高める」と言うことで、転用してみよう。

人間は、あらゆることに興味を持って横幅を広げていけば、頂点を幾らでも上げていくことが出来ると言うことになる。その頂点は、知識力と考えても良いし、技術力と捉えても良い。とにかく、あらゆることに興味を持ってチャレンジすれば、安定した底辺が確保でき、高い頂点を築くことが出来るのである。

ペースメーカー

2010-02-21 | 私の師匠
父が昨年亡くなるとき、死を迎えるまでのある期間、非常に苦しんだ。それは、胸にペースメーカーを埋め込んでいたためだ。心臓以外の内臓は衰えても、心臓だけはペースメーカーの力を借りて、いつまでも鼓動する。したがって、死にたくても死ねないのだ。その様子を見ていた我々家族は、ただ、涙するばかりであった。

そして、父がやっと安らぎのときを迎えた後、家族が、「ペースメーカーを入れてなければよかったね」と。でもその後、母が気付いた。「ペースメーカーのおかけで、寿命を10年永らえさせてもらったのだから。愚痴を言うのはいけないね」と。そして、ペースメーカーに向かって、「ありがとう、命を永らえさせてくれてありがとう」とお礼を言っていた。

無機物であるモノにも、心はあるはず。したがって、母は、今までの悪口から一転して、お礼の言葉を述べた。

確かにそのとおりだ。私が退院するときも、そのペースメーカーのことを思い出し、ベッドに向かって般若心経を唱えさせてていただいた。「ありがとうございました」とお礼の言葉も述べることが出来た。もし、あの出来事を思い出さなければ、自分がお世話になったベッドの置かれた空間に、お礼を言うことはなかっただろう。

あるがまま

2010-02-20 | 人生の気づき
人間、あるがまま。背伸びをしても駄目。綺麗に着飾っても駄目。上辺だけいくら装っても、いつかメッキが剥げるよね。だから、人間は、あるがままを見せないといけない。若いときは分からなかったけど、この歳になってやっと分かってきた。長い月日が必要だったけど、長くかかったからこそ、貴重な授かりモノだと納得出来る。

だから、今の仕事、背伸びをしないことにしている。すると気が楽だ。こんな気になったのはつい最近かな。今までは、いつも無理してたもんね。笑

少しでも抜きん出れば

2010-02-19 | 経営の気づき
短編小説の人気作家である阿刀田高氏が、次のように語っておられたことを記憶している。

「私には、松本清張さんのような極めて幅広い知識はない。さりとて、司馬遼太郎さんのような歴史観や、川端康成さんのような鋭い文学的感性にも恵まれていない。それでも世に出ることが出来た。つまり、私の小説は、世間の標準が10であれば、10.5程度である。20も30もの評価を得られる人は天才であり、そのような人は殆どいない。ただし、この0.5は、間違いなく私の個性であり、私の文体・文脈であり、私の流儀であり、私の息遣いだと言い切れる。標準より0.5でもいいから、抜きん出ていれば、世に出る武器として十分だ」

この阿刀田氏の言葉は、文学に対してのみ説明が通じるものではなく、全てに通じると私は考える。即ち、業界の中から抜きん出るような何かを持てれば、その企業は、何らかの社会的価値を発揮できるのである。したがって、お客様が付いて、商売として成り立つようになる。

何かを抜きん出よう。全てではなくて、何かでよい。

品質の分解

2010-02-18 | 私流
良い商品は、良い品質を備えている。その場合の「品」は「造り手の美学」であり、製作者は、世の中において何が美しいかを知っていなければならない。外見上の形としての美しさだけでなく、内面的なものも問われるであろう。とすれば、製作者としての「遊び心」が必要になることもある。

一方、「質」は「サイエンス」である。

今回は、哲学的に遊んでみた。笑

天からの授かりもの⑥

2010-02-17 | 人生の気づき
今回の病で得た気付きの最後は、「過去は悔やまず、先は憂えず」である。

今回の病の引き金は、ストレスと思われるが、そのストレスをどのようにして防ぐか。そのヒントに気付いた。それは、過去のことを振り返って後悔しても仕方がないということ。そして、まだ来ない将来のことを心配しても仕方がないということ。この二点である。

即ち、「今だけを見つめ、目の前のことのみに全力投入する」ことだ。何も心配しなければ、スレスも発生しないはず。「過去を反省しつつ、いつも先を見つめた経営をしましょう」と、経営者に言っていることと、真逆を行うことになるが、ストレス防止にはこれが一番だ。笑

天からの授かり物⑤

2010-02-16 | 人生の気づき
今回の入院を体験をして思い出すのが、2008年9月5日に書いたブログである。そのときに、ニューヨーク・リハビリステーション研究所の壁に書かれた患者の詩を記載した。参考まで、再度掲載させて頂く。

大事をなそうとして、力を与えて欲しいと神に求めたのに、
慎み深く従順であるようにと、弱さを授かった。

より偉大なことが出来るように、健康を求めたのに、
より良きことが出来るようにと、病弱を与えられた。

幸せになろうとして、富を求めたのに、
賢明であるようにと、貧困を授かった。

世の人々の賞賛を得ようとして、権力を求めたのに、
神の前にひざまずくようにと、弱さを授かった。

人生を享楽しようと、あらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと、生命を授かった。

求めたものは一つとして与えられなかったが、
願いは全て聞き取られた。

神の意にそぐわぬ者であるにもかかわらず、
心の中の言い表せない祈りは、全てかなえられた。
私は、あらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。

上の詩は、私が10数年前、愛媛県立病院の壁に貼られていたものを、写し取ったものだ。
自分の限りない欲望を自制するために、今も時々読み返している。作者不明の落書きの詩だが、心がなんとなく温まりませんか。くしくも、詩が掲載されていた同じ県立病院に入院したのである。不思議なご縁だ。

天からの授かり物④

2010-02-15 | 人生の気づき
今回の病で得た四つ目の気付きは、実は、14年前に過労で倒れたときにも感じたものである。しかし、そのときの気付きは忘れ去られ、私の脳裏からは完全に消えていた。

それは、「仕事、は手段として遂行するのではなく、目的化しなければならない」ということであった。収入を得る手段としてその仕事をしたり、あるいは、名誉欲に駆られて、手段としてその仕事をしては駄目なのである。

クライアントのために、その仕事そのものを目的に位置づけて取り組まなければならない。このことを忘れていて、仕事を能動的にではなく受身的にこなしていた。そのことが、体を壊すことにつながったのではないかと・・・これが、四つ目の気付きである。

奇跡のプレゼント、本当にありがとうございました。感謝です。

天からの授かり物③

2010-02-14 | 人生の気づき
天から授けられた病から、色々な教えを戴いた。教えの三つ目は、「感謝の心」である。

多量の出血によって私の意識が消え、家内が救急車を呼んだ。意識朦朧の中、家内の電話のあわてぶりがおかしかった。後にして思えば、私にゆとりがあったと言うことか。しかし、真夜中の救急車の出動・病院スタッフ等々、皆が右往左往している姿に、手を合わせた。「申し訳ありません」と。

病院では、深夜でも、ナースコールが常時10分たたないうちに鳴り続けていたのには、驚かされた。看護士さんの激務は、聞きしに及ぶものがある。私の部屋には、ポータブルトイレが置かれているが、その後始末も、若い看護士(女性)が処置してくれる。本当に申し訳ない。

人間、どこにいても、一人で生活できるものではなく、誰かの助けを得ている。見えないところで、見知らぬ人に助けられていると言うことが、今回は体の中に刻み込まれた。

奇跡のプレゼント、本当にありがとうございました。感謝です。