東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

無為に過ごす

2010-08-31 | 人生の気づき
テレビドラマの「ゲゲゲの女房」で茂の仕事場に貼られている言葉。無為に過ごす。良い言葉だなあ。

茂が常々言っている旨を加味すると「自然の為すがままに任せて生活する」という意味が近いと思われる。仕事と時間に追われている私としては、身につまされる言葉だ。

誰のためでもなく、何のためでもなく、ただぼーっとしていることは、時に必要だ。その時間の無い私は、この言葉が大好き。

写真中央の小さな島は、小説「坊ちゃん」に登場するターナー島。私たち現地の人は、この島を四十島と呼んでいる。この島でただひたすら、ぼんやりしてたら気持ちよいだろうね。

大学内にて泥棒に遭遇

2010-08-30 | 経営の気づき
昨日8月29日、泥棒と遭遇した。泥棒とは言っても、本物の盗人ではなく、時間泥棒である。しかも、相手は経営コンサルタント。

事情を説明しよう。主催は松山商工会議所、会場は愛媛大学。参加者は、これから創業をしたいと思っている人たちだ。私は、講座開始予定時刻20分前に講師として入室した。しかし、私の開始予定時刻になっても、私の前の担当講師の話がなかなか終わらない。平然と、彼は、喋っている。うーん。

経営の重要要素の一つである「時間」を無視しないで欲しいな。我々コンサルタントのコストは、時間と言ってもいいくらいだ。物品コストはたかが知れている。時間が問題なのだ。

週2回・月2回・年2回

2010-08-29 | 雑談
私の晩酌の回数は、週2回までになった。以前の状況を知っている友人に話すと、信じられないという顔をする。

夜の街に繰り出した時は、その日のうちに帰る。日がまたがってもよいのは、月2回まで。別に家内から制限されたわけではないが、体力の衰えを感じての自主的な決意である。

そして、年2回は、奇抜な遊びの目標回数。以前は、バーを借り切って、サックスパーティーを開いたり、仮装の忘年会など、楽しく遊んだ。最近は、回数が少ないから、頑張らないと…

取り敢えずは、11月に、座敷で芸子さんたちと遊ぶ会を設定している。さて、来年は何をするかな?

母子同服

2010-08-28 | 人生の気づき
漢方に母子同服(ぼしどうふく)という用語がある。意味は子供の病気に母親と子供が一緒に薬を飲むことを示している。

子供の夜泣き、あるいは精神的なものからくる腹痛・下痢等の場合、漢方の治療では、薬を母子とも一緒に服用してもらう。つまり、夜泣きや腹痛の原因が子供の側だけにあるではなく、母親のぴりぴりと張り詰めた精神状態なども影響している。

西洋医学ではこのような考え方がないが、さすが東洋医学である。時には、仕事に疲れた父親に服してもらうこともあるとか。私も反省しなければならない。自分のイライラは、人にも移っていくのだから。

ナヌッ・・・

2010-08-27 | 雑談
私たちは、自分の経験の範囲内、蓄積知識の範囲内でしか、物事を理解出来ない。何か新しいことを聞いたときも、自分の脳で勝手に内容を作り上げてしまう。場合によると、それは、伝え手が考えていることと全く異なるものかもしれない。

以上のことを先日、体験した。私の考えた新規事業をお伝えしようとするのだが、なかなか理解してもらえない。その方からは、面白い事業だねと言って貰えるものの、まだ本当に理解されていない。私のコミュニケーション力の未熟さと、その方の理解力不足が重なっての結果である。

世の中には、このようなことが多い。人間は、自分の作り上げたフィルターがあって、聞いた話は、このフィルターで濾過するものだから、話は微妙に作りかえられる。コミュニケーションは、難しいね。

能力発揮

2010-08-26 | 経営の気づき
大企業は全社一丸となって能力主義を目指してよい。しかし、中小企業の場合には、多くの企業において、能力主義の徹底が無理がある。能力のない人、能力を高める意識の無い人が多数存在していることが、その理由である。

したがって、中小企業においては、能力の向上よりも、能力の全面発揮に努力すべきである。すると、そのことによって、弱者的な従業員(身体障害者や能力の低い人)の保護を図ることが出来る。

能力向上よりも能力発揮を基本的路線に据えると、気分的にも楽になる。ゆっくりやろうよ。

専制君主方式が最高

2010-08-25 | 雑談
チャーチルも言っているように、正しいリーダーがいて、その人が専制君主方式を敷くのが最も良い。ただ、問題は、確実に正しい判断を下す人を見つけるのが難しい。それぞれが、自分が正しいと言い張るし、駄目な人ほど、その主張が激しくなる。

まさに、小沢氏もその一人かな・・・
もっと、まともな政治家が登場して欲しいものだ。野心ではなく、志として高いものを持っておられる方はいないのか。

眠らせないぞ !!!

2010-08-24 | 私流
先日、ファイナンシャル・プランナーの資格更新研修の講師をさせて頂いた。事務局から依頼されるとき、「中に何人かやる気のない人がいて、眠っている人もいます。お気を悪くされないように」との話もあった。

そこで、私は、例の如く、絶対に誰も眠らせないぞと、意気込んだ。話が面白ければ、絶対に眠らないはず。案の定、誰も眠らなかった。全員が、食い入るように、私の話を聞いていた。要するに、受講生が悪いのではなく、講師の選定が悪いから、眠る。

私も、何かの話を聞きに行くときは、内職の仕事をもっていくことにしている。最初の5分間で、その講師のレベルは分かる。講師のレベルが低いときは、ひたすら、持参した仕事に取り組む。貴重な時間がもったいない。

講師側としても、受講生の「命」の数時間をもらうのだから、命がけで講演しなければならない。その真剣さが足りない場合は、話もつまらなくなる。

竜馬との共通点

2010-08-23 | 私の師匠
私の尊敬するある友人は、坂本竜馬との共通点が二つある。一つは、高知県出身。二つ目は、私利私欲が全く無い点。

2年後には、高知県に帰り、好きな農業生活に打ち込むとのこと。現在は、半農半営である。即ち、少し経営者の仕事をするが、殆どの仕事を任せ、好きな作物を作っている。したがって、自分はリタイアするために、事業経営も、社員に譲るとのこと。売却するのではなく、一緒に励んだ仲間として、無償で差し上げるという。この言葉にはびっくりした。さすが、彼らしい。

売却すれば、そこそこの資金が入る会社なのだが、売却しないと言い切っている。まさに、竜馬だよ、あんたは。


野菜は裏切らない

2010-08-22 | 人生の気づき
キューリを植えると、必ずキューリが収穫される。ナスビを植えると、必ずナスビが収穫される。野菜は、植えた人の期待を裏切ることが無い。これは自然界の法則でもある。

しかし、人間は、育成者を裏切ることが多い。このような人間に育って欲しいと願っても、多くは、願っていない方向に行く。人間育成は、一番難しい。

野菜は育てた人を裏切らないが、人間は裏切られることが多い。ここに、人間育成の醍醐味がある。

ほのぼの

2010-08-21 | 雑談
宇和島市の向かいの島、九島に行った。当日も猛暑だったが、風が何故か心地良い。宇和島を出るときは、風も暑かったが、島に着くと、風がさわやかである。気分的な影響か、空気も透明さを感じる。

船員さんの対応も純朴である。黙って手を差し出す。切符をくれということだ。喋らないところが面白い。しかし、こちらが声をかけると、色々と教えてくれる。ほのぼのとしてていいね。

盛者必衰

2010-08-20 | 経営の気づき
国家であろうと、企業であろうと、個人であろうと、衰退は必ず訪れる。興隆した後に必ず訪れるものが、衰退である。したがって、衰退は、盛者にのみ許された特権である。誰も衰退は望まないが、自然の摂理として衰退が訪れる。

しかし、時期を遅らすことは可能だ。その一つの手法が、自らを変えることである。環境の変化に適合させるべく、自らを変身させれば、興隆を維持出来る。いずれ訪れるであろう衰退をしばらくの間しのぎ、興隆を維持出来る。それは、如何に自分を変えられるかにかかっている。

生販同盟

2010-08-19 | 経営の気づき
大型店は、買い物によって発生した消費者データを、メーカーと協力して活用している。即ち、製造業と販売業の連携であるため、製販同盟と名づけられる。一方、零細規模の小売店は、メーカーと連携できないため、地元消費者ともっと密接に繋がらなければならない。言わば、生販同盟である。

例えば、書店が近隣の子供を集めて、読書会を開いたり、探検隊を結成して自然科学をともに学ぶといった形が、生販同盟になる。零細業者であっても、大手業者に無い機動力を活かせば、新しい活性化の切り口が出来るはずだ。

あるガソリンスタンドは、近隣の主婦を集めて、地域限定の新聞を発行している。知恵を使えば、何か出来るはず。

私の街

2010-08-18 | 経営の気づき
商店街が駄目になったのは、プロの店が少なくなって、会話が無くなって、お客様が威張りすぎて「とにかく安ければいい」と言うようになったためだ。そして、一番致命的なのが、「私の街」という所有感覚がなくなったことだ。

したがって、商店街の人たちも、自分たちが買い物するときは、商店街の店を使わないで、スーパーで買い物する。あるいは、街に愛着がわかず、平気でゴミやタバコの吸殻を捨ててしまう。そうした行為に何も感じない。このような住民がいては、商店街は活性化しない。

もっと街に愛着を感じなければ、街は元気にならないよ。

坂本竜馬の感覚

2010-08-17 | 私の師匠
坂本竜馬の人間的スケールの大きさは、どこにあるのだろうか。私の考えでは、「自分と一体化して考えられる範囲の大きさ」にあると思われる。凡人だと、せいぜい、自分のみか、もしくは家族の範囲までである。

少し、人格のある人だと、住んでいる地域全体を一体化して考える人もいる。しかし、政治家の場合だと、郷土のことしか考えない人は、スケールが小さいと言える。国全体のことを考えて行動しなければ、本来の政治家とはいえない。一方、投票する市民は、郷土のことに見向きもしない政治家を落選させる。本物の政治家を育てようとしないのである。困ったものだ。

そして、竜馬は、まだ日本国という意識が無かった頃に、国全体のことを考えていた。このとてつもないスケールに、我々凡人は魅了されてしまう。