東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

ジーンズの街

2012-10-31 | 初体験の気づき
我々コンサルタントは、充電と放電を繰り返しながらも、蓄電量をアップしていかないと時代についていけない。支援させて頂く会社の経営者以上の蓄電量がないと、顧問契約も切れてしまう。したがって、知識としての充電と、見聞としての充電の両角度からの努力が必要になる。

そこで、先日は、岡山県倉敷市児島のジーンズストリートを視察してきた。300店あった商店が次々と閉店し、現在では80店舗しかない。その商店街をよみがえらせようということで、日本のジーンズの発祥の地である利点を活かして、ジーンズメーカーが空き店舗に小売店を設置した。鮮度の高い商品が、たくさんの逸品の中から探せられるという魅力は、相当に大きいはず。

この企画は国でも評価され、賞金まで獲得した。その企画内容を見る限り、画期的な内容であるため、3年後にこの街がどのように変身しているか、皆様も是非チェックして欲しい。

(写真はジーンズとスリーとにつるされている、街の象徴でもあるジーンズ。低く垂れ下がっていた場所では、そのジーンズ盗まれたとか)

当事者になろうよ

2012-10-30 | 人生の気づき
多くの人は、当事者になろうとするのではなく、気楽な傍観者のまま居続ける人が多い。人にはタイプがある。傍観者派と当事者派。私は、関心の高いことであれば、周りから見て評論するのではなく、出来る限り経験してみたいため、積極的に当事者になろうとする。おかげで色々な体験が出来た。

傍観者派は、あれやこれやと批判するものの、批評だけで終わってしまう。そのような人生、退屈ではありませんか。

(写真は、行きつけのバーで、FM放送の収録をしていたので、私も絡んで写真を撮らせてもらったシーン。傍観者ではつまんない。当事者にならなければ)

戦略を一言で言えば

2012-10-29 | 経営の気づき
経営戦略を一言で要約すれば、「不要な部分を削ること」とも言える。経営資源に限りのある会社ほど、不要なことをしている暇はない。したがって、重要なことに集中化するために、さほど重要でないものを切り捨てる勇気がいる。

あれもこれもと手放せないでいると、本来しなければいけないことが出来ない。思い切って切り捨てよう。

秘密クラブ

2012-10-28 | 経営の気づき
私の事務所にて、経営者を集めての三つの勉強会が動いている。日曜経営クラブは、参加者が偶然に新規事業を仕掛けたり、新しい行動を起こそうとしているため、アクションを起こす前に、収支シミュレーションを作成して、何か問題がないかチェックをした。

月曜経営クラブでも、新規事業を興すことを前提に、営業プロセスを組み立てて、営業ツールを作成中である。火曜経営クラブでは、前回、それぞれの経営課題を明らかにして、その解決策を探った。次回は、それぞれが自分が作成した解決策を発表するとともに、私の改善案を合体させて改善プランを仕上げる。

月一回の勉強会だが、予想以上に皆さん熱心だ。1年後には、どなたかの事業所が大きく飛躍して欲しいというのが私の願いである。


緊張の瞬間

2012-10-27 | 雑談
日常生活で緊張する瞬間を教えてくださいというあるアンケート結果によると、複数回答の集計結果は次の通りであった。

1位 自己紹介 36.0%
2位 初対面の人と話すとき 29.2%
3位 人前での報告やスピーチ 25.2%
4位 「ちょっと話がある」と言われたとき 24.1%
5位 プレゼンのとき 21.7%

上位3位までの共通項は、しゃべるシーンである。人間は、聞くよりもしゃべることに緊張感を持つということらしい。しかし、ずうっと聞く側にいるのも苦痛であり、やはりしゃべらないと、欲求不満になる。要するに、しゃべりたい時としゃべりたくない時とは、微妙に入れ替わるということか。

気づくと、ヤバイ

2012-10-26 | 失敗の気づき
ある方が、自動車免許の資格更新を忘れていた。運転をしているとき、ふと気が付いたらしい。仕事が忙しかったため、更新手続きを少し遅らせようと思っていたところ、完全に忘れてしまったとか。そのことを気づいた途端、いま運転していることが怖くなったという。とりあえずは、目的地までは無免許運転をするしかない。

彼は、気づいた途端に、頭が真っ白になった。不思議なものだ。無免許であることを気づかない間は、平気で運転できていたのが、気づいた途端に、運転することが怖くなった。人間は、こういうものだろう。気づかなければなんでもなく過ごしてきたことが、気づいた途端に、その瞬間から気持ちの持ち方が変わる。

ということは、このことから考えを及ばせると、いつもハッピーでいるための工夫が出来そうだ。不幸せな自分の環境を嘆くと、本人は不幸になるが、この程度なら何とかなると割り切れば、不幸感もわいてこない。要は気持ちの持ちようだ。状態は一緒であっても、気持ちをどのようにコントロールすねかで、楽しい生活を維持できる。

バロメーター

2012-10-25 | 経営の気づき
物事をチェックするには、対象物そのものを見るよりも、対象物に大きな影響を与えている別のものを見ることの方が、客観的にその事実を把握することが出来る。要するに、対象物そのものを見ないで、別のものをバロメーターとして位置づけるやり方だ。具体例を挙げて説明しよう。

例えば、部下に指示したことや教えたことが、的確に本人に伝わったかどうかは、「分かったか」という問いに対する返事の声を聴けばよい。間髪を入れず、鋭く「はい」と応えられれば、理解した可能性が高い。しかし、反応時間が遅く、返事が生半可であれば、理解できていない可能性が高い。

要するに、物事は、何をバロメーターとして位置づけるかで、的確な把握が出来るか出来ないに繋がる。次に示す事例は非常に高度な内容なので、バロメーターとして的確な位置づけにあることを即座に理解できないかもしれない。しかし、理解できた方は、経営の本質を的確につかんでいる人である。まさに、この質問に対する答えが出来るか否かが、経営理解度のバロメーターになっている。

自社の事業が社会にどの程度の貢献をしているかといった場合、それは売上高や利益高を見ればよい。経営を行う姿勢としては、売上高や利益を追求してはいけない。社会に役立つもの有益なものを提供すれば、自然と売上高と利益はついてくる。売上高や利益は、正しい経営をしているかどうかのバロメーターなのである。

冬の楽しみ

2012-10-24 | 雑談
私にとって苦手な冬は、血圧が上がってくる季節。とは言え、苦しみばかりでなく、楽しみも同居しているのが、日本の四季。冬は、鍋物が体を優しく温かく包んでくれ、夜空を見上げると星が瞬いてくれる。一日の疲れを拭い去ってくれる風呂は、どの季節の入浴時よりも、日本人として生まれた幸せを感じるときだ。

さて、苦手な冬を楽しむイベントも数多く待ち構えている。果たして、今年の忘年会は、何回受け入れて、何回お断りするのだろう。その数を予想するだけでも楽しい。本当に私は単純な人間だ。


おっ・・・この子は・・・

2012-10-23 | 私流
いつもの早朝の散歩にて、女子中学生とすれ違った。なんと彼女は、制服を逆向きに着用している。本来の背中部分を前にして、かばんは後ろに背負っている。このような光景は久々であるが、なぜかホッとした。

昔は、多くの子供が、先生から叱られそうなことを平気でしていた。最近の子供は優等生が多いというか、服装にしても何にしても、先生から咎められる前に正している。しかし、それは体裁上のことであって、本当に守らなければならない精神的なことは、昔以下である。

昔の子供たちは、ガキ大将の元、統率のとれた悪戯をしていたが、弱い者いじめはなかったように思う。要するに、現代は、何を大切にすべきかの根本的な教育が行き届いていないためであろう。

二つの眼

2012-10-22 | 私流
ある助成金の審査委員を務めている私だが、その仕事に取り組むときは、二つの眼を持つことを心掛けている。一つの眼は、税金を適正に使用するという観点から、申請書類を厳しく見る目。そして二つ目の眼は、当事者の背中を押してあげる応援の眼である。

この二つの眼をもって、申請書類を判断し、適否の意見を述べている。毎日酔いどれの私であるが、申請者の誠意と向き合うため、審査日の前日は、深飲みは絶対にしない。であれば二日酔いはしないから、二つの眼を用いても、書類の文字が二重に見えることはない。

技術の進化と人間の退化

2012-10-21 | 雑談
最近の技術の進歩は目覚ましい。最近では、「電子書籍」を指先タッチでめくるのではなく、「目がページ末まできたら、自然に次のページに移動する」技術も完成した。おーっ、ついにここまできたかという感じである。

人間はもともと、身体全体を使って行動するものだった。しかし、歩く歩数が減り、食べ物を食べるときの噛む回数も減り、色々な運動が減って、身体は退化している。

学習するにしても、辞書を引いたり、ノートに記入したりするのが、パソコンで簡単にできるようになった。技術は進歩し続けるのに対して、身体機能は反比例するがごとく退化している。こんなことでいいんだろうか。


なま返事

2012-10-20 | 経営の気づき
「はい」という返事に対して、「うん」とか「ああ」とかのなま返事が帰ってくると、この人分かっていないなとか、私の意見に同意していないと勘繰ってしまう。しかし、一面では、意見を留保するときに便利に使える言葉だ。

とりあえず返事を保留したいとき、納得もしていないが否定もしないという態度をあらわすときに、なま返事は大変有効な言葉である。

確かに、私はこれまでの人生において、「なま返事は敗残者のための福音」「40パーセントの確信があれば自信たっぷりに肯定すべし」などデジタルな生き方を標榜してきた。しかし、最近は、時と場合によっては、なま返事も必要ではないかと思い始めた。

なま返事の基本形は、肯定と否定をぼかすことである。「うん、いや」とか「いや、でもまあ」などがこれに当たる。相手は、なんとなく納得したような気になってしまうから、当座しのぎの会話には便利だ。しかし、この言葉を受けたときは、用心しておかないといけない。

「はい」という言葉

2012-10-19 | 経営の気づき
ビジネスの場において、聞いている側が気持ちよく聞ける「はい」という言葉、なかなか聞くチャンスが少ない。黙ってうなずくだけの人もいれば、「はい」とは言うものの、歯切れが悪く聞き取れないこともある。

しかし、「はい」は、「相手様の存在を認め、相手様の言葉をしっかりと受け止めましたよ」というメッセージなので、軽く考えてはいけない。短い二文字の簡単な言葉だけに、気持ちを込めて返事しよう。

「はい」は、相手との好ましい関係を構築する、そのスタートの言葉である。重い重い、価値のある二文字を大切にしたい。

靴べらがない

2012-10-18 | 経営の気づき
飲食店に靴を脱いで座敷に上がる時がある。座敷に上がるときは気にならないが、靴を履くときに靴べらが無いとあわててしまう。それも一度や二度ではなく、度々あるので、私は、靴べらを持ち歩いている。しかし、その靴べらをなくすことが多く、その状態を見ていた事務所のスタッフが、以前にプレゼントしてくれた。

イタリア製の革製品である。しかし、私は、時にその靴べらをも持っていないときがある。先日、繁盛店のうどん店を訪れた時、「満席ですので、座敷でよろしいですか」と尋ねられた。私はとっさに、「靴べらはありますか」と尋ねると、その人は先輩スタッフに尋ねたうえで、悪びれた感じもなく「靴べらはありません」と平然と答える。

座敷を用意しておきながら、靴べらを用意しないこの不行き届きには腹が立つ。多分、責任者にもその情報は流れないのだろう。味が良い店で、サービスもさほど悪くない店だが、細やかな気配りにはまだ一歩足りない。その細やかさがあれば、さらなる繁盛があるかもしれないし、繁盛が長続きするのだろうが。


セギンの3段階

2012-10-17 | 初体験の気づき
19世紀にエドヴァルト・セギンという教育者が「セギンの3段階」という学習法を考案した。この方法は、子ども達が自らの思考力を持って物事を捉えられるようにと、ものの名前を3段階に分けて教えるといった簡単な方法だ。

例えば、第1段階として、「ボール」という名称を教える時、まず「これはボールです」と教える。第2段階は、ボールの他にグローブとバットの3点を並べ、「どれがボールですか」と尋ねる。第3段階は、ボールを持ち、「これは何ですか?」と聞く。

答えとなる名称をただ教えるだけでなく、自ら答えを探し出せるように誘導させる方法なので、確実に身に付いていく。実は、私が今勉強している英会話も、この「セギンの3段階」を応用した形で進められている。英語が体の中にしみこんでいるのが実感できるから大したものだ。