東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

撮影会

2011-07-31 | 雑談
私が、これまで、プロの写真家に写真撮影してもらった経験は2回。前は、舞の海と並んでの撮影である。野村町の「おとい相撲」のときに、商工会の方が段取りしてくれて撮影してもらった。さすが、プロはうまい。この私が美男子に変身するから、カメラは魔物である。

その夢よ再びということで、再度、プロの写真家に撮ってもらうことになった。エステの「ヴァンサンカン」のイベントで、カラー診断とメイクと写真撮影の三点セットのイベントだ。もちろん参加者は全員女性だが、私も、特別にお願いして撮ってもらった。

さすがはプロ。カメラマンが、私の笑顔を引き出すように色々と会話する。そして、たまたまいた私の知人と話しをしていると、その間にバシャリバシャリ。最後は、私を机の前に座らせて、経営相談のイメージでバシャリ。

その人が持っている最高のものが現れたときに、シャッターを押さなければならない。というよりも、「いい」と感じたときとシャッターを押す瞬間は、一致しなければならない。「いい」と感じてから押したので遅い。その瞬間が一致するのがプロのゆえんであろう。

(今回の写真はプロ撮影ではありません)

続くと つまんない

2011-07-30 | 失敗の気づき
最近は、休肝日5日を目標に、毎日の生活を送っている。目標だから、達成する週はまれだが、前と比べると確実に飲む日が減った。

ところが、この前、1週間に4日も飲みに出てしまった。3連荘のときは、二次会に行くのが苦痛で、早く帰りたいと思った。生まれてこの方、このような体験をしたのは始めてである。私が、夜の街にのみに出て、「早く帰りたい」と思う、そういう日が来るとは思わなかった。

やはり、習慣だ。良い習慣を作るか、悪い習慣を作るか、それは本人の気持ちの持ちようだが、私の場合、酒に関しては、良い習慣に変わってきた。何しろ、休肝日の2日連続設定は、毎週取れているから、たいしたものだ。

週に1日の休肝日では、48時間しか肝臓の連続休暇が取れない。しかし、肝臓の機能回復のためには、72時間の連続休暇が必要である。1週間に二日飲まない日があっても、その日にちが連続していないと、肝臓はあまり休めない。

いくら、自分の体内にある臓器とは言え、酷使するのはまずい。自分の内臓に対しても、お世話になっていると言う感謝の気持ちが必要だ。感謝の気持ちは、自分以外の世界に対してだけでなく、「自分に対して」も必要だ。

気づき力

2011-07-29 | 人生の気づき
同じ事象を複数の人が同時に眺めても、感じることや考えることはそれぞれ異なる。特にその差が大きいのが、気づきだ。同じことに出合っても、気づきの有無の差があり、さらに、気づく内容が異なる。これは、その人の個性の差であるが、意識すれば「気づき」を磨くことができる。

私の場合、若い頃、極めて鈍感であったために、その反省から、気づき力を磨く意識を持つことにした。そうすると、徐々にその力が芽生えてきた。経営コンサルタントという職業柄、まさに「気づき力」は商売道具でもあり、これがなければ本物の仕事をやり遂げられない。

気づき力を磨くという意識をもつことの次に心掛けたことは、その気づきを記録することである。気づいただけでは成長は望めないため、何かに記録しなければならない。

記録することによって、もう一度、頭の回路を通るから、そのことが鮮明に、頭に刻まれる。全てを記憶するまでに至らないにしても、自分自身褒めたくなるような気付きは、記録することによって、絶対に体に残る。頭だけではなく、体にも刻まれるから、似たような出合いがあると、そのこと自体を思い出す。そして、さらに新しい気づきへと、脳の回路をフル回転させることになる。

(写真は、多くの気づきを頂いた入院中の風景)

3.5メートルの奇跡

2011-07-28 | 初体験の気づき
偶然の出会いは楽しい。したがって、用意周到に計画されたハッピーよりも、偶然の出会いのハッピーの方が、ハッピー度は格段に上である。先日、まさに、ありえない偶然のハッピーが、天から舞い降りた。

飲み会のあとの出来事だが、いつもによって、私の締めは、ライブハウス。そこで、ピアノ・バーのムーングロウを訪れた。すると、女性ファンで満席になったミュージカル・スターの公演中であった。その終了を5分間、外で待ち、入場した。

あとは、マスターのピアノを聞きながら、我々仲間の会話を楽しむつもりだった。すると、我々が帰る直前、マスターから嬉しい案内があった。NHK交響楽団の主席オーボエ奏者の茂木さんが、遊びに来ると言う。

そして、彼が来店して後、ピアノでジャズを3曲弾いてくれた。そして、本来はピアノ奏者のはずのマスターが、ベースで伴奏した。私が座っている席の3.5メートル向こうに、世界的に有名な茂木さんが、ピアノを弾いている。かなり酔っているが、暗譜でジャズを弾いた。さすがである。この出会いの奇跡は、私の胸を熱くした。この充電で、しばらくは仕事が頑張れる・・・。

(写真は、ムーングロウの別のシーン。何しろ、演奏中に撮影するのは失礼なので、そのときは撮影していない)

職人さんに教わった人づくりのコツ⑤

2011-07-27 | 経営の気づき
私が教わった、最後の締めくくりの教えが、「弟子は簡単だが、親方はもっと難しい。親方自身も自分の技術力を磨かなければならず、レベルアップし続けることは至難の業だ」と。

弟子は次々入れ替わるが、親方は代わらない。弟子は、親方と寝食を共にするが、その弟子も「弟子抜け」をすると、一人で住むようになる。しかし、親方はいつも弟子を抱えているから、生活だけ見ても、一人でゆっくり出来るときが無い。

「弟子抜け」した人は、年に一回正月に集まるが、そのときは、どこからか講師を招いて、ためになる話しをしてもらい、そのあと皆で一緒に食事をする。そのフォローのことまで、見なければならない。だから、今は、親方でい続けられる人が、年々減っている。弟子以上に、親方であり続けることは難しい。

これまで5回にわたって、職人世界の人づくりのコツを紹介したが、この話は、ビジネスの世界でも見習うべきと感じた。先ずは、根性を試す、次に、気配を学ばせる、その次にやっと、本格的な教えに入る。この最初のステップを飛ばすと、人づくりはものにならない。

職人さんに教わった人づくりのコツ④

2011-07-26 | 経営の気づき
京都や大阪は、家系よりも店を大切にする気風がある。店には、そこで働いている社員がおり、その家族がいるため、主人の家系を絶やすことよりも、店を潰す方が罪が重いと考える。

したがって、店の経営を如何に上昇気流に乗せるかに腐心するから、次のようなことが起こってくる。即ち、才能のある経営者を見つけるために、息子に引き継ぐことにこだわらず、積極的に新しい血を入れようとする。したがって、京都や大阪の商家では、息子の誕生よりも娘の誕生を喜んだ。娘婿に優秀な経営者を迎え入れるチャンスである。

要するに、違う血を入れることによって、優秀な経営者を創り出す、この考え方も独特だ。そう言えば、創業経営者に比較して、二世経営者はどうしても力量に落ちる。とすれば、力量のある人を探し、その人を娘婿として迎え入れるのは、非常に合理的だ。

人づくりを行うには、その前にその素材の吟味が必要であり、可能性が無ければ、別の場所から探すことを試みなければならない。

職人さんに教わった人づくりのコツ③

2011-07-25 | 経営の気づき
植木職人の方から教わった話を続けよう。彼は、京都での修行中、犬に挨拶しなさいと指導された。何故かと言えば、植木職人はサービス業であり、とにかく頭を低くしなさいと教えられた。犬に挨拶できれば、どのような人に対してでも挨拶できる。だから、先ずは、犬に挨拶しなさいと教えられた。

職人修行の第一歩は、親方曰く「人づくりが第一」と。人として修められない人は、一流の技術も持てない、という考え方が根底にあったらしい。したがって、残っていく弟子は、育っていく弟子は、皆、一流の人となり、技術も一流だったという。

職人さんに教わった人づくりのコツ②

2011-07-24 | 経営の気づき
私が今回教わった植木職人さんの話では、彼の修行したところでは、何人も次々と脱落していくそうだ。我慢できない人は、夜逃げのような形で、急にいなくなる。親方に合わせる顔も無く、出身地に帰るにも恥ずかしく、黙って逃げ去るとか。しかし、それは、親方の仕組んだ、出来る人を選別するための仕掛けだ。

忍耐力のない人は、技術も上達しない。だから、とにかく単純作業を徹底して継続させ、その忍耐力を見極めてから、本来の技術指導に入るとか。この職人さんの教え方、確かに理屈は通っている。

そう言えば、世界的に有名なある会社も、一年で相当の新入社員が脱落するそうだ。これらも、仕組まれた選別らしい。忍耐力を試すための仕掛け、先ずはこの選別をクリアしなければならない。


職人さんに教わった人づくりのコツ①

2011-07-23 | 経営の気づき
京都の超有名な植木職人さんの下で修行された方に巡り会った。まさに体験談から導いて頂いた教えだが、内容が濃いので、何回かに分けてお伝えしたい。要するに、ここで教えて頂いたことは、人づくりの基本ではないかと思っている。しかも、西洋の考え方ではなく、日本独特の技術伝承の世界だ。

彼曰く「教えるのは、タイミングが重要で、教えてもらったことを受入れる素養を備えていないときは、いくら詳しく教えても何の意味も無い。したがって、まだ受け入れ態勢が無いときは、叱るだけでよい。逃げ出したくなるほど、ボロボロに叱るほどよい」「そこで、我慢できなければ、教えはものにならない。したがって、このときは、忍耐度を試すための時期だ」

「でも、その人が少しでも、自分を反省して、一人で学んでいる姿を見たときは、そのときこそ、新しい知識や技術を教えるときだ。このワンクッション置くことを、私の親方は実践していた。そのときは気づかなかったが、私が一人で悩んでいるとき、何となく横に来てくれて、色々な教えを示唆してくれた」「時には、親方の数千冊の蔵書の中の、一冊の本を貸してくれて、読んでみよと助けてくれた」

このタイミングが重要である。現代のように、過保護な社員教育では、人は育たない。学びたいと苦しみもがく時期に至らないときは、まだ教える時期ではない。したがって、人それぞれに教えを与えるタイミングは異なると見なければならない。

本能的に動け

2011-07-22 | 経営の気づき
本能とは、人間を含む動物が生まれつき持っていると想定されている、ある行動へと駆り立てる性質である。その本能について説明する、面白い実験があるので紹介しよう。

それは、男性の顔を一目見るだけで、女性は本能的にその人が同性愛者か異性愛者かを見分けることができるというものだ。トロント大学の心理学者らが、異性愛者の女性40人を対象にある実験を行った結果である。

被験者に男性80人の写真を見せ、彼らが同性愛者か異性愛者かを当ててもらった。すると、彼女たちは非常に高い確率で見分けることができたそうだ。しかし同様の実験を女性の写真に変えて行ったところ、男性の写真を見せたときと比べると正答率が落ちたという。自分たちの恋愛の対象になる男性だからこそ見分けられたので、恋愛対象にならない女性については、本能が働かないのだ。

したがって、我々が、本能的に感じる直感は大切にした方が良い。ビジネスをしてて、「何かうさん臭いな」と感じれば、それは十分に調査すべきだ。


指ではなく 足を運べ

2011-07-21 | 経営の気づき
会社において、当たり前に見られる風景が、PCに向かっての仕事姿。どこの会社に行っても、必ず、熱心にPCと格闘しているスタッフが何人かいる。しかし、PCに向かってさえいれば仕事をしていることになるだろうか、とんでもない。

本来は、PCから離れて、社内外の現場に足を運び、人々と言葉を交わしたり、生の現場を見なければならない。そうすると、数字からは見えなかった、あるいは形式的面談からは見えなかった状況が見えてくる。したがって、経営者や管理者は、合言葉のように「現場に足を運べ」と言い続けるべきだ。

我々ビジネスマンは、勘違いをしている。上の職位になるほどたくさんの情報を持っているという勘違いだ。確かに、多分野に渡るデータという点では、量を確保しているが、現場の課題解決につながる情報という点では、現場スタッフの方が、情報量が多い。したがって、数多く現場に足を運ぶ必要がある。百聞は一見にしかずである。

進化の恐ろしさ

2011-07-20 | 雑談
昔は、生まれる子供が女の子か男の子か、分からず、生まれた瞬間に一番知りたがったことが、男女の区別であった。しかし、最近は事前に分かっているため、出産を待ち焦がれる気持ちは、以前に比較すると小さくなったような気がする。

今後さらに医学が進歩して、その子供の「知能」や「体力」レベルなどが事前に分かるようになるかもしれない。そうすると、場合によっては、生まれてくることに対しての恐怖感や拒絶などもおこり得る。そこまで先を読む必要性は無いかもしれないが、やはり、未知のまま子供が誕生する方が自然だ。

何も分からないまま、ただひたすら「命の誕生」を待つ、これが正常であろう。どのような子供なのかその要件は除外して、とにかく元気な命を頂くことだけを願う。この方が、命と向き合う姿としては美しい。


単純に考えよう

2011-07-19 | 経営の気づき
人間は、通常、それぞれの場所において、あり方や考え方を変えなければならないと考えている節がある。例えば、会社においては、業績を伸ばすために、時には個人の気持ちを犠牲にしなければならない。しかし、会社では、自分の気持ちを押し殺して頑張ったのだからと、家庭は、疲れを癒すための場所と捉える。果たしてそれでよいのだろうか。

私は、会社も家庭も同じ気持ちで、同じ哲学で過ごすべきだと考える。「経営」は本来、仏教用語で、「自分自身をどう生かすか」という意味だ。この言葉の意味が示すように、人間の心を修めれば、自ずと家庭も治まり、ビジネスも成功プロセスを歩む。

原理原則の基本は一つだ。したがって、ビジネスと家庭生活を分けて考える必要は無い。


何故だか分かんないけど

2011-07-18 | 経営の気づき
私は、平均すると、いつも20程度の案件の仕事を、平行してこなしている。したがって、何週間か経過して後に前の仕事に取り組むと、どこまで考えていたのか思い出すだけで、時間がかかる。何しろ、全てが、頭で考える仕事なので、非常に厄介だ。

したがって、特に重要な仕事については、記憶が消えないように、毎日10分でも20分でも、何か考えて頭の回路を使っておくことにしている。そうすると、不思議と、周辺事項も含めて記憶が消えない。

このことは、誰か野球の名選手が言っていたが、「バッティングの感触を忘れないためには、いつもバットを握っておくと良い」の理屈と似ている。核心事項にいつも触れていなくても、関連していることに触れているだけで、何かがいつも体に残る。不思議だね。


一夜賢者の渇

2011-07-17 | 雑談
作者不詳だが、お釈迦様が、説法のときに何度も用いた詩がある。この詩を紹介してもらって、私自身感激したものだから、ここでも紹介させていただきたい。

過ぎ去れるを追うことなかれ
未だ来らざるを念う(ねがう)ことなかれ
過去、そはすでに捨られたり
未来、そは未だ到らざるなり
さればただ現在するところのものを
そのところにおいてよく観察すべし
揺らぐことなく、動ずることなく
そを見きわめ、そを実践すべし

ただ今日まさになすべきことを熱心になせ
誰が明日死のあることを知らんや
まことにかの死の大軍と
遇わず(あわず)ということはあることなし
よくかくの如く見きわめたる者は
心をこめ昼夜おこたることなく実践せん
かくの如きを一夜賢者といい
また心しずまれる者とはいうなり