東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

粋な男

2009-12-31 | 私の師匠
嫁いで行った長女の家での出来事である。

身重な娘が年末の大掃除をしていたとき、ソファーの裏から、とんでもないものを見つけた。1万円札である。思わず、主人のへそくりかと思ったらしい。でも、貼り紙を見て納得。貼り紙には「このお金を見つけた人にあげます」と書かれていたのだ。

大掃除のとき、どこまで掃除をするか、試したかったのであろう。そこまで掃除するならご褒美をあげるということだ。なかなか粋なことをする。

そのあと、娘が大掃除を念入りにしたのは、想像の通りである。笑

幹事さん頑張れ

2009-12-30 | 雑談
年末年始は、幹事さんが儲けるチャンスである。例えば、某大手居酒屋の会員として入会すると、先ず、食事券1000円分が送られてくる。さらに、毎回、食事代金の5%が値引きされる。ということは、5千円の会費で30名集めると、7500円値引きされるということだ。その値引き額を幹事の収入と考えれば、まさに、年末年始は、小遣い稼ぎのチャンス。

フレーフレー、幹事さん。私も応援するゾイ。

エノキアン協会

2009-12-29 | 経営の気づき
非常に興味深い団体がある。加盟条件は、創業者の家系の人が200年以上経営し続け、現在も財務状態が健全な会社である。私がそのことを知ったとき、加盟企業が世界に40社しかなかった。日本では2社しかない。団体名は、エノキアン協会である。

面白いのは、40社の共通項である。「どのような会社が、200年間、立派な経営状態を維持できたか」ともつながるので、経営者にとって非常に関心深いテーマである。それらの項目は次の通りだ。

・存続するために日々変化し続ける
・オリジナル品質への限りないこだわりをもっている
・国際的な活動を重視している
・絶えず革新の波を待ち伏せしている
・後継者の育成に注力している
・財務的独立を堅持している
・過度な成長と過度なパワー保持を望まない

「多分」という言葉が使えない場所

2009-12-28 | 雑談
税務署に教えてもらうために電話をした。内容は、「事業所が労働基準法上支払う休業手当ては、課税対象に含めなくていいでしょうか」というもの。電話に出られた方は、「多分」という回答をされた。こちらは、多分というあいまいな回答に吹き出してしまった。税務署が「多分」といういい加減なことは言えないはずだ。その笑いに気付いたのか、先方も、自分のいい加減さを反省してか、「調べてみます」と対応を変えた。これで安心。

回答は、「課税対象にしなくてもいい」というものであった。事務所スタッフの家族が新型インフルエンザに罹ったため、有給休暇と休業補償を絡ませて、休んでもらったのだが、その分の給与が課税対象になるかどうか。事務所で意見が分かれたための質問であった。

そのあと、税務署から電話が入った。「先ほどの回答は間違ってました。労災上の休業補償と勘違いしていたので、課税対象から除くと回答しましたが、事業所の責めによる休業補償の場合は、課税対象になります」と。

間違いに気付いて電話をしてきたのは、なかなかである。税務署さん、ありがとう。

私の寿命

2009-12-27 | 人生の気づき
私の健康法は、気功であり、薬には一切頼らない。病気は、本来あるべき生活を調えてない場合の危険信号と捉えているから、薬や病院に頼らず、私自身の行いを正すべきというのが私の考え。

もちろん、生活を正そうと思っても、たやすく方向転換は出来ない。したがって、症状が悪化することもある。でも良い。寿命がそれによって短くなるとしても、私は満足である。与えられた命を、私の出来る範囲で使い切る。それで十分だ。少し傲慢かな?

一つの迷いは、私の短命によって、家族を守れなくなることだ。したがって、私の健康法は、全く揺らぎのないものではない。おそらく、今回の発言は、多くの非難を浴びることだろう。笑

新居完成

2009-12-26 | 私流
私の母が、曾孫のために家を造った。30数年前は、父が、私の子供のために造ってくれたが、父亡きいま、母が父の代役を務めている。このようにして、東矢家の家風が伝わるのであろう。

質実剛健の東矢家の家風は、無駄を省き、とにかく手作り作品が多い。手先が器用な母は、手編みのセーターを、家族全員に提供していた。デザインも自分流だ。狸の顔と、狸の○○○○がぶらり垂れ下がったセーターは、特に好評だったのを覚えている。

すみません

2009-12-25 | 人生の気づき
会社に訪問した折、社員の方からお茶を出して頂くと、私は、「すみません」と言うときと「ありがとうございます」と言うときがある。普通は、「すみません」は謝るときの言葉だから、「ありがとう」が正解だよと言う人が多い。しかし、私に教えを説いて頂いた方は、「すみませんとは、お世話になったお礼を、まだ返していない。恩を返すことを、まだ済ませていません。そのことをスミマセンと言うようになった」と教えてくれた。

「したがって、お礼を言うときに、スミマセンと言っても良いんだよ」「その意味を理解して使う言葉であれば、その気持ちがあれば、スミマセンでも良いんだよ」と。

言葉には魂がある。だから、意味を知って使わないといけないね。

売れる商品

2009-12-24 | 経営の気づき
商品力=品質×価格×感動

上の算式は、売れる商品の定義づけである。先ず、品質。品質は、最高級品質の追求を絶対視すべきではない。もちろん、最高級品質を求める場合もあるが、むしろ、ターゲットの求めている最適品質を追求しなければならない。このセッティングがフィットすると、新製品でありながら低価格で提供できる。

そして、感動についてみてみよう。
感動=独創性×ニーズ適合性
感動は、顧客ターゲットのニーズを推察して、彼らに受け入れられる独創的アイディアを掘り起こさなければならない。このようにして、計算しつくされた商品開発が行われるが、専門家が携わっても、成功する確率は非常に少ない。

さて、今夜もない知恵を絞るか。

失敗大いに結構

2009-12-23 | 経営の気づき
行政刷新会議の「事業仕分け」で無駄という言葉がクローズアップされている。そこで少し考えてみたいのが、失敗はムダかどうかだ。失敗は無駄だと言い切る人は、スムーズに運ぶはずのことが失敗してストップすれば、そのぶんコストがかかり、利益の減少をみると主張するだろう。

失敗によって結果が出ない。出ないだけでなく、損失をこうむることだってある。このご時世、そんな無駄は許されないと言うかもしれない。

しかしこの見方は、短期の物差しを当ててのものだ。失敗で大きなものを学び取り、将来の利益につながる成果を上げることだってあり得るわけで、またそうあって欲しい。

不器用な人は失敗もよくする。でも、要領のいい人間にはない大きな仕事をするのもそういう連中だ。だから、失敗は大いに許すべきものだと考えるが如何であろう。私を弁護するためのこの理論、多くの賛同者を得たいものである。


講義最後の日

2009-12-22 | 雑談
先週の火曜日からの仕事は、今日が最終日だ。中小企業大学広島校で、商工会議所や商工会の経営指導員の方たちを教えている。テーマは、経営診断の机上演習である。

楽しみは、様々な方たちとの出会い、そして、打ち上げの飲み会。私にとって、打ち上げの飲み会は、生活必需品なのである。笑

あなたの香りは ?

2009-12-21 | 私流
私は、仕事をするとき、香りの残る仕事をしようと、気遣っている。仕事の成果物を見ていただいて、私という人間性が何となく感じていただけたら、幸せだ。したがって、通常のレベルではなく、一つ深みのある何かを残したいというのが私の思いである。

その結果は知らないが、自分の自己満足にしても、ひたすら顔晴っている。

英語落語

2009-12-20 | 雑談
愛媛県出身の落語家が、来年、英語落語会を開催するらしい。英語の指導をされている知人から案内が寄せられたため、ご案内させていただく。

演者・・・林家染太
日時・・・平成22年1月17日(日)開場13時30分開演14時
前売りチケット・・・小学生1000円/中学生以上1500円(チケットは、アミック道後校・アミック重信校・アミック衣山校・アミックエミフルMASAKI校にて販売中)

私も、英語で歌えるジャズが1曲あるが、英語は苦手である。何しろ、日本語でさえ、上手に操られないのだから・・・笑
中学生でも分かる簡単な英語で語るそうなので、時間の許される方は参加して下さいね。

預かり物

2009-12-19 | 私の師匠
私の尊敬する経営者が次のように語っておられた。「私の会社、そして私自身の資産は、皆全て預かり物だと思っている。それは、祖先から、あるいは、国から、一時的に預かっているものであり、決して私個人の物だと思っていない。したがって、使い方も大切に使わせてもらっている。これは、私が唯一自慢できることだ」と。この方は、何万坪の土地を所有しておられる資産家なのだが、実に謙虚な方である。

確かに、我が物ではなく、一時的な預かり物だと考えれば、使い方・用い方は全く変わってくるだろうな。私もこの言葉を聞いて以降、自分の所有物を預かり物だと思うようにした。それに加えて、恩義を借りたまま、返してないことを、「恩の預かり物」だと思うようにした。忙しくて忘れてしまうことも多いが、ふと思い返すこともある。


徳育

2009-12-18 | 人生の気づき
小中高校生の暴力行為が、3年連続で増え、約6万件にのぼったそうだ。背景として、子供たちの規範意識の低下が指摘されていることから、学校や家庭が連携して、毅然と指導を行わねばならないと思われる。

戦後の教育において、個性重視に目が向き、公共心や規範意識を養う指導がなおざりにされがちだったのは残念だ。教育基本法改正や新しい学習指導要領で道徳教育などが重視されたのは、その反省からである。ところが親や教師の中には、しつけや道徳教育を「価値観の押しつけ」などと嫌う傾向があるとか。

こんな話も聞いた。ある小学校での出来ことだ。昼食を始める前に、「いただきます」と言ってから、食事しましょう。この学校の教えに反発した父兄が現れた。「給食料はきちんと支払っているのだから、めぐんでもらうみたいに、いたたぎますと言うのはおかしい」というのだ。

このような話を聞くと、徳育を受けなかった両親の指導がまず第一かもしれないと考えるのである。


愛し(おし)

2009-12-17 | 経営の気づき
「教え」は「愛し(おし)」が動詞化したものらしい。したがって、教える側は、相手の立場に立つことと、降り注ぐような愛情を欠かせない。

そう言えば、私の中学時代の教師は、授業時間の教えのみでなく、遊び時間や日常生活にまで目を及ばせていた。私の大好きな歴史の先生は、遊び時間には、アコーディオンを奏でて、みなで歌っていた。先生が好きだから、その授業も好きになる。反対に、嫌いな先生に対しては、その科目までも嫌いになっていく。

このことは、ビジネスの場でも通じる話である。愛情ある指導を行っていれば、部下は自然と仕事が好きになり、対応スキルが上達する。上司からすれば、部下の状態を見て、わが振りを正すことが必要なのであろう。