東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

もっと活かそう自然治癒力

2011-11-30 | 私流
人間など動物の場合、けがをしても、かぜをひいても時間がたてば自然に治る。これは、人間など動物がもともと持っている生きる力、自然治癒力がなせるわざだ。

体が、病気から回復するのに10の力が必要とすると、私は、自然治癒力は9、医療と薬は1であると考えている。この比率は私流の主観的なもので正確さに欠けるが、病気からの回復には自然治癒力が主役で、医療と薬は脇役であることに変わりはない。

しかし、医療従事者と患者は、医療と薬が治療の主役で、自然治癒力は脇役であると考える人が多い。私の場合、自然治癒力を絶対的なものに位置づけているため、気功と整体以外の治療を施すことはない。したがって、緊急時以外は、この15年間病院に行ったためしがない。

私が訴えたいのは、自然治癒力をもっと大切にしましょうということだ。例えば、むやみやたらに薬を飲むことは、免疫力を低下させるので、薬は最小限用いるべきである。折角、自然界から与えられた恵みの力「自然治癒力」を活用しない手はない。

自然の摂理として、使わないとその力は劣化するので、多用しなければならない。実は、努めて病院に行かないようにすることは、自然治癒力である免疫力を磨くことになる。


第2回気づき塾

2011-11-29 | 私流
すでにフェイスブックではご案内しましたが、第二回気づき塾の開催要領が決まりましたので、ご案内させて頂きます。なお、先着30名様にて申し込み受付を終了しますが、もう既に定員間近となっていますので、ご注意下さい。(フェイスブックに登録した上で、私と友達になってもらいますと、今後、ご案内がリアルタイムで可能となります)

開催日時 : 平成24年1月7日(土)18時30分~20時

開催場所 : えひめ共済会館

開催内容 :
①「気づきの智慧」(アトラス出版)を教材にして、本文を参考に、気づきの深堀を行います。
②役者の演技力向上の手法を活用して、「自分以外の人間の心を感じ取るコミュニケーション・ゲーム」を行います。(当日までに、これまでの人生の中で最も感動した体験を探しておいて下さい)

参加費 : 千円
懇親会 : 会の終了後に希望者にて懇親会を開催(懇親会費用は別途徴収)


ベストセラー8週目

2011-11-28 | 私流
私の著書「気づきの智慧」(アトラス出版)がベストセラーとして愛媛の書店に登場して以来、8週目に入った。本人としても、予想外の展開に驚いている。

振り返ってみれば、それなりの仕掛けは施しているのだから、当たり前といえば当たり前でもある。例えば、一昨日の忘年会は、私が会長を務めている「千代の亀101の会」(会員数110名)であったが、冒頭に本の宣伝をかねて講演をさせて頂いた。

そして講演終了後に次の一言。「今日も念のため本を持参しているのですが、これは、宵越しの金は持たないという方のためで、今日しか1300円を持っている自信がない人のためです。あるいは、街中まで書店に本を買いに行くのが面倒な人のためです」「出来れば、ベストセラー入りをさらにキープするためにも、書店に出向いて本を買ってください」とお願いをした。その効果もあって、本をお買い求めになられたのは、お二人でした。多くの方が、書店に行ってくれると約束いただいた。

このような小さな努力の成果が積み重ねって、ベストセラーの長期維持が出来ているのだろう。本当にありがたい話だ。写真は、当日に振舞われた千代の亀だが、5,000円の会費で高級酒が飲み放題だから、本の売れ行きと共に、嬉しい話に囲まれた一日だった。

お門違いの注文

2011-11-27 | 経営の気づき
会社からコンサルティングを頼まれるとき、時によって、最新の手法を要求されることがある。会社の状況から導くのではなく、「とにかく、最新の手法を」と要求される。全くお門違いのこの注文に困惑するが、こういう要請があったときは、私は、内心密かに仕事を辞退することを考えている。

「新しければ優れている」という考え方を持つ人は、私は好きでない。私は、むしろ、「基本が出来ていない会社が難しいことに取り組むことは問題だ」と考えている。もちろん、基本が出来ていて何もかもやりつくしている会社は、それ相応の高度なレベルに取り組むべきだが、実は、そのような会社は殆どない。

多くの会社は、何らかの基本的な問題が片付いていない。例えば、社員のコミュニケーションの円滑化を目指して、高度スキルを導入するよりも、先ずは挨拶の徹底から始めなければならない。基本が出来て土台が出来てこそ、2階や3階の上屋も安定することを知って欲しい。

しかし、不思議なことに、基本が出来ていない人、基本が出来ていない会社に限って、高度な問題の解決を要求してくる。世の中は本当に面白い。

サムライの誓い

2011-11-26 | 雑談
今夜は、今年第一号の忘年会である。果たして、今年は何回参加するのか、期待と恐怖心の入り混じる例年の行事だ。

忘年会とは、広辞苑によると「その年の苦労を忘れるために年末に催す宴会」とある。忘年会は日本独特の行事のようだが、その起源は、鎌倉時代にまでさかのぼる。と言っても現在のドンチャン騒ぎとはまったく逆で、優雅に厳かに連歌を詠って楽しむ、「年忘れ」の行事だった。

江戸時代になると、庶民が「一年の労をねぎらい、杯を酌み交わす」といった、現在に近い形の忘年会になる。しかし、江戸時代に武士階級では「年忘れ」なる行事は行わず、逆に「新年会」の方を大事にして主君への忠誠を誓っていた。

私も中小企業診断士・社会保険労務士という「サムライ」であるから、本来は「年忘れ」には参加せず、「新年会」にてクライアントの幸せを願い、支援を誓うのが本当かもしれない。笑

近いほど見えない

2011-11-25 | 経営の気づき
人間は、他人様のことはよく分かるものの、自分のこととなると見えなくなる。他の人についてはアレコレと素早く欠点を指摘できるが、いざ自分のことになると、問題点が見えない。即ち、老眼をイメージしてもらうと良い。老眼の人は、遠くは見えるが近くは見えない。会社の場合だと、他社の欠点は気づくが、自社の欠点は気づかないといった具合だ。

何しろ、自社の場合、距離はゼロだから、老眼だと見えない。でも、同業種でも他社だと、若干見えにくいが自社よりもよく見える。さらに、業種の違う会社だと、もっと見えてくる。人間は不思議なもので、近親者に対して評価が甘くなり、問題点を見過ごしてしまう。

問題解決法は、遠くを見るつもりで自社を見ることだ。即ち、客観的に他人の目で自社を見つめると、色々な問題が分かってくる。その意味では、最近入社した人、会社の色に染まっていない人に、問題点を尋ねるのが有効かも知れない。

私の変身振り

2011-11-24 | 初体験の気づき
生まれて初めて本を出して、もう少しで、本の誕生から2ヶ月になる。本の編集・校正・販売促進の企画・書店のあいさつ回り等々慌しい日々だった。しかし、貴重な体験をさせて頂き、様々な気づきも得たが、今回は、私自身何が変わったかをまとめてみた。

一つは、自分の子供のような別人格の誕生である。殆ど子供や孫に近い別人格の誕生は、非常に気になる存在である。人様からどのように評価されているか、受け入れられているか。好ましい評価を聞くと、その人自体が好きになる。親馬鹿状態だ。

一つは、サインすることに慣れてきたこと。最初に頼まれたときは、「私の字は下手だから、サインすると本の値打ちが下がりますよ」と柔らかくお断りした。しかし、お断りし続けるのも失礼ということで、金釘流の文字を恥じず、依頼されるままに応えるようになった。多分、今までにサインした人数は、30人は超しただろう。

そして、仕事の依頼が急に増えてきた。特に講演依頼が多い。以前から講演依頼はあるが、その頻度が格段に増えた。講演によって、私の品質レベルが分かるため、コンサル依頼にも繋がると期待している。

極めつけは、飲み会の回数増加である。社会との接触頻度が高まることによって、知り合いが増え、飲み会の回数が確実に増えた。僅か二ヶ月の経過でこの状態だから、ベストセラーがさらに継続すると、・・・。

大爆笑

2011-11-23 | 雑談
先日、私がテレビに登場したのだが、娘の家では大爆笑の事件が起こった。娘の家族が全員で、あいテレビの「ヒューマンあい」に釘付けになっていたとき、7分のその番組のクライマックス・シーンで、3歳の孫が「おしっこ」と母親に告げた。

すると、テレビ画面から目を離したくない私の娘(母)は、「そこでしておきなさい」とリビングでおしっこするのを許した。後でその話を聞いた我々は大爆笑である。子供に対して持つ、母親の絶大な権力の存在を実感した次第だ。


家計簿が書けない人をお助けします

2011-11-22 | 雑談
家計管理の方法で人気があるのは、「袋分け」。「袋分け」管理は、お金を費目ごとに封筒に入れて、本来の目的以外のことに使わないように管理する方法。しかし、これも凝りだすと封筒が多すぎて、結局管理できなくなる。

そこで、「袋分け管理」の出来ない人は、シンプルに「2つに分ける」だけの家計管理にしてみては如何。 準備するものは、お財布2つだけ。


先ず、収入の10%程度の貯蓄相当額は、給与から抜き出す。その上で、住居費や水道光熱費などの生活費を、一つの財布にまとめる。次は、小づかいの財布だ。あらかじめ決めた金額以外には小遣いとしての支出を行わない。この決意が、無駄遣いを省く。

考え方は「袋分け」と同じだが、2つに分けるだけなのでとても簡単だ。無駄遣いは、小づかいを使い過ぎることに尽きるので、したがって、小づかいの枠をきっちり守れば、かなりの成果がある。


生まれ変わる

2011-11-21 | 人生の気づき
新しい自分に生まれ変わるとしたら、どのような方法があるだろうか。下に並べた方法の中から、自分でも取り組める方法があれば、先ずトライしてみよう。すると、その挑戦自体が自分をレベルアップしているから、今まで出来ないと思われていた別の項目も、トライ出来るようになる。先ずは、何か一つトライしよう。

・いままでしてないことにチャレンジする。
・自分が持っていないものではなく、持っているものを好きになる。
・生まれ変わりとは、小さな変化の積み重ねであると自覚し、実行する。
・自分こそが、自分にとっての一番の先生であると考える。
・喧嘩をしても仲直りすれば、以前よりももっと親しくなれる。したがって、喧嘩を恐れないで、正しいと信じることは信念を持って発言する。
・自分と異なる人と積極的に交流する。職業・価値観・知識・経験など、自分にないものを持っている人に関心を持とう。

ジャズ・ボーカル

2011-11-20 | 私流
昨日は、久しぶりのジャズ・ボーカルのレッスンだった。習った曲は、Georgia On My MindとBy Myself。FM愛媛にも出演している伊賀上さんの指導は、上手で楽しい。何しろ、親父ギャグが連続で炸裂するから、油断していると笑いに乗り遅れる。

先ず、英語の発音、そして詩の意味、次に曲といった感じで、2時間で2曲マスター出来る。加えて、アカデミックな知識も吸収できる。

伊賀上先生曰く「ホントに泣きたい人は人前では泣かないんだよね。人がいるから、かばって欲しいと泣く。でも、人がいなくなると、かばってくれる人がいなくなるから、泣き止んでしまう。本当に泣きたい人は、自分一人の部屋で泣く」こういうためになる話や、楽しい話も満載のジャズ教室は、本当にリラックス出来る時間だ。

有終の美

2011-11-19 | 経営の気づき
事業経営において、起業と存続と廃止の三つの場面を考えたとき、一番難しいのは、永遠に経営を存続させることの「ゴーイング・コンサーン」である。しかし、事業を廃止することの意思決定も勇気が必要であり、そのタイミングを誤ることも多いことから、非常に重要な局面であると言える。

事業経営の廃止だけでなく、何事においても、いつ終えるのかと言う時期の見極めの問題と、どのように終わらせるのかと言う「有終の美の飾り方」は美学的にも大切に取り扱いたい。

お名前は忘れたが、日本銀行総裁に就任した方が、老僧の下に「就任に際して肝に銘ずべきは何でしょうか」と教えを乞うた時、「引き際を間違えないように」と諭された。就任して早々に引き際のことを考えさせるあたりは、さすがである。私も、仕事の引き際、命の引き際の迎え方には、細心の注意で臨みたいと考えている。

絶大威力の落とし穴

2011-11-18 | 経営の気づき
そのこと一つの存在だけで、絶対的な力を持つものを幾つか挙げてみよう。IT、原発、TPPなど挙げればきりがない。しかし、見落としてはいけないのは、威力の絶大なものほど、致命的なアキレス腱をもっているということだ。

最近、サイバー攻撃を受けて大手企業や行政機関のシステムがストップし、コア業務が麻痺する状態が起こっている。要するに、ひとたびシステムがダウンすれば、その影響は広範囲に広がる、この後始末にも多大の経費と時間が費やされる。

原子力発電においても、安全という神話が崩壊し、長期間にわたってマイナスの資産を引き継がねばならない。TPPにしても、恩恵を受ける企業が多い反面、打撃をこうむる事業者と人は限りなく存在する。このTPPを論じるとき、ガンジーの教えを思い起こす必要がある。

近くの人を大切にするか、遠くの人を大切にするかという、価値比較の問題である。一緒に暮らす近くの人を大切に考えるなら、経済が少々厳しくても、仲間同士で支えあおうという、地産地消の考え方を貫くべきかも知れない。

最後は経営者について考えてみよう。経営者においても、実は、カリスマ経営者の存在は大きな問題を抱え込んでいる。カリスマ経営者の場合も、いずれは老化によって能力・体力・気力が衰える。しかし、その衰えは徐々に忍び寄るものだから、本人も周囲も誰も気づかない。すると、一人の人に依存していたその企業は、いずれ大沈没を起こすこともありうるわけだ。

在宅見送り

2011-11-17 | 人生の気づき
時代の進化と共に、暮らしに便利な器械が次々と登場した。しかし、命という局面に限定して眺めると、果たして進化したのか、退化したのか疑問に感じる。

というのは、「赤ちゃんの誕生」と「死を迎える」とき、昔と異なり、現代はどちらの場面も病院でお世話になっている。昔は、助産婦さんが出産の世話をしてくれるから、家で赤ん坊を生むことが出来た。そして、死の見送りも、多くは家で行うことが出来た。しかし、医学の進歩により、病院は高度な機械を重装備し、少しでも命を永らえさせることを助けてくれる。

したがって、結果的に自宅で死を迎えることが出来ず、在宅の見送りが出来なくなった。殆どの人は、自宅で死を迎えることを希望しているはずだが、意に反して、多くの人が病院で死を迎えている。果たして、時代は進化しているのか、退化しているのか、非常に疑問だ。

少しでも長くこの世にいさせることを重視すべきか、最期は安らかに過ごすという本人の気持ちを重視させるべきか、この二つの比較をもっと真剣に討議すべきだ。私であれば、もちろん、後者を選択する。

親の恩

2011-11-16 | 私の師匠
私がコンサルタント事務所を開業して間もないとき、花見に出かけた公園で、「東矢リスクマネジメントサービスの東矢様、お連れ様が探しておられますので、入り口付近までお越し下さい」とアナウンスされた。私たち家族がビックリしていると、父が戻ってきた。トイレに行ってたのかと思いきや、なんと、アナウンスの依頼主は父だったのである。花見に訪れている多くの人たちに、事務所の名前を伝えたかったから。宣伝したかったためのアナウンスだった。

そして、最近、似たような出来事があった。今度は母である。先日、電車の中で、私が書いた本を読んでいたのだが、途中で、横に座っているサラリーマンに見せたいため、わざとその方に目のつくように本を置いたとか。さすが、父の連れ添いである。子供を思う親心は、本当にありがたい。1冊でも多く売りたいというありがたい想いが、笑いを誘う行動に向かわせた。感謝です。