東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

能力は無限

2018-01-22 | 人生の気づき
西部劇につきものの馬。カーボウイ・騎兵隊・インディアンを乗せる馬は、たずな一つで自由に操られています。カーボウイが酒場に入るとき、馬の手綱を柵に一回ししておくと、馬は勝手に逃げることもありません。本来は、力を出せば外れるはずですが、調教によって外れないと思い込んでいます。

サーカスの象も同様です。象をつなぐひもを一回しどこかにつなぐだけで、力のある象が力を出そうとしません。これも調教によって、人間の都合の良いように飼い慣らされています。

調教をして動物たちを都合の良いように飼い慣らす人間たちも、実は、調教されたかのような、固定観念を持っています。自分には大した能力はないという思い込みです。自分の力の限界を、自分で勝手に描いているのです。

鹿ふしと鶏ふし

2018-01-19 | 雑談
鰹節ではなくて「鹿ふし」と「鶏ふし」。特許出願中のこの商品の販売戦略を検討中です。プロの料理人が絶賛するこの品、果たしてどのように料理しましょうか。私が料理する場合は、包丁や火を使わず知識と知恵を使います。

価値観を変える力

2018-01-10 | 人生の気づき
私の価値観や人生観は、歳を重ねるとともに大きく変わってきました。果たしてその原動力は何だったかと考えますと、それは「好奇心」ではないかと思うのです。価値観をも変えてしまうような、過去になかった驚きの出逢いに導いてくれるものは、好奇心です。

好奇心がなければ、この本を読んでみよかとか、この人に会って語り明かしたいとか、この旅に参加したいとか思わない訳でして、何かに興味を持つという「好奇心」の存在が大きかったと思われます。もし好奇心がなければ、私は変な人間、ちっぽけな人間のままで終わっていたと思われます。

そして、私のかつては小さな「好奇心」を徐々に高めていったのが、「物事を楽しむ」という欲望の高まりです。かつては何事においても無感動、無関心であった私が、自分から楽しみを作り出すという良い意味での欲望を大切にするようになったことも、大きく貢献しています。

やっと志を

2018-01-08 | 人生の気づき
国を正すために、形など外から改革する力として政治力が必要であり、内側から改革するには人そのものを変えていく教育の力が必要です。その点、私は立志の意が乏しかったのか、若いころ政治家や教師を目指そうとはしませんでした。

私が目指したのは実業家でしたが、いまやっと、政治家と教育者の大きな存在価値に気づきました。ということで、遅ればせながら、教育者としての自覚をもったコンサルタントを目指すこととします。

無駄を活かす

2018-01-03 | 人生の気づき
私の持論は、「無駄は無駄にならず、いつか活かされる」。講演をして一番受ける話は、雑学的な話です。過去を振り返っての無駄探しをしますと、良い話のタネが見つかります。例えば、昨日の我が家の新年会での出来事。

ふと思いついたゲームが、1万円を賞金にしたじゃんけん大会。大人も子供一気に色めき立ちました。このような他愛もないことが楽しいのです。計算づくの理論の世界では、人は動きません。人を動かすには「計算・打算のない無駄」が必要かと思います。

「知識」対「感性」

2018-01-01 | 人生の気づき
知識と感性、どちらが重んじられているかと言えば、一般的には「知識」の方でしょうか。美術館に著名な方の作品を鑑賞に行ったとき、多くの人が、その作品のテーマとか背景などの付帯知識を参考にして、自分なりの評価を下しています。

本来は、美術作品は「感性」を頼りに評価すべきであって、作者が誰だとか、有名な人なのかそうでないのかなど、雑多なラベル、即ち「知識」は無用物のはずです。感じて評価をすればそれでよいのですが、おかしいですね。

まさに、自分に自信がないから、ほかの人の評価を参考にするという、「知識」の重用は人として反省すべきなのでしょう。「知識」対「感性」の比較論は、美術作品に限らず、何に対しても通じる話ですよね。