東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

我が家はトランクルーム

2010-10-31 | 雑談
娘二人が嫁ぎ、さらに、昨年11月に父が亡くなって、我が家の人口密度はかなり落ちた。したがって、空き室があるものの、荷物はあまり減らない。もしかすると、増えているかも。

なにしろ、嫁いだ娘たちの持ち込んだものがたくさんある。自分の家に置かず、我が家が、娘たち家族のトランクルームになっている。しかも、料金は要らないのだから、使い勝手はいいはず。

その状態をみて、思い起こすのは、事務所経営である。私の事務所のクライアントに対しても、事業経営に必要なデータやアイディアを、私の事務所なり私の頭の中に蓄積させて頂いている。

現状は、支障なく出来ているものの、私の記憶力の低下とともに、サービス品質の劣化は避けられない。しかし、その穴埋めをするのが、私の長年の経験による、熟練度の上昇である。何しろ、開業当初5時間かかっていた講演準備も、今では20分もあれば完了する。

失うものがあれば、蓄積しているものや、新たに芽生えるものある。世の中は、本当に絶妙なバランスで、構成されている。

草取りに学ぶ経営術

2010-10-30 | 経営の気づき
「上農は草を見ずして草を取る。中農は草を見て草を取り、下農は草を見て草を取らず」ということわざがある。米作りは草との闘いであり、草を見てからの対応では遅い。取ったそばからまた次の草が生えるだけだ。まだ芽生えの段階で土をかき回し、草が伸びる暇を与えないのが、名人の仕事といえるだろう。(農業音痴の私の発言、間違っていたら、お許し下さい)

それは医療も同じだ。病気になる原因を少しでも減らせれば、それは「転ばぬ先のつえ」となり、医療の抱える課題の多くは解消の方向に向かう。

経営においても同じ。経営課題を探すパトロールを綿密に行い、発見と同時に対策を打つと、問題の穴が大きくならない。しかし、実態は異なる。経営課題に遭遇しても、それを問題と感じない感性の無さがあり、ここに中小企業の根幹的な問題が潜んでいる。

仕事のバランスシート

2010-10-29 | 経営の気づき
毎日の仕事を振り返ってみると、それぞれ、黒字の仕事と赤字の仕事がある。赤字の仕事は、年に一回あるかないかの頻度だから、そんなには気にならない。しかし、お客様に対して、貢献したかどうかと言う観点から、バランスシート(貸借対照表)が気になる。

クライアントに対して、請求金額以上の貢献価値をもたらした場合は、言わば、心情的に「貸し」になる。したがって、資産勘定に、請求金額を上回る貢献価値を記載できる。一方、私の業務の成果が報われず、請求金額以下の価値しか出せなかった場合は、「借り」になる。したがって、負債勘定にその金額を記載し、次回の仕事時には、その借りを返すように頑張る。

いつもは、そのようなことを一々気にしないし、計算しない。しかし、心のそこで何となく考えている自分がいる。そして、今振り返ると、負債勘定に1社の記載がある。早々にお返ししないと・・・

座敷が消える

2010-10-28 | 雑談
最近の新築住宅にお邪魔すると、いつも思うのが、畳の部屋が少なくなったと言うことである。洋風文化の広がりがその原因だ。

しかし、私が感じる別の要因が二つある。一つは、仏壇を置かない人が増えたこと。仏壇の購入においても、ネット購入が増えているらしいが、要するに宗教的に深く考えず、生活スタイル的に軽いノリで考える人が多いのか。

もう一つは、親戚が集まっての儀式をあまりしない、もしくは、重要視してないと言うことか。どちらの要因も、人間味が薄れることを示す、寂しい変化である。

自分の前に道はない

2010-10-27 | 人生の気づき
高村光太郎の詩に、「自分の前に道はない。自分の歩いた後に道が出来る」というのがある。いま、この歳になって、その意味が自分なりに分かってきた。

お仕着せの目標は棄て、お仕着せのやり方も棄て、自分流のやり方でやらなければならないということ。そうすると、自分のものにすることが出来る。人の真似では、一流になれない。自分が編み出すことによって、一流の仲間入りが出来る。

自分流の解釈なので、高村光太郎の詩とは、ずれるかも・・・




成功に導く発想法

2010-10-26 | 経営の気づき
新しい事業に挑戦するときの、一つの発想法をご紹介しよう。それは、奇妙なお客様を探し出すことが、第一の作業になる。大勢のお客様を見ていても仕方がない。「えっ、こんなお客がいるんだ」と、ビックリするようなお客様を探し出そう。

その上で、そのような新しい行動タイプのお客様が、どの程度いるか、シェアを割り出す。今度は、計算したシェア、潜在顧客数から、それらの方々を捉まえることによって、商売になるかを計算する。いずれも、簡単な計算で出来る。

その結果、それが商売になりそうだったら、新規事業として着手するのである。まだ、そのようなお客をターゲットにしている会社はないはずであり、事業成功の確率は高い。

女の顔

2010-10-25 | 失敗の気づき
男の顔は、履歴書。
女の顔は、請求書。

男の顔は、過去を表しているのに対して、女の顔は、未来を表している。
こうして欲しい、ああして欲しいと言う欲望が、女の顔に表れている。
したがって、この美しい顔を見て、ときに、男は失敗する。

ゆめゆめ、惑わされるべからず。

これって事務所 ?

2010-10-24 | 雑談

写真は、東京の妹の家族が帰ってきたときの、歓迎会の様子である。場所は、私の事務所のバーカウンター。仕事よりもお酒を大切にしている、私ならばの感覚の事務所である。

昼はさほどでもないが、夜、明かりをつけて、バーカウンターで飲むと、なかなかの雰囲気だ。2階と3階が我が家になっているが、私が一番落ち着くのは、このバーである。

男の顔

2010-10-23 | 人生の気づき
顔は、自分の生き方が全て反映する。
特に、男の場合、顕著に表れる。

毎日をボッーと過ごし、日々楽な方へ逃げていると、どこか緩んだ顔になってしまう。
卑怯な生き方をしていると、どんどん下卑てくる。
顔とは、その人の人生を写しだす鏡のようなものだ。

言葉では上手く言い逃れても、過去の人生を表す顔は、とっさに変えることが出来ない。
言い逃れの出来ない顔を背負っている我々は、覚悟を決めるしかない。
私はこんな人間なのだと。

(写真は、私の事務所にて撮影した、顔のない私)




三歩先を歩む

2010-10-22 | 経営の気づき
私が企業のコンサル支援を行うとき、その企業の経営レベルによって、支援するアドバイスのレベルも変わってくる。

例えば、業界の最先端を走っている企業だと、「三歩先を歩みましょう」と言う。一歩先を歩むのは、自社評価において自惚れがあるかもしれないから、一歩先では意味がない。二歩先だと、二番手の企業が、近いうちに追い抜くかもしれない。したがって、常時、安定したトップの位置を確保するために、「三歩先を歩みましょう」とアドバイスする。

一方、場面を変えて、飲酒の場での私の目指す態勢は、「グラス(杯)に何も入っていない時間を作らない」である。したがって、グラスを飲み干してから注文するのではなく、まだ幾分か残っている折に必ず注文する。そうすると、「飲まない」と言う時間帯が発生しないのである。笑


買うべきか買わざるべきか

2010-10-20 | 雑談
私の行きつけのバーの一つ「ペギースー」。ここには、オールディーズのジュークボックスがある。ボックスの中に入っているレコードは、全て、マスターの好みの曲が選曲されている。そして、上から吊り下げられている革製品。これも、マスターの趣味の手作りの作品である。

例えば、真ん中に見える18,000円の品は、私が狙っている鞄だ。次に行ったときは、購入するかも・・・
何しろ、購入して後も、痛んだときは、マスターが責任を持って手入れしてくれる。したがって、お買い得であることは間違いない。

下座業

2010-10-19 | 人生の気づき
物事は基礎が大切である。建築物にしても、人間作りにおいても、基礎が整っていないと、上辺は良くても、何かことが起これば、足元から一挙に崩れる。したがって、人づくりのためには、下座業が必要だ。

下座業とは、自分の位置を一ランク下げて置き、そこで修行を積むというもの。例えば、本来、自分が上司となり指導すべき人、その人の下で自分が仕えることなどが、下座業である。自分を磨くためには、最高の業である。

幼児に学べ

2010-10-18 | 人生の気づき
我々は、幼い時、純真無垢な心を持っていた。大人の場合は、欲しいものを次から次に並べるのと異なり、幼児は、いま必要なもの以外を欲しがらない。大人は、自分に必要な物の10倍100倍を平気で求める。

したがって、難しい問題に出会った時、答えの見つけ方として、子供ならどのように取り組むかと考えるのも一つの手である。例えば、別の会社から引き抜きのオファーがあったとしよう。職位も給与も上がるという。果たして、恩義のある今の会社を辞めるか否か、迷うところである。

子供であれば、どちらの仕事が好きか、どちらの社長が好きか、こんな簡単な基準で選択するであろう。好きかどうかは、非常に単純な物差しだが、案外見逃せない基準なのである。先ずは、欲望の物差しではなく、純真無垢な心で考えることが必要である。

喋り過ぎるとヤバイ

2010-10-17 | 失敗の気づき
知識が蓄積されてて本当に知っていることは、いくら喋っても、メッキではないから、何ら問題がない。しかし、あまり知らないことを知ったかぶりすると、時間が経つほどに、化けの皮が剥がれてくる。実は、10年ほど前にこんな経験がある。

私がカクテルの楽しみ方を教わっている師匠は、バーgのマスターである。彼から、あるカクテルを教えてもらった。そして、その注文の仕方も教わった。その方法を品川プリンスホテルで試してみた。

すると、オーダーを受けたバーテンダーは、「申し訳ありません。私ではそのカクテルを作れませんので、ベテランの者に作ってもらいます」と、選手交代になった。そして、注文通りのカクテルを持ってきてもらったのだが、そのベテランスタッフは、「お客様。このカクテルのオーダーは、年にお一人かお二人、あるかないか。そのくらい注文が少ないのですよ。そこで、私は表敬訪問として、お客様のお手元までお持ちした次第です」と。

それから、彼と10分くらい話をしたのだが、徐々に化けの皮が剥げてきた。要するに、受け売りの知識で注文したことに勘付いたのであろう。そして、彼は去って行った。やはり、あまり知らないことは、喋り過ぎないことだ。無口の男を装って、寡黙に飲んでいれば、「カクテルに詳しいお客様だな」と尊敬されたまま別れることができた。反省です。笑