東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

来年の占い

2011-12-31 | 雑談
動物占いによると、今年の私は「投資の年」。来年は、「今までの成果を刈り取る年」らしい。今年は確かにあたっている。しかし、果たして来年はどのようになるか。

占いで分かることは、良いことも悪いことも「絶対そうなる」と決まっているわけではない。そうなる確率がどんなに高くても、そうならなかった例はたくさんある。占いは、未来に起こることを限定して、それに一喜一憂するためにあるものではない。したがって、あまりこだわらない方が良いだろう。

確かに、占い自体は、宇宙や大自然の法則を体系化しているものなので、そこから何かが分かることは確かだ。最初から「ああいうものは当てにならない」と片付けてしまうには、あまりにも奥が深い。

では、未来に起こることは、すべて決めれられているのだろうか。占いというものに触れれば触れるほど、「一体、運命というのはどこまで決まっているのだろう」という疑問に突き当たる。

結果はさておき、とりあえずは楽しむ対象として、占いと付き合うことにしよう。来年も私にとって良い年らしいから、楽しみにしておこう。


今年の事件簿

2011-12-30 | 私流
年末もおし迫ってきた今日、一年を振り返って、今年の私的事件を挙げてみた。

第1位 出版した本が、ベストセラーを9週間維持できた。特に、スティーブ・ジョブズと抜きつ抜かれつの展開になったことは、子孫代々に伝えられるエピソードである。

第2位 念願の夢であった、本の出版が実現できた。年間所定休日が1月1日のみというハードな業務状況でも、ブログという文明の利器の登場によって、執筆・編集時間が短縮され、夢が叶えられた。

第3位 もう一つの夢であった人間塾の立ち上げが、本の出版を経緯に実現化できた。これからは、お世話になった社会への恩返しを行いたいと思っているが、そのメイン事業の一つが「気づき塾」の運営である。

第4位 今年の4月にフェイスブックに登録したおかげで、人脈の広がりが更に拡大してきた。

第5位 数多くの「酒と音楽に関わるイベント」に参加して、幸福をいっぱい頂いた。本来は、このことは第1位に匹敵する内容だが、毎年のことなので、第5位にさせてもらった。

愛を感じられない

2011-12-29 | 雑談
物が満ち溢れ、しかも低価格品が山のように積み重ねられている現代社会。このような時代においては、物に対する愛着心もわきにくくなる。耐えて耐えて小遣いを蓄え、やっと貯まったお金で、長年の夢を叶えるために買い求める高級品と違い、小遣いの一部を割いて安く買った品は、その品に対する愛着心の度合いが大きく異なる。

その意味では、現代人は、昔に比べて、物に対する愛着心のある人が減ってきた。したがって、その品物を粗末に扱い、壊れるとすぐに捨ててしまう。何とか修理して更に使いきろうという気持ちは少ない。資源には限りがあるから大切に使おうと言いながら、社会風潮として節約志向にも、昔のような勢いはない。

やはり、時には無理をしてでも高級品を買い求め、愛しい子供を大切に扱うような消費体験が必要かもしれない。資源の節約を呼びかけるならば、我々は、もっと智慧のある消費行動が必要だ。


白熱電球のこだわり

2011-12-28 | 私流
最近は、消費電力が少なく寿命の長いLED電球がもてはやされている。我が家でも、家内が電気店からLED電球を買い求め、門灯や部屋の電球を入れ替えようとした。しかし、わがままな私は、全てを中止させた。

何しろ、私が長期出張から帰ってきたとき、青白い魂のこもっていないあの明かりが、門灯として待ち構えているのを見たとき、背筋が寒くなったからだ。やはり、灯りの場所によっては、白熱球の方が数段優れている。社会は、自分の考えを持たない人が多く、流行に迎合する人が多いが、時には自分流の哲学で生活すべきだ。

白熱電球は光を集中させやすいことから、陰影を出しやすくなっており、インテリアなどをより立体的に見せるなどの効果がある。また、物体のツヤなどの表現にも優れている。対して、LED球の場合、フラットに拡散する光が照射されるため影ができにくい。

ということは、人と人が交流する場において、心と心をキャッチボールさせたいときは、LED球のともった部屋よりも、白熱球の方が効果的ということだ。人間的に温まるあの灯りは、白熱球の方が優れている。私の自慢の、事務所のバーは、LED球では興ざめになる。やはり人の心を持った白熱球であるべきだ。

私はテレビをあまり見ないし、就寝時間も早いなど、省電力にはかなり協力しているので、この程度のわがままは許して欲しい。

農業を守ろう

2011-12-27 | 雑談
武士と農民というと、かけ離れた存在かと思われるが、意外にも身近な存在なのだ。身分制がはっきりしていた江戸時代において、武士から農民、または農民から武士への身分変更だけが特別に許されていた。

「人の作った世で業をなす者より、自然を相手に業をなす者こそが、人間本来の生き方であるという考え方」と、「自然との厳しい格闘の中で鍛えられた強い精神力こそが武士道精神の源であるという考え方」の二つの思想が、このことを許したのであろう。

かの新撰組の局長である近藤勇、そして、鬼の副長と恐れられた土方歳三は、共に農家出身であった事からも、これらの事実に納得出来る。ここで述べるまでも泣く、我々は、「農業は生活の原点である」ことを自覚しなければならない。となると、国民の義務として、農業を守るためにも、TPPの流れを注視しなければならない。

2011-12-26 | 人生の気づき
争いはなぜ起こるのか。経験からひも解いてみると、普段の生活においてさえ、些細なことで意見の食い違いから起こることが分かる。どうも、自己主張が強すぎると、他の人と争うことになる。

しかし、争いを避けるために、ことなかれ主義でいるわけにもいかない。確固たる自分の意志は持ち、先ず、己自身を和まさなければならない。和みある人に、人は喧嘩を売らない。何故ならば、「勝てないか」若しくは「諭される」だけだからと、争いを挑まれなくなる。

したがって、和を保つには、先ずは、己の和をつくることである。そうすると、些細な争いは己の周囲にはなくなる。要するに、争いに巻き込まれる人は、その人自身の持つ何かが、争いを引き寄せているのだ。

平常心

2011-12-25 | 私の師匠
私の中学時代の恩師のある方は、いつも「平常心を大切にしなさい」と言っていた。そして、そのあとに続く言葉が「乱にあって乱れず」。まさに武士道の教えであり、この先生が語ると、私も自然に耳が開いたものである。

武士というものは、感情を面にだしてはならないというのが鉄則であった。武士は、子供のころからそういう教育を受け、感情をあらわにする者は身だしなみを心得ていない者とみなされた。例えば、人前で泣く、喚く、物にあたるなど取り乱したり、嫌なこと、苦しいことがあると直ぐに顔に出たりする者は、武士として恥になり面目を失うことになる。

これは、現代でも通じる。平常心を保つということは、感情を自分でコントロールするということだ。怒りの感情を表にだすということは人に対し何かを訴え、自分の思い通りにしてほしいという、自分自身の甘えである。反対に、喜びや楽しみの感情は多いに出しても良いが、控えなければならない感情表現もあるということだ。

実は、この平常心は私の弱いところなので、戒めなければならないと思っている。まだまだ修行が必要だ。

肝試しで鍛える

2011-12-24 | 雑談
亡き父は、昔、近所の人たちとの交流を楽しんでいた。例えば、校区運動会とは別に、近隣の有志と運動会開催を仕掛けたり、子供たちを集めて肝試しを行うこともあった。

今回は、その肝試しを思い出しての気づきである。肝試しは、単なる遊びでないらしい。実は、武家時代に子供の教育の一つとして実際にあったらしい。武士道の徳の一つである「勇」を身につけるための教育がそれであった。

怖いと思うことは人間ならば誰しも一緒である。そこをどう耐えるか、どう怖くないように考えるかで「勇」が身につく。子供であろうと大人であろうと恐怖心というものは同じだ。しかし、如何なるときも平静を失わずに、冷静に行動をとるためには、「勇」を養わなければならない。

誰もが怖いと思う肝試し、この鍛錬は、「勇」を作りあげる一つの方法である。勇気を奮う己の心を養うことを、時には意識的に仕掛けなければならない。しかし、平和ボケした日本では、教育の一つとして肝試しをすることもなく、「勇」の必要性が軽んじられているのが心配だ。


生活工学

2011-12-23 | 経営の気づき
生活工学という学問分野がある。簡単に言うと、生活を快適にするために、ものづくりの観点から見直しをしようというもの。例えば、宇宙工学は、宇宙に行くためのロケットとかが研究対象になるが、宇宙の滞在者が快適に過ごせるかどうかについては、研究の対象外である。

したがってし、風呂がない、衣料をたくさん持ち込めないために着替えがないとか、これらの生活分野はどこにおいても研究されなかった。宇宙パイロットは口に出来ない悩みを抱えていたわけだ。このように宇宙滞在者の生活の快適性を研究するのも、生活工学の一分野だ。この生活工学のおかげで、宇宙滞在者向けの衣料品とか生活用品が色々開発された。注目すべきは、そのあとの展開である。

実は、宇宙滞在者向けに開発された生活用品は、身体に障害を持っている人たちの生活弱者にとって、非常に使いやすく、ユニバーサルデザインの商品になった。このように用途展開を工夫すると、一気に新商品が誕生するので、用途開発は非常に価値の高い仕事である。

例えば、ロシアのような極寒の地では、暖房のための着火材は貴重品である。したがって、着火材としても使用でき、飲酒用のアルコールにもなるウォッカは、まさに生活工学誕生前の生活工学的発想で誕生した商品と言えるだろう。

ウクレレを目指す

2011-12-22 | 私流
私が足りないもの。それは、ウクレレ的要素かな。

ウクレレの音を聞くと、何故か、夏は涼しく、冬は温かくなる。人の心を温かくしたり、涼しくしたり出来るといいだろうなあ。そのためには、私自身にもっとゆとりが必要だ。反省です。

類は友を呼ぶ

2011-12-21 | 私流
二次会に行ったバーで、ライブをしていた。私が最後に行く店は、ライブをしている店を狙うのだが、まだ最後の意識がないときに入ったから、ライブを狙ったわけではない。しかし、たまたましていたのだ。最初はFM放送の録音取りをしていたが、終わって後にライブに切り替わった。なんとラッキーなことか。

そこで、ふと気がついた。私が音楽を呼ぶのか、音楽が私を呼ぶのか、何故か私の行くところには音楽が待ち受けている。本当に幸せな人生だ。

先ずは経験してみよう

2011-12-20 | 雑談
先日、二次会で入店した店で、ライブに出合った。二つ目のグループは私の好きなジャズ。しかし、さほどの腕前ではない。

私はジャズが好きなため、プロから時々ジャズボーカルのレッスンを受けている。もちろん、私は下手なのだが、プロから手ほどきを受けているため、歌い手が上手いか下手かの荒っぽい振り分けならば出来る。自分自身の腕前が上がるほどに、微妙な振り分けが可能になるのだろうが、私はかなり荒っぽい振り分けしか出来ない。その私が聴いて、その方はまだ未熟だと分かった。

要するに、「出来るか出来ないか」「上手いか下手か」の振り分けが出来るのは、ある程度の知識と経験がないと出来ないということだ。全くの未知の世界では、完全にお手上げ状態になるが、少しでもかじっていると、荒っぽい振り分けなら出来る。ということは、何に対しても目利きが出来るように、全てに経験を踏んでおいた方が良いだろう。

因みに、私が少しでもかじっている遊びを並べると次のとおりだ。サクソフォーン、ギター、マンドリン、ジャズボーカル、乗馬、アイススケート、日本酒の利き酒、ワインのティスティング。そして、今後チャレンジするかもしれない分野が英会話。いま、「ビジネス英語の支援事業者」を支援させていただいているため、ミイラ取りがミイラになるかもしれない・・・。

五つだまのソロバン

2011-12-19 | 雑談
昔のソロバンは、五つだまだった。現在は四つだまだが、何故このように変わったか調べてみた。不思議に気づいたときは調べること。そうすると、自分が疑問に感じたことを調べたときは、必ず記憶に残る。しかし、他人から、話の流れで教えてもらったことは記憶に残らない。

元々の五つだまは中国から伝わったものだそうだ。現代は四つだまだから、1の位が9なら、10になるのを頭で暗算して1の位を払い、10の位に1を入れる。しかし、五つだまの場合は、一度、1の位に1を入れ10にし、確認してから払い、10の位に1を入れる。

あんまり合理的ではないので、日本では、暗算を使い繰り上げる使い方になったわけだ。中国では、商人が売り買いの際、相手に見せながら使う。「この位は10になるから繰り上げるよ」とごまかしがないことを説明するときに便利だ。



幸せなサラリーマンになる方法

2011-12-18 | 失敗の気づき
私は経営コンサルタントとして開業するまでは、サラリーマンをしていたが、3回の転職を経験した。この転職は、私にとって貴重な体験となったが、原則的には転職を控えるべきだろう。人それぞれであるため、原則論が使えない場合もあるが、基本的には腰を据えて精進する方が、得るところが大きい。

そこで、私自身の反省も踏まえながら、一箇所で落ち着くための智慧を提供したい。即ち、サラリーマンとして幸せになる方法だが、説明すると長くなるので、出来れば、私の著書「気づきの智慧」(アトラス出版)を読んで頂きたい。もしかすると、色々な気付きが得られて、今苦しんでおられる方も、会社を辞めることを思いとどまるだろう。

何故かって?それは、あなたがこの本を読むと、次のような嬉しいことが起こるからだ。

1. 月曜の朝、会社に行くのが面白くなる!
2. 上司から怒られることを、ありがたく感じるようになる。
3. 仕事で失敗すればするほど、自信が付くようになる。
4. 面倒で難しい仕事ほど、自ら進んで担当したくなる。
5. 給料が安い!ボーナスが少ない!という不満が消える。


実行あるのみ

2011-12-17 | 経営の気づき
「何をすべきかではなく、何をしたか」この両者の違いが分かりますか。29年間、経営コンサルタントの仕事をしてきて感じるのは、この言葉の差です。私が会社に対して提案することは、「やるべきこと」の提案です。しかし、その大切さの比重は「何を成し遂げたか」に比べれば、かなり小さくなります。

したがって、経営コンサルタントの力には限界があります。ただ、会社が気づいていないことを企画提案出来れば、画期的な新しい道が開かれます。その場合は、私が提案するのではなく、ご当人が気づくように振り向けます。その工夫は必要なのですが、しかし、それよりも重要なのは、会社が何を実行したかです。何をどのように実行したか、これが成否の分かれ目となります。

ありがたいことに、私をパートナーとして契約して頂く会社は、私の存在を心強く感じて頂いていますが、実は、私の存在価値はさほどのものではありません。とにかく実行力です。したがって、私が特に注意するのは、顧問契約先の実行力のレベルアップです。