東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

小さな世界

2011-10-31 | 経営の気づき
先日、仕事が空いててゆっくりしているとき、何となくひらめきがあった。「いまスクラッチを買えば、当る」というひらめきだ。そして、車で3分の距離にある売り場に行って、スクラッチを購入した。しかし、私のひらめきは頼りなく、見事に外れた。しかし、スクラッチを5枚購入して200円が1枚当った。再度、購入させるための呼び水の200円である。

そこで、暇な私は計算してみた。主宰者は、どのような考え方で当り金額を配分しているか。1等20万円に用意されている原資は、600万円。2等の3万円は、135万円。3等の2万円は、900万円。4等の1万円は、1億5000万円。5等の500円は、3,817万5千円。6等の200円は、2,000万円。

したがって、上位3等まででは、僅か6.6%しか用意されていないのに対して、下位グループの6等までで93.4%の手厚い額が準備されている。要するに、主宰者は、「当りをひいてもらってお客様を喜ばすことよりも、小金を与えて、再度購入してもらう方に力点を置いている」ということだ。

暇な私は、こんな計算をして、スタッフが忙しく働いている中、遊んでいた。いえ、小さなマーケティング分析をしていた。


「気づき塾」を開設

2011-10-30 | 私流
私の本「気づきの智慧」(アトラス出版)が、4週連続にて、愛媛の書店においてベストセラー第1位になった。そこで、一つの企てを考えた。それは、地元の著作者である強みを活かすということ。即ち、「気づきの智慧」を教材にして、隔月にて「気づき塾」を開催することにした。

希望者が少なければ開講の運びにならないが、スタートするにふさわしい人数が揃えば、11月もしくは12月の土曜日から始める。受講料はいらないが、人数が増えてくれば、会議室を借用する実費を頂く。しかし、当面は私の事務所だから、会費も不要だ。

参加資格は、自分の気づき力を高めたいと考えている方であれば、どなたでも構わない。多分、生活の質向上に意欲的な主婦・仕事の好きなサラリーマン・前向き志向の経営者の方たちが多いと思われる。希望者は、住所・氏名・年齢・メールアドレス・電話番号を記載して、sbc@mild.ocn.ne.jpまで連絡して欲しい。

塾の進め方はまだ具体化していないが、生活面と経営面の両面から、ケーススタディーを行う予定である。様々な業種の人が参加して頂ければ、異業種交流会としての機能も保てるだろう。

(写真は、私が講師を務めたセミナーのものだが、今回開催する気づき塾は、このような堅苦しいものにはならない。和気藹々と展開したい)

海外の驚き

2011-10-29 | 雑談
欧米のお菓子などを開けようとすると、たまに切り口が付いていないことがある。ハサミを使って開ければ良いことなので大した問題ではない。しかし、日本の商品に慣れていると、かなり不便に感じる。

そんな中、日本のビール缶のテクノロジーが優れていると、海外で注目を集めている。例えば、プルトップの小さな溝を指して、「どうしてアメリカではこれと同じことをして開けやすくできないんだ」と言う。確かに日本ならではの小さな心遣いは、海外では驚異に映るようだ。

それほどまでに便利に進化させたプルトップ缶だが、この細やかさの心遣いを徹底追求すれば、日本の製造業もまだまだ見捨てたものではない。要するに、「日本人の心」が、製造業を盛り返す起爆剤になると私は考える。

パターン別の対応

2011-10-28 | 経営の気づき
私の事務所のスタッフはかなり優秀で、分野によっては、私をはるかに越えているものもある。先日、初めて分かったことだが、私も含めて、誰かに送るメールは、内容のタイプを変えるという。それは、相手の性格を判読しての対応らしい。そのことが分かったため、「では私の性格はどうなの」とそのスタッフに尋ねた。すると、「手の内が分かるからお教え出来ません」と笑ってはぐらかされた。

彼女は、電話するときも、話の終わりは「・・・ありがとうございます」と京都弁で語尾を上げる。この口調は、別の女性スタッフにも教え込まれている。私が放任状態であるのも、全てが上手に回っているからであり、敢えて口を挟むことをしない。

要するに、自然にことが運んでいる場合は、敢えて別の動きは必要ないということだ。教育の必要性があるか否かのの判断がなされていることが第一。その必要性アリと判断すれば、実行しなければならないが、我が家においても、事務所においても、全てがベストの状態で営まれている。それは、私なりの背中の見せ方が、効を奏しているのであろう。(今回もいい過ぎ?)

今の一瞬を生きる

2011-10-27 | 人生の気づき
我々人間は、過去と未来に引きずられて生きている。失敗したことにくよくよしたり、ああなりたいこうなりたいと未来にあこがれる。しかし、守るべきは、過去や未来以上に、現在の今を大切にすることである。

そのことを全うするための一つのコツを教わった。それは、いつも、自分は何をしているのかを、意識しなさいというものだ。歩いていれば、いま歩いていることを意識する。食事しているときは、いま食べていることを意識する。ということは、そのこと以外のことは何も考えてはならない。

先日買った宝くじが当たったら何を買おうかと考えながら、食事をしてはいけない。食事をするときは、ただひたすら食べるだけ。そのことによって、今日も無事食事させて頂けることの感謝が芽生えるかも知れない。

このことを繰り返し続けていると、怒っている自分を自覚することによって怒りが消え、嫉妬を自覚することによって、嫉妬の心が消える。要するに、無常を知るようになる。

我々人間は、いつも妄想にふけっているが、過去と未来ではなく、いまを、その瞬間を大切にしなければならないのだ。

(私が特に楽しむ一瞬は、写真の世界にいる時だ)

正の言葉

2011-10-26 | 経営の気づき
感情には、正と負がある。正の感情は、陽気で愉快で、周囲の人たちにも何らかのプラス影響を与える。一方、負の感情は、暗く落ち込み、周囲の人に何らかのマイナス影響を与える。この二つの感情を比較したとき、どちらかと言えば、負の要素の方が、影響度が大きいのではなかろうか。

何故かと言えば、負の感情は、「負の感情の連鎖」を引き起こしやすいからだ。それが社会全体に広がると、正の感情を持っている人たちをも蝕んでしまう。前向きに生きて行こうとしている人たちも、社会全体を包み込む重苦しい空気を感じ、何か一歩踏み出せない。まさに、社会全体が委縮する。

そのような「負の感情」は、われわれが一日の大半を過ごしている「会社の職場」にも蔓延する。したがって、誰かが、負の連鎖を断ち切らなければならない。負の感情を断ち切るには、正の感情が有効だ。明るく微笑ましい言葉、前向きで元気になる言葉、涙ぐむほどの感情を揺さぶる言葉、これらの言葉を誰かが発すれば、負の連鎖は断ち切れるかもしれない。

プロの条件

2011-10-25 | 経営の気づき
某所から原稿執筆の依頼があった。そこで、過去のブログを2件ドッキングさせて、新たな文章をつくった。忙しい私は、原稿作成のネタがプログに眠っているのが大助かりだ。題名は「プロの条件」。

ビジネスの世界には色々なプロがいる。プロであっても、大企業の一員として頑張っている人もいれば、個人で商売している人もいる。では、プロとして自他共に認められるには、どのような条件が整わなければならないか。一つは、「サービス対価としての料金を受け取れる、相当程度の高さの技術や魅力を持っていること」。二つ目は、「同業者と比較しても、レベルの高い技術や魅力をもっていること」。三つ目は、「スポンサーに対するサービス精神が旺盛なこと」。
 
しかし、先日出会ったクリエーターの方は、名刺を持参されておられないことから、自己主張の弱さに不安を感じた。出会う人全てに自分の技術力をアピールするためには、自分の特徴と一体化した名刺が武器になるはず。その武器を使っていないことから不安を感じていたが、案の定、仕上がりも遅い。

そして、不安感は的中した。この出来事をベースにして、私自身のプロ根性を反省してみた。やはり、プロは、プロとしての条件を意識し、その努力を払わなければならない。最初のスタート時は、条件が不備であるにしても、その山を登るという意識は必要だ。その点、私の意識は確かだから、プロとして自認しても良いと確認できた。

以上、プロの条件を列挙したが、最近感じ始めたのは、「感じる力」の重要性である。「感じる」とは「刺激や出来事によって、自然に心に生じること」である。一方、「考える」は、「判断や評価の答えを出したいために、答えを意図的に筋道立てて導き出そうとすること」である。

「感じる」は、受身的で自然に生じる『状態』であり、「考える」は目的を持った意図的な『行為』である。例えば、上司から叱責を受けた時、不満という感情を自然に感じる。次に、なぜ叱責を受けたのか「答え」を考える。

両者の関係性は、事例のように「感じる」ことから「考える」ことに繋がることがある。また、上記例の如く、上司が自分の成長を思って助言してくれたのだという答えを導き出した結果、前向きな気持ちを「感じる」ことがある。このように、「考える」ことから「感じる」ことに繋がることもある。

重要なのは、「何を感じるか」の感じ方の問題である。ここに、その人の人間性が、「考える」こと以上に左右する。考える道筋による差異よりも、感じ方による差異の方が、答えにたどり着くブレが大きい。したがって、私は、その人の感じ方は、人生を左右する程の重要性を持っていると考える。

しかし、学校教育では、「考える力」を重要視しているが、「感じる力」は軽視されている。したがって、私は、社会や家庭そして企業に対して、「感じる力を大切に育てよう」と言いたい。特に中小企業診断士は、「感じる力」がないと仕事ができない。考えるだけでは全てを把握できない。微かな信号に対しても感じることが出来れば、問題発見も確実度を増す。

ベストセラー1位を3週キープ

2011-10-24 | 初体験の気づき
私の本「気づきの智慧」が、ジュンク堂松山店にて、ベストセラー1位を3週キープできた。もちろん、紀伊国屋や明屋書店でも売れ行きは好調だ。

お蔭様で、読者から感想の投書がメールで届き始めた。「お守り代わりに、いつも大切に持ち歩いています。何か問題があれば、その問題を解き明かすページがあったはずと、本をめくって探しています」と、この類の感想が3通きている。いずれも女性である。

そして、殆ど全員の方が指摘頂いたのが、「場面展開が早くて凄く読みやすい。あっという間に、全頁読んでしまいました」というもの。

「松山空港の売店」や「JR四国の松山駅キヨスク」にも置かれているため、県外の旅行客からもメールを頂いた。「飛行機に乗っている間が凄く短く感じました。帰って後に、一気に読み上げたのですが、自分の仕事の取り組み姿勢に対する甘さを反省できました。この本に巡り会えて、目が覚めた感じです」と。

散歩の収穫

2011-10-23 | 私流
先日の散歩の収穫は、看板の作り方だ。いつもの散歩コースで出会った、面白い看板。その看板は縦長の形をしているが、文字は、(右に90度)横に寝かした文字が、たて一列に並んでいる。

非常に読みにくい。首を90度曲げて読みたくなるほどだ。しかし、読みとりにくいから、読みたくなる。そして、一文字ずつ読んでいく。これは看板の理想形かもしれない。本来は、見て欲しいから、目立つようにアピールして造るが、向こうから観てくださいと頼むような看板は、観たくない。素通りしたくなるのが人情だ。

しかし、今日観た看板は、違っていた。本当は写真を撮りたいが、ご近所なので、黙って撮って黙って掲載するのも気が引ける。そこで、ブロクには写真を載せなかった。私の事務所から東の方向に150メートルのところだから、見たい方は探して欲しい。勉強になるよ。

諭し上手

2011-10-22 | 人生の気づき
何か、その人に直して欲しいことを見つけたとき、どのように諭すか。ちょっと言い方を間違えると、感情的に行き違いになって、これまでの好い関係が崩れることもある。一つのヒントは、先ず褒める、その上で諭すということか。

例を挙げてみよう。
オーケストラの発表会の前日、みんなの位置の確認をしていて「私の場所にプリクラ張っておこう!」って言い出す女性がいたとしよう。すると、コンサートマスターが「それ良いですね!でも、終わったらちゃんと剥がさないと、顔を踏み続けられる羽目になりますね」と剥がし忘れない様、さりげなく注意する。

この調子で諭せば、間違いなく良い雰囲気でことは片付く。


月見の会

2011-10-21 | 初体験の気づき
昨日ご紹介した「月見の会」の引き続いてのご案内だ。当日は、「千代の亀101の会」が主催した、「旧家で月見を楽しむ会」であり、亀岡酒造の美味しい酒を山ほどいただくことが出来た。幸せな一夜になったが、さらに加えて、私の大好きな音楽も堪能できた。

写真にあるように、土間の白壁をバックにしての演奏だが、150年前に建てられた旧家だから、土間もかなり広い。我々は、座敷から見下ろすように、三人の演奏に耳を傾ける。太い梁で支えられた広い空間を綺麗な音が見事に響く。外は、広い庭が照明に照らされ幻想的な世界だが、我々40名がたたずむ部屋も、しばし歓談を忘れ、妙なるメロディーが流れ渡った。

いま生きている、命が躍動していると実感できた、本当に貴重な体験であった。

大塩平八郎の書

2011-10-20 | 雑談
先日、大塩平八郎の直筆の掛け軸に出会った。とある旧家での月見の会において、床の間に掛けられていた掛け軸が、大塩平八郎のものだという。

大塩平八郎といえば、江戸時代、奉行所に勤めていた頃、清廉潔白な人物として不正を次々と暴き有名をはせた人物だ。特に、西町奉行同心の汚職事件では内部告発を行い、その辣腕ぶりは市民の尊敬を集めた。したがって、腐敗した奉行所内では彼を憎む者も少なからずいたが、上司の奉行の応援があればこそ活躍できた。しかし、奉行の転勤とともに与力を辞すことになる。学問は陽明学を学び、知行合一を信じて、自宅で洗心洞という私塾を経営し、頼山陽などとも交際していた。

このような高潔な人が、大飢饉の際、大坂の民衆が飢餓に喘いでいることに心を痛め、当時の東町奉行に対して、米を民に与えることや豪商に買い占めを止めさせることを要請した。しかし全く聞き入れられなかったため、武装蜂起によって反乱を起こすのである。

こういう高潔な人物が、今の日本にいない。政治家や高級官僚にこのような人がいれば、もっと日本もいい国になるのだが。残念だ。

もっと不足を

2011-10-19 | 私流
人間は、環境が整っていないと、環境整備に努める。しかし、補正の必要性がないほど整うと、いつでも得られるという安心感から、つい油断してしまう。

人は持っていないものを捜し求める一方、それが所持できると、いつでも使用できるという安心感から油断してしまう。これが世の常だ。

昨今のように教育環境が整ってくると、「学ぶことに飢えた人」が少なくなった。過保護の現代において、自分で工夫して学ぶ人は希少価値となり、与えられるのを待つだけになった。したがって、世直しを行うためには、不足社会の到来が必要である。

ベストセラー

2011-10-18 | 初体験の気づき
私の出版した本「気づきの智慧」(アトラス出版)がベストセラーを2週間キープできた。ジュンク堂の1位は保てたが、紀伊国屋は4位から7位に落ちた。

私が「ヤバイな。順位が落ちた」と言うと、それを聞いていた娘が、「でも、すごいよ。五木寛之や東野圭吾よりも上だよ」と言ってくれた。少なくても、愛媛県では、全国レベルの作家を追い越したのだから、良しとすべきだ。

上ばかり見ていると、つい足元が見えなくなる。娘の諌めの一言は、私の足元を見直す良い機会だった。

年金財政立て直しの智慧

2011-10-17 | 雑談
国の年金財政が行き詰っていることから、ある人がこういう提案をしていた。「海外は生活費の安い国もあるので、年金生活者の希望者に、それらの国で生活してもらう選択肢を提供してはどうだろうか」と。「生活費が下がる率未満のカット率で年金をカットすれば、国も年金生活者も全て良し」である。

そして、この話を別の方にすると、新たな智慧を付け足してくれた。「年金生活者が、海外の知らない国に行くのは不安だろうから、その生活施設の運営を国が行えばよい。そうすると、国家公務員の退職者の新たな職場も創造できるし、年金生活者の安心度も増す」

今回の話は、智慧の上に智慧をプラスしていくと、限りなくアイディアは広がることの一つの証明かもしれない。行政の諮問機関には大学教授が加わることが多いが、大学教授では、このような柔らかいアイディアは出ない。庶民の普通の人が、結構面白いアイディアを温めていることに、もっと注目すベきだ。