東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

「細腕繁盛期」と「下り坂収縮期」

2021-08-30 | 人生の気づき
私の40代は、細腕繁盛期です。経営コンサルタントとして休む間もないほど大量の仕事を戴いていましたが、コンサル能力はまだまだ未熟でした。今と比較して未熟でしたが、でも、多くの会社からの信用を得て、多くのリピートの仕事を戴いていました。

そして、70代の今は「下り坂収縮期」です。体力の問題もあり昔ほどの仕事量を抱えていません。とはいえ、話力・説明力・説得力・論理構成力などは、今の方が数倍の能力アップになっています。能力はアップしていますが、がむしゃらに頑張ることはせず、ほどほどの仕事量をこなして満足しています。

体力的に下降期に入っていますから、がんばらずに、下り坂をゆっくり進む「ゆとりの境地」に入っています。

与えるほどに増えるもの

2021-04-14 | 人生の気づき
物欲の深い人は、何かを与えることは損だと考え、与えることをしません。以前の私も、周囲の方たちに積極的に提供することはありませんでした。しかし、ある時、モノの世界と異なり、仏教の世界では、与えれば与えるほど、即ち、お布施をすればするほど、増えるものがあるのですよと、教えられました。お布施によって、自分自身の徳が増えるのだと。

知識と知恵

2020-05-10 | 人生の気づき
仏教の本から、次の教えを頂きました。「知識は道具であり、知恵は技術である」と。

現在の学校教育は知識を詰め込むのみで、蓄えた知識の使い方(技術)を放置しているのですね。知恵を鍛えることは個人個人に任せているわけですが、それでよいのでしょうか。ということから、私の経営者教育では、知恵を磨くことに力を入れています。

幸せとは

2020-04-30 | 人生の気づき
幸せとはどのような状態でしょうか。ご自分で幸福を定義づけできない方は、大きな不幸せを経験することですね。簡単なことなのですが、自ら不幸せの道を歩むことはしないでしょうね。しかし、人間は必ず嫌なこと・困ること・逃げ出したいことと出逢うものです。その不幸せな出来事とどのように向き合うかで、真の幸福の意味が分かるのだと思います。

忙しいのは駄目

2020-04-21 | 人生の気づき
「忙」は、心が亡くなると書きます。要するに、忙しい人生を送るのは、望ましい姿ではないことを意味します。

私もやっと、今年になって、忙しさから遠ざかりそうです。マイペースで仕事ができる状態が整い、安堵しています。やっと人間らしく生きられます。

私のミッション・ステートメント

2020-03-04 | 人生の気づき
長い人生経験を経た今、これまでの反省も踏まえながら、これからの私のミッションを整理してみました。何しろ、まだまだ自己成長を目指していますので、ゆっくりと胡坐をかいているわけにはいきません。

【環境との関わり方】環境は与えられるもの、すでに決まっている固定的なものと捉えないで、自分自身の努力で変えられるもの、創りだせるものとして関わっていきます。
【優先順位】自分の事よりも他の人のために、易しいことよりも難しいことを、得ることよりも与えることを、損得よりも正しきことを、近きことよりも遠きことを優先させます。
【常に笑いを】笑いは、パワーの根源になるとともに、人を和ませる癒しの大いなる力が宿っています。したがって、難事を解決するに際しては、歯を食いしばる深刻さではなく、力みを取る笑いをパワーの根源と位置づけます。

成功を得る方法

2019-12-16 | 人生の気づき
成功を手にする絶対的な方法は、何でしょうか。それは、失敗しても失敗しても、成功するまでくじけないことです。そうすれば、必ず成功を手に入れられます。失敗してもくじけない意思力の存在、これがキーポイントですね。

では、くじけないためにはどのように対処すべきでしょうか。一段一段、上るということでしょうか。自分の力を徐々に高めることと、自分の実力に見合った目標を設定することです。すると、近いうちに必ず、成功します。なんと簡単なことでしょうか。

小さく生きて大きく大成

2019-11-23 | 人生の気づき
日々の食事が 将来の身体になり 健康の基になる
日々の読書が 将来の羅針盤となり 智慧の基になる
日々の人づきあいが 将来の人脈となり ネットワークの基になる
日々の継続が 将来の習慣となり 性格の基になる

将来の大成につながるか否かは 小さな日々の積み重ね次第

幸せの定義

2019-10-19 | 人生の気づき
歳を重ねてくると、「幸せ」の定義が随分変化したことに気づきます。

子供のころは、「やりたいことしたいことが叶えられること」でした。
青年時代は、「何がしたいか、何が幸せか、全く不明」でした、

中年のころは、「自分の名前を高めたい、大きな仕事をしたいという、自分の野望が叶えられること」でした。、
そして今は、「周囲の人たちに幸せを感じてもらえるように、何かのきっかけを提供したり貢献をさせて頂くこと」になりました。

今の考え方を持てるようになったのは、これまでの経験の積み重ねからですが、どのような体験をしてきたか、簡単に経緯を述べましょう。当初目指した「名誉」や「お金」がある程度できてくると、より以上に嬉しい戴き物が、「有難う」という感謝の言葉なんです。その言葉は、感謝の度合いによって、感情が込められ方も違ってきますので、感極まったお礼の言葉は、何物にも代えがたいものとなるわけです。

その方の心の奥底まで入り込めた関係になることは、1等の宝くじが当たった以上の喜びなのです。目に見えるものよりも、目に見えないものに価値のあるがよく分かった結果かもしれません。

人としての喜び

2019-09-05 | 人生の気づき
長い人生を重ねてくると、人としての喜びの感じ方が変わってくることに気づきます。それは、人間としての成長を裏付けるものでもあります。

幼いときは、自分勝手な願いであったとしても、その願いが叶えられることに喜びを感じました。
青年時代も、私は人間的に成長していなかったので、幼い時とほぼ同様であったように思います。
社会人になると、自分が認められることに、より大きな喜びを感じました。
そして、現在はと言えば、「他人様から必要とされることに喜びを感じ、自分の存在意義を確認しています」



生の執着

2019-06-30 | 人生の気づき
歳を重ねると、体力とともに一部の仕事力も落ちてきます。若いころに比べれば、記憶力やアイディア力はずいぶん低下したかもしれません。しかし、説得力や根回し力は若いころよりも数段上回ってますから、力の衰えはさほどないと思いたいです。

とは言え、力の衰えがあるからこそ、生の執着が弱くなって、いずれかの時期に訪れる「死」を受け入れる気持ちが整いつつあります。そのように考えると、力が衰えるということは、「死の訪れ」を受け入れるための良い手段なのですね。

気配り

2019-06-02 | 人生の気づき
気配りのできる人かどうかを見分けるシーンは、私の場合、横断歩道です。車が、横断している人を待っていようがいまいが、スマホを片手に操作して、ゆっくり歩く人。こういう人はだめです。仕事の後工程や前工程の都合など、全く考えないでしょうね。こういう人は、小売店で接客して、お客様を気遣っているふりをしていても、自分の売上の成績のために頑張っていて、お客様の都合など全く考えない人だと思います。

ということは、このような横断歩道のシーンをよく見かけますから、お客様本位で仕事をしているビジネス・パーソンは少ないのでしょうか。非情な事件がニュース報道される最近、自分のことしか考えない人が増えているのは残念です。しかも、政治家もこういう人が増えているのが世界の現状ですから、これからの世界の動きが心配です。

せめて、自分の周りくらいは、温かい人たちで固めて、心の暖をとりましょう。

リタイアのイメージ

2019-04-21 | 人生の気づき
そろそろリタイアの時期かなと思っています。早ければ一年、遅ければ五年。でも、仕事の大好きな私は、完全に仕事から離れるのが寂しく怖いのです。でも、古いブログをさかのぼってみますと、65歳でリタイアするという記載がありました。予定より5年過ぎていても、まだ仕事をしています。自営業はマイペースで時期を定められるから良いですね。

しかし、リタイアに備えて、今からイメージ・トレーニングをしています。何をして過ごすのか、楽しみをどのようにして創るのか。今は、精神的な準備期間です。

先日の日曜日、知人の招待でパーティーがあったのですが、この時は、公共交通機関で移動しました。久しぶりの電車ですが、切符を買ったり、到着時刻を待つときの過ごし方は、本当にのんびりとゆっくりとした時間経過です。無駄な時間を作らない自動車移動と違って、公共交通機関はのんびりと良いですね。今後は、スローな生活になるのかと、新しい期待感も芽生えています。

ボランティアを通じての人間成長

2019-02-25 | 人生の気づき
ボランティアの語源は、ラテン語の「volo」(ウォロ)だそうです。これは、「自分から進んで〜する」「喜んで〜する」という意味です。つまり、「自発性」が中心になるということです。

しかし、日本では、「自発性」や「主体性」の重要性がないがしろにされることがあります。たとえば「良いことだから、子ども達全員にやらせよう」という発想を持つ人もいます。しかし、ボランティア活動がもつ最大のチカラは、「私」発であること。つまり、自分自身が気になること、好きなこと、得意なこと、あるいは憤りを感じること、放っておけないと思うこと・・・そこからスタートすることに大きな意味があります。

最近国内に多発している自然災害に面するとき、困っている人を助けなければと会社から促され、指示命令されて送り出される場合は、ボランティアにならないのですね。それは奉仕活動であってボランティアとは意味が異なります。でも、指示命令されてその活動を従事することによって、気持ちが動かされ、本心からその活動に従事すれば、その気持ちが変化したとたんにその活動はボランティアになります。

意識が低い私たちからすれば、そのような成り行きも必要かもしれませんね。