東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

窓の汚い店

2012-05-31 | 経営の気づき
先日、家族三人でフランス料理を楽しんだ。私が、その店のランチを試して良かったものだから、家族にも楽しんでもらおうと来店した。しかし、今度はイマイチであった。最初は分からなかったことが、幾つか見えてきた結果だ。

先ず入店する前に、家内が「この店はガラスを磨いていないよ」と指摘した。ガラス越しに厨房が見えたらしく、「厨房も汚い」と駄目押しした。私は目が悪いものだから、店の手入れ具合をチェック出来ていなかった。そのように指摘されると、今度は、料理をチェックする目も自然と厳しくなる。

なんと、1ヶ月前に食べたランチと同じメニューが、ディナーでも何品か出てくる。客数が減ってきて経営が厳しくなり、使用材料のロスを少なくする結果なのか。不思議なもので、まずい点が次々と分かってくると、味の評価も落ちてくる。前回の評点よりも辛い。

お客様満足度は、総合点で決定されるから、大きく劣る評価があると、他の要素にも悪影響を及ぼす。したがって、味が良いという評判に慢心していて、他の経営要素を磨いていないと、いずれその影響が大きく現れる。お客様は正直だ。

休むのも仕事

2012-05-30 | 失敗の気づき
人間は、いつもその時にそれぞれの命題がある。例えば、休日であれば、そのときの仕事は、心身ともに休むことであろう。イライラしやすい人は、きちんと休みをとっていないから。疲れているのも、きちんと休んでいないから。したがって、休むという仕事を、確実にこなす必要がある。

コンサルタントという仕事は、体力勝負の一面があり、休みがなく、職業病としていつも疲労を抱えている。これでは、いつかヒューズが切れる。

私の対処法は、「楽しみを見つける」「楽しみをつくる」「楽しみを感じる」この三つ。そうすると、疲労感が少しでも和らぐ。

遠くを見つめよう

2012-05-29 | 経営の気づき
目の前を走る車を一つひとつに注意を向けていると、視点が大きく動き、目で追いかけることが疲れる。しかし、遠くの山を見つめる場合は、目の疲労感が無いどころか、疲労度さえも和らげてくれる。

実は、これは目に限ったことではなく、精神的にも、遠くを追い求める方が、近くのものを追いかけるよりも楽なことにつながる。遠くにある存在の方が、動きが小さく安定した存在だから。

それは、人生においても、経営においても同じ。近くにあるものとは「目標」にあたり、遠くにあるものとは「目的」にあたる。全てに通じるが、目標は、必ず目的が前提になっている。「社会に貢献したい」という目的があれば、そのために「社員数を多くしたい」という目標が出来、更にその手前に「利益を上げる」という目標が出来る。

この目的と目標の位置づけが重要なのだ。どちらが大切かといえば、目的である。一つの道(目標)がふさがっていれば、別の道を歩めばいい。ということは、目的があってこその話であり、遠くにある目的を見逃さなければ、目標は時に置き換えてもいいのだ。したがって、遠くを見つめて、即ち、目的をしっかりと見ていれば、イライラすることなく、心が落ち着くことになる。

遠くを見た生活、遠くを見た経営は、疲れないコツでもあり、頂上にたどり着く智慧でもある。


流れるがまま

2012-05-28 | 人生の気づき
以前の私は、完ぺき主義者だった。したがって、思い通りにならず、イライラすることも多かった。しかし、この最近は、「世の中は、思い通りにならないことばかり」と割り切ったのか、イライラ現象も減ってきた。だって、自分の身体である心臓でさえ、思い通りに動いてくれないのだから。

我々は、そもそも思い通りにならないことを、思い通りにしようとして、自分で勝手にイライラしている。思い通りにならなかったことは、「それでよかった」と考えればよい。自分の小さな世界で考えたとしても、所詮は自分勝手な小さな世界だ。自分で思い悩むよりも、宇宙という大きな計らいの世界に任せた方が、正しい。

思いもしないことが起こったとき、そのありのままを受け止めてしまおう。「どうして自分だけ?」と、自分に不利な出来事にイライラする必要は無い。自分に降りかかった特別な出来事なのだから、自分に与えられた宿題として謙虚に取り組もう。

とは言っても、口で言うはたやすいが、行動が伴うのは難しい。ただひたすら、目指すだけである。

感謝状に感謝

2012-05-27 | 初体験の気づき
先日、松山商工会議所の設立130周年記念式典にて、感謝状を頂いた。運営功労者としての表彰であるが、そういえば色々な機関においてコンサル支援させて頂いているが、感謝状を頂いたのは初めてかも知れない。もちろん、顧問先の会社からは、御礼の言葉を頂いているが、改まって感謝状の贈呈ということはあり得ない。

しかし、考えてみれば、日ごろの気持ちを表現することは必要である。その意味では、言葉として発することが基本であるとは言え、手紙にしたためるなり、賞状にするなり、形を整えることに意義があるかも知れない。

であれば、家族内においても同様のことが言える。我々昔タイプの人間は、どうも気持ちの表現方法が下手である。本来は、機会あるごとに感謝の気持ちを伝えなければならない。命がいつ途切れても良いように、後悔しない人生を送るために、もう少し、御礼の言葉の言葉数を増やそう。これが今回の気づきである。

幸せ畑の耕し

2012-05-26 | 人生の気づき
いま、毎日が楽しい。楽しい出来事が終わっても、次の楽しみが待っている。もちろん、その仕掛けは自分が作ったものだ。幸せの種まきと畑の耕しは、自分でしないと誰もしてくれない。

幼いときは親が整えてくれるが、成人になると親に頼るわけにいかない。親に頼りっぱなしだと、親の老齢化によって、てきめんに幸せ度が落ちてくる。自力に勝るものは無い。

自立と自律。自分の幸せは自分で見つけるという意識付けが自立だとすれば、自分自身で立てた規範にしたがって行動することが自律であり、この両者が必要になる。いま思えば、私もこの歳になって、やっと自立と自律が整い始めた。遅きに失した感があるが、まあ良しとしよう。

休脳日

2012-05-25 | 私流
厚生労働省は、週に2日の休肝日を推奨している。しかし、「週2日は、昼間から飲酒の習慣のある欧米人向けのもの。日本人は昼間は酒を飲まないので、週1晩で十分」だと言っている医者もいる。と聞くと、如何でしょう。「週2日は無理でも、週1日ならなんとかなる」という人は、結構おられるかもしれない。

私の場合、最低でも週に1日、多いときは週に3日空いているから、何とか滑り込みセーフだろう。しかし、休脳日は設定していないので、問題だ。いつも、なにやかや、クライアントから戴いている宿題を考えているので、頭が休まることは無い。したがって、私の課題は、休脳日の設定だ。当面の目標は、月一回。


幕末ガールの舞台裏

2012-05-24 | 雑談
坊っちゃん劇場で「幕末ガール」を観劇した際、会社の方から裏話を教えてもらった。幾つか教えてもらったが、記憶に残っているのはいずれも舞台装置のことだ。舞台は、船内をイメージしたものを創っているが、実は、描いた図面どおりに創るためには、建物の一部を壊さないといけないと言う。本物の公演を開きたい会社としては、建物を壊すとしても仕方がないと考え了解した。

すると提案者は、その費用を負担したいとの申し出があったという。さすが、全国版の芸術家は、太っ腹である。利益よりもものづくりにこだわるこの考え方、我々ビジネスマンも見習いたいものだ。

そしてもう一つ。この舞台には、歌舞伎の手法も取り入れている。種明かしは止めておこう。是非、ご自身で観劇されて、その素晴らしい技術を目の当たりにされたい。

気持ちを推し測る

2012-05-23 | 人生の気づき
私が主宰している「第4回気づき塾」で、坊っちゃん劇場の「幕末ガール」を観劇した後、会場をリハーサル室に移して、今回も多くの気づきを得て学んだ。最初は、ゲーム的なボイス・トレーニングで始まるが、本番は「台本を基にしたセリフ演技」。

登場人物は3人いるが、状況設定の分析と、三人の性格分析を先ず行う。そして、三人ずつに分かれたグループでは、自分の性格と異なる登場者の役を受け持つべく、役割分担を行う。自分の性格と異なるから、その役が非常に難しい。

だが、その分、非常に勉強になる。ふと、自分が演じる役の人に似た、現実世界の人を思い出すのだが、なんと不思議なことに、その人の気持ちが理解できるようになる。人間は、自分と異なる人を理解することは難しいが、その人を演じると理解が進んでくる。

何しろ、その人の気持ちに入り込まないと演技できないものだから、感情移入によってその人になりきる。その人を演じることによって、徐々にその人の気持ちが分かってくる。今回の体験から、日常のコミュニケーションでは、もっともっと相手の気持ちの所在を確認しないといけないことを気づいた。

その掘り下げが深くなるほど、真心の交流が出来るようになるのだろう。

ものは試し

2012-05-22 | 私流
先日の、高松での飲み会の出来事。会議後の懇親会は、スタートが18時15分だった。松山に帰る電車は19時51分発。会場から駅までの距離を考えると、19時30分には会場を離れなければならない。飲める時間は正味75分しかない。

そこで、会場に一番乗りするや否や、店の人に「早く帰らないといけないので、1本ビールをもらえませんか」とお願いした。飲み放題コースだから、当然に拒否される。しかし、ものは試しである。「店長さんに事情を話して、お願いしてくださいよ」と丁重に頼んだ。するとオーケーである。

物事は何でも試してみないことには分からない、会社の仕事も同様だ。何もしないで勝手に頭で答えを見つけてはいけない。行動して駄目であれば仕方ないが、ものは試しである。先ずは、行動しなくちゃ。

「いつかやる」では永遠に出来ない

2012-05-21 | 人生の気づき
人間の決意というのは、その場で、もしくは、考えて後即座に決意出来ないことは、永遠に決意出来ない。頼まれごとをされたとき、そのとき迷って決意出来ず、「しばらく考えてからお答えします」と言ったとき、9割はイエスの答えが出ないと見るべきだ。

したがって、そのことが前向きの取り組みであり、イエスの答えを出すべきだと感じるときは、早めに答えを出す努力をした方が良い。私は、「いつかやってみましょう」とか「2~3年したら取り組んでみましょう」という言葉を発する人には、NOの答えをもらったものと受け止めている。お互いの時間を節約するためも、割り切りは早い方が良い。

「いつかやる」ではなく「今すぐにやる」この意思決定法こそ、サクセス・ストーリーの基本ルールである。

ブログ・ネタ

2012-05-20 | 失敗の気づき
毎日ブログを更新していると、ネタ切れになって困ることがある。したがって、気づいたときにすぐにメモるのだが、先日は、そのメモを見ても意味がわかんない。「前が攻めるとき」「そして、横は」と続く。なんのこっちゃ。

酔ったときのメモだから、とんと記憶が蘇らない。でも、このことをネタにして、とりあえず一回分をアップできたから、メモの成果ありということか・・・。

酒道

2012-05-19 | 私流
日本には、古来より、技能を通じて人間を磨く「道」がある。華道・茶道・書道・柔道・剣道などだ。かつて、酒にも同様の道があり、酒道と称されていた。酒道とは、季節を愛で、豊かな心で味わう、そのためのたしなみ方を極める道だ。忘れ去られてしまった、この豊かな日本の文化を、今一度思い出してもらいたい。

酒宴では、上座や下座など座るべき場所のおきてがあり、酒の苦手な人に対しては無理に勧めないなど、武士道的な思いやりのおきてもある。しかし、最近は、日本酒をたしなむ人が少なくなり、酒道が消えつつある。嘆かわしい限りだが、私の事務所の門を叩いていただければ、酒道の入門を許すことにしよう。笑

ハートの再生

2012-05-18 | 失敗の気づき
疲れた心を、健康な心にもどすには、好きなことをすることでしょうね。以前、過労にて倒れたとき、そのときは仕事に追いまくられ、好きなことは何もしていなかった。好きなことを犠牲にして、しなければいけないことに時間を充てていると、いつか心が崩れる。

したがって、心の健康を損なう前に、いつもハートの再生化を試みなければならない。壊れてからでは、再生に時間がかかるので、早めの手当てが必要だ。その手当てに有効なのが、私の場合「趣味を楽しむ」「普段経験していないことを体験する」「仕事関係以外の人との関わりを持つ」など。

人それぞれに、ハートの再生法は違うだろうが、自分に有効な策を見つけておくべきでしょうね。

言葉の力

2012-05-17 | 私流
先日の出来事だ。夕食時に食卓に着いたとき、私の前に、箸がない。本来ならば自分で取りに行くべきだが、無精者の私は、つい家内をつかってしまう。とは言え、気分よく動いてもらうには、少し工夫しないといけない。私が発した言葉は「箸があると、便利だなあ」と、冗談混じりに催促した。もちろん、その効果があって、「ごめんごめん」と侘びながら、小走りで飛んできた。

夫の権力で上から命令的に押さえつける人もいるだろうが、それでは、人は動きにくい。しかも、心地よく人を動かすためには、いつもジョークを入れるのがコツだ。指示命令は心地よいものではないが、ジョーク混じりのお願いは、その願いをつい叶えてあげたくなるもの。その人の機微を利用する私は、悪い人間なのだろうか。