ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

文化という衣

2019-05-13 11:00:29 | 日記・エッセイ・コラム
私は、文化とは生きる総体である、と言っている。
本当の意味や定義、はたまた語源などは知らない。
しかして文化は今突然目の前に現れたのではない。
長い時間の中で培われたもので、それが今にある。
歴史・伝統・文化と言う方が分かりやすいだろう。
・・・・・
今、米中の経済戦争が激しい。
勿論経済だけの戦争ではない。
覇権を懸けての争いなのです。
これは今や多くの識者の見解でもある。
だから全面戦争(武力による戦いも)になるかも知れない。
まあおそらくはないだろうが。
シナの文化にはそういう選択肢がほとんどないのだ。
そもシナとアメリカ権力の一部は繋がっている。
だからこそ覇権の棲み分けが持ち出されたのだ。
それをより多くをと欲張った。
さすれば衝突は避けられない。
そこにトランプの登場である。
トランプ大統領は一部の権力とは一線を画しており、
アメリカ建国の精神に則ったアメリカそのものです。
だからアメリカファーストなのです。
そんなトランプアメリカは決して妥協はしないだろう。
それが今の相だと思う。
・・・・・
シナの衣は中華思想である。
すべてが自分中心であり、国であっても個人であってもだ。
対外的には国益を前面に出し、相手への配慮はありません。
さりとて国(他人)の為に個(自分)を捨てることはない。
最後は当然自分なのです。
字義に示されている通り、それが中華思想の本質です。
昨今の彼らの対応を見ても明らかだ。
南シナ海での理不尽な国境の策定等。
どこまでも自分(国)本位なのです。
さりながら国の為に本気で戦う者はいないだろう。
勝てそうなら戦うことはあってもだ。
見込みがなければ逃げ回るだけです。
過去の戦いにもそれが現われている。
指揮官は決して戦わない、後ろで監視しているだけ。
立場の弱い者を前面に立たせる。
酷い場合は逃げる者を打ち殺す。
それが体質なのである。
彼らが靖国神社を嫌うのも道理です。
他人の為に覚悟して戦う者を畏れる。
勿論彼らはそれに気付いている。
だからこそ国民を恐れるのです。
そして超監視社会を作っている。
そんなシナは今袋小路に入っている。
アメリカに本気で戦ったら勝てない。
駄々降りしたら国民から見放される。
どうしようもないのだ。
・・・・・
太平洋戦争(大東亜戦争の一部)ではアメリカは本気で戦った。
国(自分以外の他人)の為にである。
一部の権力等に扇動されたとはいえ。
所謂リメンバー・パールハーバーだ。
当時のアメリカ軍には黒人兵はいなかった。
奴隷制は廃止されたが酷い差別の中である。
銃を持たせるのは危険だと思ったのだろう。
でもである。
そんな黒人を兵隊として前線に送り、
後ろから監視して戦わせる、そんなことはしていない。
あくまで自分で戦ったのだ。
そして勝ったものの、多くの犠牲者を出した。
アメリカもまた満身創痍であったのだ。
そこはシナとは違う。
今もアメリカは自由と民主を旨としているが、
その精神はオープンとフェアなのである。
これこそアメリカの精神だと思っている。
これこそアメリカの文化だと思っている。
聞いた話だが、
アメリカの軍人は日本の軍人に尊敬の念を持っているという。
それは互いに命を懸けて戦ったからだ。
武人は武人を知るである。
まあシナとは大違いです。
・・・・・
日本の柱は天皇の存在である。
無私の心でひたすら祈りを捧げるのです。
これが日本の心であり、文化の源泉です。
すなわち無私と謙虚です。
まあ同じような意味だが。
今、日米同盟がアジアの平和の礎になっている。
無私と謙虚そしてオープンとフェア、
どちらも素晴らしいです。
つまらない扇動に引っかかることなく、
この同盟を大事にしてほしい。
そしてアジアの平和を担保するだけでなく、
世界の平和にも貢献してほしい。

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