私は、文化とは生きる総体である、と言っている。
本当の意味や定義、はたまた語源などは知らない。
しかして文化は今突然目の前に現れたのではない。
長い時間の中で培われたもので、それが今にある。
歴史・伝統・文化と言う方が分かりやすいだろう。
・・・・・
今、米中の経済戦争が激しい。
勿論経済だけの戦争ではない。
覇権を懸けての争いなのです。
これは今や多くの識者の見解でもある。
だから全面戦争(武力による戦いも)になるかも知れない。
まあおそらくはないだろうが。
シナの文化にはそういう選択肢がほとんどないのだ。
そもシナとアメリカ権力の一部は繋がっている。
だからこそ覇権の棲み分けが持ち出されたのだ。
それをより多くをと欲張った。
さすれば衝突は避けられない。
そこにトランプの登場である。
トランプ大統領は一部の権力とは一線を画しており、
アメリカ建国の精神に則ったアメリカそのものです。
だからアメリカファーストなのです。
そんなトランプアメリカは決して妥協はしないだろう。
それが今の相だと思う。
・・・・・
シナの衣は中華思想である。
すべてが自分中心であり、国であっても個人であってもだ。
対外的には国益を前面に出し、相手への配慮はありません。
さりとて国(他人)の為に個(自分)を捨てることはない。
最後は当然自分なのです。
字義に示されている通り、それが中華思想の本質です。
昨今の彼らの対応を見ても明らかだ。
南シナ海での理不尽な国境の策定等。
どこまでも自分(国)本位なのです。
さりながら国の為に本気で戦う者はいないだろう。
勝てそうなら戦うことはあってもだ。
見込みがなければ逃げ回るだけです。
過去の戦いにもそれが現われている。
指揮官は決して戦わない、後ろで監視しているだけ。
立場の弱い者を前面に立たせる。
酷い場合は逃げる者を打ち殺す。
それが体質なのである。
彼らが靖国神社を嫌うのも道理です。
他人の為に覚悟して戦う者を畏れる。
勿論彼らはそれに気付いている。
だからこそ国民を恐れるのです。
そして超監視社会を作っている。
そんなシナは今袋小路に入っている。
アメリカに本気で戦ったら勝てない。
駄々降りしたら国民から見放される。
どうしようもないのだ。
・・・・・
太平洋戦争(大東亜戦争の一部)ではアメリカは本気で戦った。
国(自分以外の他人)の為にである。
一部の権力等に扇動されたとはいえ。
所謂リメンバー・パールハーバーだ。
当時のアメリカ軍には黒人兵はいなかった。
奴隷制は廃止されたが酷い差別の中である。
銃を持たせるのは危険だと思ったのだろう。
でもである。
そんな黒人を兵隊として前線に送り、
後ろから監視して戦わせる、そんなことはしていない。
あくまで自分で戦ったのだ。
そして勝ったものの、多くの犠牲者を出した。
アメリカもまた満身創痍であったのだ。
そこはシナとは違う。
今もアメリカは自由と民主を旨としているが、
その精神はオープンとフェアなのである。
これこそアメリカの精神だと思っている。
これこそアメリカの文化だと思っている。
聞いた話だが、
アメリカの軍人は日本の軍人に尊敬の念を持っているという。
それは互いに命を懸けて戦ったからだ。
武人は武人を知るである。
まあシナとは大違いです。
・・・・・
日本の柱は天皇の存在である。
無私の心でひたすら祈りを捧げるのです。
これが日本の心であり、文化の源泉です。
すなわち無私と謙虚です。
まあ同じような意味だが。
今、日米同盟がアジアの平和の礎になっている。
無私と謙虚そしてオープンとフェア、
どちらも素晴らしいです。
つまらない扇動に引っかかることなく、
この同盟を大事にしてほしい。
そしてアジアの平和を担保するだけでなく、
世界の平和にも貢献してほしい。
本当の意味や定義、はたまた語源などは知らない。
しかして文化は今突然目の前に現れたのではない。
長い時間の中で培われたもので、それが今にある。
歴史・伝統・文化と言う方が分かりやすいだろう。
・・・・・
今、米中の経済戦争が激しい。
勿論経済だけの戦争ではない。
覇権を懸けての争いなのです。
これは今や多くの識者の見解でもある。
だから全面戦争(武力による戦いも)になるかも知れない。
まあおそらくはないだろうが。
シナの文化にはそういう選択肢がほとんどないのだ。
そもシナとアメリカ権力の一部は繋がっている。
だからこそ覇権の棲み分けが持ち出されたのだ。
それをより多くをと欲張った。
さすれば衝突は避けられない。
そこにトランプの登場である。
トランプ大統領は一部の権力とは一線を画しており、
アメリカ建国の精神に則ったアメリカそのものです。
だからアメリカファーストなのです。
そんなトランプアメリカは決して妥協はしないだろう。
それが今の相だと思う。
・・・・・
シナの衣は中華思想である。
すべてが自分中心であり、国であっても個人であってもだ。
対外的には国益を前面に出し、相手への配慮はありません。
さりとて国(他人)の為に個(自分)を捨てることはない。
最後は当然自分なのです。
字義に示されている通り、それが中華思想の本質です。
昨今の彼らの対応を見ても明らかだ。
南シナ海での理不尽な国境の策定等。
どこまでも自分(国)本位なのです。
さりながら国の為に本気で戦う者はいないだろう。
勝てそうなら戦うことはあってもだ。
見込みがなければ逃げ回るだけです。
過去の戦いにもそれが現われている。
指揮官は決して戦わない、後ろで監視しているだけ。
立場の弱い者を前面に立たせる。
酷い場合は逃げる者を打ち殺す。
それが体質なのである。
彼らが靖国神社を嫌うのも道理です。
他人の為に覚悟して戦う者を畏れる。
勿論彼らはそれに気付いている。
だからこそ国民を恐れるのです。
そして超監視社会を作っている。
そんなシナは今袋小路に入っている。
アメリカに本気で戦ったら勝てない。
駄々降りしたら国民から見放される。
どうしようもないのだ。
・・・・・
太平洋戦争(大東亜戦争の一部)ではアメリカは本気で戦った。
国(自分以外の他人)の為にである。
一部の権力等に扇動されたとはいえ。
所謂リメンバー・パールハーバーだ。
当時のアメリカ軍には黒人兵はいなかった。
奴隷制は廃止されたが酷い差別の中である。
銃を持たせるのは危険だと思ったのだろう。
でもである。
そんな黒人を兵隊として前線に送り、
後ろから監視して戦わせる、そんなことはしていない。
あくまで自分で戦ったのだ。
そして勝ったものの、多くの犠牲者を出した。
アメリカもまた満身創痍であったのだ。
そこはシナとは違う。
今もアメリカは自由と民主を旨としているが、
その精神はオープンとフェアなのである。
これこそアメリカの精神だと思っている。
これこそアメリカの文化だと思っている。
聞いた話だが、
アメリカの軍人は日本の軍人に尊敬の念を持っているという。
それは互いに命を懸けて戦ったからだ。
武人は武人を知るである。
まあシナとは大違いです。
・・・・・
日本の柱は天皇の存在である。
無私の心でひたすら祈りを捧げるのです。
これが日本の心であり、文化の源泉です。
すなわち無私と謙虚です。
まあ同じような意味だが。
今、日米同盟がアジアの平和の礎になっている。
無私と謙虚そしてオープンとフェア、
どちらも素晴らしいです。
つまらない扇動に引っかかることなく、
この同盟を大事にしてほしい。
そしてアジアの平和を担保するだけでなく、
世界の平和にも貢献してほしい。
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