また同じことを、と思われるかも。
でも言いたいことは何度でも言う。
楽園の追放である。
追放されたのは人間である。
他の生物は追放されたと聞かない。
いまだ楽園にいる筈。
にもかかわらず一緒にいるではないか。
これはどういうことか。
はて?
・・・・・
これも既に言ってきた。
追放されたのは場ではない、
霊的に追放されたのだと。
だから場としては同じ所にいる。
目に見えるし手で触りもできる。
共に生きているのだ。
では霊的に追放されたとはどういうことか。
それは禁忌と関わる。
当然のことでそれが原因なのだから。
智慧つまり言葉を持ったのだ。
すべては言葉の故です。
言葉は世界に線を引く。
つながっているものに敢えて線を引く。
そして僅かな違いを以って別物とする。
無理に分けるのです。
それを「わかる」という。
それは実際大いなる力となる。
基より少しなら問題はない。
その隙間は僅かである。
それをどんどん引く。
数もであるが更に線も太くなる。
さすれば隙間が大きくなる。
そして終に元を見失う。
それが「間」であり「魔」となる。
そして闇を抱える。
例えば、
白い紙に黒い線を引くとする。
それも無数にである。
さすればである、
最後は真っ黒になる、
が如し。
・・・・・
少し前に電車内で致傷事件があった。
京王線の特急列車でのこと。
乗客が窓からも逃げていた。
犠牲者がいなかったのは幸いであったが。
当人は死刑になりたかったとか。
あの京アニ事件にも似ている。
同じような闇なのか。
事情は違ってもよく似ている。
どちらも、
脳に張り付いた念が離れなかったのだと。
他人への恨みつらみ、
世間への恨みつらみ、
自分への怒りと嫌悪、
その念が。
念とは意識であり、その基は言葉です。
言葉とは世界に線を引くこと。
同じ言葉を何度も繰り返して、
その線が更に太くなっていく。
そして「ま」を埋められなくなる。
言葉が魂を絡めとった状態である。
言葉にはそういう力があるのです。
それにしても、
現代社会は「ま」を埋める力が弱まっている。
大方は何とか埋めている。
歴史・伝統・文化の力で。
それをも壊そうとする力が迫る。
その力はやはり言葉である。
それをポリコレという。
最近これに似たものが話題になった。
レジブクロとか何とか…。
レジブクロは必要なのに。
ポリコレは逆でまったく不要なもの。
だから無くしてほしいのに。
なのにどんどん迫ってくる。
困ったもんだ。
・・・・・
翻って他の生物はどうだろう。
彼らは言葉を持たない。
だからどんなに酷い状況でも文句を言わない。
ただその状況を必死に生きるのみ。
それを貫徹している。
それは彼らの世界が、
その生きる範囲がいくら狭くても、
そこは全世界と繋がっており、
そこは全宇宙と繋がっており、
そこに切れ目はなく、
そこに「ま」がない。
闇がないのです。
彼らはいつも全き世界・全き宇宙を生きる。
神の手の中でまんまに。
神の光の中でまんまに。
ここに人間との違いはあきらか。
追放の意味もあきらか。
新約聖書では、
終わりのときにイエスが再臨すると、
光の雲に乗って人々を救済するため。
ときに人間は覚醒するのか。
言葉を止揚して。
でも言いたいことは何度でも言う。
楽園の追放である。
追放されたのは人間である。
他の生物は追放されたと聞かない。
いまだ楽園にいる筈。
にもかかわらず一緒にいるではないか。
これはどういうことか。
はて?
・・・・・
これも既に言ってきた。
追放されたのは場ではない、
霊的に追放されたのだと。
だから場としては同じ所にいる。
目に見えるし手で触りもできる。
共に生きているのだ。
では霊的に追放されたとはどういうことか。
それは禁忌と関わる。
当然のことでそれが原因なのだから。
智慧つまり言葉を持ったのだ。
すべては言葉の故です。
言葉は世界に線を引く。
つながっているものに敢えて線を引く。
そして僅かな違いを以って別物とする。
無理に分けるのです。
それを「わかる」という。
それは実際大いなる力となる。
基より少しなら問題はない。
その隙間は僅かである。
それをどんどん引く。
数もであるが更に線も太くなる。
さすれば隙間が大きくなる。
そして終に元を見失う。
それが「間」であり「魔」となる。
そして闇を抱える。
例えば、
白い紙に黒い線を引くとする。
それも無数にである。
さすればである、
最後は真っ黒になる、
が如し。
・・・・・
少し前に電車内で致傷事件があった。
京王線の特急列車でのこと。
乗客が窓からも逃げていた。
犠牲者がいなかったのは幸いであったが。
当人は死刑になりたかったとか。
あの京アニ事件にも似ている。
同じような闇なのか。
事情は違ってもよく似ている。
どちらも、
脳に張り付いた念が離れなかったのだと。
他人への恨みつらみ、
世間への恨みつらみ、
自分への怒りと嫌悪、
その念が。
念とは意識であり、その基は言葉です。
言葉とは世界に線を引くこと。
同じ言葉を何度も繰り返して、
その線が更に太くなっていく。
そして「ま」を埋められなくなる。
言葉が魂を絡めとった状態である。
言葉にはそういう力があるのです。
それにしても、
現代社会は「ま」を埋める力が弱まっている。
大方は何とか埋めている。
歴史・伝統・文化の力で。
それをも壊そうとする力が迫る。
その力はやはり言葉である。
それをポリコレという。
最近これに似たものが話題になった。
レジブクロとか何とか…。
レジブクロは必要なのに。
ポリコレは逆でまったく不要なもの。
だから無くしてほしいのに。
なのにどんどん迫ってくる。
困ったもんだ。
・・・・・
翻って他の生物はどうだろう。
彼らは言葉を持たない。
だからどんなに酷い状況でも文句を言わない。
ただその状況を必死に生きるのみ。
それを貫徹している。
それは彼らの世界が、
その生きる範囲がいくら狭くても、
そこは全世界と繋がっており、
そこは全宇宙と繋がっており、
そこに切れ目はなく、
そこに「ま」がない。
闇がないのです。
彼らはいつも全き世界・全き宇宙を生きる。
神の手の中でまんまに。
神の光の中でまんまに。
ここに人間との違いはあきらか。
追放の意味もあきらか。
新約聖書では、
終わりのときにイエスが再臨すると、
光の雲に乗って人々を救済するため。
ときに人間は覚醒するのか。
言葉を止揚して。
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