何度でも言う。
言葉とは線を引くもの。
ものごとに線を引き、それを二つに分ける。
それはそれとそれ以外を分ける。
少しの違いを感得して。
でもそも繋がっている。
ものごとはすべて繋がっている。
それを無理に分けるのである。
そして分かったような気に。
それが言葉の機能であり特徴である。
線を引いても現実は変わらない。
現実は分断できないのです。
言わずもがな、
・・・・・
にも関わらず、
分断しようとする者らがいる。
実はちょっとした違いなのに、
それを絶対的な違いに見せて。
その方がより分かったような気になれるから。
為にものごとを対立関係で捉える。
そしてその挙句、
気に入らない方を徹底的に否定し、
終には消してしまう。
かくて現実がどんどん小さくなる。
なるほど分かりやすくなるだろう。
でもこれはマジックである。
現実はまんまなのだ。
これを仮想や方便とするなら、
それは一興だろう。
だがこれを真実だと言えば、
それは虚となる。
現下はこの事態が蔓延している。
排除したく思えば、
そこに線を引いて対立関係を創り、
一方を否定する、それも徹底的に。
ときに用いる便利な言葉がある。
それが差別(→反対)である。
この言葉を持出し連呼する。
大きな声では言えないが、
それがリベラルである。
そこはもう嘘のやま。
どうしようもない。
・・・・・
シナや韓国には「まこと」がない。
というより嘘と真の区別がない。
中華思想とはそういうものだ。
すべてが自分の都合である。
字義がそれを示している。
中華という文字がです。
だから私から見れば、
もう嘘ばかりです。
それが日本に上に立たれたのだ。
癪に障るのは分かるとして、
嘘の上に嘘を重ねての、
この反日三昧には、
あきれ果てる。
なのにです、
日本人でありながら、
日本に嫌悪感を持つ者がいる。
その上ときに無用の謝罪をもするのだ。
彼ら彼女は分からないのです、
自分が何をしているのかが。
今は亡き祖父母らを貶め、
足蹴にし唾を吐くのだ、
そも嘘なのにである。
しかもそれは彼の地のまともな人らを、
同時に貶めることにもなる。
これが今のリベラル人士である。
でも思えば大方は善良な人々なのだ。
むしろ善良過ぎるのかも。
それが利用されている。
これが泥沼なのです。
善良なる無知は、
無知なる善良は、
これはもう底知れぬ泥沼となる。
何とか言ってよ、
「さゆり」さん「ようこ」さん。
そこはダンマリですか。
いやはや、
・・・・・
ここで言葉をふたつ。
ひとつは、
イエスの言葉。
天なる父よ、
彼らをお赦しください、
彼らは自分が何をしているのか、
分からないのです。
ひとつは、
親鸞の言葉。
善人なおもって往生を遂ぐ、
いわんや悪人をや。
…
チ~ン(浄化音)
…
言葉とは線を引くもの。
ものごとに線を引き、それを二つに分ける。
それはそれとそれ以外を分ける。
少しの違いを感得して。
でもそも繋がっている。
ものごとはすべて繋がっている。
それを無理に分けるのである。
そして分かったような気に。
それが言葉の機能であり特徴である。
線を引いても現実は変わらない。
現実は分断できないのです。
言わずもがな、
・・・・・
にも関わらず、
分断しようとする者らがいる。
実はちょっとした違いなのに、
それを絶対的な違いに見せて。
その方がより分かったような気になれるから。
為にものごとを対立関係で捉える。
そしてその挙句、
気に入らない方を徹底的に否定し、
終には消してしまう。
かくて現実がどんどん小さくなる。
なるほど分かりやすくなるだろう。
でもこれはマジックである。
現実はまんまなのだ。
これを仮想や方便とするなら、
それは一興だろう。
だがこれを真実だと言えば、
それは虚となる。
現下はこの事態が蔓延している。
排除したく思えば、
そこに線を引いて対立関係を創り、
一方を否定する、それも徹底的に。
ときに用いる便利な言葉がある。
それが差別(→反対)である。
この言葉を持出し連呼する。
大きな声では言えないが、
それがリベラルである。
そこはもう嘘のやま。
どうしようもない。
・・・・・
シナや韓国には「まこと」がない。
というより嘘と真の区別がない。
中華思想とはそういうものだ。
すべてが自分の都合である。
字義がそれを示している。
中華という文字がです。
だから私から見れば、
もう嘘ばかりです。
それが日本に上に立たれたのだ。
癪に障るのは分かるとして、
嘘の上に嘘を重ねての、
この反日三昧には、
あきれ果てる。
なのにです、
日本人でありながら、
日本に嫌悪感を持つ者がいる。
その上ときに無用の謝罪をもするのだ。
彼ら彼女は分からないのです、
自分が何をしているのかが。
今は亡き祖父母らを貶め、
足蹴にし唾を吐くのだ、
そも嘘なのにである。
しかもそれは彼の地のまともな人らを、
同時に貶めることにもなる。
これが今のリベラル人士である。
でも思えば大方は善良な人々なのだ。
むしろ善良過ぎるのかも。
それが利用されている。
これが泥沼なのです。
善良なる無知は、
無知なる善良は、
これはもう底知れぬ泥沼となる。
何とか言ってよ、
「さゆり」さん「ようこ」さん。
そこはダンマリですか。
いやはや、
・・・・・
ここで言葉をふたつ。
ひとつは、
イエスの言葉。
天なる父よ、
彼らをお赦しください、
彼らは自分が何をしているのか、
分からないのです。
ひとつは、
親鸞の言葉。
善人なおもって往生を遂ぐ、
いわんや悪人をや。
…
チ~ン(浄化音)
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