ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

武士道

2013-08-01 10:13:43 | 日記・エッセイ・コラム

生きるものの使命は生きることである。

生き続けることである。

理屈ではない、現実である。

自然はいつも先生である。

自然に学べ。

すべからく何事も、人の意味づけは後講釈であり便法である。

生命の本義はただ生きることのみである。

・・・・・

個体としては命に限界がある。

故に、次の命を残すのである。

次の命は他の命ではなく、自身の命そのものである。

親が子供を命懸けて守るのは、

利害、打算はたまた愛があるからではない。

自分の命だからである。

自分の命を守るのである。

逆説的ではあるが、

生きるために死ぬ(死を覚悟する)ということもありえる。

それもまた生命の本義である。

・・・・・

生きるために死ぬとは正に武士道である。

「武士道とは死ぬことと見つけたり」とは葉隠れの一節だったと思う。

思うに、

この死ぬこととは他を生かすことであり、

それは事を通じて己の生を極めんとする心なり。

生と死は一体である。

生とは常に必死の行為である。

戦乱の中で生きた武士らは、そのことを痛感していたのだろう。

誰の為に死ぬかといえば、武士だから主君である。

が、単に主君個人ではないだろう。

主君個人はもとより、その主君を主君たらしめている一族郎党をも含む。

すなわち陳腐な言葉で言えば、生を伴にする愛する人々すべてである。

ならばである、

武士道とは単に武士だけのものではない。

生きる人々すべてにいえることである。


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