ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

処方箋

2020-12-28 10:26:47 | 日記・エッセイ・コラム
思うに人間は傲慢になり過ぎた。
智慧があれば、技術があれば、何でもできると。
その基は何かといえば言葉である。
これは何度も言っている。
すべては言葉に始まる。
しかして言葉は一旦持ってしまえば、
これは手放せない。
もはや言葉の生物として、
生きていかざるを得ない。
それを知ろう。
・・・・・
もうずっと以前だが、人間はクローン羊を作った。
作ったと言ってるが、粘土(各種元素)から作ったのではない。
すでにある細胞を培養して作ったのである。
試験管の中で交配して育てたのか。
正確な情報は知らないが、そういうことだろう。
その限りで思う。
それを人間が作ったと。
いかにもゼロから作ったのかのごとく。
基も仕組みも初めからあるものなのに。
あくまで自然由来である。
自然由来でない生命など見たことがない。
例え遺伝子組み換えであってもだ。
根っこは自然にある。
それを知ろう。
・・・・・
その点で言えば、
今度のコロナウイルスも勿論自然由来である。
そこに人間の手が加えられていても。
学問としての研究は、
それが兵器開発であっても疫病対策であっても、
基本的に同じである。
兵器開発でよく言われるのは、
アクセルだけでなくブレーキが必要だ、
とか。
つまり特効薬が必要だと。
でなければ兵器の意味をなさないと。
当然の発想だ。
戦争の目的は破壊ではなく支配なのだから。
でもである。
どちらにしても、流出すれば大問題である。
今回の件は自然発生などではなく、
流出だと思っている。
その場所は明らかに武漢である。
しかしてその理由は二つに一つ。
ひとつは、事故で漏れたか。
ひつつは、故意に撒かれたか。
事故かテロかと言うことです。
テロならそれは戦争目的より怖い。
テロは(特に自爆テロ)は破壊が目的だから。
これは止めようが無い。
だがである、
それが自然発生であっても、
戦争目的であっても、
テロ目的であっても、
対策は同じである。
ひとつは、感染の阻止及び抑止であり、
ひとつは、病状改善の薬の開発である。
そこは変わらない。
よってそこに注力するしかない。
・・・・・
それにしても、
このウイルスはそれほどに怖いものなのか、
私はそうは思わない。
勿論薬は速くできてほしい。
ちなみにワクチンは余り信用していない。
ともかくできれば完全に収束する。
でも本当に怖いのはウイルスではなく、
ウイルス恐怖症だろう。
それは命の支えである経済を破壊するから。
現下はその様相にある。
実に嘆かわしい。
もしテロならむしろこっちが本線かも。
だから処方箋が大事なのだ。
竹田恒泰先生も言っている。
「正しく恐れよう」と。
私も以前から言っている。
「命ある物は必ず還る、
 死を恐れるより、生を畏れよう」と。
口幅ったき限りですが。
それにしても日本語は素晴らしい。
「恐れる」も「畏れる」も同じ言葉です、
「おそれる」と謂う。
しかもこれに限らない。
日本語は二元論で世界を分断するようなことはしない。
ひとつの言葉が多元(大元)を包含する。
日本語の真骨頂である。
その不可思議を知ろう。

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