ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

今年こそ

2021-01-04 10:40:23 | 日記・エッセイ・コラム
今年こそ、と言うこともない。
正月は正月です。
前年がどうであろうと、
今年は必ず「あらたまる」のです。
と言う訳で、
あけましておめでとうございます、
皆様方にとって今年は良い年でありますよう、
お祈り申し上げます。
思うに正月祭りとは、
魂の原点に返り、心を初心に戻し、
命を寿ぎ、祈りを捧げる祭りです。
晴れやかに、静かに祝いましょう。
・・・・・
これからも言い続けますが、
日本は祈りの国です。
祈り主のおわす祈りの国です。
正月祭りはその芯でありましょう。
正月祭り以外にも春夏秋冬祭りに満ちている。
まことに祈りの国です。
祈りを為さばいつでも、
魂は原点に返り、身は整えられる、
ということです。
個人的なものでは、
誕生日や七五三の宮参りまた入学式や卒業式それに結婚式も、
はたまた墓参りなども。
それらはすべて祈りであります。
そこにはすべて「あらたまり」がある。
正月祭りは皆でそれを同時に感得する。
そこが特に素晴らしいのです。
今年はコロナ騒動で喧しいが、
本質は変わらない。
厳かに、静かに、晴れやかに、
ひとり一人の心の内で祝えば、
それで良い。
そういう時を持てるのが、
日本であり、
日本の強みであり、
だから継続の国であり、
だから永遠の国であり、
神の国と言われる所以です。
・・・・・
その数字はおおよそであろうが、
人間は60兆個もの細胞でできていると謂う。
しかも一つひとつはそも独立した生命だとも。
それが寄り集まってできている。
しかして一個体となる。
霊妙の限りなり。
その細胞は3か月から半年ですべて入れ替わる。
すなわち生死を繰り返している。
だから私(の一部)は毎日死んでいる、
だから私(の一部)は毎日生まれている、
その総体が私(個人)である。
それは生死とは言わない、新陳代謝と言う。
不思議である。
少なくとも一年以内にすべてが入れ替わっている。
私の身体は常に新鮮なのだ。
なら永遠に生きられそうなものだが。
それはもう一つの不思議と関係があるのか。
入れ替わっても常に私は私だということと。
つまり、真っ新には生まれ変わらないのだ。
新鮮ではあってもほんの少しは変わっているのです。
特に最初の細胞からは随分変わっているだろう。
と言うことで一先ず納得。
それは一般的には変化と言うべきだが、
我々は勝手に成長や老化と言っている。
でも必要性はなんとなく分かる。
宇宙(環境)は常に動いており、
河原の石でも内に固有の振動を有しており、
同じ物であろうとしても、
同じ物ではいられない。
無限の時の中では僅かな違いが大きな変化となる。
新陳代謝とはその一つの現れか。
しかして、その上の変化もある。
それを世代交代と言う。
なおその上も。
それが種の交代なのか。
さらには星間移動も…。
・・・・・
問題は言葉である。
言葉を持ってしまった人間は、
意識を作ってしまった。
そこでもう一つの新陳代謝が必要になる。
本来は身体と不可分の心魂だが、
言葉が身体と心魂の間にズレを作ってしまった。
意識とはそのズレのことです。
そのズレは絶えず修復しなければならない。
古い気を取り除き、新しい気を植え付けて。
ズレにも新陳代謝が必要なのだ。
その役割を担うのが祈りである。
祈りの儀式つまり祭りです。
だからである、
皆で同期同調して行う祭りが素晴らしいのは。
ズレの新陳代謝に大きな効果がある。
ということで、
もういちど、
あけましておめでとうございます。

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