今年こそ、と言うこともない。
正月は正月です。
前年がどうであろうと、
今年は必ず「あらたまる」のです。
と言う訳で、
あけましておめでとうございます、
皆様方にとって今年は良い年でありますよう、
お祈り申し上げます。
思うに正月祭りとは、
魂の原点に返り、心を初心に戻し、
命を寿ぎ、祈りを捧げる祭りです。
晴れやかに、静かに祝いましょう。
・・・・・
これからも言い続けますが、
日本は祈りの国です。
祈り主のおわす祈りの国です。
正月祭りはその芯でありましょう。
正月祭り以外にも春夏秋冬祭りに満ちている。
まことに祈りの国です。
祈りを為さばいつでも、
魂は原点に返り、身は整えられる、
ということです。
個人的なものでは、
誕生日や七五三の宮参りまた入学式や卒業式それに結婚式も、
はたまた墓参りなども。
それらはすべて祈りであります。
そこにはすべて「あらたまり」がある。
正月祭りは皆でそれを同時に感得する。
そこが特に素晴らしいのです。
今年はコロナ騒動で喧しいが、
本質は変わらない。
厳かに、静かに、晴れやかに、
ひとり一人の心の内で祝えば、
それで良い。
そういう時を持てるのが、
日本であり、
日本の強みであり、
だから継続の国であり、
だから永遠の国であり、
神の国と言われる所以です。
・・・・・
その数字はおおよそであろうが、
人間は60兆個もの細胞でできていると謂う。
しかも一つひとつはそも独立した生命だとも。
それが寄り集まってできている。
しかして一個体となる。
霊妙の限りなり。
その細胞は3か月から半年ですべて入れ替わる。
すなわち生死を繰り返している。
だから私(の一部)は毎日死んでいる、
だから私(の一部)は毎日生まれている、
その総体が私(個人)である。
それは生死とは言わない、新陳代謝と言う。
不思議である。
少なくとも一年以内にすべてが入れ替わっている。
私の身体は常に新鮮なのだ。
なら永遠に生きられそうなものだが。
それはもう一つの不思議と関係があるのか。
入れ替わっても常に私は私だということと。
つまり、真っ新には生まれ変わらないのだ。
新鮮ではあってもほんの少しは変わっているのです。
特に最初の細胞からは随分変わっているだろう。
と言うことで一先ず納得。
それは一般的には変化と言うべきだが、
我々は勝手に成長や老化と言っている。
でも必要性はなんとなく分かる。
宇宙(環境)は常に動いており、
河原の石でも内に固有の振動を有しており、
同じ物であろうとしても、
同じ物ではいられない。
無限の時の中では僅かな違いが大きな変化となる。
新陳代謝とはその一つの現れか。
しかして、その上の変化もある。
それを世代交代と言う。
なおその上も。
それが種の交代なのか。
さらには星間移動も…。
・・・・・
問題は言葉である。
言葉を持ってしまった人間は、
意識を作ってしまった。
そこでもう一つの新陳代謝が必要になる。
本来は身体と不可分の心魂だが、
言葉が身体と心魂の間にズレを作ってしまった。
意識とはそのズレのことです。
そのズレは絶えず修復しなければならない。
古い気を取り除き、新しい気を植え付けて。
ズレにも新陳代謝が必要なのだ。
その役割を担うのが祈りである。
祈りの儀式つまり祭りです。
だからである、
皆で同期同調して行う祭りが素晴らしいのは。
ズレの新陳代謝に大きな効果がある。
ということで、
もういちど、
あけましておめでとうございます。
正月は正月です。
前年がどうであろうと、
今年は必ず「あらたまる」のです。
と言う訳で、
あけましておめでとうございます、
皆様方にとって今年は良い年でありますよう、
お祈り申し上げます。
思うに正月祭りとは、
魂の原点に返り、心を初心に戻し、
命を寿ぎ、祈りを捧げる祭りです。
晴れやかに、静かに祝いましょう。
・・・・・
これからも言い続けますが、
日本は祈りの国です。
祈り主のおわす祈りの国です。
正月祭りはその芯でありましょう。
正月祭り以外にも春夏秋冬祭りに満ちている。
まことに祈りの国です。
祈りを為さばいつでも、
魂は原点に返り、身は整えられる、
ということです。
個人的なものでは、
誕生日や七五三の宮参りまた入学式や卒業式それに結婚式も、
はたまた墓参りなども。
それらはすべて祈りであります。
そこにはすべて「あらたまり」がある。
正月祭りは皆でそれを同時に感得する。
そこが特に素晴らしいのです。
今年はコロナ騒動で喧しいが、
本質は変わらない。
厳かに、静かに、晴れやかに、
ひとり一人の心の内で祝えば、
それで良い。
そういう時を持てるのが、
日本であり、
日本の強みであり、
だから継続の国であり、
だから永遠の国であり、
神の国と言われる所以です。
・・・・・
その数字はおおよそであろうが、
人間は60兆個もの細胞でできていると謂う。
しかも一つひとつはそも独立した生命だとも。
それが寄り集まってできている。
しかして一個体となる。
霊妙の限りなり。
その細胞は3か月から半年ですべて入れ替わる。
すなわち生死を繰り返している。
だから私(の一部)は毎日死んでいる、
だから私(の一部)は毎日生まれている、
その総体が私(個人)である。
それは生死とは言わない、新陳代謝と言う。
不思議である。
少なくとも一年以内にすべてが入れ替わっている。
私の身体は常に新鮮なのだ。
なら永遠に生きられそうなものだが。
それはもう一つの不思議と関係があるのか。
入れ替わっても常に私は私だということと。
つまり、真っ新には生まれ変わらないのだ。
新鮮ではあってもほんの少しは変わっているのです。
特に最初の細胞からは随分変わっているだろう。
と言うことで一先ず納得。
それは一般的には変化と言うべきだが、
我々は勝手に成長や老化と言っている。
でも必要性はなんとなく分かる。
宇宙(環境)は常に動いており、
河原の石でも内に固有の振動を有しており、
同じ物であろうとしても、
同じ物ではいられない。
無限の時の中では僅かな違いが大きな変化となる。
新陳代謝とはその一つの現れか。
しかして、その上の変化もある。
それを世代交代と言う。
なおその上も。
それが種の交代なのか。
さらには星間移動も…。
・・・・・
問題は言葉である。
言葉を持ってしまった人間は、
意識を作ってしまった。
そこでもう一つの新陳代謝が必要になる。
本来は身体と不可分の心魂だが、
言葉が身体と心魂の間にズレを作ってしまった。
意識とはそのズレのことです。
そのズレは絶えず修復しなければならない。
古い気を取り除き、新しい気を植え付けて。
ズレにも新陳代謝が必要なのだ。
その役割を担うのが祈りである。
祈りの儀式つまり祭りです。
だからである、
皆で同期同調して行う祭りが素晴らしいのは。
ズレの新陳代謝に大きな効果がある。
ということで、
もういちど、
あけましておめでとうございます。
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