Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

東京国立近代美術館フィルムセンター 記録映画『一谷嫩軍記』「熊谷陣屋」

2005年08月17日 | 舞台関連映像(映画・TV・DVD)
昭和18年の7世松本幸四郎が弁慶をしたDVD『勧進帳』を観たときに感じたのだが、この時代の歌舞伎の人物造詣は非常にリアルだ。言葉のひとつひとつ、そして表情のひとつひとつに説得力がある。なんというか人物描写の陰影が濃く、役の性根の幅と深さが感じられる。個々のキャラクターそれぞれが本当に生きた人間として役がたちのぼってきているかのようだ。とても惹き付けられ、圧倒させられた。

初代吉右衛門さんの熊谷は押し出しが強いわけではないのだがとても品格があり、その押さえた表情に男としての豪胆な強さと内に秘めた情の深さがみえる。そして型が手順になっていないのに驚く。気持ちがあってそのうえで型がある感じ。見得なども極める寸前で止める感じであっさり。そのかわりその動きは非常に美しい。心情と動きがまさしく一体となって流れている。それにしても、花道での引っ込みの素晴らしさににはただ感嘆し涙するしかない。我が子を自分の手にかけた、その悲痛な気持ちがここで爆発する。とても押さえられた表現なのに心のなかで泣いているのがみえるのだ。これを書いていて映像を思い出すだけで涙がこみ上げてきてしまう。

歌右衛門さんの相模は武家の女としての凛とした強さと母性を兼ね備えた女性であった。とてもしなやかで色気がありながらもしっかりとした芯の強さを感じる。この方の動きは一種独特のものがある。特に手の動きが印象的でそこから女としての情念が醸し出されているかのようだ。(蛇足だが、相模役の私的ベストは雀右衛門さん。歌右衛門さんの相模を見てもそれは変わらなかった)

弥陀六役の白鸚さんはまだこの時40歳代だと思うのだけど、しっかり老人としてそこに居た。そして骨太で隙の無い存在感のある弥陀六だった。なんか、すごいね、この方は。そこにいるだけで存在感があって、そしてちょっとした場も見せ場にしてしまう。敦盛が入った葛籠を担ぎ上げようとするその瞬間、葛籠の重みが手に取るようにわかる。たったそれだけのシーンなのに凄みすら感じた。敦盛という存在がそこに現れた瞬間…。

義経役の17代目勘三郎さんの武将としてのどっしりした重みも印象的。


一谷嫩軍記(107分・35mm・パートカラー)
東京劇場を1950年1月28日と29日の2日間借り切り、初代中村吉右衛門(1886-1954)の当たり狂言「熊谷陣屋」を撮影した記録映画(撮影前日までは17世中村勘三郎の襲名披露興行が同劇場で行われていた)。マキノ正博が監督、岡崎宏三等がキャメラを担当しており、キャメラ8台(9台という記録もある)を操作しながら同時録音で撮影された。タイトルバックと見せ場のワンシーンのみカラー映像になる。使用されたフィルムは翌年1951年に公開される初の長篇カラー作品『カルメン故郷に帰る』で本格的に用いられたリバーサル方式の「フジカラー」である。(素材提供:川喜多記念映画文化財団、復元作業:育映社、IMAGICA)

’50(プレミアピクチュア)(監)マキノ正博 (原)並木宗輔 他 (撮)岡崎宏三 他(出)中村吉右衛門(初代)、中村芝翫(6代目中村歌右衛門)、松本幸四郎(初代松本白鸚)、中村勘三郎(17代目)、澤村訥升(7代目澤村宗十郎)、中村又五郎、中村吉之丞