Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

国立大劇場『十二月歌舞伎公演「通し狂言 東海道四谷怪談」』 特別席中央センター

2015年12月26日 | 歌舞伎
国立大劇場『十二月歌舞伎公演「通し狂言 東海道四谷怪談」』 特別席中央センター

千穐楽観劇で2015年の芝居納め。あまりにも満足しすぎて最初は感想が言葉に出なかった。

観終わったあとは大詰の立ち回りが派手なのと夜明けでの勝どきをあげる義士たちの本懐遂げた解放感を強く感じるので忠臣蔵外伝としての枠組みの印象を強く感じるのだけど、時間が経つにつれじわじわとその裏側で蠢いた闇の部分の印象が立ちのぼってくる。

初日周辺の観た時は忠臣蔵という物語の強固さを感じたのだけど中日~千穐楽と役者がこなれて思い入れたっぷりに四谷怪談の物語を表現してきたので物語として忠臣蔵と等価になり表・裏と光・闇の二項対立構造としてうまく嵌った。そして光に挟まれた闇の陰影が濃くなったと思う。今回の構成での上演は二項対立構造としては大枠は忠臣蔵と四谷怪談でそのなかで光へ昇華できた小平(忠義を全うできた)と闇のなかに沈むお岩様(忠義に裏切られ)を中心に据え、二人を取り巻く様々な人間模様や想いを活写していく。シンプルな視点のなかに複眼的視点を置く。シンプルでわかりやすい構造にしており初心者がそれほど混乱なく観られるようになっている。そのうえでの四谷怪談のなかの単純ではない人の心模様は丁寧に拾い上げているので、’人’の陰影は薄まることなく提示されている。南北らしさは薄まってなかったと個人的は思う。鶴屋南北『東海道四谷怪談』の世界にきちんとなっていたのは座組みのバランスが良かったせいだと思う。脇がかなり揃っていたし、思った以上に適材適所だった。ベテランがしっかり支え、中堅・花形が活き活きと演じた。伊右衛門役の幸四郎さんの独特の濃さが南北の濃い空気感を支えた面も大きいかな。

お岩さま@染五郎さん、5役のなかで中心になる役ということもありお岩さまが一番充実していました。丁寧に丁寧にお岩という’女’を造形していったと思う。哀しい運命に絡み取られて幸薄いなかでも人として自身が信じる真っ当さを生きようとして裏切られ闇へと追いやられてしまった女だった。染五郎さんのお岩さまは武士の娘らしい凛とした佇まいのなか弱さを自覚した地味で寂しげなしっとりとした風情。深い深い絶望に追いやられ闇に呑み込まれてしまった悲しくて哀れで切ないお岩さまだった。そして崩れ醜くなってなお、美しくそこにいた。崩れた自身の顔を見ての「これが私の顔かいな」の哀しい悲鳴が心に刺さる。その瞬間、何かがふっと切れたように目に光がなくなったようにみえた。闇に落とされ、そして闇を纏う。怒りが募るにつれ可愛がっていた赤子の存在すらも忘れ人でなくなっていく。千穐楽では伊右衛門宅内での病んだけだるい風情のなかにはまとわりつくようなじっとりとした質感も感じさせた。死んでからも体温がそこに残っている感触。それと「蛇山庵室」での赤子を抱いた姿では前回観た時まではうっすら微笑んだような顔をしていたように思うけど千穐楽ではひたすら哀しげで、恨みの咆哮すらも怖いまでの哀しみが漂っていた姑獲鳥のようなお岩さま幽霊のひときわ寂しそうな様子はなんだったんだろうな。

染五郎さんの他の役もそれぞれの演じ分けが丁寧でくっきり。南北はユーモア溢れキュート。与茂七は爽やかで如才なさのなかに義士としての芯が通る。色気もあったし、やっぱり「地獄宿」も観たかったなあと思う。次の機会にはぜひ。小平は亡羊とした小心者の佇まいに独特の粘着気質の造形。小者ゆえのその主思い忠義の盲信の一途さが哀れ。由良之助は颯爽とした佇まい。与茂七からの切り替えできちんと格の違いを出せていた。台詞廻しはやっぱり吉右衛門さん譲り。白鸚さんを意識したかな?とも。

伊右衛門@幸四郎さんの濃い佇まい。自分の都合しか考えない自己中心的でその場その場の刹那的な行動を瞬間的に衒いなく演じていく。伊右衛門にしては重さがありすぎたけど芝居の瞬発力はさすがだ。横顔が白鸚さんに驚くほど似てみえた。

2回目を観た時に又之丞の存在が今回の四谷怪談には非常に重要だというのが見て取れたのですが。単に小平のあるじの義士という存在だけではダメで、忠臣蔵の裏門、6段目の勘平と3段目での塩冶判官をも担っている。錦之介さんはいかにも二枚目然としてそこを明快に演じていたと思う。又之丞って清廉潔白な義士ではないのよね。武士という地位に甘んじてる。そういう甘さとかプライドとかがある。そこが面白い。

萬次郎さんのお熊が重要で、この母にしてこの息子(伊右衛門)ありな性根の悪さと、それでも自分が産んだ子だけは可愛いという歪んだ情をみせる。その人なりの愛情が歪みをもたらすという構図の繰り返しも四谷怪談ではテーマになるような気がする。また萬次郎さんのお熊は3段目の師直も担う。徹底的に憎々しげではあるけど理も通っている。決して裕福ではない小平一家に転がり込んでいる又之丞はごくつぶしでしかないのは確か。その視点が南北だな~と思う。

京蔵さんのお槇、あれほどのお槇を演じられるの方、そうはいないのでは。お槇として細やかでさりげない自然な芝居だった。

今回、国立の美術もかなり力が入ってた。劇場全体を今回の芝居の一部として作り込んでた(幕と提灯がいい仕事してた)し、「蛇山庵室」の場は闇のなかの白い雪、お岩さまお裾の赤さのコントラストが美しく浮世絵のようだった。あとはケレンの部分での裏方さんも大活躍だった。今回はいつも以上に気を使った舞台だったと思うけど最後まで何事もなく終えられたのは本当に良かった。

今回の脚色、上演形式が高麗屋版の『東海道四谷怪談』として残っていくといいな。

それとは別に花形中心でいいので『東海道四谷怪談』の全通し上演してくれないかな~。一人何役もやるのではなくてじっくりやってほしい。お岩さまの不幸、お袖の不幸、そしてお花(小平女房も身を売って家計を支えてるのよ)の辛苦のうえになりたつ忠義。その時代の女を描いた物語でもある。