Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

シアターコクーン『NODA・MAP 贋作 罪と罰』1回目 A席2階前列上手寄り

2005年12月28日 | 演劇
シアターコクーン『NODA・MAP 贋作 罪と罰』1回目 A席2階前列上手寄り

野田作品はほぼ初見といっていいです。舞台は円形劇場のように設置され、舞台前方、後方、両方に座席がありました。私の席はA席の2階前列上手寄りでしたので役者の細かい表情はきちんと見えないのですが、全体がよくみえて今回の演出の舞台を観るのにはかなり良い席だったかも。

スロープと階段が囲む菱形の舞台。舞台の周囲には様々な椅子が置かれ、出番のない役者が座り(ようするに役者さんたちは出ずっぱり)、またその椅子を小道具にし、家具にしたり、船にしたり、手錠にしたりと様々な形で使っていました。シンプルなつくりの舞台でしたが見事に場面場面で情景が浮かんできました。

最初はテンションの高い動きやあまり抑揚が無く叫んでいるような台詞廻しに戸惑い、付いていくのが精一杯でしたがいつしか話のなかに惹きこまれ、笑ったり泣いたりしていました。絶えずスピーディに動いている芝居なのですが、その動きに慣れて来ると「言葉」の舞台だと、そう思いました。その言葉ひとつひとつが美しい。特に後半、英と才谷が紡ぎ出す言葉が泣きそうになるくらい綺麗。発せられる一言一言が煌き、透明感溢れる空間がそこにたちあがっているかのよう。最初のうち馴染めないものを感じていた舞台に引き込まれた瞬間、それは才谷が「英、たまには笑えよ」から始る大川での才谷と英の会話でした。才谷がこの言葉を発した瞬間、暖かい空気が流れ、英が「この大川の岸辺に立つと、この景色に抱かれる気がした」そう発した瞬間、大川の水面がキラキラと光り一陣の風が吹いた。私にはそう感じたのです。そして私のなかに幕末の空気が立ち上がり、そして言葉ひとつひとつが流れこんできた。

「人間はすべて凡人と非凡人のふたつに分けられ非凡人は既成の道徳や法律を踏み越える権利がある」その理念のもと、人殺しをする英。だが理想のためと言いながら「人」として追い詰められ崩れていきそうになっていく。人を殺すということがなんなのか、その「罪と罰」。その問いかけは観客にゆだねられる。とても切ないラストでしたが、「人」というものへの希望は捨ててないラストのようにも思いました。とても感動したのだけどなんだか自分で咀嚼しきれないもどかしさも感じています。カタルシスがあるわけでもなく、登場人物たちに共感できるかといえば、実はそうではなく。しかしそこにいる人々は私の身の内に存在する、そうも感じたのです。

松たか子、古田新太、段田安則がとても素晴らしかった。野田さんは最後の台詞のとこがなんだか凄まじかった。

英は松たか子さん。真っ直ぐなまなざしと凛とした姿が美しい。そしてあまりに真っ直ぐな余裕のなさに英のひりひりするような精神の危うさがありました。そして理想を信じようとして、また信じるがためにした「人殺し」という事実に追い詰められおびえていく焦燥感がじわじわと伝わってきました。松たか子さんのあまりにのびやかな精神の英ゆえに彼女がしでかした事が特殊な出来事ではない事として伝わってくる。ただ、まだ松たか子さん自身が英というキャラクターを消化しきれてない部分があったようにも思います。特に最初のうち松たか子さんは英を受け入れることが完全に出来ていないような気がしました。「人殺し」を正当化することができる英に捉えられるのが怖いのではないのか、と少し思いました。英は純粋さが狂気となっていて、ある意味とても残酷で陰惨なキャラクターでもあると思う。それでも、英@松たか子から発せられる言葉は風を呼びキラキラと光っていました。その美しさゆえに私は英をどう受け入れればいいのか、つい考えてしまうのです。

才谷の古田新太さん、好きな役者さんですが、生の板の上での古田さんを初めて本当に魅力的だと思いました。彼が演じる才谷にはとても暖かい空気が流れていました。懐の大きいキャラクターを自分に引き寄せ、かなり自由にてらいなく演じているようでした。受けの芝居が本当にいいです。本当に自然に受け止め受け入れる。とても大きいものを感じさせました。決して、滑舌がいい台詞廻しではないのですが言葉のひとつひとつが活き活きとしていました。気持ちがあったかいってカッコイイことなんだなあって素直に感じさせてくれました。

刑事、都の段田安則さんはクレバーな存在。冷静に真実を求めていく。断罪するのではなく、見極めようとする視線。この人が出てくると空気が締まる。そこにいる存在として一番ハマっていたのが段田さんでした。

金貸しのおみつ、英の母の清、徳川慶喜の三役を野田秀樹さん。終始テンションの高い役作りにビックリ。でもそのテンションの高さがイヤミではなく、どこか厳しさを湛えている。とても不思議な存在感でした。この物語のなかの三役の役割は混沌とさせるキーの存在。そして憎まれるものとしての象徴として繋がっている。同じ人が三役をすることでその繋がりが表われてきていました。その構成の見事に感嘆。ラストの清と慶喜の二重写しでの台詞には圧倒させられました。「愚かで無意味な存在は殺されてもいいのか?」と…。それを受けて英から出た言葉の美しさ。とても単純な言葉です。でも必要な言葉でした。作家としての野田さんの凄さ。


2 コメント

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ありがとうございました。 (なつ)
2006-01-10 18:12:18
ずいぶん前ですが、雪樹さんの感想を読み、

とても共感したので、TBさせていただきました。

私のブログの方にもTBしてくださったようで・・・

ありがとうございました。



私も「英、たまには笑えよ」からの場面がとても好きです。

想像の中で大川の景色が広がる。野田さんの舞台ならではの魅力だと思います。

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こちらこそ (雪樹)
2006-01-10 22:20:28
なつさん、コメントありがとうございます。TBしていただいてとても嬉しかったです。早くTB返しをしたいと思いつつ、ようやく今日成功です。なつさんは野田さんの芝居が本当にお好きなんですね。そういう方に共感していただけるなんて嬉しいです。想像力を喚起させてもらえるお芝居ってそうそう無いと思うんですよ。本当に素敵な体験でした。
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