Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

ル テアトル銀座『二月花形歌舞伎 第二部『女殺油地獄』』 1等席前方センター

2011年02月10日 | 歌舞伎
ル テアトル銀座『二月花形歌舞伎 第二部『女殺油地獄』』 1等席前方センター

なんとなくふらっとチケットを取っての観劇。今回はふらっと飲みに行って深酒したあとにデザート食べてニマニマしてたところに水をぶっかけられたような心持になりました…。なんだろ、満足、満足っていう充足感ではなく、呆然って感じなのだけど、でもこれを観て本当に良かったという充実感があるというか…説明しずらいのですが…。

初日も拝見していますが初日に観た時よりだいぶ変化していました。あと2回目で冷静にきちんと見られたおかげで、良い方向と悪い方向の両方もみえた感じです。近くで観て劇場の舞台の狭さがかなり今回の舞台に影響していることも。

たぶん、今回の染五郎さんの『女殺油地獄』はル テアトル銀座版としての『女殺油地獄』で、今回しか観られないものになるかもしれない。他の歌舞伎専用の劇場で演じる時はまたかなり違うものになるし、してくると思う。今月、観る人はしっかり覚えておくといいかも。年齢とか芸の積み重ねで変わるという部分ではなく、このル テアトル銀座という劇場だからこうなったという部分がかなりある。私は今回、歌舞伎だけど歌舞伎じゃないものを観ている感覚になった。私たちが歌舞伎を見る時に感覚的に感じるそのいわゆる歌舞伎ならではの「間」「余韻」「カタルシス」が無い。最近の野田さん、三谷さん、クドカン、乱歩の新作歌舞伎にすらそれはあった。だけど、今回それが無いのだ。「こういうもの」としての間の余韻が無い。狭さゆえに出せなかった部分とあえてやった部分との両方だと思う。

それは諸刃の剣として出てくる。だから物足りなさも当然出てくる。特に「豊島屋宅内」では舞台の狭さが殺しのダイナミズムを減じている。でもまた一方で近松が描き出したかったであろう世界観がより強調されたものになっていたような気もする。今回、「人の営み」のなかで一人では生きていけないからこその情と切なさや愚かさがあり、そしてそこに潜む澱のようなものが浮き出てた。近松の晩年の作品だというこの作品、何を描き出したかったのだろうか。どこか底知れぬ怖さがある。

全体としては芝居が締まってました。台詞が危うい人が減ったせいでしょうけど…(笑)。一場、一場が流れずきちんと明確になってきた感じです。ただ、明確になった部分で、改めて上方の雰囲気は少なめだなというのも痛感。役者がほとんど江戸の役者ですので仕方がありませんが…やっぱり…。義太夫が感覚的に身に沁みてる世代の役者さんだと江戸の役者でも雰囲気は出せるのだけど…。いまやもうその方々は舞台にほとんど立てない状態ですから…。特に前半「徳庵堤の場」で感じる。「河内屋宅内」で物語が動き始めたあたりから気にならなくなってはくるのだけど。そしてグッと面白くなってくるのはやはり後半「豊島屋宅内」~「逮夜の段」。そして今回感じたのは今月のル テアトル銀座版『女殺油地獄』は「逮夜の段」あってこその『女殺油地獄』。蛇足どころではない。芝居のカタルシスが無い代わりに深い深い哀しみと闇がありました。染五郎さん、相当リスキーなことをやってきた。「豊島屋宅内」をたっぷり見せたほうがカタルシスがあり絶対受けがいいはず。でもそこをあえて今回外してきた。

与兵衛@染五郎さん、可愛いけど情けなかったり、格好良かったり格好悪かったり、素直だったり捻くれてたり、プライドがあったり無かったり、すべて相反するものが同居している。そして性根が空っぽで底の部分が腐ってる…その事に無自覚。周囲がそれに飲み込まれて不幸になっていく。とりあえず観客に好かれようのない与兵衛かも…。根っこが腐ってるので悪の華すら咲かない。でも器がとても綺麗なので「情」という種を植えれば育つんじゃないか?って周囲に淡い期待を持たせちゃたんじゃないかな~って今回は思った。そして、その与兵衛はひたすら人の情を喰らって喰らいつくしてなお、阿弥陀如来の慈悲を喰らおうとしている美しくも醜い餓鬼であった。救いようのない最悪男なんで気持ちがゲッソリする。与兵衛、人として本気でダメだよ…。

もうね、染五郎さんの事、私は大好きなんですが染与兵衛は愛せません。無理っ!染与兵衛には殺されたくないですね。でも染五郎さんファンとしては「染ちゃん素敵」という部分もやっぱりあるわけで、可愛らしいとこでニマニマしちゃったり、色ぽさにドキドキしてみたり、なりふりかまわない必死さに切なくなったり、でもそれ以上に与兵衛は不気味すぎてそんな気持ちになれない部分もあり、なってはいけない気分にもなり、とてつもなくアンビヴァレンツな気持ちに…。

与兵衛@染五郎さん、芸という部分ではまだまだすごく足りない部分はある。もっと柔らか味や緩急が必要だと思うし、人物像の輪郭をしっかりと描くという部分はまだまだ足りないと思う。でも、義太夫にのって表現していく事がどういうことかがようやく身につき始めていると感じる。だから一気にじゃなくていい、少しづつモノにしていって欲しいと、そう思うだけだ。物語を咀嚼しそこを表現する力がかなりあることを見せてきただけで私には十分。

お吉@亀治郎さん、いま少し迷いが出てる気がした。らしさを押さえて「上方の世話好きなしっかり者のおかみさん」になろうとしているところでどこか齟齬がでてきちゃったんじゃないかなあ?与兵衛を男として見てない、子供に対するような心持ちの部分は私は気に入っている。ただ、亀ちゃんにまだ母性を表現する部分が足りないんだよね。だからその部分で「しっかり者」の部分だけが強調されてしまう。ただ、子供のために死にたくないという悲痛さの部分はとても悲痛で切ない。恐怖心で逃げ回るのではなく心の底から死にたくないという必死さがあってそこは見事。

母おさわ@秀太郎さんは今回ちょっと言うことなし。だって、ほんとに自然に与兵衛の母なんだもの。おさわは与兵衛のことまだ小さい子供にしか見えてないんだよね。大きななりした子供。心配で心配でしょうがない。そしてどこかまだ信じてる。ほんとは悪い子じゃないと。なんて哀しい母なんだろう。前回演じた時のおさわからはそこまで実は伝わってこなかった。でも今回の秀太郎さんは凄いと思う。

父徳兵衛@彦三郎さん、今回はちょっとどうしたの?っていうくらい、もうひとつ感が…。なんだろ無骨な父という部分はやっぱりとっても良い。秀太郎さんのおさわとのバランスも良い。でも、すごく焦っちゃってる感じ。どうもまだプロンプが外れてないですね。たぶん、台詞は覚えたようでプロンプの声とほんとど重なるし、プロンプの声がかなり小さいので後ろのほうでは気がつかないかも。たぶん、きっかけをまだしっかり覚えきってないのかも。なんかそのせいかどうか、アクセクアクセクしちゃってるんです。ここはたっぷり、とかここはゆったり動いてとか、心情を伝えるための間とか余韻が足りなさすぎるんです。それと台詞を張りすぎてる部分も。台詞をつっかえつっかえしてた時のほうがその分、間があって徳兵衛のやるせなさとか無骨さとかが出てたような…。う~ん、う~ん、今後余裕がでてしっかり芝居ができるといいんですが…。

小菊@高麗蔵さん、復活おめでとう!!だし、綺麗なんだけど、なんだけど~~。どう見てもお江戸のチャキチャキの芸者だよ~~。惚れた男に一筋だぜな侠気がありそうだ…。む~ん、とりあえず冒頭、お江戸にみえるのは高麗蔵さんの空気感が大きいかも…。小菊は与兵衛に惚れてる女じゃないんだよね、金があるほうに行く。だからやわやわと手練手管でうまく男に惚れさせるような雰囲気がほしい。

豊嶋屋七左衛門@門之助さん、しっかり演じてるんだけど、なんかまだ厚みがない。もっと七左衛門の人となりを見せて欲しいというか。亀治郎さんのお吉の強さにも対応できてないというか…夫婦感もあまり無いし。まあ門之助さんのせいだけでないかもだけど。もっと厚みがあると大詰の場でもっと活きると思うんだけど。