Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

サントリーホール『ミハイル・プレトニョフ ピアノ・リサイタル』D席 RA席

2005年06月09日 | 音楽
私にとってミハイル・プレトニョフは意識してCDを聴いたことがないピアニストでした。曲目が良かったのとロシアのピアニストということだけでチケットを取りました。調べたらかなり有名なピアニストで、最近では映画『戦場のピアニスト』の劇中のピアノの音色がこの方のものだったようです。私はチケットを取ってからあえて音を聞き込まないまま聴きに行きました。ここ最近、行く演奏会は当りばかりなのですが今回も「よくチケットを取る気になったよ、私」と自分を褒めたいくらい素晴らしい演奏を聴かせてもらい、ただただ圧倒されて帰宅しました。こういうピアニストもいるのか、と。

一流と言われている人の演奏会で毎回思うのですが、第一音からもう音がただの楽器の音じゃない、なにか違うんですよね。今回も第一音で「あっ、きたっ。今回も当りだ」と思いました。ロシアのピアニストというと華やかな音色でダイナミックというイメージがあったのですが、ミハイル・プレトニョフ氏の音はいわゆる華やかな音ではありませんでした。なんというか低音の作り方が独特で力強くとても重い音と言ったらいいのかな。重い音といっても音色は素晴らしく美しいのです。弱い音はあくまでも柔らかく透明感があり、強い音は冷たい海が荒れて岩に砕け散るそんなイメージを起こさせる激しくそれでいて硬くない呑みこまれそうな音。音が幾重にも重なりオーケストラを聴いていると思わせる瞬間も。

またプレトニョフ氏の48歳とは思えないほどの感性の深さに驚かされました、老成してると言ってもいいくらい。派手な演奏では決してないのだけど、圧倒的な力を持った音の持ち主ですね。そしてまた、聴く側の感性を求められる、そんな演奏でもありました。ただ愉しませる、そういうタイプの音楽家ではないように思いました。

ベートーヴェンでは非常に内省的な音とでもいうのでしょうか。圧倒的な音であるにもかかわらずどちらかというとドラマチック性を極力排した淡々とした演奏で、音が地の上で留まり、音を舞い上がらせない。心の澱の部分に直接訴えかけてくる。恐いとすら思いました。ベートンヴェンの「悲愴」はまさしく「悲愴」そのものでした。地の底から問いかけてくるようなそんな感がしました。なぜか7番と8番を続けて弾いてました。なんでだろう?拍手する暇を与えてもらえませんでした。7、8番を同じ種類の曲として解釈されているのでしょうか。

ショパンではその内省的な雰囲気はなくなり、非常に端正にひとつひとつの音を大事に丁寧に扱っている、そういう印象。短い曲を積み重ねていく演奏なので曲の解釈をするというより純粋に音と曲を聞かせようとしていた感じでした。非常に重い音なのにキラキラと音が光ってました。端正に弾いてるだけにテクニックの素晴らしさがよくわかりました。

この方のちょっと独特の音だしに完全に魅了されたところでアンコール曲。なんと4曲も弾いてくださったのですが、この4曲がこれまた素晴らしく、しかもアンコールを聴いたというよりもう一度演奏会を聴いた気分。だって3曲目がショパンのバラード1番ですよ。なんちゅう体力だ、さすが熊のようなロシア人(笑)。そしてそしてこのショパンが非常に素晴らしかった。胸にじーんと染み入る深い深い音色でした。

ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第7番ニ長調』
ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第8番ハ短調「悲愴」』
ショパン『24の前奏曲op.28』

アンコール曲:
ショパン『乙女の祈り』
リスト『小人の踊り』
ショパン『バラード1番』
チャイコフスキー『夜想曲』