Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

新橋演舞場『秀山祭九月大歌舞伎 昼の部』2回目 1等A席1階前方上手寄り

2010年09月18日 | 歌舞伎
新橋演舞場『秀山祭九月大歌舞伎 昼の部』 1等1階前方上手寄り

『沼津』、『荒川の佐吉』が全体がかなり締まって見応えがありました。9/3(金)に拝見した段階でも完成度は高かったと思うのですが細部が練られるだけで見応えが違う。どちらも主役は若い役を還暦すぎた役者が演じてる。まさに芸でみせる、というところですね。二人とも台詞廻しが絶妙。技巧を凝らしているんだけど、そこがさりげない。

『月宴紅葉繍』
やっぱり魁春さんが可愛いです。梅玉さんは相変わらず形が綺麗。一瞬のキメがさりげなく綺麗なのです。

『伊賀越道中双六』「沼津」
義理と人情が生きていくうえで非常に大切であった時代の物語なんだなぁとつくづく思いました。袖触れ合うも人の縁。ただ、それゆえに悲劇も起こる。因縁、因果のおかしくてやがて悲しき、そんな世界。

十兵衛@吉右衛門さん、前半はやはり十兵衛の若さ以上のどっしりとした存在感がありすぎる気はするものの、純な男の可愛らしさがあってほのぼのします。吉右衛門さんが本領発揮するのは後半、平作が自分の親だと悟ってからですね。驚きとともに、子として親と妹を助けたいという真摯な情を体から溢れんばかりに、しかもそれを体に押さえ込みつつ表現していく。その男気のある十兵衛が義理と情の狭間でみせる情愛が素晴らしいです。

平作@歌六さん、マジメで気骨のある平作です。娘とともに苦労し生活してたことこそが平作の気持ちのうえでの基盤になっているのですね。だから、娘のため、ひいては娘婿のために命を投げ出す。息子が諭す理以上にその部分の情を大切にする。しかし、そこに息子への甘えがあるのだと思う。親のエゴと哀しさと。そんなものが透けてみえた平作でした。

お米@芝雀さん、前回まで「娘」としてのお米だったと思うのですが、今回は傾城でありまた人の女房であるお米さんの顔のほうが強く出ていた。ふっくらした艶にどこか人あしらいの慣れがあり、十兵衛が商家の嫁にピッタリと見込む、美しさだけに目につけたのではない部分がそこにあった。また、芯のある純粋さ想いの強さがしっかりあるので盗みを働いてしまう、その行動に哀れさが出る。クドキの台詞廻しが本当によく、お米の想いがストレートに伝わってきます。また動きにしなやかさが出てきたなあと思います。

安兵衛@歌昇さん、安定しています。気心が知れた信頼感のある奉公人としての佇まいがいいです。

池添孫八@染五郎さん、どういう人物像か観客に見えないキャラクターですがそこの違和感を感じさせず、また心根のよい存在としてしっかりいたと思います。

『荒川の佐吉』
個人的に物語としてはやはりあまり好きではありません。子への情の部分や男同士の友情の部分にはグッとくるんですけど、全体的には任侠ものの「男の義」の部分に共感できないのと、女性の描き方に納得がいかなくてどうしても感情移入が出来ないのです。ただ、そのなかでも役者たちの芸の説得力には唸らされます。

佐吉@仁左衛門さん、4年前に拝見した時より役者としての存在感の部分で佐吉というキャラクターに格がありすぎる部分を感じました。非常に感覚的な部分で大人。しかし、そこを自在な台詞廻しで若さや拙さを表現していきます。いわゆる三下奴のいきがった部分が薄くなってしまったなとは思うものの、根がまっすぐで義理人情に誠実で子供が大好きといった造詣の部分を強調し、情の部分が先行してしまう佐吉に説得力を持たせていました。今回の仁左衛門さんの佐吉は卯之吉を放したくない、その切実な想いを吐露する部分に集約されていた気がします。しかし、佐吉はなぜ任侠の世界に憧れちゃったんですかね~?

辰五郎@染五郎さん、情を描く芝居という部分での骨格を支える存在として、任侠から離れた立場での人物像を本当によく表現してきていると思う。受けに徹しつつ、いなくてはならない存在。染五郎さんの辰五郎は非常に真っ当。道理を弁えつつ、未来を明るく考える。少しおっちょこいで人が良すぎるけど本当の意味で懐が深い。自分より相手のことを先に考える、そんな優しさがある。出すぎず、でもしっかり卯之吉を見守る。そして兄貴分の佐吉に対しては「任侠」に憧れてではない、佐吉の本質の部分の才と心根の部分への憧れと信頼があるんだろうな、と思った。2日目に観たときより、情味が増していたように思う。台詞のもっていきかたが上手い。

成川郷右衛門@歌六さん、渋いですねえ。声が良いのだな。成川の理って筋が通ってるんですよね。成川って任侠の矛盾をついた人物像なんだなと思いました。

政五郎@吉右衛門さん、有無を言わさぬ存在感がありますよねえ。場が締まります。

お新@福助さん、やはりうまい。泣くだけであれだけ表現できるって凄いと思う。いやな女ってだけじゃないのことろが良い。

卯之吉@千之助くん、しっかりと芝居しています。

『寿梅鉢萬歳』
引き抜きもあって華やかですね。衣装がとっても綺麗で、特に引き抜き後の白い衣装が好み。また振りが面白くて楽しい。藤十郎さん、ほてほてっとした踊りぶり。なんだか文楽人形ぽい。妙に藤十郎さんと目線が合いまくりでした。近くにご贔屓さんがいらしたのかしら。


4 コメント

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同感です (松嶋屋)
2010-09-22 15:16:12
私は大の仁左衛門さんのファンですが、「荒川の佐吉」だけはどうしても好きになれません。
今月も4回拝見、客席の皆さんが泣いているのを見ても、ブログなどで大勢の方が「号泣した」と感動しておられるのを見ても、どうしても感情移入できない私です。同じ真山作品でも「御浜御殿」などのような感動がどうしても持てない。仁左衛門さんも三下奴にはあまりに格がありすぎますね。
そんなじれったい思いの中で、このブログを拝見して思わず拍手させていただきました。
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良かった… (雪樹)
2010-09-22 16:04:17
松嶋屋さま

コメントありがとうございます。嬉しいです。

『荒川の佐吉』に関しては泣いてるお客様も多いし、ブログでも傑作とか号泣したと書いている方が多いですよね。そのなかでこういう感想をupするのはどうなんだろう?とちょっと冷や冷やしていたんですが、同感していただける方がいらしてちょっとホッとしています。

そうなんですよ~、私も「御浜御殿」は大好きです。仁左衛門さんの綱豊卿、絶品だし!それに男と男の火花が散るようなやりとりに感動します。

でも「荒川の佐吉」はどうにも好きになれない。個人的にはたぶん、この作品は弱者に対して本当の意味で視線が優しくないからかなと~自分では思っています。ひとつあげるとすると、卯之吉に対して、たしかにあの時代、彼のような障害があれば生きていくのが大変だったと思うけど、可能性や才能を信じてあげてないじゃないですか。ただ守るだけの存在でしかなくて、しかも良い着物を着せてあげないって、エゴですよね。いい着物は着心地いいはずだし…。

って、すいません、こうやってイチイチあれこれ突っ込みたくなるんです。佐吉ってキャラ自体にどうにも説得力がない。仁左衛門さんが演じるとカッコイイし、その矛盾したキャラに目をつぶりたくなりますけど…でもやっぱり感情移入はなかなか出来ない。

最近の仁左衛門さんは特に格の高いお役のほうがしっくりきます。なので来月のお役のほうが楽しみです。
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有難うございます (松嶋屋ファン)
2010-09-25 11:09:40
雪樹様、お返事有難うございました。

(前回の名前「松嶋屋」でなく「松嶋屋ファン」でした。)

昨日も見て来ましたが、ほんとにあちこちで突っ込みたくなる所が多くて。
今回はお新が福助さんですが、血を吐くようにして前非を悔いている感じがしまして、お新はお新で、生きていくためには盲目のわが子を手放さなくてはならない哀しさがあったと思うのです。父の仁兵衛にしても、落ちぶれた自分の沽券にかけてもお新だけは丸惣のご新造にさせたかっただろうし、丸惣にしても赤児を引き取ってもらう時にも百両を添えて頼んだわけです。そのお新の辛い気持ちも思わずにお新を人のように責める佐吉を見て「あんまりだよ仁左衛門さん」と呟いてしまったのは私だけかしら。
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Unknown (雪樹)
2010-09-27 16:10:06
松嶋屋ファンさま

うわ~、たぶん『荒川の佐吉』へのツッコミ場所、同じかも~~。うん、うん、そうそこも!です。その場面、お新を責めすぎて佐吉の器が小さく見えちゃいますよね。苦労を自分一人だけ背負ったんだい、という粋がりがどうも…。なんだか、仁左衛門さんにこういうキャラって似つかわしくないんですよね。だからなおのこと戯曲のアラというか感覚の古さが鼻につく。もっとバカな雰囲気のある役者だと違ってみえるのかなあ。でも本来もカッコイイ役者のあてた戯曲なんですよねえ…む~ん。

役者をミーハー的に楽しもうにもやはり引っかかる。時代性を考えてもやっぱりあんまりだ~って思う。せっかくの仁左衛門さん、もっと何か違うもので観たかったです。夜の部の丹左衛門のキャラ立ちぶりを拝見してつくづく思いました。
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