goo blog サービス終了のお知らせ 

sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

2013年の映画感想リンク集

2013-12-31 | 映画感想リンク集
映画館で今年100本近く見たうちの75こくらい感想書いてます。
リンク貼るだけで疲れた。
みなさま、良いお年を!

「最強のふたり」
「カルメン故郷に帰る」
「壊された5つのカメラ」
「ビラルの世界」
「拝啓、愛しています」
「危険なメソッド」
「最終目的地」
「駄作の中にだけ俺がいる・会田誠ドキュメンタリー」
「ライフ・オブ・パイ」
「サイド・バイ・サイド」
「悲しみのミルク」
「風にそよぐ草」「カミハテ商店」
「ライク・サムワン・イン・ラブ」
「マリーゴールドホテルで会いましょう」
「みんなで一緒に暮らしたら」
「裏話監督が狂いました」
「日本の悲劇」
「アルゴ」
「クラウドアトラス」
「よりよき人生」
「シュガーマン」
「愛アムール」
「アンナ・カレーニナ」
「ザ・マスター」
「Playback」
「冒険者たち」
「情熱のピアニズム」
「アンダーグラウンド」
「ハッシュパピー」
「ウィ・アンド・アイ」
「ホーリーモーターズ」
「シャーリー/イメージフォーラムフェスティバル」
「はちみつ色のユン」
「セデック・パレ」
「ビル・カニンガム&ニューヨーク」
「アントンコービン」
「イノセントガーデン」
「世界でひとつのプレイブック」
「オース!バタヤン」
「イラン式料理本」
「グランドマスター」
「細雪」
「よみがえりのレシピ」
「EDEN」
「華麗なるギャッツビー」
「天使の分け前」
「嘆きのピエタ」
「熱波」
「風立ちぬ」
「パシフィック・リム」
「ペーパーボーイ真夏の引力」
「トゥ・ザ・ワンダー」
「オン・ザ・ロード」
「はじまりの道」
「図書館戦争」
「夏の終わり」
「スタンリーのお弁当箱」
「地獄でなぜ悪い」
「凶悪」
「ムードインディゴ」
「ルノワール」
「クロニクル」
「マリリン瞳の中の秘密」
「世界一美しい本を作る男・シュタイデルとの旅」
「NINIFUNI」
「凶悪」と「冷たい熱帯魚」のこと
「世にも面白い男の一生・桂春団治」
「野良猫」
「姿三四郎」
「イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ」
「ペルシャ猫を誰も知らない」
「ハンナ・アーレント」
「悪の法則」
「ウォール・フラワー」
「風立ちぬ」再考
「かぐや姫の物語」
「そして父になる」
「鑑定士と顔のない依頼人」

DVDなどで見た映画
「ルイーザ」
「ビフォアザレイン」
「フォローミー」
「八月の鯨」
「浮雲」
「雪の女王」
「イリュージョニスト
「シルビアのいる街で」
「監督失格」
「1900年」「暗殺の森」
「アジョシ」
「キッチンストーリー」
「オールドボーイ」
「悪い男」
「おばあちゃんの家」
「ブエノスアイレス」「ブエノスアイレスの夜」
「オルランド」
「夫婦善哉」雑感

感想書いてない映画
映画館:「拝啓、愛しています」「ファウスト」「メモリーズコーナー」
「カミハテ商店」「ザ・フューチャー」「レ・ミゼラブル」「千年の愉楽」
「さよならドビュッシー」「砂漠でサーモンフィッシング」「舟を編む」
「シェフ!」「さくら散る」「きっとうまく行く」「ガレキとラジオ」
「この空の花長岡花火物語」「東京シャッターガール」「秋刀魚の味」
「東京物語」「早春」「かぐや姫の物語」「ふたりのアトリエ」
「47RONIN」「そして父になる」「大統領の料理人」「キャプテンフィリップ」
「ファイアーbyルブタン」「ニーナ ローマの夏休み」「私が靴を愛するわけ」
「清須会議」「ゼロ・グラビティ」
DVD:「村の写真集」「東京公園」「幕末太陽太陽伝」「ギリギリの女たち」
「ガリア」「穴」「ぐるりのこと」
「ピナ・バウシュ踊り続けるいのち」「プリンス&プリンセス」
「アズールとアスマール」「海の若大将」「ハイハイ3人娘」
「小早川家の秋」「軽蔑」「抱擁のかけら」「おじいさんと草原の小学校」
「チキンとプラム」「7デイズ・イン・ハバナ」「レイチェルの結婚」
「茶の味」「川の底からこんばんは」「ツリー・オブ・ライフ」
「宇宙人ポール」「悪い女青い門」「悲夢」「マザーウォーター」
「五感度」「オランダの光」「いのちの食べ方」

映画:鑑定士と顔のない依頼人

2013-12-30 | 映画


地味な映画かなぁ、サスペンス好きじゃないしなぁと思いつつ、
美術は好きだしオークションのシーンも楽しそうだし
主演が→「英国王のスピーチ」で、王のスピーチを直す変人役の
ジェフリー・ラッシュがすごくよかった俳優なので見てみました。
他に、若い女たらしだけど腕のいい修理屋に、
→「クラウド・アトラス」に出てたハンサム、ジム・スタージェス、
ジェフリー・ラッシュの相棒役にドナルド・サザーランド。
監督はイタリアの名匠ジュゼッペ・トルナトーレ、
音楽はエンニオ・モリコーネ。
こういう紹介文書くと、映画レビューっぽいねぇ(いつも面倒で書かない)。

サスペンス、とあるけど、あんまり意識しないで見られました。
とてもいい映画なんだけど、
ラスト、これはもう、胸がつぶれます。残酷な話だ。
死ぬよりつらい、生きていても意味がないような人生しか
残されていない終わり方なのです・・・。

ジェフリー・ラッシュは、人間嫌いの孤独な変人だけど
その鑑定眼と鮮やかなオークションさばきの手腕で何不自由なく富と名声、
そして秘密部屋の壁一面を飾る(正確には3面)美しい女性の肖像画に囲まれて
それなりに満ち足りて暮らしている美術界の大物。
オークションで好みの肖像画を手に入れるための相棒がサザーランドで
これって、人より優れた審美眼を使ったインサイダーじゃないの?って思うけど
まあ誰もわかんないんだからいいのか(?)。
ある日、なき両親の家財道具を査定してほしいと若い女性からの電話が来る。
なんどか待ち合わせをしても姿を表さない女性に腹を立てながら
次第に距離を縮めて行くことになり、やがてお互いを信頼するようになり、
彼女の姿を見ることができたときには、もう恋に落ちていて、
でもそれは悲しい結末へのプロローグだった・・・というようなお話。
いや、最後のどんでん返しとか、ネタバレになるから書けないのよ。
わたしはわりと最初の方から、この人はちょっと怪しい、と思ってる人がいて
それは当たってたんだけど、それだけじゃなくて、もっとびっくりで、
やっぱり最後のところでは、主人公と同時に心臓がとまりそうになった。
ネタバレ避けると、感想書きにくいなぁ。


彼は決まった一流レストランで、自分専用のイニシアル入りのグラスと食器で
優雅に食事するのですが、その時も手袋は取らない。
ケータイも持たず、人のを借りる時はハンカチなどでくるんで
自分にじかに触れないようにするほどの潔癖性。
潔癖性というよりは、とにかく他者を拒絶しているということのようです。
誰も信じてないし信じたくもない。孤独だけど寂しい人ではなかったのです。
自宅には上等のスーツ(アルマーニらしい)や何十、何百の手袋の並んだ
クロゼットがあり、とても整然としていて完璧。
スーツの着こなしも、何から何まで完璧な紳士です。
そういうの見るだけでも楽しめる映画でしたね。

そのレストランであるとき、店側が誕生日のケーキを
サプライズでサービスするシーンがある。
丸いタルトの真ん中にろうそく1本。
でもいつもひとりで食事する彼は、ろうそくの火のついたケーキを前に
憮然とした表情でじっしてといるしかない。
結局ろうそくが随分燃え尽きるまでじっと見つめたあと、
ケーキには口を付けずに帰るのですが、
「お口に合いませんでしたか?」と聞く店の人に
「誕生日は明日だ。ではまた明後日」と言ってすっと帰る。
こういうシーンでも、どことなくユーモアはあるシーンだけど
彼の孤独は見ている方が気まずくなるほど、感じられます。
彼には元から身内がなく孤児院で育ち、孤独が自然だったのです。

でも、それで満足して彼なりに満ち足りて生きてきたのです。
わたしは、それはそれでいいと思う。
ういう人を、かわいそうな人とか言うこともあるのだろうけど
わたしはそうは思わない。
人との繋がりとかって、別にいらない人にはいらないし
美しい肖像画の方がずっと素敵だと思うのもありだと思う。

なのに、何十年も一度もしたことのないこと、人を信じて愛する事を
してしまうのです、主人公は。
それによって彼には大きな変化が訪れ、彼女だけでなく
人を信じやすくなったし、手袋も完璧な装いも必要なくなる。
人と笑い合いながら食事をする楽しさを知る。
これだけ頑なな人が老人になってから、そんな風に
初めて心から信じた物に裏切られると、もう取り返しはつかないですね。
人生いつからでもやり直せる、なんて大嘘です。
もう二度と立ち直れない。生きても死んでも同じ、という日々があるだけ。
ずっと孤独で、愛する肖像画に取り囲まれていればよかったのに・・・。

前半、電話の声でしか出てこない女性ですが
すっとしてきれいな女優さんです。
でも電話の声の時には、ちっとも魅力的には聞こえなかった。
声は悪くないんだけど、内容が、その場しのぎのいいわけを、
取り繕ってばかりのセリフなので、頭悪そうに聞こえて、
なんで主人公がそんなに惹かれたのかがよくわからなかったけど、
もしかしたら主人公は、実は
誰かを知りたい、信じたい愛したいというような部分が
自分でも知らない部分にあったのかもしれませんね。
これだけ孤独に馴染んで生きてきた人にも、そういうところは
どこか奥深くにあるものだったのかもしれない。

映画:そして父になる

2013-12-29 | 映画


福山雅治命の友だちに
PVとしてだけでも十分いいから見て!と言われて、
最近リリーフランキーの上手さに食傷気味だけど見てきました。
いや、よかったです。

最初の五分で、落ちついた静かな場面なのに
この映画に必要な情報をすべてうまく描いているのもすごいけど
その五分で、しみじみと是枝裕和監督の作品だとわかるところもすごい。
その時点で、わたしは安心して見始める事が出来ました。

お話は、子どもの取り違え問題。
子どもが6歳くらいの時に発覚するんだけど、驚いたのは、
こういう場合ほぼ100%実の子をひきとる結果になっているって言われるとこ。
6年間自分の子と思って育ててきた子を、忘れられる?
いやぁ、ないわ、無理、絶対無理、と思いながら見てました。
映画では、双方悩みながら、一旦は実の子を引き取ってみるけど・・・

双方の家は経済的な差も大きいけど
それに付随する?文化的な差が、もっと大きい。
福山雅治はエリートで、整然と片付いたモダンなマンションに住み、
妻は専業主婦で、子どもは小学校受験をさせて私立へ。
(この妻の実家は、もっと庶民的な感じで、奥さん自身も
 文化資本格差への抵抗は福山よりは少なく見える)
もう一軒がリリーフランキーの家庭で、
小さな電気屋の古くて狭い家に住んでて
子どもは3人、キャラクターグッズとか身につけてゲーム機に夢中。
妻はお弁当屋でパート。
他にもこまごまと、両家の違いが描かれています。
最近個人的にも、家庭による文化資本の蓄積格差についてよく考えるので
この辺は、、あれこれ考えさせられました。
うちは経済的にはリリーフランキー型ですが、
育児に関しては、かなり徹底して福山家型で来たように思うので、
どちらの家の雰囲気もよくわかります。
福山家では、テレビがつけっぱなしという事はなく
決まった番組だけを見るのだろうと思うし、
子どもにはゲーム機ではなく本や楽器を与えるのだろうし、
外食はファストフードやファミレスではなく
レストランに連れて行き、マナーよく食べさせるのだろうと思う。
リリーフランキー家では、休みはモールに行き、イズミヤで服を買い
ファミレスで食べるのが恒例で、
冬はコタツで寝転んで缶チューハイを乾き物を肴に夫婦で飲みながら、
だらだらとバラエティ番組を家族みんなで見ているのだろうと思う。
こういう違いって、それぞれ自分の家しか知らない人には
埋めがたいような大きな違いだったりするんですよねぇ。
そういう部分、すごく気持ちを揺すぶられたし考えさせられます。


この映画の結末は、その後どういう結果になるか難しいところかもしれないけど
なんとなく、わたしは大丈夫な気がする。
自分自身が子どもを育て終わって、
ああ、ひどい状況でひどい環境で育てたけど
それでも何とかなるもんだなーと思っている最中だからかもしれないですが
もうこの子らには隠す事もないんだし
オープンにして好きなように行き来させたらいいんじゃないかと思うのです。

この映画では親の苦悩は描かれているけど、
この親たちは子どもの将来などについては考えてはいるものの、
子どもの方につく心の傷にあまり配慮していない気がする。
実の親の元に行くとしても、
6年間信じてきた育ての親に、捨てられたという思いだけは
与えては行けないし、
また育ての親の元に残るとしても
実の親は自分をいらなかったんだと思わせてはいけない、それが
一番大事な事とわたしは思うんだけど。

だから映画の中の最後の選択は、よかったとわたしは思います。
実の子じゃなくても、どんなに大事で愛しているかが伝わったと思うし
実の親の家とも、どんどん行き来すればいいと思う。
違う種類の家庭と違う種類の親とを
ダブルで持てるのはラッキーと考えられるくらい
どちらからも愛情を注ぎあえばいいと思う。
文化的な差も飲み込んで行けばいいと思う。

そして、福山雅治ですが、わたしは特にファンというわけではないんだけど
それにしても、いちいちかっこいいです。
ちょっといやな感じのところもある役なんだけど
それはそれとして、ごく普通の日常生活の中でさえ、何をやっても
全ー部かっこいいのは、ちょっとどうなの?って思うほどです(笑)。

あと、リリーフランキーの家の子どもの関西弁?は自然だったけど
リリーフランキーのあの微妙な訛りは、ない方がよかった気がする。

映画:かぐや姫の物語

2013-12-28 | 映画


辛口の人でも、ほめてる人が多いので
期待して見に行ったけど、うーん。まあ、期待しすぎはよくないな。

↓こういう褒め言葉をよく目にするけど
>とにかく全編あの作画で描かれた絵が動いてるだけでもすごいが、
>コピーに書かれた「姫の犯した罪と罰」の意味が多層的で深く、
>見終わった後のどっしりと心に重しが残る作品。
>高畑勲監督すごい。

うーん、うーん。
お金も時間もすごくかけて丁寧な仕事してあるんだと思うけど、
そこまでの効果はない気がするんだよなぁ。
「絵」としてみると全然よくないけど、「アニメ」としてみると
ほめないといけないものなのか、やっぱりアニメってわかんない。
「アニメとしては」という見方を知らないわたしがダメなんだろうけど。
それに姫が絶世の美女ということなんだけど
かわいいけど絶世の美女には見えない、全然。
やんちゃな思春期の、ちょっとかわいい少女、くらいにしか見えない。
それでは、彼女の美しさをモノとしてしか見ずに大騒ぎをする
世間というものの説得力が足りない。
もちろんこの時代、姫の顔を見る事が出来たのは
家族と使用人くらいで、噂が噂をよんで大騒ぎになるんだけど。
一番最初の、竹の中から出てきた手のひらに乗る小さい姫の時が
一番かわいかったなぁ。

そして「姫の犯した罪と罰」ってどんな深い意味があるのかと思ったら
あまりにありきたりでがっくり。
多層的だとしても、それもありきたり。
驚きが全くない映画だったんですよ、わたしには。
罪と罰、ってドストエフスキー思い出すでしょ。
あれ思い出したあとで、これ見てもなんだかなぁ。
いえ、悪くはないです。
けっこう楽しく見ました。でもそこまで、ほめたくないなぁ。

お話は、かぐや姫のお話ですから誰でも知ってる。
竹から生まれたかぐや姫を、おじいさんは高貴な姫として育てようと
竹から出てきた金を使って都に引っ越します。
でも村の自然の中で走り回って過ごした姫には
都の生活は篭の鳥のように窮屈で退屈で不幸。
村で仲の良かった子どもたちも懐かしい。
美しく育って、高貴な公達が求婚にくるけど
姫は知らない人と結婚などしたくないので難題をふっかけて追い返すが
天皇までが求婚してきて、逃げられなくなり、姫の心が叫んだヘルプを受けて
月から迎えが来て連れて行かれてしまう。

うーん、どこにも新機軸がないと思うんですけど・・・。
姫が自然の中の生活の方を志向していて、都の生活が不幸なところも、
月からの迎えが人智を超えた物で人間にはどうしようもないところも、
人の世は生き生きとしながらも嘘や汚れたところもあって
喜び悲しみ清濁こもごもなのに対して
月の世界には悲しみはないけど喜びもときめきもないこととの対比にしても、
なんかあまりに当たり前と言うか
考えさせられる部分がひとつもなかったんですけど。
「アニメにしては」深い、ということでいいのでしょうか。
やっぱり、アニメわかんないわ~

そして
最後の方のシーン、かぐや姫が村で仲良しだった近所のお兄ちゃん捨て丸と
再会して、一緒に生き直そうみたいな雰囲気になるシーン、
いや、このふたりの飛翔シーンは素晴らしいとは思うし、
実際にやり直せるはずもないことはわかっていての、
夢のようなシーンなんだけど、
それにしてもさっきまで横にいた妻子のことを一瞬で全部忘れていいのか?と
ちょっと突っ込みたくなりました。笑

ワインテイスティング

2013-12-27 | お弁当や食べ物
ワインは、昔30年近く前に、ソムリエ教室通ったことがある。
フランスワインについては自分でも少しは勉強した。
でも、すっかり忘れちゃって
自分で買って家で飲むお酒は赤ワインだけなのに何も覚えてなくて、
いつもテキトウに店頭の千円ワインを買うだけでした。

でも友だちに、素敵なワイン屋さんできたから行こうと言われ
感じのいい美人のやってるワイン屋さんに連れてってもらい
そこで選んでもらった何本かのワインが
2500~3000円の価格帯のものだったけど
もういつものワインと桁違いにおいしくて、
いつもは千円ワインでそれなりに満足してるわたしだけど
これだけおいしいなら、いいや、と、幸せな気分で飲みました。

その後、そのお店で、ほぼ実費くらい?で、友だちとじっくり
ワインテイスティングのようなことをさせてもらう機会がありました。
この日はイタリアはトスカーナの赤ワインを3つくらい。

最初に一番好きと思ったのが一番安いワインだった口が庶民のわたし。笑
2番目の、カベルネゾーヴィニヨンがブレンドされてるのは
少し置いたらおいしくなったけど、
一番高いのは、なんだこのぼんや~りした味は、と最初思った。
(いいワインに慣れてない物で、味がわかってない・・・。笑)
それが30分、1時間置いておくと、
どんどん香りがよくなって、おいしくなってきて、ああなるほどなぁ。

そして久しぶりワイン屋さんの話聞いて、いろいろ思い出しました。
忘れたつもりの昔勉強したワインのあれこれを、どんどん。
ワインは面白い。
そして、ワインのことだけではなく、
これからもっと、世の中のすべての色や匂いに注意して生きよう。
色や匂いや味や口当たりや、全部のことを感じるには
普段からもっと注意して生きていないとなぁ、と思ったのでした。
こういう勉強は楽しくていいよね。


とか思いながら、結構飲めるわたしたちは
テイスティングどころじゃない量を飲んで酔っぱらった上に
(ひとり1本ずつは、あけた気がする・・・)
このあと3軒ハシゴしたのですが。。。笑


これはボジョレーの樽。
ボジョレーはおいしいと思ったことが特になかったんだけど
ここのはおいしかった~。

映画:風立ちぬ再考

2013-12-26 | 映画
自己実現ということの何と軽薄で浅ましいことか、というようなことを、
1時間半風呂の中で考えていました。
自己実現。なんだかやな言葉。


映画「風立ちぬ」の主人公についてこう言ってる人がいた。
>美しいものが好きで美しいあいだだけ好きで美しいから好きで、
>自分の仕事は1グラムだって削る気はなくって、
>そばにいないで長生きするより早く死んでもそばにいてほしくて、
>そういうのは絶対に「正しい」恋ではないんだけれども、強烈に魅力的です。

そうだなぁ、わたしが
身勝手に好かれることに腹を立てたりできないのは、こういうことです。
正しい自尊心とプライドで正しく自分を大事にしてもらう恋には、
つい退屈してしまう。
正しくはなくても強烈に魅力的なものには屈してしまうのです。

「風立ちぬ」を恋愛映画としてそういう風に見ると
「リービングラスベガス」という映画を思い出します。
ニコラス・ケイジがアルコール依存症で、妻子にも捨てられた脚本家で
ラスベガスに死ぬまで飲もうと、やってくる。
そこである娼婦と出会い、破滅へ向かう道を一緒に過ごし・・・
この映画のニコラスケイジはとてもいいんだけど、
ニコラスケイジ自体あまり好みではないので、
できれば好みの俳優で見たかったかも。
娼婦役のエリザベス・シューもよかったなぁ。
愛した相手が破滅を望むなら、その邪魔はしないで側にいて、
破滅するまでをそばでじっと見ているというような映画です。
愛している分だけ余計に、いっそ早く死んでくれと思いながら。
愛というのは建設的な幸せだけを志向するもんじゃないんだと思う。
破滅に向かう人を、救おうとするのがわかりやすい愛なのでしょうが
ただ寄り添って好きにさせる形もあるとわたしは思う。


さて、「風立ちぬ」はもう、すごくやる気のない簡単な感想は書いたけど
改めて考えてみて、
あれを、夢を見る自分勝手な男と、耐え忍んで尽くす女という風に考えると、
なんだか釈然としなかったり不快だったりする人がいるのはわかる。
古い日本のよくない関係のように思う人がいるのもわかる。
そういう感想を読んでそういう映画かと思って見に行ったのでしたが、
でも、わたしは結構素直に見て、不快でもなんでもなかった。
それは、あのヒロインが男の夢に耐えて尽くす女、とは
考えなかったからだと思います。
もし自分が彼女なら同じことをしたろうと思う。

彼の仕事への情熱を「男の夢」とか「ロマン」とかとは、思わないんです。
男の夢やロマンには、自己実現のイヤな臭いがするけど、
あの主人公には、そういうものは全然感じないじゃないかと思う。
夢、はあるかもしれないけど、それは彼の夢ではなく、人類の夢でもなく、
ただ獏と目の前にある、向かうべきものなのでは。
主人公と、彼のやっていることやりたいことの間に、
自己実現とか、夢を叶えるとか、そういうものは感じなかったよ。
なんというか、別物なんじゃないのと思った。
彼に取って、理由などなく、向かわざるを得ないもの、というだけで、
そこで彼の自我は何の主張もしてないんじゃないの。と、思ったのです。

そして、そういう人を好きになったら、もう仕方ないんじゃないの。
耐えるのでも尽くすのでもなく、
どうせ死ぬならきれいに、一番好きな人のままで死にたいって思っちゃう、
わたしが彼女ならやっぱりそう思います。
だから彼女は身勝手な男に尽くしたわけではなく
耐えてたわけではなく、彼女は彼女のわがままを通したんじゃないの?
そして、彼は彼女のわがままを許して受け入れてあげたってことだと思う。

初めて好きになった人のことも思い出しました。
今でもそうだけど、わたしは人に要求するのが苦手です。
好きな人にももちろんそうで、何も求めなかった。
もっと、わたしの気持ちに見合うだけのいろいろを要求して、
しがみついていればよかったのかというと、
そうじゃないと今も思います。
やせがまんでも、すっと、
きれいなままで付き合って、きれいなままで別れて、
わたしは彼が、わたしを忘れないことを知ってる。
それは、わたしがガマンして耐えて尽くしたのではなく(そう見えただろうけど)
わたしのわがままだったんだと、今も思う。
「風立ちぬ」のヒロインと違って、今も生きているわたしが、
そんな恋愛しかできないのは馬鹿なことかもしれないけど、
自己実現などというような、つまらない自分の夢を叶えたいのではなく、
ただ目の前にあるやるべきことの大きさに自分を失くして向かってる、
そういう男の人を好きになると、やはりまた同じように何も要求せずに、
きれいでやさしいままでいたいと思うのだろうなぁ。

映画:ウォール・フラワー

2013-12-25 | 映画


壁の花、という日本語はこの英語から来たんでしょうか。
これ、またアメリカのスクールカーストの大変さに
苦しむナイーブな青年を描く、系の映画かと思って
なんか期待もしてなかったし、見るつもりなかったんです。
「ライ麦畑で捕まえて」のホールデンの再来、とか言われて
ますます見る気なくしてた。
「ライ麦畑」は悪くないですよ。
でも大人になって読み返した時に
なんだか、ちょっとうんざりもし、
また古くさくも感じてしまったことを覚えています。
サリンジャーなら「フラニーとゾーイ」の方が断然好きだし。
「ウォールフラワー」の男の子には、斜に構えたシニカルなところも
攻撃的なところも偽悪的なところもなく、
みずみずしい感性を持った、素直で優しい子なのです。
それはすでに多くのことを、諦めている優しさでもあって
親友が自殺してたり、自身もメンタル壊れて入院してた過去があるんだけど、
それなのに暗く鬱屈したりシニカルになったりせずに、
静かな目で、ほんの少しの期待をこっそり持って
やさしく世界を観察している男の子なのです。
諦めている人特有のやさしさにわたしは弱い。

同じように、アメリカのスクールカーストの犠牲になって?爆発した
「クロニクル」の少年の自分勝手さと違って
「ウォールフラワー」の男の子はなんてやさしく広い心の子だろう。
病んでしまうのも仕方ないくらいのやさしさ。
でもラストは明るいから、何度も見たいなぁ。

親友が自殺して、自分も心を病んで入院してたチャーリー。
高校生になり、友だちもなくひっそりと高校生活を送っていたんだけど
国語の先生は彼を理解してくれるし、家族も優しく仲がいいし
救いのない感じではないんですが、やはり寂しい。
でもあるときサムとパトリックと知り合い、仲間の友だちも増え、
段々高校生活がカラフルになって行きます。
サムとパトリックは親同士が再婚して義兄弟になった仲良しだけど
それぞれに問題は抱えていて、
サムは幼い時からの体験で自分を大事にできないし
パトリックはゲイなんだけど恋人がふたりの関係を隠すことがつらい。
だけどそれぞれ支え合って楽しく過ごしてたんだけど、そのうち
チャーリーを仲間の女の子が好きになって付き合うことになります。
でもチャーリーはサムが好きで、状況は混乱する。
さらにチャーリーは幼い頃から封印していた
ある忌まわしい記憶を思い出し、心のバランスを崩しはじめ
・・・という感じのお話。

あらすじ見ると、やっぱりなんてことない青春ドラマなんだけど
これ時代はいつの設定なんだろう?
パソコンやケータイはなくて、好きな曲をカセットテープにまとめて
人にあげたりする時代。主役の3人がとてもいいけど
こういうディテールもすごくいいです。音楽も。
これすごくいいから是非!と言ってくれた映画好きの友だちに感謝します。

日本のクリスマス

2013-12-24 | Weblog
クリスマスは本来家族行事、
カップルですごすとか意味わかんない、系の意見を、しばしば見ますが、
家族がいなければ他の大事な人とすごしたっていいやん、といちいち思う。
あと、家族が好きでない人も。
そもそもクリスチャンでもない人がデタラメに楽しんでいるのだから。
いえ、悪い意味ではないです。
クリスチャンでもないのにクリスマス祝うなんて笑止千万、みたいな声も多いけど
確かにみっともないことかもしれないけど、まあいいやんと思う。
自分の神以外認めず殺したり殺されたりする状況が世界のあちこちにある中で、
よその宗教勝手に祝って浮かれるデタラメさも悪くないと思うのです。

イスラム国のマレーシアに長く住んでましたが、
クリスマスは街は、やっぱりキラキラしてました。
もちろんクリスチャン以外のイスラム教徒やヒンズー教徒たちは、
メリークリスマスとも言わないし、何もしないんだけど、
他宗教の人がクリスマスを祝うのは認めて受け入れているようでした。
まあクリスチャンでもない日本人がクリスマスを楽しむのは
不思議だろうと思うけど、非難されることはほとんどなかったと思います。
そういうゆるさというか寛容さが、
あの複雑な多民族国家を支えてる気がします。
だから、クリスマスに無邪気に浮かれて、
カップルでチキン食べて楽しく過ごせるのは、悪いことじゃないと思う。

「peace is an exceptional option」(→映画「ビフォアザレイン」感想
平和というのは、例外的なオプションである、って映画のセリフにあったけど、
こんなにいい加減に浮かれていても殺しあわない、
デタラメなクリスマスは、世界標準?で考えると
珍しいものなのかもしれません。

> @May_Roma: 日本ではピンとこないかもしれませんが、
>信者でもなく、神の存在を信じない人々が、
>宗教の行事をお楽しみだけのためにやったり、
>形だけ結婚式をやることは、
>自分の宗教に対する侮辱だと考える人もいます。
>宗教的なことを軽々しく考えると、大変なことになるのです…
>外国に行く人、外国で働く人、外国で勉強する人は、
>宗教的なタブー、宗教的なことを話す場合には注意が必要なこと、
>日本的な感覚は通用しないこと、
>侮辱だと受け止められたら殺されることもあり得ることは、
>理解しておいた方がいいですね。

この意見もその通りだと思います。
だからこそ、デタラメなお祭り騒ぎをしても、
誰も殺されない日本の状況は、わたしは悪く思えないですね。

フレデリック

2013-12-23 | Weblog
今日もいい天気。こういう気分のいい時には、
レオ・レオニの絵本フレデリックを思い出す。
フレデリックはみんなが働いている春や夏に、働かないんだけど、
色や暖かさや楽しいことをじっと集めていて、
冬にみんなが疲れている時にそれを披露する、というようなお話だったと思う。
(うちのどこかに絵本があると思うけど、うろ覚え)
アリとキリギリスのキリギリスのようには、ひどい目にも遭わず、
教訓らしきものもないお話だけど絵がきれいで、
自分のためてた色や匂いを人に味わわせられるなんて、すごいなぁと思ってた。
だって色や匂いや記憶って、自分自身にさえ、
中々ありありと再現するのってむずかしいもんね。

それで、こんな素晴らしいお天気で気分もいい朝には、
わたしもフレデリックのように、このいい気分を貯めておいて、
凹んだ時にありありと再現できたらいいのになぁと思うのです。
この朝の光やリビングのぽかぽかや、うさぎの草を食む音や、
午後に楽しい約束のある朝の全部を、貯めておいて
好きな時にそのまんま味わえたらなぁ。
寒くてひもじくてどうにもいやな感じの夜中なんかに。

でもわたしの記憶はあてにならないので、結局なんでも、
その瞬間にせいいっぱい味わっておくしかない。
まあ、それでいいのかもな。

あ、フレデリックは確かねずみです。

掃除片付け

2013-12-22 | Weblog
映画祭が終わって掃除できない言い訳がなくなってしまって
家の汚さに絶望しておりました。
百年の恋が冷めるレベルの、散らかった家ですが、
せめて30年の恋なら冷めちゃうレベルまでなんとかしよう、と決意。
ぽつぽつと、10年くらい触ってなかった場所も片付けて行ってます。
今の時期の大掃除というわけではないけど。

汚部屋といわれる人の写真など見ると、うちは全然きれいに思えるんだけど、
埃の量が違うのよ。
整理整頓は嫌いじゃない。埃がきらいなの。
きらいで、さわれないので、たまる。
マスクして、作業着来て覚悟を決めて埃に立ち向かうのだ。
あらゆるところに深く濃く積もっていて、
分厚い絨毯のようになってる埃を掃除しながら、
「積年」という言葉ばかり、頭の中をぐるぐるします。

「積年」退治にいそしもう。

でも、整理整頓は自分でやるから、せめて、
埃が消えてなくなる魔法がほしい。
その魔法を「掃除機」というのでしょうが・・・もっといい魔法下さい。

埃が怖いのは、バイキンが怖いんだろうなあと思います。
バイキンってなんやねんその実体のないような非科学的なものは、と思うけど
わかっててももう生理的に、このよくわからない「バイキン」が怖いのよねぇ。
掃除したあとは着てたもの全部洗うし、自分自身もお風呂に入る。
というか、お風呂の用意までしてから、掃除します。

というわけで11月後半からぼつぼつがんばって
自室のクロゼットとデスク周りと台所の食器棚の表面。
玄関も埃は一通り退治した。
リビングと自室とキッチンの表面は、ずいぶんきれいになった。
これで、もし人が来ても100年の恋も冷めるということは、もうないでしょう。
10年の恋くらいなら、まだ冷めちゃいそうだけど、
10年も好きでいてくれたら十分ですな。笑


このソファの後ろの壁に大きな絵をかざるか、
書棚を取り付けるかしたい気がいつもするんだけど、
なんか、ここはこのまま、どーんと白い空間のまま置いとく方がいい気もして、
結局10年そのままです。

もっとちゃんと片付いたら、
友だちを招待して、おいしいご飯を作ろう。
そういうこと、以前は、家庭が壊れる前はできてたんだよねぇ。
来年はもっと色々回復したいものです。

許す

2013-12-21 | Weblog
世界で一番憎んだ相手が父だったけど、今はそういう風に思わないので、
許したのか忘れたのかと自分でも思ってたけど、
同じことをされたら今でもやはり
死んでほしいと思うくらい憎むだろうと思いついた。
今の自分は彼の支配下にはなくて、同じことは、されないので
そんな風にはもう憎めないだけなんだけど。

結局自分は、されたこと、されることは憎んでも、
人を心底憎むことができないのかも、あの父でさえ。
罪を憎んで人を憎まずなんて、かっこいいこと言うつもりじゃないけど、
ひどい目にあっても、少し優しくされると全部許しちゃうとか、
そういうことなのかもなぁ。
今は父に支配されることも抑圧されることも、ほとんどないけど、
父の存在自体がそういうものだから、
彼が死んだら、自分を押さえつけてきた見えない巨大なものがなくなって、
逆にからっぽになってしまいそうな気もするよ。

11月の呟き:後半

2013-12-20 | つぶやき
お掃除の人が、すぐ掃除しちゃう落葉。
落葉の絨毯見るだけで、にっこりしてしまうわたしのために、
お掃除はゆっくりでいいよ。


朝は朝、夜は夜、である人々の電車の中、
いつまでも真夜中しか知らないわたし、
ひとり、ぽつんと、帰り道


世界は、明るすぎる。わたしの大事な夜の邪魔をしないで、


本当は、会うたびに傷ついてるのかもしれないけど。いいよべつに。
寝ます、おやすみ。


映画祭が終わって、呆然としたり寂しくなったりするかと思ってたけど、
ならないねぇ。
ぼーっとはしてますが。
年取ると、
感情が揺れるのを無意識にコントロールできるようになるのな。


昨夜友だちにたくさん怒られて、
状況がけっこうややこしくなっていることに、気づく。
でもそんなん、そのときの流れで変わるもんやし、
それってずるいのかな、と小声で考える。
ずるいことはしたくないんだよ。
相手の自由を尊重しすぎて、何も求めなさすぎるのが、あかんと。
でもそこは、多分ずっと変わらないと思う。
誰の自由も、ほんの1ミリも束縛したくないんだよ。


専業主婦で離婚されて途方にくれてる人がいて、
わたしくらいの年の方だっだけど、みんなに心配されて怒られてた。
それで世間知らずですみません、って謝ってらした。
同じ感じなんですけどね、わたしも。
いや、わたしの方がもっとダメ、人に頼れないから。
でも、あんなに頼りなげにできないんだよな。


そういえば、むすこは東京までポール聴きに行った。
大阪の公演にも行ったのにねぇ。
あ、息子の初東京かも。
多分わたしと同じで、息子にとっても、東京より世界の方が近い。
でも大学で、東京より北や東の地方から来てる人たちの多くにとって、
都会イコール東京であることにびっくりしてた。
東京より西は、ほとんどないことになってる感じ?
息子にとって、東京は知らない大都市ではあるけど、
単に世界の一部でしかないんだけどな。


アートは世界を救わないけど、わたしの気持ちの一部分を軽くしてくれるし、
ハグも世界を救わないけど、
わたしとあなたをひととき気持ちよくすることはできるし、
それ以上のものを世界のどこにも期待しない。


積年の恨み、というのは、よくわからない。
あまり長いこと覚えていられないしな。
去年くらいのことなら、まだムカムカしてることもあるけど、
多分もう2年くらい経ったら忘れてる。


うさこは、若い頃はホントに気が強くて、
女の子なのに飛びシッコでマーキングするほどで(男の子がよくやるらしい)
ケージの中だけでなく、お庭の敷物も、ことごとく
おしっこかけるわ、かみちぎるわ、だったんだけど、
ホントに年取ったなぁと、今日は思った。
新しい毛布に、くんくんしただけだもん。
垂直ジャンプも、ぶりぶりジャンプも
(からだをぶりぶりってふるわせながらジャンプする)
ばたんと勢い漬けてゴロンするのも、全部、
いつのまにかやらなくなったなぁ。
ミスドクッションといつも戦って、振り回したり、かじったり、
下敷きになったりしてたのに、もう何とも戦わないもんなぁ。
ちょっとさびしい。


大事なものを捨てれば捨てるほど、
かっこいい大人に近づくと思うんだけど、
ただのからっぽになる危険もあるな。
わりとなんでも捨てる派。
そのくせ、ちょっと愛着がわくと、
定規ひとつ、捨てられなかったりもするけど。
あと人にもらったものとか。

大事なものを捨てたり失くしたりした後悔や寂寥感だけ
スーツケースの隙間に詰めて、
どこでも外国人でいるのが理想。



米は悪魔!こたつと同じくらい、人間をダメにする。
栗ごはん2合食べてしまった・・・。


意地悪言われてもうれしい。


自分は詩に向いていないと思う。
わたしは言葉が多いし、削ると削りすぎるし、
推敲終わらないし、
選ばなかった無限の言葉に押しつぶされるし。
全方位的に、割り切れない人間なんだな。


京都に毎月行ってて、再確認したんだけど、
京都でないといけない、というものは、案外少ない。
自分の半径2キロくらいで、大体のものは間に合っちゃう、
被写体としても。陳腐な言い方ですが、青い鳥は手の中にあるよねぇ。


な、なぜ2時?
2時の神様に愛されてしまったとしか思えない。
3時の神様とは手を切った、はず。


街コンイベント招待で、恋愛心理セミナー付きってのが・・・。
「選ばれるための内面の育て方」「チャンスを生かすための外面の磨き方」
男脳・女脳を知るとか、モテファッションとか・・・うーん。
これに喜んで参加する人がもうキャンセル待ちって。。。。
そういう多くの意識高い?人たちと、
わたしも、わたしの好きになる人も、100万光年離れているなあ。
馬鹿で結構、だ。


【抗議】
なぜ、土日は週に1回ずつしかないのだ!?


カレーの食べたい時に、間に合わせにカレーパンを買って、
失望したことが何度もある。


男の人の肩を揉むのは難しい。
女の子みたいに柔らかくないから、中々指が入らないし。うまくできない。
女の子は、痩せててもそうでなくても肩こりの子はわかりやすいけど、
男の人は、よくわからない。
細い人と、がっしりした人で、全然背中の硬さが違う気がする。
がっしりした人で肩こりだと、わたしの小さい手では、手に負えん。


遊びに行かなくても、金曜の夜はゆったりしていいものだし、
遊びに行くと、それもいいものだし、金曜の夜はすてきだなぁ。


その日の気分にあった着たい服と、その日の天候や用が違うと、困るよねぇ。
今日は柔らかい薄いウールのワンピースに紺のストールを巻きたいんだけど、
今日行く場所は寒いので厚手のセーターとかの方がいいんだよ。
うーん、でも気分というヤツは中々手強いんだよね。


ダメな感じにふらふら歩いてると、
もっとダメそうな人たちに、優しくなれるので、時々必要。

うさぎがいなければ、鍵がなくても、
まいっかと息子のいる京都に行って飲んだくれてただろう。
うさぎがいなければ、1日1回家に帰らなくなるかもしれないなぁと、
ちょっと思った。
そんな無頼はこの年の女には似合わないのが切ない


サラサラヘアに何十年も憧れてたけど、
ふわふわヘアがいいと言ってくれる人を探す旅に出るべきだった。
ふわふわ系です。



配慮できてしまうって、つらい・・・


嫉妬はするけど、というか嫉妬深い方かもしれないけど、
自分の嫉妬心をうまくスルーする方法はわかってるので、
涼しい顔でいられます。
でもたとえば、好きな人が目の前で、別の人に恋に落ちて、
どんどんはまっていくのを見るなんてのだけは、つらいなぁ。


日の当たる場所で、うさぎが寝てて、寝息がすぴゅすぴゅ、
かわいくてもだえる。


貰い物の、SKのフェイスマスクを使った。
こういうの、特別な時用にと思ってると、
特別な時が来なくて期限がすぎるか、
特別なときが突然来すぎて間に合わないか、しかないとうことが
最近骨身にしみたので、
どんどん使いますよ。
さあ、いつでも来いよ、特別な時(笑)。


コーヒーをゆっくりいれられるようになって、
本が読めるようになってきたら、音もよく聞こえるようになってきた。
同じパソコンのiTunesの曲なのに、嘘みたいにちゃんと聞こえる。
いや、あんまり聞こえてないときも聞こえてないって自覚はないんだけど、
聞こえるようになるとびっくりするんだよ。

自分はどれだけ、自分を鈍くしてきたんだろう。
鈍くすることでなんとかやってきたんだろうと思う。
もう、そんなに鈍くなくてもやっていける頃なんじゃないかと思うので、
少しずつ目も耳も開いていくといい。


池澤夏樹が1冊もないので、やっぱ買わないと思ってたKindleだけど、
堀江敏幸があるなら買ってもいい。
えええー!1冊もない?なんでや。
三島由紀夫賞 芥川龍之介賞 川端康成文学賞 谷崎潤一郎賞 取ってても、
1冊もないの?どういうこと??
・・・と呟いたら友だちからのお返事が、
>本当、堀江さんが読める人は絶対親しくなれる気がする
Kindleさんとも仲良くしたいのに、難しいようです。
しかし別の友だちが、
>Kindleはもっともっと,
>sighちゃんを悔しがらせてあげてください( ̄д ̄)ノ
そういう意地悪言うと読みたい本が見つからない呪いがかかるよー


京都へ行く電車の横にいた子に、降りる直前に声かけたよ。
カメラ、FE2ですね、わたしと同じカメラだわ。
紅葉撮りに行かれるの?いい写真が撮れますように、って。
お天気がいいので、カメラ持ってぶらぶら遊びに行こうかとって、言ってた。
若いお嬢さん。にっこり。


某友人の奥様が、したたる色気を持つ方で、
あの、色気というのは生まれつきのものなのかどうか、考えております。
彼女はうんと若い頃から色気はあったと、わたしは思うんだけど。
若い頃からの友達で、年と経験を重ねて
色気倍増したという人は思い浮かばない。
ちょっと、女らしくなったとか、きれいになった、くらいなら、いるけど。
色気って、やっぱり生まれつきのもん?
あの色気は、モテるやろうなー。

そして、媚は身につくかもしれないけど、色気は難しいと思うのよ。
色気、いいなー。



今度ご飯でも食べましょう、とか今度飲みましょうね、とかいう約束を、
わりとちゃんと実現させたい方です。
多分来ない「今度」じゃなく。
12月はそういう「今度」をいくつか消化する約束を、
ぽとぽとと入れこんで行ってます。休みとお金が足りない。笑



今日も、手ぶらで男前な感じで飲みに行くで。



酔っぱらい意味不明へろへろツイートは卒業したい。
今仮免中くらいかな?笑


> みんな子どものときは創造的なのに、
>なんで大人になったらあんなにつまんなくなるんだろう。
・・・という呟きに対して、
友だち:自信を持って言えるが、僕は子供の時の方がつまらなかった
わたし:自信を持って同じく。

つまらん大人とおなじくらい、つまらん子どももいるよな。


若い子見てると、やれやれ、と思うことも多いけど、
まあこの年でも自分もあんまりかわらないんやし、
大人の温かい目、がんばります。


「おかあさんにはその頃、いいひとがね、いたのよ、」と、
風呂で読んでた小説の中のお母さんが言う。
いいひと、というのはいい響きだねぇ。
わたしのいいひとは、もう寝てるかなぁ。


朝からトニ・モリソンの小説を思い出して
やるせないやらやるせないやらやるせないやら。
痩せないに空目しないように。


新しい本の情報がわかんないので、
今時のいい本が全然わかんないままだけど、
既読の本でも、読みたいものを、少しずつ思い出しはじめて、
そして本を読んでいると、掃除と同じくらい、
何かが整理されてく感じがある。
本や、ちょっと長い文章は、焦りが強い?のか上滑りしてしまって、
読めなくなってたけど、
上滑りしながらも、ちょっと落ちついて、落ちついて、と
ゆっくりな音読の早さで、
1文字ずつ焦らないようにゆっくり読み始めると、
少ししたら普通に読めるようになってきた。


フィルムの写真は、すぐにアップしたりできないから、
iPhoneやデジカメの写真とは気持ちが違うんだろうな。
毎日これだけ大量に自己開示し続けているわたしが、
人に見せることを考えないでしていること。
そっち大事にするべき気がする。


人間はみーんな欠陥品。


もたれる肩ならわたしがあげると、女友達に言われましたが。
女友達は優しい、たくさんにこにこしてくれて、たくさんハグしてくれて、
たくさんかわいいといってくれる。
これくらいのことが、なぜできないのか、殿方たち。笑


わたしねぇ、編み物は少しできるの、カギ針編みだけ。
人並み程度ですが、まあ作りたいものは作れる。
編み物できると、女性としてダメっぽさが薄れるんだけど、
編み物出来る女性というイメージより、
酔っぱらってわけわかんない女の方が好きだから、
好きでダメになっていってるのなーと、思う。

編み物もできるし、料理もできる。
コンサバな服も似合うし、
上品なシーンで上品な人の間で浮かないようにすることもできる。
でも、そういうイメージが居心地悪くて仕方ない。
絵の具の着いたシャツ着て、化粧っけのない顔で短い爪で
缶ビール持って道であぐらかいてる自分の方がしっくりくる。
油断すると、編み物が出来て料理が出来て
コンサバな女に見えてしまうので困る。
そうじゃないのになー


結局一時間半、息子と息子の大学の課題のことで議論する。
いまだに、わたしの時代に習ったような、
アメリカの成功モデルをすべての前提に据えて話が進んでいるのが驚き。
あきれた。
30年前に信じられてたようなアメリカ中心のグローバリゼーションを、
そのまま通用させてるのも驚き。なんちゅう田舎もん思考。


ろくな男前でもない子を、周りがイケメン呼ばわりするのは、
気の毒だなと思う。

11月の呟き:前半

2013-12-19 | つぶやき
久しぶりに、ヒールのあるブーツをはいたので、
なんか、戦闘体制な気分。


大きなものを差し出す人は、大きなものを求めるもんだなぁ。
わたしは空っぽなので、何を差し出しても
何も求めないままとどまっていられるけど。


世界一美味しいみかん大福で、頭がいっぱいだったのに、
売り切れ(~_~;)
仕方なく、栗羊羹と栗きんとんと栗餡の生菓子とモンブランを買う。
どんだけ栗に飢えてるねん・・・
いっぺんに全部食べませんよ。
日持ち計算してます。
今日はモンブラン食べる。
和菓子屋さんだけど、ここの洋菓子はホントに美味いのよ、

みかん大福の不在は、かくも大きい


あ、今日はご飯があるんだった。
家にご飯があるって、帰る気になるよな。
朝自分で作ったものでも


4つあったプレイベントの3つに行ったけど、
地域に限定してる部分があるので、
規模的にはとても小さいイベントで、
内容的にもメジャーな流れになるものじゃないんだけど、
どれも、どひゃっと参るほど、面白かったんだよねぇ、予想を超えて。
これはなんなんだろうな。


つい先日わたしは友だちと、ういろっておいしいですか?
いやぁ、おいしくないでしょ、うんおいしくないよね、と
納得の会話をしたばかりなんですけど・・・、
ういろ大人気のTLで@つけて言う勇気がない・・・


人に見せるとき、言葉も飾るけど(Twitterでは飾ってないけどw)、
写真もちょっとまとめるときって、澄ました顔でいいかっこしたがる癖がある。
そういう写真だけど、基本的に近所のスナップなので、
結果的には澄ました感じにはなってないと思うけどな。


しまうまの「ばかー!」で始まって「仲良くやって行けるかも」を経て
「来た!」っていうのは、人間の彼氏のこととしか思えませんねと言われたけど、
ほんまや。
人間の方がいいです・・・(しまうまはプリントサービスの会社ですw


親でも子でも、人対人だからな。
わたしは子にムッと来たり、理不尽な八つ当たりしたりもしたけど、
子どもに常に正しく振る舞う親なんか、窮屈で気持ち悪いけどな。
親であるより、丸ごとひとりの人間である自分で、育てた。


酒飲みの女友達って、改めて考えるととても少ない。
ちょっとたしなむ人は結構いるけど、
本気で飲む人って、めちゃ貴重ということに気づいた。
いやいつも本気で飲まなくてもいいんだけど(笑)、本
気飲み会についてこれる子、中々いないなー。


映画祭アカで連続RTしまくるとなぜか途中でひとつふたつ、
アカ間違えしてる。
わたしの性質のかなり大きな特徴は「迂闊」ですな。


スマホもケータイも持ってないのにKindle2台持ち、という人を知ってるけど、
昨日の写真家の松江泰治はスマホもケータイも持ってないけどGPSは持ってて、
凝りまくりで、自分の移動を全部詳細に記録してるんだよ、
おもしろいよね~とおしゃってて、頭のいい人たちって、おもしろすぎ。
彼は子どもの頃からあんな感じだったろうと思う。
ザ・東大って感じだな。
ものすごい飄々とマイペースでした。
懇親会があったけど、こういう人は多分会話をするより
作品を味わう方がいい気がするので、
参加せずに帰りました、というか映画祭の力仕事の手伝いにいきました。
筋肉痛なう。


考えんとこと思うことと、思いださんとこと思うことが多すぎて、
アタマ動かすのがこわいわ。


肉じゃがを久しぶりに作って食べて、片付けしたあとで気づいた。
あ、ジャガイモ入れてない。肉じゃがちゃうやん・・・。疲れてます。


家では大体ワインしか飲まないし、夏は暑くてワイン飲まないので、
けっこうワインがたまってることに気づいて豪勢な気分です。
グラッパとか梅酒とか、昔漬けた梅カミュとか、ウィスキーや焼酎の瓶も
何本かたまってる。


遊ぶ、の内容が、夜中に大量のスープ仕込むとか、そんなん、

くつくつくつくつ
秋の夜、何か炊いてる音は、いいねぇ


会いたいと思う時に、それがただの動詞なのか、
替えられない目的語があるのか、
いつも考えすぎて、手遅れになってから気がつくんだよなぁ。


先週見たマリリン・モンローの映画の感想を今頃書いてたんだけど、
その時に伊集院静のことを思い出した。
昔、雑誌かエッセイかなにかで言ってたことがあって、
それは、女の人が年を取って、体もこころもだらしなく弛んできても
そのだらしなさも、かわいいじゃないかと思う、というようなこと。
ああ、また食べちゃった、まあいいか、というような、
自分に甘い女の人のダメさもかわいいじゃないか、と。
だらしなさなんて、もう人生の敵!でしかなかった
超ストイック志向わたしには驚きの言葉だった。
そこまで許しちゃうのか、かわいいと思えるのか、大人の男ってすごいなぁ。
そりゃ、モテるわ、この人、と思いましたですね。
そう言いながら、妻たちは美女ばかりでしたが。
いつの間にかわたしも大人の女になって、
自分のでも人のでも、敵!と思ってたそういう緩さ、だらしのなさを、
かわいいと思えるようになってきたです。


エステや化粧品のカウンターいくと、相手の肌が自分よりきれいじゃなきゃ、
説得力ないし、
自分よりはるかにきれいだと、
これは努力や節制ではなく生まれつきだな、と思うので、
やっぱり節制の意味があまりわかんない。


ストイックな娘でしたのよ、昔は。
でもやめた。好きにする。
人に白い目で見られるくらい、遊ぼう。


熱いそばを、優しい人と並んで、すすりたい。
BGMは、中島みゆきの蕎麦屋ね。


一人暮らしって、ちょっと油断するとホントに食べ物がなくなるし、
ちょっと買い物すると食べ物が余って、
腐る前にと必死で食べまくる羽目になる。
今後者状態。普段家では一日一回くらいしか食べないのに、
朝から一生懸命食べてます。


ベベチオの、♫今度の日曜日にあつーまって、
なにをしいよおかなー♪という歌が好きだなぁ。
今度の日曜日は映画祭だけど、日曜日に用事や約束があるのはいいことです。


この人の、自分の納得の仕方は、いいなぁ。
ちぇっ、て思うところは残しながら鷹揚に受け入れる様子が。
大人とガキのバランス具合が、非常に好ましい。いいなぁ。
もっとつぶやいてよ。


電子ピアノはピアノじゃない。
そして、スパークリングワインはシャンパンじゃないし、
うさぎの小屋はゲージじゃなくケージ!


ドーナツ買えばよかった。夕方の仕事の前に。
コーヒーに甘いもの欲しい。下さい。
さもなくば、優しい人を。


映画祭が終わったら、家をきれいにしよう。
買うものを買って、捨てるものを捨てて、人をよべる家にしよう。
掃除苦手だけど。パソコンもiPhoneも新しくする。
Kindleも買おう。
本を読んで写真を撮って、絵を描こう。


人に後ろ指さされるくらい、遊んでやろう、と思うけど、
小心者だから、中々できない。
若い時に今くらい自由だったら、
とんでもないことになってたかもしれないなー。
今ももっとワイルドに行きたいと思うけど、体力が足りない(^_^;)


心が自由であるというのは、柔軟で寛容で自然であるということかな、

そういう人が好きだな

静かでやさしい人でも、騒々しくて激しい人でも、どっちでも、
気持ちが自由で、ひとりで生きてるような人を、いつも好きになります。


なんか、最初にお会いしたときから
すごく優しく親しくしてくれる年上の人がいて、
そういう人なんだと思ってたら、
若い子としゃべる時にけっこう厳しい感じで話をする人だったのでびっくりした。
誰にでもそういう人なんじゃなくて、わたしが好かれてただけなのかぁと。
(女性ですそして、いつの間にか自分は、人に年上の大人の人として
 丁寧に扱われることのある年になってきたんだなぁ。
わたしには、すごく丁寧でやさしく好意を持ってくれる人が、
他の若い人にはわりとぞんざいだったりすると驚く。
中身は、そのワカモノとかわらないんだけどねぇ、わたし。


どんな映画が好みですかと映画畑の人に聞かれて、
メロドラマと答えるのはやめたい・・・
でも他になんと答えれば・・・?


うさぎカフェでのお仕事に、うさぎたちは向いてないと思うんだけど、
猫とかは平気なのかなぁ、ああいう接客業。
わたしの見たフクロウカフェは、大丈夫な感じだった。
ガラスの向こうで各自悠々としてた。
触ってもいいと言われたけど、フクロウは触る動物ではなく、
語り合う動物だと思うなぁ。


お風呂は素晴らしい。お風呂は素晴らしい。
もう一回言ってもいい。
お風呂は素晴らしいなぁ。
暑いときも寒いときも、気持ちいいなんて、なんて素晴らしい。
ほかほか。


今朝の夢は、真っ黒いライオンか豹かなにかの子どもが
うちに入り込むものだった。
追い出してドア閉めても入ってくる。
わたしには懐いてるようだけど、生きた動物を食べるし、
いつわたしも傷つけられるかわからないので、
こわくて追い出すんだけど、戻ってくる。
あれは自分の中の野生でしょうか。


鼻をかむティッシュが切れたと絶望してたら、
秘蔵の鼻セレブを見つけて、過去の自分を褒めてやる。


嘘は夢でもつかない
いや、つくかなw


なんで、人はのろけたくなるんだろうなぁ。
のろけたくてのろけたくて、でもがまんしてる、という感覚を味わいたいなー。
忘れそうや。


いろいろと、衝撃の多い「姿三四郎」だったわ。
加山雄三は何やっても、若大将なのなー。
加山雄三好きな人と、あまり仲良くなれる気がしない、、、


長い準備と、落ちつかない1、2ヶ月だったのに、
始まっちゃえば、すぐ終わるのねぇ、お祭りって。
あと2日だ。楽しもうっと。


寒いと、すぐ、さびしいのと間違えそうになるから、あかん


自分は、あんまり、お節介でない方だと思ってるんだけど、
それは意識的にお節介なおばさんにならないようにしているのであって、
油断するとつい、お節介なおばさんが出てしまうのです(^_^;)


そう、今日はすっごいきれいなイケメン見たんだった。
普通に様子のいいおとこは「男前」というわたしが、
「いわゆるイケメン」とか言わず、ずばっと「イケメン」というのは、
ホンマに姿のいい殿方の場合だけです。
わたしと同じ駅が最寄り駅で、映画もよく見にくると言ってたので、
また見かける機会もあるでしょう。
たまに目の覚めるようなイケメン見るのは、中々よいことですな。


古い映画「野良猫」見たけど、
古い邦画見るとよく思うけど、
戦後大阪のドヤ街とか、本当にひどい状況なのに、
なんでこんなに人は明るいのか。
年寄り世代に今の閉塞感の責任を全部押し付けているワカモノ世代というのがあるなら、
それって違うよなぁと改めて思うなぁ。絶対昔の方がひどいよ。

誰の責任にもしてないからかな。
どこへ逃げてもひどい状況だったから、
そこに仕方ない諦念があるからかな。
誰かのせいでこうなった、と苦しんでいる人は、
こういう飄々とした暗さではないもんな。

大きなカメラ

2013-12-18 | 写真
写真のプロの人に、よく、デジイチほしがる気持ちが不思議と言われる。
センサーが同じAPS-Cサイズなら、全然ミラーレスやコンデジでいいやん,
その方が軽いしいつも持ち歩けるし、いいと思うけどなーと。

でも、素人ほど大きなカメラをほしがるのよねぇ。自分含めて。
おっしゃることは、その通りで,プロの仕事さえ
それで間に合うことが多いと言われるのだけど、
こういうものは愛着ものなので、
使い勝手が悪くても好きなものは好き、で仕方ないものなんです。

それに、女性の場合
大きなカメラの方が安心してもらえることもある感じがする。
中年男性などは大きなカメラに長い望遠レンズつけてるだけで
通報されそうなこともあるようですが
女性はむしろ逆に
大きなカメラ持ってる方が、純粋に写真が趣味の人と思ってもらいやすい?

小さい子どもやペットなど撮る時に、
女性が使うのがスマホやかわいいコンデジだと、まずネットを連想してしまう。
興味本位でちょっと撮られてるみたいな感じがするんじゃないかなぁ。
でも大きなデジイチ持ってると
ああ、最近よくいる写真好きのカメラ女子ってやつね~と
警戒されにくいように思うのです。
わたしなどは、もう女子ではなく、すっかりおばさんなので
大きなカメラが似合わない気がするけど、
似合わない大きなカメラだからこそ
写真好きで、写真撮ってる人なんだなぁと安心されるような気が・・・。

写真好きの友だちと待ち合わせ場所に行ったら
先に着いてた彼女が一心不乱に、なんでもないものを撮ってて
その時彼女は小さなコンデジを持っていたので少し不思議な感じがした。
わたしもこんな風に不思議な感じに見えるんだろうなぁと思うけど
それが、やはり大きなカメラだと
しゃがみこんだり、よじのぼったりしても
写真が趣味の年配女性が何か撮ってると納得されやすいと思う。
ああ、写真撮ってるんだ、何かはわかんないけど何か見て
撮ってるんだなーと思いやすいんじゃないのかなぁ。

この前も、公園で草の中で遊んでいる小さい女の子ふたりがすごくかわいくて、
デジイチしか持ってなかったので、こそっと撮るわけにもいかず、
そばで見守ってらしたおばあさまらしき人に、カメラを見せながら、
とてもかわいいので撮らせていただいていいですか?と聞くと、どうぞどうぞと快諾。
小さなお子さんだし、もっと警戒されるかと思ったけど。
でもこれ、わたしが大きなデジイチを持った中年男性だと、微妙かも。
身なりがよければ大丈夫かなぁ?
そして女性の場合はこういうとき、大きなデジイチで
「写真を撮っている者です」と言う方が安心される気がする。

というわけで、いろんな言い訳を抱えて
今日も大きなカメラを、重い重いと言いながら持って出かけるのです。

人生で一番おいしかったスープ

2013-12-17 | お弁当や食べ物
一番好きな映画は?とか一番好きな言葉は?とかに全然即答できない。
モノゴトを決めるのが苦手な、中途半端な人間なんですけど、
人生で一番おいしかったミネストローネスープだけは即答できるんだよ。
あれ食べたいなぁ、こんな寒い日に。
でもその店の場所も名前も覚えてない、何度も行ったのに。

大阪の北浜のあたりの店だった。
最初、先輩に2度ほど連れてってもらって、
その後2つ年下の男の子を連れてったら
帰り道でキスされたという思い出もあります。
(30年も前だから時効ということでいいですか。笑)

メニューを見たことない店で、黙って座れば適当に出されるから
順番にそれを食べてって、
お腹いっぱいになったらストップかけるスタイル。
もちろん、あれ作ってとか希望は言えたけど
大体出てくるものを美味しく食べてた。
いつも最初に、このスープが出たのです。
店のおじさんは、ミネオさんという名前で明るくて楽しい人だった。
夏はひと月店を閉めてイタリアに行っちゃう人でした。

あのミネオさんの店のミネストローネスープが飲みたいよー

たいがいのものは、それなりにおいしく作れるつもりだけど、
あのスープは無理。
なんであんなにおいしかったのかなぁ。