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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

糖質制限日記:その後

2016-12-31 | Weblog
なんかSNSでもリアルでも、口を開けばダイエットの話題の女って、
すっごくバカっぽいよね。わたしですけど。バカだから仕方ない。
大晦日も、やっぱりバカなままです。今日もお寿司食べたし。笑

9月の初めから始めた糖質制限。
お米をこよなく愛するわたしには、ストレスが無いと言えば嘘になるけど
今までやってきた何十ものダイエットに比べるとずっと
わたしには向いてて、継続可能性のあるもののように思います。
丸4ヶ月で、体重的には5キロ減くらいで、
その5キロも前の冬に急に太ったのが戻っただけなので
あんまり痩せた気はしませんが、
夏までももう3キロくらい痩せたらいいなと思っています。
クリスマスから年末年始と、糖質制限と言いながら
ご飯もパンもパスタも食べていますが
さほどリバウンドすることなくなんとかやってます。
このゆるゆる具合がいいのかもしれない。

ちょっとでも太ると、痩せさえすれば人生も世界も変わるような気分になるけど
そんなことはなくて、
人生で一番痩せてて、華奢とか言われた頃でも
人生も自分自身も、大して代わり映えはしてなかったなぁ・・・
健康で、どこも痛くなくて元気に心も体も動けるのが
一番いいと今は身にしみてわかる年になりました。
とはいえやっぱりまだ痩せたい。(煩悩・・・笑

先日欧米の(アメリカの?)25人の女性の太ももの写真という記事を見て
半分以上は、かなりがっしりしたりぽっちゃりしたりの太ももだったけど、
彼女らは自分をいろんな場所に連れて行ってくれる自分の脚を誇りに思っていて
強くて頑丈な脚を愛しているというようなことが書かれてて、
自分の体が好きかどうかは、時代の流行や標準には関係ないんだなと思いました。
日本の女性は彼女らの半分の細さでも、まだ痩せたがってる人が多くて、
ついこの間も、元々かなり細い女性のライターの脂肪吸引手術のブログを見た。
そういうの見ると、世の中病んでるなぁと思う・・・
とはいえ、まだ痩せたいけど(しつこい。笑)

自分の体のパーツで一番好きなのは耳です。
形も大きさもちょうどいいバランスのとれた綺麗な耳と思ってる。
あとは肌。いつでもすべすべのなめらかな肌にさわれる幸せ。
それから左足の中指の爪。小指の爪よりなぜか小さくて
不恰好で丸い足のなかで、なんかいじましくてかわいい。
・・・なかなか痩せなくても、他の誰も気付かなくても、
こんな風に自分の中の好きなところを自覚して大事にしてやろうと思います。

みなさま良いお年を!

→今までの糖質制限日記

プリムラジュリアン

2016-12-30 | 小さいもの
植物を育てるのが下手すぎて、ガーデニングはしないんですけど(マンションだし)
ベランダにプランターは3つだけあって、たまに何かを植えています。
今は秋に買ったプリムラジュリアンが2株。

色は選べなくて、咲くまでわからなかったけど黄色と赤でした。
冬は、鮮やかな色って少ないので、
はっきりとした元気な色の花は健気だなぁと思います。

プリムラジュリアンはトップの写真のような花なので、ずっと
早く咲かないかなぁ、花が一斉に開かないかなぁと待ってたんだけど、
一月経っても花は増えるのに開かないまましおれるものもあって
肥料が足りないのか?と肥料入りの土を足したり
水やりに気をつけたりしてたけど同じで、うーん。。。
ふと多いついてググったら、わかった!なんと!
プリムラジュリアンにはバラ咲きという、花が開かない種類のがあるのでした!
この姿が正しい完成系だったのですね〜。

早く開け開けと無理を言いつづけて、ごめんね。

こんまる日々7:キッチン

2016-12-29 | Weblog
キッチンを新しくするにあたり、オーブンレンジの組み込まれてないやつにするので、
オーブンレンジを買わないといけない。
お店閉めたときに、まだきれいなオーブンレンジ、友達にあげちゃたんだけど、
なんでもすぐにあげたり捨てたりしてしまうのも問題だな・・・
喜んでもらえたからよかったけど。笑

キッチンと洗面を変えるのは、規格品のシステムじゃなく造作で作った
おしゃれっぽいのもいいなと思うけど、
予算の関係上、安い規格品をはめこむのが一番みたい。
なんだかんだいっても規格のシステムの方が合理的で使いやすくもあるだろうしな。
わたしの選んだ一番安いキッチンは、好みの赤がなかったけど、次善の赤でガマン。
リビングはあまり色を使わずにシックにしたいけど、
赤と白の組み合わせも好きだからキッチンはパキッと赤と白で元気にしたいのです。
キッチンの壁は面積少ないし、冷蔵庫動かしたりも大変そうなので
ペンキは塗らず、普通のクロスにするつもりだけど、床はちょっとカラフルな模様。
シックなのも好きだけどカラフルなのも好きなのです。

そして収納は少し減らす。ちゃんと整理したら壁の収納もいらないはず、と
シンクの上は簡素な棚をつけてもらうだけにする。
これからどんどん年をとるので、生活はもう、少しずつ小さくしていかないとね。

カタログ見てショールーム行って、あれこれ考えていますが、
思ってたほど楽しくない。お金がいくらでもあったら楽しいだろうけど、
最初の基本のシステムはかなり安いと思ってもちょっとずつのオプションで
結局倍くらい変わってくるのが恐ろしい。
そのことを、オプション地獄と書いてる人がいたけどまさに!笑
たとえば、フィルターのいらない最新の換気扇にすると、
古いやつよりプラス10万円高い。
でも今定期的に来てもらってる業者さんのお掃除がいらないなら、
10年くらいでもとは取れる・・・のか???
ガラストップのコンロで、5万円プラスくらい。
人工大理石のトップで2万円プラス。シンク替えたらさらに2万円くらい。
そういうオプションがいろいろあって、どんどん高くなっていきます。
この価格設定を見ると上手くできてるなぁと思う。
安い!と思って、何かもの足りない感じの基本システムを選ばせ、
オプションで少しずつ上げていく、
そのオプションがいちいち高いのよ。基本と比べると。ため息。
一番安い基本システムでも、今の自分のキッチンよりは
きれいで便利になるはずだからそれでもいいはずなんだけど、
この先10年20年使うかもと思うと、無理しても新しい方がいいかなぁと思ったり。
うーん、悩ましい。

ちょっとずつ決まってくるにつれ、あちこち必要なことや物が増えて、
少しずつ見積もり値段も上がっていくので、あれを削り、これを削り、
していかないといけないなぁ・・・。
リフォームなんて20年に一度だから、いい方にしとこう、と言う考え方は危険です。
気をつけて気を引き締めて削るぞ!笑

凶暴なくらい野生

2016-12-28 | 小さいもの
凶暴なくらい野生剥きだしで、無節操にどんどん繁る雑草の姿が好きなのに、
マンションの敷地内だと定期的にきれいに刈られてしまって、
なんだろうと調べてやっと正体のわかった草までいなくなってしまう。
先週もそれで、寂しく思いながらゴミ出しをしてたら、
ご近所の、たまに挨拶をする女性が、
すっかりきれいになりましたね〜よかった〜と声をかけてきて、
そういう風に考えたことがなかったので、1秒くらいびっくりしてから、
意味がわかり、そうですね、と愛想笑いをしました。
草たちはまたすぐ生えてきます。
そして今は冬で、すっかり裸ん坊な感じの芝生ですけど。

写真は秋のメリケンカルカヤ。
夏の終わりには緑色の茎がすっとまっすぐに一直線にシュッシュッと
上に伸びて、なんか面白いのですが、秋が深まると枯れ色の穂が出てきます。
これも冬になる前に刈られてしまいましたが。

初!顔見世

2016-12-27 | 芸術、とか
歌舞伎にはあまり縁がなくて、
興味がないわけではなかったんだけど、やっぱり元来小さいもの好きで
派手なものが苦手なこともあってか、
歌舞伎見るなら文楽がいいかなとなったりして、ちゃんと見たことがなかった。
テレビを持っていた時はテレビで見たことはあるし、
学生時代などに講堂での鑑賞入門みたいな舞台もあったし、
他にも何かのイベントで入門的なものを見たことはある気がする。
でもちゃんと見たことはなくて、今回歌舞伎を長く見ている友達に誘われて
行ってきた日の記録。
 

まずお昼をと、美味しいものしか食べてない京都の友達のオススメのお店へ。
わたしたち、たくさん食べるんです。お酒もたくさん飲むんです、と言って
おまかせで作ってもらったら、本当にたくさん出てきて
お酒もいっぱい飲んだけど酔っぱらうヒマがない。笑
 

 

 

 

  
とてもおいしかったし、ゆっくりくつろげました。2時間半は食べ続けてた。笑

お腹が苦しくてふわふわと散歩しながら、その京都の友達の日本画の先生の個展へ。
奥に細長い京都っぽい画廊で、作品を見ながらコーヒーをいただきました。
友達の先生は年配の男性で、暖かな人柄とウィットの感じられる
品の良い素敵な方で、その先生に、「この子はクセはあるけど性格はいい子なんですよ」と
言ってもらえる友達は、いい先生にかわいがってもらってるんだなぁと思った。


それから少しお茶をして、お腹が落ち着いてから顔見世。

この日わたし達が見たのはこれの夕方からの第三部でした。
一応予習はしていったので、イヤホンガイドなしで見たけど大丈夫だった。
それからいいバーでカクテルを少し飲んで帰宅。
いつも一緒に出かけるとさんざん酔っぱらうメンバーだけど、
昼に食べ過ぎたら酔っ払えないということがわかった。笑
楽しい1日だったなぁ。

ポンペイ壁画展とその植え込みの中

2016-12-26 | 芸術、とか
最終日に滑り込んで見てきた、ポンペイの壁画。
都会近くに住んでると、教科書に載ってる有名な古い美術作品を
生で見る機会は案外多いのです。(だってまず京都が日帰り圏内だもの)
海外の大きな展覧会も京都大阪神戸のどこかには、だいたい来る。
誰でも知ってる名作を、案外生で見てきたと思う。
でも大体、古典名作って平面絵画や写真が多い。
彫刻も少しあるけどそんなに巨大なものはあまりないように思う。
インスタレーションとかはほとんど現代ものなので
なんか時空を超えたすごい感じというものはないんですよね。
それが、あの、誰でも知ってるポンペイの壁画を生でみられるとは。
2000年前のイタリアの壁ですよ。それがここで目の前にあって見られる奇跡。
赤や青が鮮やかで美しく、なんか前にいるだけでぽわんとしてしまった。
考古学的なロマンに圧倒されます。

これは美術館の入り口にあったパネルですが、実物はもう少し小さな絵だった。
でも色はほんと、こんな感じのきれいな色で、びっくりしたなぁ。
ギリシャ神話を題材としたものが多い中で、選挙ポスター的な壁画もあって、
誰々をよろしくみたいな現実的なやつで、これもなんか面白い。
2000年前の実在の人の選挙ポスターですよ。いやはや。笑

しかしこんな壁たち、いったいどうやって運んだんでしょう?
無事届くまで担当の人の胃はキリキリ痛んだことでしょう。
帰りもあるから、まだ痛いままかな。
もちろん膨大な額の保険はかけてるでしょうが、
何かあったらお金の問題ではないもんね。

壁画は大体フレスコ画で、漆喰をその日の予定分だけ塗って、
乾く前に絵の具を塗っていくという描き方なのですが、
これ美大でワークショップあったのに受けられなかったのが後悔です。
一度やってみたかったなぁ。
でもまたいつか何か機会があるでしょう。

ポンペイといえば、壁画とは別に、2014年に映画を見たんだけど、
これが駄作ながらも結構良かった。もう一回見たい気さえする。
姫と騎士(奴隷だけど)の身分違いの恋というメロドラマで、ロマンチック。
奴隷役のマッチョな俳優が、好みじゃないのになんか頼もしくてやさしくて
キュンキュンしてしまった。
あとは当時のポンペイの街並みや、人々の様子、
ヴェスヴィオ火山大噴火のスペクタクルなど、案外見所も多い映画だったなぁ。

当日の朝に、今からポンペイ展見に行くと言ったら、
親切な友達がポンペイ展のチケット余ってるからあげるよと言ってくれて、
でも彼女は忙しく、わたしも時間が押してて約束をして待つ時間がない・・・
ということで、なんと
先に着いた彼女がチケットを秘密の場所に隠しておいて、
わたしに写メでその場所を教えてくれる、というやり方で成功!

すごくわくわくした!
センスある友達だなぁ。
本当にいいクリスマスになりました。

飲めない人と飲む時

2016-12-25 | Weblog
お酒飲めないって言いにくいようなタイプの飲み会は気の毒やね。
わたしは酒飲みですが、飲めない友達とも飲みに行くことがある。
アルコール度の低いカクテルや、おいしいノンアルコールカクテルの相談を
バーの人としながら作ってもらうのも楽しい。いやわたしは飲むけど。笑

飲めない人と飲みに行くときは、飲めない人が楽しいように守らなくては!と、
なんとなく使命に燃えてしまう。
飲めない人は普段バーとか行かないだろうから、
たまに行くときは楽しんでほしいよね。
でも、飲めない人があまりに飲まないとお店に申し訳なくて
(ノンアルコールカクテルさえお代わりしないと、つい)
わたしひとりどんどんお代わりしてガンガン飲んで酔っぱらってしまう。
馴染みのバーだとそういう気はあまり使わないけど、
バーという場所、好きだしね。

お酒が飲めてよかったことは多いです。
お酒を飲むと誰とでもなんでも楽しくなって本当のつきあいじゃない、
お茶を飲みたいと思う相手こそ本物だ、みたいな記事を
この前見かけて読んだんだけど、
わかってないなぁと思う。
酔っ払って楽しくなってる時に、それを永遠に続くなんて誰も思ってない。
小さいお祭りみたいなものです。
せっかくのお祭りなんだから楽しく過ごそうと思って楽しく飲むのよ。
お茶を飲んで楽しい相手もいいですがお酒を飲んで楽しい相手もいいものです。
お酒飲んでバカやりながら積み上がっていく関係もあるし、
そうでないその場限りの関係もあって、それはお茶だって同じと思うけどな。
一緒にお酒飲んで楽しくない相手だっていくらでもいるし。

自分はお酒が飲めてよかったと思うけど、
お酒を飲めない人でも飲まない人でも
仲良くなりたい人とは仲良くなりたいです。

悪意も差別も

2016-12-24 | Weblog
アンデルセンの「雪の女王」で、少年カイは雪の女王によって
心臓と目に鏡の欠片が刺さって、冷酷な子になってしまう。
今もそういう人たちがたくさんいると思うんだよ。
欠片がとけたらまともな人になれるはずの。
個人個人に対しては、そういうことを考えてしまう。
育った環境や受けた教育や今いる場所が、
雪の女王の、鏡の欠片になってしまっているだけの人も
とても多いんじゃないのかと思う。

ナイーブな考え方だと言われそうだけど。

メリークリスマス!

「羊と鋼の森」

2016-12-23 | 本とか
吉本ばななの「キッチン」は、30年前、ソウルに留学してた時に友達が
あなたが描きそうな小説と言って送ってくれた。
読むと、その頃自分が書いてたものと似た箇所があって打ちひしがれたのを覚えてる。
「羊と鋼の森」も、書評など見て、似た匂いがして読まなかったんだけど
友達が貸してくれたので読み始めたら面白かったです。
思ってたほどいらっとせずに、引きこまれて
カジュアルなバーの明るい席で、一気に読みました。
2016年の書店員の選ぶ本屋大賞の本です。

調律師の話なのだけど、
わたしは耳がよくなくて、音楽がわからないという思いがいつもあって、
ずっとずっと片思いで、楽器や調律に対してかなりの思い入れがあるのです。
だから素直に読めないかとも思って避けてたんだけど、全然大丈夫だった〜。
多分、わたしが十分大人になって、十分なにもかも諦めているからだと思う。

ある調律師の音色を聴いて、ピアノ調律師を目指すようになった青年。
調律師の専門学校を出て、楽器店に勤めるようになり
そこで先輩の調律師たちや、顧客の人々とふれあいながら成長していく。
「羊と鋼の森」はピアノのことですね。
ピアノはフェルトとピアノ線と木でできていますから。

登場人物は、一見気難しそうな人も意地悪そうな人もみんな
悪い人ではなく、それぞれ一生懸命で真面目で優しい人ばかりなので
読後感もとてもいいです。
漫画だけど「3月のライオン」をなんとなく連想しました。
主人公が、同じようなタイプじゃないのかなと思って。
淡々として前に出ることがなく、でも内に秘めた情熱はあるような
謙虚で物静かなタイプの男の子。

繊細な描写とよく言われているようだけど、
美しさや感動というものに誠実であろうとしている文章ですね。

「焦ってはいけません。こつこつ、こつこつです。」
 はい、と僕は答える。こつこつ、こつこつ。膨大な、気の遠くなるようなこつこつから調律師の仕事はできている。
「こつこつ、どうすればいいんでしょう。どうこつこつするのが正しいんでしょう」
 必死だった。息を切らせている僕を板鳥さんは不思議そうに眺める。
「この仕事に正しいかどうかという基準はありません。正しいという言葉には気をつけたほうがいい」

 美しいものを前にしても立ち尽くすことしかできない。器も山も季節も、そのままに留めておくことはできないし、自分がそこに加わることもできない。だけど、あれを、美しいと呼ぶことを知った。それだけで解放されたような気持ちだ。美しいと言葉に置き換えることで、いつでも取り出すことができるようになる。人に示したり交換したりすることもできるようになる。美しい箱はいつも身体の中にあり、僕はただその蓋を開ければいい。
 これまでに美しいと名づけることのできなかったものたちが、記憶のあちこちからそこにひゅっと飛び込んでくるのがわかる。磁石で砂鉄を集めるように、いともたやすく、自由自在に。
 枝先のぽやぽやが、その後一斉に芽吹く若葉が、美しいものであると同時に、あたりまえのようにそこにあることに、あらためて驚く。あたりまえであって、奇跡でもある。きっと僕が気づいていないだけで、ありとあらゆるところに美しさは潜んでいる。ある時突然、殴られたみたいにそれに気づくのだ。例えば、放課後の高校の体育館で。
 ピアノが、どこかに溶けている美しいものを取り出して耳に届く形にできる奇跡だとしたら、僕は喜んでそのしもべになろう。

「あああ、俺、血がにじむような努力ってやつをしてみたいよ」

「ピアノで食べていこうなんて思ってない」
 和音は言った。
「ピアノを食べて生きていくんだよ」

「木の名前を知ってるのは、ただそれだけのことなんかじゃないさ。実際、役に立つと思う」
「なるべく具体的なものの名前を知っていて、細部を思い浮かべることができるっていうのは、案外重要なことなんだ」


調律師の映画「ピアノマニア」と、
ピアノについての本「パリ左岸のピアノ工房」を合わせて楽しむと
もっとピアノのことが好きになると思います。

持たざるものにはわからない

2016-12-22 | Weblog
17歳くらいの高校生が誕生日に、
あーうちらオバンだわ〜人生終わりだ〜!とか言ってるのを見て、
ではわたしの人生3回くらい終わってるんですけど・・・と心の中で突っ込みながら、
女は25過ぎたら、もうどうこうと言う資生堂インテグレートのCMについて考える。
思うところはいろいろあるけど、これってそもそも25歳まで十分可愛くて、
自分の可愛さから得ることのできる特典を楽しんできた女子たちが
これからもうそれはないわ、というような会話みたいなので、
全然そういうキラキラ時代ののなかったわたしには、そもそもよくわからん世界。
もう何かがなくなる!というのは最初から、
一度もそれがなかった人にはわかんないことだよなぁ。
なくす、というのは持てる者だけの贅沢な悲劇なんだなぁと。

インテグレートのやつで思い出したこともう一つ。高校時代の女子校の、
派手でリーダー的な女の子のグループのおしゃべり。
いつも5号や7号のスカートはいてたのに、太っちゃって、とうとう9号買っちゃった。
9号のスカートなんか全然可愛くない。終わってる。人生終わりや、最悪〜!というような。
派手でおしゃれで自分たちが世界の中心みたいな女の子たちの他愛のないおしゃべり。
それを聞いている、その他の、派手でもおしゃれでもなく世界の中心は遥か遠い、
9号以上のサイズのスカートを履いている女の子たち。そういうの思い出したなぁ。

女子校というところは、わたしにはいろいろと過ごしにくい場所でありました。
10年通ったけど。
でも共学なら共学で、もっとイタい学生時代を過ごした可能性もあるし、
えっと、なにしろわたしに学生時代はなかったことにしとこう。うん。

「家をせおって歩く」

2016-12-21 | 本とか
ちょっと今すごい本を読んでなんかうれしくて震えている。
子供向けの本「たくさんのふしぎ」の一冊で、ネットで見かけて
すぐにポチったのが今日来たの。すごい好きだわー。

時々はっとするほど心の自由な人を見てはっとして、
すごく広々と幸せないい気分になって、
またはっと自分自身のことを思い出してがっかりする。

発泡スチロールで家を作って、それを背負ってあちこちで寝ているわけですが、
寺社やお店や個人の人と交渉し、家を置いたら
お風呂やトイレを探しにぶらぶらと出かけるわけです。
置き場所の決まった家は帰れる場所だし
トイレやお風呂が決まれば街全体が自分の家、という考え。
子供向けの本なので、楽しかったことだけ書いてあるのかもしれないけど
結構親切にされて、いろんなものをもらったりして楽しそう。
2014年には180回の引越し。2015年には60数回。
作者はアーティストの村上慧さん。
瀬戸内国際芸術祭にも出されてた方ですね。

本人の言葉より
人間がたくさん居るところ”のことを“人混み”と呼んでしまうのが嫌です。そんな僕自身も、僕自身のせいで“人混み”の中に括られてしまいます。なんとかしてこの状況を打破しなければなりません。他人が他人とすれ違い、それを他人が鑑賞するためにつくりました。

僕はあれを「家」と呼んでいるけど、その正体は、あの震災のとき、僕を動けなくさせたものを具現化したもの。家というよりも、僕が生きていく限り、連れて歩かざるをえない荷物のように思える。

いまや移動と言えば電車とか車とか飛行機にのるもので、まるでテレビのチャンネルを変えているみたいに見えて、もはや移動はほとんど脳内で行われているんじゃないかと思ってしまうぐらい。体を外気にさらしたまま移動しないと、断絶がおこってしまうのだ。


→持ち運べる発泡スチロールの家で移住する暮らし

こんまる日々6:古いスクラップ

2016-12-20 | Weblog
寝室のデスクの下の引き出しをこんまってたら、
2000年くらいまでの手紙の束がどっさり。ほぼ見ずに捨てました。
それから何か書き散らした紙もいっぱい。
ほとんど捨てたと思ったのに、また少し減らし、残りはおいおい。
(読みだすと時間がかかる)
あと、30年前にパリで買った紙やたくさん。全然きれいなので捨てられないわ。
それからスクラップ。20代くらいまでの。パリが好きだったのねぇ。
パリの特集とかたくさん。あと読むべき本や画家や写真家の特集の面白いやつを
ファイルにまとめたものとか。懐かしくも恥ずかしい。

引き出し2杯分くらいの、きれいなノート類は、使いきれるだろうか?
もうあんまりノートって使わないもんな。
それから、結婚した頃、毎月家の壁に貼るカレンダーと絵を描いてたのも数枚。
遠い目・・・。
でも結局8つある引き出しのうち半分がからになりました。とりあえず十分。

こんまりの小さなストレスは、いろんなゴミが出るのにゴミの日が翌日にないと、
しばらくゴミを家に置いとかないといけないことだな。でもすっきり。
捨てるのは気持ちいい。

断捨離ということが貧乏くさいし文化の否定だと言って嫌ってる友達がいるんだけど
それもそうだなと少し思う。
最近のお片づけ本の中には、全然いいと思えない片づき過ぎた家をよく見かけるので。
本当にすっきりと何もないきれいな家なんだけど、ちっとも居心地よさそうじゃない。
まあライフスタイルも人それぞれだからいいと思うけど、わたしの好みじゃないです。
人も家も余分なものや割り切れないものがあるのが、好きなんですよね。
だから断捨離よりこんまりの方がいいや。
こんまりは、無駄の排除や合理性命みたいなこと、あんまり言いませんから。
不必要なもの、ではなく、ときめかないものは捨てましょうと。
最初、ときめかないものは捨てましょうというこんまりを知った時
なんだかお花畑なお片づけだなぁと、あんまり興味を持たなかったのですが、
いろいろ片付けをやっていくうちに、これは中々良い考え方かもなぁと
納得するようになりました。
人にとって大事なものはそれぞれで、役に立たないものが大事な人だって
たくさんいるはずですもんね〜
無駄でも好きなものばかりで、多少散らかってる家が好きです。

・・・でも、多少散らかってても気持ちのいい家にするには、
かなり片付けないと難しい気はしますが。笑

孤独よりつらい

2016-12-19 | Weblog
核家族で、とか都会の孤独でとか、
育児中の閉塞感や孤独を聴くことが多いし、それもとてもよくわかるんだけど、
そのつらさって、そういう密室的な閉塞感だけじゃなかったな、と振り返って思う。
孤独とか密室ということなら、
頼る人の誰もいない海外子育ての方がつらそうに思うけど、実際は逆で
助けてくれるはずの家族などが近くにいる日本の方がつらかった。わたしの場合は。

子供が生まれたばかりの頃は日本にいて、
車で30分ほどのところに実家があって初孫で可愛がってくれたけど、
そもそも親と仲悪いし、たまに会うとあれこれ言われて息ができなかったものです。
あるべき母親像、子育て像が窮屈すぎたし(さらに嫁像まで)、
普段の子育ては親には全く頼りたくなかったし頼らなかった。
少し離れたところにいた義父母の目もいつも感じられて、息ができない感じでした。

だから海外駐在で、親の目の届かない、誰にも非難されない場所に住むことになって
親だけじゃなく、日本の社会の「人の目」みたいなものからも自由になったら、
1歳児と二人っきり、知ってる人の誰もいない孤独なはずの外国でも、
なんとのびのび晴れやかな気持ちになったことだろう。

知らない外国でも着いた途端、あれこれ手を尽くして保育園を速攻で決めました。
子供が保育園に行った日に、朝からプールに入って(常夏の国でした)、
うれしくて気持ちよくて仕方なかったのを覚えてる。
何てひどい母親!という目が、どこにもない場所に来て。

日本にいた時の子供と二人きりの閉塞感って、
社会との断絶と孤独のせいだと思ってたんだけど、
自分の時間がある程度持てるようになっただけで、
孤独なよく知らない外国にいてさえ、その閉塞感を感じることはぐんと減った。
本を読んだり好きなことをする時間があるって、ものすごく大事なことよねぇ。
近くに頼れる人がいない孤独より、人をジャッジする「人の目」の方がつらい、
常に子供を優先させて自分は殺すべきという、あるべき母親像がつらい、
そういう人もいるし、そういうこともありますね。

そり

2016-12-18 | Weblog
以前、三宮のカジュアルなカフェバーのカウンターで、ひとりで飲んでいた時、
隣にいた常連さんらしいおじさんがコーヒーを飲んでる音が、
とても耳障りで気になったことがあった。
カップをお皿に置く音やグラスをテーブルに置く音がいちいち粗雑に尖ってて、
何度もビクッとさせられた。ガシャンッ。カッチャン。キンッ。
わたしがそういう音が特に苦手なせいもあるけど。
おじさんは上機嫌で店の女の子と話しながらだったので、
機嫌が悪くてつい乱暴になってるわけではなく、
いつも動作に無駄でがさつな音のともなう人なのでしょう。
話し声や普通の雑音は、雑踏の中ではほとんど気にならないのですが
この人の立てるカップの音だけは、何かでつつかれるような嫌な感じがした。

「そり」が合わない、と言います。もちろん語源は鞘と刀の反り具合が合わないで、刀が鞘にキチンと収まらないことを言います。分かっていますが、私は秘かに違う解釈をしています。「そり」とは韓国語で「音」のことです。常々、人間は「音」だな〜と思うことがあります。(斎藤徹/コントラバス奏者)

韓国語では「そり」は、声のことでもありますね。
そりが合う、合わない。通じるような気がする。

ちなみに「反り」は刀の峰の反っている部分のことで、 「反り」が「鞘(さや)」の曲がり具合に合わないと刀を鞘に収めることが出来ないところから、気心が合う合わないの意味となった、というようなことが辞典などには書かれています。

斎藤徹コントラバス独奏会「音を見る」

2016-12-17 | 音楽
夏に行ったコンサートの話ですが、面白かったのでやっぱり書いておく。

どこかでもらって、なんとなく捨てられなかったコンサートのDMを見たら
その日だったので、当日券あるか電話したらあるということで、聴いてきた。
こんな風によく知らないところのよく知らないことに、
なんとなく気になって急に行くことは、わたしにはわりとよくある。
いつも大当たり、といえば野生の勘を自慢できるけど、ハズレも時々あります。
でもこれは、中々わたし向きのコンサートだったと思う。

コントラバスのソロ演奏を聴くのは今年2回目だった。
前のは外国の人が着物着て能楽堂で弾くジャズで、頭使って一生懸命聴いたけど
なかなか難しかった。面白かったですけどね。聞き方がまだわからない。
今回のはもっと現代音楽寄りでしたが、ショーロ、クラシック、タンゴ、
民謡、の他にオリジナル曲、即興演奏など幅広い選曲になっています。
結構実験的な作品もあったけど、
「効果だけを狙っていろんなことをしてた時期もありました、
すごく・・・よくなかったですね。」と今は、笑って話されていたので、
きっと昔よりは随分わかりやすくなったのだろう。
ジャズの難しさとは違う難しさがあって、現代音楽も慣れませんが
演奏者の魅力と相まって、楽しみました。

プログラムも素敵でした。例えばこれは、前半第一部。
・月の壺(斎藤徹)
・王女メディアのテーマ〜トルコマーチ風〜(斎藤徹)
・世界の民謡から:花祭り(アルゼンチン)、珍島アリラン(韓国)、
 四季の草原(モンゴル)、安里屋ユンタ(琉球)、最上川舟唄
・かひやぐら(即興)
・無伴奏チェロ第一番よりアルマンド(バッハ)

演奏者は人として純度の高い澄んだ人だと思う。なんというか、素敵だった。
お顔は高橋源一郎さんに少し似ている。
写真で見たより少し痩せていて内省的な学者さんのような雰囲気ですが
病気をされて痩せられたようで、今も闘病中のご様子。
学生時代は国際関係を専攻して韓国の歴史や文学を学んだが、
「文章を書いていると何か嘘をついている気がするんです。嘘をつけないものをと考え嘘をつきたくないから音楽を選んだ」
それからコントラバスを選び、クラシックとジャズを習得。
音楽とは何かを常に考え、自分を表現できるフリージャズや即興に没頭。
この頃が上に書いた「効果だけを狙っていろんなことをしてた時期」のようです。
その後、日本の伝統音楽を勉強し、韓国伝統音楽に触れた時に、
「音楽は自己表現の手段じゃなく、内なる問いかけだと」気づく。
自宅にはテレビがなく、夜はアントナン・アルトーを読み、朝はバッハを弾く。
哲学者のような佇まいで、でも話すときはそれほど不器用そうでもなく、
スルッと演奏に入る。孤高と言われる意味もわかるし、
なんか近所にいそうでもある、渋くてかっこいい人でした。

「アリランを聞くと、リズムって海をつないでいると思った」
「人の技術が入れば入るほど音は濁るので」
「拍手ってなんのためかという問題ですね」